徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

古い雑誌の写真

2012-03-25 21:40:37 | 本と雑誌

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裁判所の桜です。一昨年の3月19日16:36撮影。今年はどうなん?切られるような話がありましたが。

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こちらは今日撮った埼玉の桜。蕾は膨らんではいますが、まだまだです。

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さすがに梅はこれくらいになりました。北西の風が冷たかったです。

今でも雑誌(主に鉄道系)は特集が良かったら買っています。昔は内容に関係無く毎月購入なんて時期もありましたが、最近はネットから得る情報の方が多くてほとんど買わなくなりましたね。

それでも確実に増えていってるので少し実家に送ろうと箱詰めしています。その時眼に付いた物を少々紹介します。いや要はネタ切れで・・・

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「世界の艦船」1979(昭和54)年10月号の裏表紙です。会社は何度も変わって訳が分からなくなっていますがこの船は最初期の一船だと思います。

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この会社も今は無いですね。世界の艦船は命日が近い亡父が購読していて一部を貰ってきました。これは1981(昭和56)年9月号です。

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こちらは同じ年の5月号です。この頃はフェリーになっていますが船体色や少々肥えてはいますがその体型にかつての女王の面影があります。

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以前、四国連絡比較記事を載せた元ネタです。中学の頃、徳島港に共正と共同運行していた深日航路のフェリーを良く見に行ってました。

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本とは関係ありませんが整理中に出て来た暗室用電球。福岡に転勤して初めて風呂付きアパートに住んだんですが窓を覆って暗室にしていました。伸ばし機はラッキーの70Mでした。

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「とれいん」の増刊です。この出版社は↓

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この出版社の経歴はよく知りませんが松本謙一氏や平井憲太郎氏の蒸機の写真には感動しました。

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いわゆる「SLブーム」に従来の趣味誌以外の色んな出版社から写真集が出ましたが、お二人の作品は異次元というか別格でしたね。

型式写真風あるいは風景写真風ではない「こんな撮り方もあるんじゃ~」と何度も見ていました。モノクロ鉄道写真の頂点を極めていると思っています。

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結局この写真集は買わなかったんですが後悔しています。同じ頃、四国の出身だというのでN村Y信氏の写真集「日本のキシャ、ドラフトの響きを追って」というのを買いましたがガッカリでした。

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写真集は買いませんでしたがRJ誌が特集してくれたり広告を載せていたのを何度も眺めていました。

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↑この出版社の本では

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裏表紙の広告にこの写真が載っている雑誌を持っています。現役の大御所、最近は息子さんも活躍されているようです。

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一目で廣田氏の写真とわかりますよね。「鉄道写真に新境地を開いた」功績は偉大です。今ではこういう作風も珍しくはありませんが当時は画期的でした。

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この本は創刊3号まで買いました。

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上質な写真、が多かったと思います。

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その廣田氏の昔の作品が出て来ました。

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ヨンサントオの年の新年号です。客車関係の記事が多かったのでボロボロですが持っていました。

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確か同じ記事の’63年5月号はかの宇田賢吉氏「糸崎の夜」のはずです。

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同じ号に出ている新車紹介。今、岳鉄で注目されている機関車です。

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同じく客車関連記事。子供の頃、この記事を読んでいつかは模型で白帯編成を揃えたいと思っていました。

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スイロネフ38は現在休止中の瀬戸1号が完成したら(んん何年かかるか)作ろうとGMのスハ32キットを用意してるんですが・・・8800は最後の輸入蒸機の一つで外見はC51のモデルになったんじゃないかと小生は思っています。

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この号には徳島関連のニュースも出ています。大相撲巡業列車を牽くC58は番号が読みづらいですが124号機でしょうか。集煙装置が無いことよりD51辺りから流用したんじゃないかと思われるバカデカいデフが変です。今は閉鎖されてしまいましたがシフレ高木様の所で見た23号機も同じようなデカイのを付けていたように思います。

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四国の鉄道で珍しい本かこれです。自分で買った本ではなく会社の先輩から貰いました。表紙の場所は32号線から俯瞰した第一吉野川鉄橋ですね。この写真が記憶にあって一度行きましたが現在は高いフェンスがあって同じ角度で撮るのは無理そうです。

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DF50全盛期。小生は撮ったことがありません。ディーゼル機だとこの型式、電機だとEF80がどうも好きになれません。それぞれパイオニアとしての功績はあるんでしょうが何か鈍重そうでね。

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この本は廃刊になったと思いますが出版社の方はどうでしょうか。

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見開きページを飾るのは大坂峠を行く45+25ですね。ロクナナで撮影されています。

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大坂峠はこっちの本にも載っていました。

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高校の頃読みふけっていました。

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最後は本と関係無いですが、ひょっこり出て来た箱です。一昨年だったと思いますが、帰省したときに土産に買ったものです。毎年春には出てるのか?

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続・川崎新町・浜川崎付近で貨物を撮ろうと試み

2012-03-18 21:42:09 | JRの東海道線、神奈川県方面

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昨日からダイヤ改正、高崎線は185系特急が減量したくらいで特に変化無し。途中駅でカラ待ちする電車もあるそうで減量とはいえ8000台でスジは残してあるのかもしれません。

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牟岐線に新設された朝の通勤快速が気になります。着発時刻の詳細が発表されたらまたダイヤを作ってみます。

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写真は駅で無料配布されていました。高鉄局はスゴイですね、イベントの企画も上手いし。

改正に関係無く前回の続き、川崎新町から浜川崎へ移動。

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小田踏切です。複雑な交差点で道の真ん中に臨港バスの停留所があります。

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この辺はどっちの駅にも不便、第一南武支線は日中本数が少ないので皆さんバス利用のようです。

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浜川崎駅、正確には南武支線の浜川崎駅です。ホームは一面一線で柵のある側を右にカーブしていく線は鶴見線扇町方向に繋がる線です。左にカーブしていく複線が川崎貨物・東京貨物タに向かう東海道貨物線です。

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上と逆方向、川崎新町方を望んだ所。上に被さっているのは産業道路で更に上を首都高速が通っています。

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浜川崎を出た尻手行き電車は右側の東海道貨物線下り線に渡って行きます。

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逆に到着する電車は東海道貨物下り線から同上り線を越え一番手前のホームに続く線へとやって来ます。

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ホームの上を斜めに横切って行くのは東海道貨物線と鶴見線を短絡する単線です。一部架線柱が残ってる所もありますがもう長いこと使われていないようです。

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2両分のホームから改札口に向かう通路、駅名票がふんだんに貼られています。

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改札を出て左に踏切があります。通っているのは扇町へ向かう線だけで東海道貨物線は奥に続く通りの左側にほぼ平行しています。

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この辺の地名にはすぐ隣にある事業所の合併前の名前が残っています。

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踏切から見たところ。先に停まっているのは扇町から秩父鉄道に石炭を運ぶホキで手前に伸びる線を通って東海道貨物線-新鶴見-武蔵野線と抜けるはずです。その線とダブルスリップ2連で斜めにクロスする複線は鶴見線から来ています。

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その更に奥を行くのは鶴見線から扇町に向かう電車。

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右手に写ってるホームが鶴見線の浜川崎駅で直ぐ先が上の踏切になります。頭上が使われてない東海道貨物線と鶴見線の短絡線で道路を越えた所が南武支線の浜川崎駅です。

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鶴見線に向かうデーテン、12:14撮影。安善辺りの入れ換えに行くんでしょうか。

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貨物列車の間隔が開いたので産業道路に上がって駅を俯瞰してみます。

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尻手側です。右側2線が東海道貨物線の複線、左側が南武支線の電車が浜川崎のホームに入る線です。

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反対側を見るには一旦下って信号を渡らないと反対側には行けません。坂を下る途中にトレーラーに乗ったタンクコンテナがありました。

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冷凍倉庫の様なんでアンモニアでも入ってるんでしょうか、表記はさっぱり解りません。

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一旦下りきって反対側へ。

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反対側、川崎貨物方です。左端2線が東海道貨物線ですが、一番端の線はアレチウリの浸食が激しく通過の多い線には見えません。右端が南武支線浜川崎駅のホームです。

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夕方4時半頃から始まる貨物列車ラッシュアワーには未だ時間があるのでコンビニで昼食がてら川崎新町方に歩いてみました。

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この踏切の辺りです。

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ここは旅客より貨物が優先の線です。

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上を行くのは何度も言ってますが、かつて鶴見線と塩浜(現・川崎貨物)を短絡していた線です。ここを歩いている時に鉄ではない工場探訪派の方と何度か出会いました。前回鶴見線に来た時もそうでしたがここは聖地なんですね。そう言う意味では岳鉄沿線なんかはもっと賑わってもいいと思いますが。

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戻って再び浜川崎駅ホームから撮影。15:15の2091レ。

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同列車に繋がっていたケミカルコンテナ。レスチャコでいいんでしょうか。

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駅の直ぐ脇にある産業道路横の渡田踏切から。本数は多いんですが障害物が多い。

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駅のホームから撮ったものです。午後は光線状態も良いんですがなかなか上手く躱せません。

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渡田踏切から川崎新町方です。浜川崎に侵入する電車が東海道貨物線上り線から下り線を越えホームに入る線に渡って来ています。

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夕方17時過ぎからまた貨物列車のラッシュが始まりますが暗くて撮れそうもないので帰宅です。

貨物時刻表も2012年版の発売が予告されています。また買ってダイヤを確認し温うになったらまた行きます。

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川崎新町・浜川崎付近で貨物を撮ろうと試み

2012-03-11 21:31:02 | JRの東海道線、神奈川県方面

 

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今日は東日本大震災からちょうど一年。昨日は霙混じり、今日も晴れる予報が曇りで冬に戻ってるような天気です。

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咲くには咲いたんですが未だ2~3分でしょうか。桜に追いつかれるか。

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昨日もちょっと出勤したんですが行き帰りに東京口の211系を撮るつもりでデジカメ持って行きました。

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東海道線東京口の運用を載せているHPを参考させてもらいましたが、狙った列車は朝夕とも既に233系に置き換わっていました。

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ネットでは5月中に置き換え完了、と出ています。去年の秋からだったと思うので一年掛かってない凄まじい早さです。

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先日落成したサロには遂に高鉄局所属の表記があったそうです。このペースなら来年の今頃には高崎線からも211系が消えてるかもしれません。

以前、楽して貨物列車がいっぱい撮れる場所として黒磯に行きましたが、西に向かう列車を効率よく撮るなら東京貨物ターミナルの出口に当たるこの辺を押さえるのが常道かと行ってみました。

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去年の夏、先ずは新鶴見に近くて機関車良く見えるという新川崎のホームへ行ってみました。

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これはスカ線で言えば品川方。確かに機関車はたくさん見えますが撮りづらい。

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出場車を配給する列車のようですが似たようなタキでも43系と1000系こんなに大きさが違うとは知りませんでした。

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こっちは横浜方です。スカ線ホーム横を走ってくる列車はめったにありません、と言うか時刻を全然調べてませんから当然ですが。ホームには人が多いしこれならさいたま新都心の方が良さそうです。

次に有名撮影地らしい八丁畷に行ってみました。一面一線のホームは南に向いていて陽当たりが良くずっと逆光になるような気がします。小さなホームの両端にはいつも数人の先客が居てここもパス。

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それで隣の尻手に来ました。列車が行く線は新鶴見に降りていく線ではないかと思います。

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同駅の川崎・浜川崎方。どの線路も現役です。

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左の2線が川崎にカーブしていく南武線。

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右の2線が浜川崎に向かう南武支線と貨物線。

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南武支線のワンマン電車で浜川崎方面に向かうと東海道線・京浜東北線を越えた辺りで右手から寄ってくる高架複線が東海道貨物線です。

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貨物時刻表でこの付近の時刻を調べようとすると運転経路がさっぱり分かりません。ネットであちこちの記事を参考にさせて貰い、この辺の配線を理解するためにまた下手くそな絵を描いてみました。東京貨物ターミナルや川崎貨物を出た下り列車は川崎新町を過ぎた辺りで鶴見に向かう本線(上の写真の線)と新鶴見を経て武蔵野線や品鶴線~山手貨物線に向かう北への列車に分かれるようです。
※2017年11月26日追記
拙カテゴリー「街歩き」の↓の記事の末尾にもう少しマシな図がありますのでご覧下さい。

http://blog.goo.ne.jp/mazenannpuu260915uptodate/e/86e29e5a4ffc234463481dc6738f30a8


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こりゃ川崎新町なら全部撮れるんと違うんえ、と考え秋に良い切符が出たこともあって再々度行ってみました。

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尻手から乗った電車が川崎新町に着く直前。ポイントは浜川崎方ホームの方に開いていますが、川崎貨物・東タに向かう貨物は直進します。

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こちらは尻手方面のホームを通過する下り貨物。牽引機からすると武蔵野線から高崎線に抜ける列車でしょう。

この駅は二面二線構造、ホームは何れも北東方向が乗車口で浜川崎方ホームの裏に別の一線があります。

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その浜川崎方ホームの裏を行く東タ方面の上り貨物。上り列車この線の他に

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ホームに入る線の横を通る上り線があります。上の車窓写真で直進する線です。これは10:15なんで定時なら3072レの時間。

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浜川崎方面ホームから撮っています。右端は東タ方面への上り貨物、左端が下り貨物。左のホーム柵の横にもう一つの上り線があります。上の3072レとここですれ違う下りは1153レだと思います。

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この様子を図にしてみました。縮小すると文字が見えませんね。武蔵野線や山手貨物から川崎貨物・東タを目指す北からの列車は川崎新町手前で東海道貨物線の上り線に移る場合と川崎新町を一番北側の線で通過し駅を過ぎたところで電車と同じく東海道貨物線に移る場合があります。

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川崎新町駅尻手方にある踏切から尻手方向を望んでいます。左側の複線が東海道貨物線。直ぐ先の渡り線は同線下り線から右側にある尻手方面への線へ移るための線です。

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上の写真から右側に移動したところ。一番右側は尻手からの単線で足元の線は浜川崎方面のホームに入る線です。

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こっちは一番左端の東海道貨物線下り線の上から撮っています。右隣の上り線に渡った線が直ぐ先で一番右側の尻手方面単線に移っていくのがわかります。

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電車の直ぐ手前にあるのが東海道貨物線から渡って来る線、踏切直ぐで分岐するのはホームに入る線。

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東海道貨物線から尻手方面単線に渡る列車。先に述べたようにこの線は下り列車専用かと思ったら上り列車でここを通る列車が結構いたんです。

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今度は川崎新町尻手方からさっきの踏切の方を望んでいます。東海道貨物線から尻手方向に渡って来る2073レ(14:46)

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同じ場所で尻手方面から来て東海道線に移っていく列車。手前の線をそのまま直進していく列車もあります。

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川崎新町尻手方の踏切は午前中の上り列車に対して順光です。小生の調べたダイヤでは9時半から10時過ぎまで3本の上り貨物が続行する(内1本は8千台)んでこれを狙います。上の写真のように一番奥の線を行くのが上りの主流だと思っていましたが

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駅手前で東海道貨物線の上り線に移って来るのがいます。しかも自作ダイヤ通り来ない。遅れてるのかと思い動画撮影中の方に聞くとそうでもないとのことで、作製精度が低かったようです。

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さっきの桃太郎はたまたま移って来たんで次は向こうの線路を直進するはず、と思ったらあっさりハズレ。しかも更新色では一番好きな岡山色なのに・・・

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小生の作ったダイヤでは9:50過ぎから一時間で6本の下りが通過します(土曜の場合)9:59のこの列車は1079レ(たぶん)。後でよく見たら901号機のようでした、残念。

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下りは割と自作ダイヤ通り来てくれました。10:06通過の2099レ(恐らく)。EF200は現用電機の中で一番好きな型式です。

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同駅常駐の駅ネコ?による巡回が始まったので移動する事にしました。続きます。

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続・42年前の四国連絡比較、徳島は?ついでに「いしづち」の有用性検証

2012-03-04 21:49:38 | ダイヤと車両

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旧友が上京してきたので↑でライブを聴いてきました。久しぶりです、いやあ良かったなぁ。

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愚妻がこんな弁当を買って来ました。いや、ネコが喰った訳じゃないんですよ。食べる前に撮っておくべきでしたね。

前回は大阪-高知間でしたが本題の徳島です。

時刻表は前回記事を参照頂くとして、早速「南海四国ライン」利用の場合。

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前回の高知までの表を徳島で切っただけです。小松島-徳島間でわざわざ汽車を使う人は少なかったと思いますが。小生も何度かこの航路を乗せてもらいましたがバスばっかりでした。

所要時間の方は各便ともほとんど差がありません。が、小松島港-徳島間は徳島から急行になる快速列車で15分、各停で21~24分。これは車両性能差ではなく交換待ちがあるかないかの差だと思います。

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上は南海以外の2社の航路です。関汽は昼行便と夜行便がありますが夜行便の方は有効時間帯に入れるため少々時間調整してるんでしょうか。

それにしても小松島港-徳島間の客車列車は時間掛かりすぎですね。この時代はもちろん蒸機牽引ですが、交換が多い時間帯でもないのでDCに比べ加減速性能の悪さが際立っているんだと思います。

共正も夜行便です。着が小松島と徳島の違いがありますが関汽の夜行便と比べると共に神戸経由で所要時間差は10分です。共正の船は2隻とも3~4百トンの小型船だったこと考えれば大健闘だと思います。もっとも乗り心地は倍以上ある関汽のほうが良いに決まっていますが。

右端には参考で国鉄・宇高航路経由も載せてみました。新幹線の岡山開業前で国鉄は徳島-大阪間は諦めていたのか時刻表の連絡時刻表欄にも徳島は出て来ません。特急と高徳ノンストップ急行を使う上記の接続では時間こそ関汽昼行便を凌ぎますが運賃・料金はうずしおの特定特急料金と高徳急行の乗り継ぎ割引を利用しても1,570円となり航路の特二等利用を上回ってしまいます。で、以下の指数比較には加えませんでした。

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指数化の方法は前回と同じく「早くて安い」連絡が指数が高くなるようにしています。南海が一番良いのは予想通りですが共正が運賃の安さで稼いで肉薄しています。

共正や阿波国共同汽船が発着していたかちどき橋北詰の港(中洲)には確か市バスも乗り入れていました。列車で徳島より先に行く人には乗り換えが不便ですが、徳島市内の人には利便性は悪くなかったと思います。

小生の実家はそこから徒歩圏内ですが船の揺れを嫌ったのかこの航路は一度も乗ったことがありません。

先に参考で国鉄の大阪-徳島間を載せましたが、この時代にはもうひとつ今は無き航空路がありました。

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飛行30分で3千円。航路の特二等利用の倍以上です。この時代高知便の立ち寄りを含め片道5便がありましたがその後もっと増えたはずです。結婚した当時、徳島空港で愚妻が出発案内を見て「実家に行くバスより本数が多い」とビックリしていました。

大阪便は2回位乗りました。上昇が終わってホンの僅か水平飛行に入るとスチュワーデスがザルに入れキャンデーを配ってきましたね。仁徳天皇陵の上を飛んで前方後円墳が良く見えたのを憶えています。

この時代は枠外の各路線にもあるように途中寄港が一般的です。未だ航空機利用が普及していなくて地方都市単独路線では採算が取れなかったんでしょう。徳島-東京は鹿児島路線の途中寄港です。この方式は地方空港乱立で搭乗率が確保できず苦戦、一方で羽田の発着枠が限られてる現在見直されてもいいと思います。東京-宮崎のスカイネットアジアや同-小倉のスターフライヤー辺りが寄ってくれるといいんじゃないかなと考えます。

他にも集客に苦戦してる佐賀とか能登・但馬といった西日本の各空港と提携出来ればお互いメリットあるはずです。

その大阪便航空路が無くなったのはやはり明石海峡大橋が出来たせいでしょうか。現在なら高速バスがこの区間の王者ですね。

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南海四国ラインは今も健在!実態は自動車を航送するフェリーが主で旅客輸送はおまけみたいですが、それでも南海の特急電車はちゃんと和歌山港発着を守り国内唯一と思われる船車連絡が続けられています。ッ凄いことだと思います。

徳島側が徳島港発着に変わりましたが所要時間はほぼ40年前と同じです。同じでないのが国鉄から変わったJRですね。新幹線と瀬戸大橋線が出来て西側にひどく大廻りするルートにも拘わらず所要時間は南海を大きく下回ります。但し新幹線が高いので運賃・料金は約3倍ですね。

それらに比べれば高速バスは圧倒的優位。早い上に運賃もそこそこ、しかも本数もあります。指数化する必要もないとは思いますが

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南海が不利にならないよう難波発のバスとも比べてみました。こうなるとほぼ拮抗します。そもそもバスは阪神高速の渋滞でなかなか時間通りに着かないですから。

小生は新幹線+高速バスの場合、鉄道好きもあって新大阪-(快速電車)-舞子で高速バス乗換にしています。下りの場合、バスを予約してると大概遅れていて待たされるので来たバスの空席に乗るようにしています。ほんとに便利なバスです。このバスのお陰で鳴門や徳島は近畿圏と言っても差しつかえないと思います。

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大阪-高知、徳島と見てくると松山はどうだと言う流れで「阿佐」と併結していた「いしづち」ってどうだったんだろうと気になりました。

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何度も使い回してる1967(昭和42)年夏の写真です。一年後の8月に撮った写真では阿佐との連結順序が逆です。この時は徳島方がいしづちですが翌年は逆になっていました。所定は2+2なんで中間の1両はお盆の帰省に阿佐に増結された車両だと思います。

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前記事で紹介した時刻表ではいしづちは廃止、阿佐はよしの川に改名してるんで今回使うのはこっちです。初めて大判になった号だったと思います。

581が写っているとついこの前のようです。とは言え1967年はヨサントウの前年で山陽本線全線電化から未だ3年しか経っていませんし東北本線の全線複線化と電化が完成するのは翌年、京浜東北は赤羽-大宮間の分離運転前で列車と同じ複線を茶色の73系が走っていた時代ですが新幹線だけは出来ていました。最優先の国家的事業だったのが分かります。

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国鉄で大阪-松山の正規ルートはもちろん宇高経由です。切れてしまいましたが高知連絡と同じく夜行便もあります。

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国鉄で忘れられそうなのが仁堀航路経由です。小生は見たこともありませんがこの頃は未だ両駅とも急行が停まっていたようです。上り4便に接続する東京行き26レは安芸ですね。

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航路ではやはり瀬戸内海の覇者・関西汽船の別府航路の豪華観光客船が寄港します。平清盛見てます。

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瀬戸内海やし他にもあるだろと探すと福山・笠岡と多度津を結ぶ航路がありました。両駅ともマル連マークが付いていますから比較対象に加えます。

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正規ルートの宇高経由を時刻表の連絡ページから一覧にしました。やっぱり特急からの接続が速いですね。同じ急行でも準急上がりと以前から急行だった列車にははっきりと差が見られます。列車番号は01から始まり愛称も第1○○となります。準急上がりは○○号で列番も11からになります。予讃線でみると所要時間も20分位速いです。101Dが第3せとになってる理由がおわかりでしょうか・・・

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仁堀経由も意外に速いです。もっとも急行が接続するこの便だけですが。もう一便は大阪からの接続が取れないので割愛しました。

候補に加えた笠岡-多度津航路経由ですが途中小さな島にいくつも寄港して時間掛かりすぎでこれも外します。

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替わって登場が阪神-高松を航路にして予讃本線を全線乗る連絡。時間的には加藤汽船の日曜限定便より関西汽船の大阪7:50発の連絡が断然速いんですが高松築港で10分乗換が出来たかどうか?際どいので加藤汽船の限定便を参考で比較対象に加えます。

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もう一つの王道、関西汽船別府航路利用と本命の「いしづち」利用の連絡。さすがは関汽の看板路線ですね、直線でも400キロくらいありそうなところを10時間弱ということは20ktくらいでてるんでしょう。表定速度40km/hといえばローカル線の急行より速いです。

その瀬戸内海の女王に比べると我が「いしづち」は分が悪いです。

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例によって指数化して比較ですが「いしづち」あきません。やっぱり松山では瀬戸内海の女王が頭一つ抜け出てます。次点も高松航路ですからこの時代は瀬戸内海航路の船が充実していたのか鉄道の設備が貧弱だったのか。

瀬戸内海は昔から航路優位で、この時代でも大阪-別府間は2001D「いそかぜ」で10時間ちょうど、1M「みどり」で9時間44分に対し関汽の観光船は14時間10分ですからやはり速いと思います。

そのせいか翌年のヨンサントウの時に確かこの急行は池田-松山間の相方「予土」と共に姿を消したはずです。

それにしても

風光明媚な昼間の瀬戸内海を高速巡航する2~3千トン級の客船、乗ってみたかったです。

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