徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

烏山線でキハ40とくれば

2011-06-26 22:50:25 | 関東近郊、JR特定線区外と私鉄

やっと我が家も液晶テレビに買い換えました。いやぁ今までのブラウン管テレビは地デジ対応機だったのでまだまだ使うつもりだったんですが突然映らなくなりました。04年製だったので十年にはなっていません、ちょっと早かったです。今度は画面サイズが一回り大きくなり値段は三分の一くらいになりました。キレイです、直前までみんなシュレックみたいな顔色してましたから。

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亀山パネルの前にあるのは日新酒類のすだち酎。スダチの焼酎ではなくウォッカをスダチ果汁で割ったものの様です。

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この前、やっと烏山線に行って来ました。国鉄色が2両になったとのことでいつか行きたいと思って「烏山線見たまま掲示板」というありがたいページを拝見していると何とこの日は国鉄色同士が2連で終日運用に入っているとのこと。天気は良くないんですが雨でも行こうと決めていました。

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宝積寺駅です。お目当ての国鉄色2連の列車が東北線下りから烏山線ホームに渡って来ます。 これに乗っていったんです。日中の烏山線は2編成が途中の大金で交換するパターンを繰り返しています。といわけで国鉄色走行中の写真が少なくなりました。

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全車がワンマン改造されてるようです。キハ40のドアが車端に寄っているのは将来のワンマン化を見越していたのでしょうか。

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冷房も付いています。こういう網棚を占拠するタイプは和歌山線の電車や小湊鉄道で見たことがあります。

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左の小窓はここが元・便所だった証しですね。右の細い窓は二人用ボックスシートがあった場所でしょう。あれは不思議な席でした。わざわざ専用窓まで備えていたんですが、そこまで作り込む執念が解せません。

反面、このロングシート化は蹴込板が省略されていて簡素な感じです。

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終点の一つ手前、滝駅です。手前の方は嵩上げされていますが何故かそこを避けて停車、かなり段差があります。

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終点に向けて走り去ります。生意気(失礼)にもPC枕木、そしてメトロのレールのように踏面全部がピカピカに光っています。レールだけ見てるとローカル線らしくないんですよ。

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暫くしてさっきの編成が烏山で折り返して来ました。便所を撤去してるので水タンクの跡に何か付けてますが不明です。

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良いですね、昔の牟岐線で勝浦川鉄橋に続く築堤を思い出させます。ここは滝駅宇都宮方です。

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背景の山はどうも土砂崩れを起こしているようです。

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この辺は頻発地帯のようでこういう表示板をいくつか見かけました。

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1時間以上の列車空白時間帯を経てやっと来た、この日もうひと組の編成。こちらが烏山線オリジナル塗色。Mの字がデザインされているようですが何でMなのか。

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さっき国鉄色を撮った築堤の反対側です。曇っていて良かったんですがこちら側は逆光です。

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ここは滝駅烏山方です。こちら側も実に日本的な良い風景です。

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滝駅烏山方直ぐの踏切。自転車すら通れそうもない踏切ですが良く整備されています。

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ここに続いているからだと思います。トトロが出て来そうな雰囲気があります。

何せ1時間以上の空白が何度かあったので、この先の駅名の由来になっている滝も見物出来ました。

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宇都宮から折り返してきた国鉄色編成がやっと烏山に向かいます。右の道路の下が龍門の滝です。

この折返しで帰宅。宇都宮からは231系ですが、あの座席は1時間が限度。この次は正統国鉄色、いすみのキハ52か復活したらしいひたちなかのキハ20を撮りたいなぁ。

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梅雨の武州荒木

2011-06-19 21:30:28 | 関東近郊、JR特定線区外と私鉄

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毎度ですがタイトルと全然関係ない写真。去年は500系をこんな風に撮ろうと試行しなしたが思ったようにはいきませんでした。

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もうひとつ。プリントキットでオリジナルTシャツ作製です。去年、鳴門線を撮りに行った時に鳴門鯛の酒造元がありました。そういえばあのラベルのデザインは良いなぁと思い、小生日本酒は全く飲めないので身内に頼んで送って貰いました。

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スキャンした画像はキレイなんですが純正インクを使ってないからでしょうか、赤みが強い変な色になりました。試し刷りをすべきでしたが、この色地布にプリントする用紙は安くないのでそのまま使用しました。もともと無断使用やけん表には着て行けんしな。

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ネットで鳴門鯛のラベルを探しているときに見つけた「南国一」、高知の酒かと思ったら德島だったんでこちらもプリント。鳴門鯛で失敗したおかげでこっちは色調整しました。

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衣料品絡みで、もひとつ

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全国紙に一面広告、何で高知。

ここからが武州荒木の話。

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GWに秩父鉄道の熊谷-羽生間を初乗した時に武州荒木の開けた空が良いなと思い田植えの時期に再訪を予定していました。

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今年は田植えの時期が入梅と重なって2回ともご覧のような天気です。

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一回目は土砂降り、家から近いのでカメラひとつで撮りに行けるんで傘差して強行。服がビショ濡れになった苦労は写真に出ませんね。

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この駅の魅力のひとつ、農業倉庫とかつての貨物上屋と思しき建物。

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バラストが残っているので昔1~2線の貨物側線があったのは確か。穀倉地帯のようなので農産物の集荷・発送拠点だったんだろうと思います。

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側線と言えば倉庫と反対側にも旅客ホームよりはるかに有効長のある側線があります。架線も張られていて現役のようです。

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実は小生が良いなと思ったずっと以前にリンク先のごっさん様は兄上と共にこの地に注目されていました

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兄上様お気に入りの通称ゴチゾウストレートを元・東急8500が雨を突いて驀進して来ます。

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ごっさん様も記事に書かれていますが、この車両は中間車からの改造にも拘わらずわざわざ貫通扉を表現しています。

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ひょっとして田舎の中小私鉄に輿入れさせるにあたり実家から注文があったのかもしれません。なんせ半蔵門・田園都市線では未だ現役ですからイメージを損なわれては困る、とか。

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この線のスターはやはり元・国鉄101系。中でも現在一番お気に入りは通称「あずき」。

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雨に怯んで半端な構図、折角遭遇出来たのに・・・

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長瀞駅が何と開業百周年だそうで記念ヘッドマーク。

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同じ塗色でも付いてない車両もあります。これで黄色地に茶色の線が入った車両が撮れれば完璧だったんですが、2回とも会えませんでした。

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小さなホームですがちゃんと屋根とベンチがありレトロな行灯式表示板が渋いです。

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こんな天気の日はステンレス車は空を映して目立たずこういう明るい色の鋼製車が良い。

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近いのでまた寄ってみます。

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GWに八木原で燻る

2011-06-12 20:46:33 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面

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ちょっと前、今月初めの撮影。関西電鉄系のデパートが改装準備。今度は紳士専門店になるそうです。女性専門が多いのでこういうのもありですね。

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同じビルに入っていた関東電鉄系デパートの方は先に閉店しルミネに改装中。銀座の松坂屋もデパートやめるそうで時代が変わりつつあるのを実感します。

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直ぐ近くに徳島・香川の商品を扱うトモニプラザがあります。お供えしていたのを下げて昨日おやつにしました。右のお菓子はうず芋を作っているメーカーだと思います。

本題に入る前にもうひとつ。

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ベランダのアマリリスが今年も咲きました。実家の庭にあったのを持って来たんですが

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両親は「ハマユウ」じゃ、と言ってました。実家では葉が伸びるばかりで花が咲いたのは見たことありませんでしたが、母が亡くなった翌年に赤い花を咲かせ調べるとアマリリスでした。

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八木原のランドマーク、デンカセメントのサイロです。ここをセメントカーブと呼んで方もいるようです。

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群馬DCキャンペーン。DCなのに電車か・・・ただDCと書いただけじゃわかりません。サイロの後ろに赤城山が隠れています。

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今にも雨が降り出しそうな悪条件でここに来ているのにはわけがあります。

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人気のポイントは早くからこの混みよう。背景は子持山です。

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皆さんこんな電車にはシャッターを押しません。ここの背景は榛名山。

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みんなが待っていたのはこれ(小生もですが)です。長く待った割には構図もシャッターも中途半端。デーデーの重連、しかも旧客なんて今後撮れるかどうか・・・

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上の写真からわずか8分後です。渋川で長時間停車するので車組も電車組も追っかけて行きました。

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年寄りは夕方の上りまでここで撮り続けます。さっきまで撮れなかったアングルで115系。

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故障なのか白幕。

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こっちは折角の「水上」 幕ですが止まっていません。

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GWだからか、あるいはDD重連を追いかける人が多いのか混んでいます。

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サイロの社章をよく見ると「ポルトランドセメント」(あるいはポートランド)と書いてあります。調べて見るといわゆるセメントを正しくはこう呼ぶそうです。

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上りをどこで撮るか、更には近いうちにデビューするC61撮影場所も探してあちこち移動。ここも良いなと思いますが、所詮は架線下ですね。

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セメントサイロに伸びていた引き込み線の名残。今は使われて無さそうなトークバックがその証し。

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構内には未だ架線の張られた側線が残っていますが使われては無さそうです。

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さっきの白幕車が折り返して来ましたが直っていません。それとも幕に入ってない臨時列車でも担当していたのか。

この後、上りDD重連が通過する直前にはついに雨が降り出し辺りは益々暗くなりました。小生は失敗作でも載せて来ましたがさすがに今回は最悪だったので掲載出来ません。

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眉山の続き

2011-06-05 21:31:20 | 徳島で

先週、高崎線の駅に「HENRO」というJRグループのポスターが貼られているのを朝の通勤電車から見て居ました。で、ネタにしようと昨日出勤だったのでカメラ持って行って撮ろうと思ったら撤去済み、、、トホホでした。

現首相がお遍路さんしてて前回は53番で終わったそうで、次は54番「延命寺」だそうです。なんか出来すぎてますねぇ。

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写真↑は身内のブログから転載。

前回、眉山の写真載せましたが「鉄道風景」を名乗る以上やはり鉄道絡みも行きます。

その前に

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眉山の上空には飛行機雲が何本も掛かるそうですが、上のは3年前の8月撮影。眉山は写ってませんが飛行機雲は3本くらい確認出来ます。徳島上空は東京と福岡等を結ぶ航路の要衝になっているんだと思います。

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飛行機ついでにこちらは正面建物の煙突の上にヘリが見えるでしょうか。1967(昭和42)年10月の撮影、この時期徳島で見られるヘリと言えば松茂・救難のS55か和田島のS58(HSS-1)の何れかだろうと思います。ちなみに眉山に被っている建物が何か分かる方はかなりの年配者ですね。この建物、今はありませんから。

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さて、徳島・眉山・鉄道と言えばここ吉野川鉄橋が王道でしょう。車両とトラス橋と眉山を絡めた写真は未だに撮れていません。

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もう何度も載せてる写真ですが今一度。1969(昭和44)年5月4日撮影、吉野川手前の鮎喰川の鉄橋を渡っているところです。

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逆に列車内から撮った写真です。上のは鮎喰川と吉野川に挟まれた放水路を渡っているところ。右脇の潜水橋は通称かっぱ橋。

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いよいよ吉野川鉄橋、8月ですが朝が早すぎてスッキリ晴れていません。

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この辺の写真も以前に載せてるかもしれません。

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これで青空だったらなぁ~。

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吉成駅の跨線橋から。眉山と列車は写ってますが鉄橋が無い。

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吉成駅と鉄橋の中間くらい。眉山が入っていません。線路の向こう側から撮ると眉山も入りますが車両が逆光で潰れてしまいます。

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更に進んで池谷駅跨線橋から。霞んでいますが眉山です。

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この国鉄時代の生き残りも数を減らしてるそうで、今度帰省したらまた撮らないと。

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池谷駅の複雑な跨線橋を撮った写真に眉山が写っていました。このくらいの距離から何もない平野を通して見ると海の上から見た姿に似ています。

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昔の写真を。佐古駅徳島方です、今は高架になってる区間で1968(昭和43)11月。

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佐古駅を発車して徳島線と別れた直後の高徳線上り貨物。この区間も今は高架。

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1968年8月、こちらは佐古駅を徳島に向けて発車する高徳線下り貨物。手前は田宮川から佐古駅裏まで引き込まれていた貯木池。C58は110号機でこの頃未だ集煙装置が付いていませんでした。

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小生は昔からあまり縦位置で撮るのは好きではないんですが、これは川面に眉山を写し込もうという魂胆が見え見えな一枚です。C11が牽く穴吹始発の列車が徳島に向けて発車した所です。正面が新町川、右側の上の写真の貯木池がありました。

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今度は眉山を挟んで反対側になる園瀬川鉄橋を渡っている所。徳島駅や徳島公園から見る眉山を表とするとここら辺から見る眉山はさしずめ裏眉山。

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その裏眉山はアップにするとこの当時ドライブウェー造成の跡が禿げていて痛々しい感じでした。

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最後は小生が一番見慣れている中洲方向から見た写真です。ぶれていますが鉄橋上で撮るつもりがトラックを避けてこうなりました。最初から向こう側で撮っておけば良かったんですがチャレンジが裏目に出ました。

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こういう風に写るはずだったんです。プレハブ小屋の右にチラッと写っている建物は解体前の旧・水上警察署です。

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肝心のハチロクはほとんど写っていませんが眉山のシルエットがキレイなのでトリにしました。この写真ももう3回目くらいの登場。

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