徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

12月帰省の撮り鉄、二日目の①

2017-01-29 21:35:19 | 土讃線


ここ最近、東海道線方面が続いていて、たまには広い空の下でと思い東北本線の某有名撮影地へ。


日中は陽射しが強く3月の気温だったそうですが、那須の山々は雪があって朝は寒くて顔がしもやけになりそうでした。
その朝ですが、到着前に車内から見ると未だ薄暗い線路沿いにテツと思しき車多数。しまった!今朝は樫オペやが上京する日か?と一瞬また東海道線方面への転戦も考えたんですが、寒い中来たんやしと待ってると

朝日が射し始めた頃のっそり現れたのはこいつでした。幸い大方のテツは引き上げたので以後は予定通り夕方までのんびり撮れました。


テツはみんな撮り鉄かと言うと全然そんなことないですね。先日、社内のテツで飲み会したんですが、乗り鉄・収集鉄・弁当鉄と多彩。こちらの限定品、なかでもレアな自力走行できない921型のヤツを250円で譲って貰いました。


いやあ、久し振りにこちらのお店が取れて楽しいひとときが過ごせましたよ。最近、当社の中では私鉄の話題が多くて・・・
帰省の記事は撮り鉄二日目に入ります。


この日も徳島線下り一番列車で池田に向かいます。前日と違って1500形、前面展望が楽しめるお一人様席がないんで好きではありません。穴吹過ぎると高校生で一杯になるし・・・そう言えば、以前はこの高校生達がうるさいなぁと思っていたんですが、今年は不気味なくらい静か!そう皆さんスマホに夢中で挨拶すら無し。池田で降りてからやっとおはようを交わしていました。


池田から4222D琴平行きに乗換。1000系も全部トイレが付いたか。


「箸蔵の桜坂」を通過中。後でこの辺に来ます。今日も天気がエエなぁ。


箸蔵に到着。乗ってきた4222Dは坪尻で12分停車し、31D+2003Dしまんと・南風1号と34D南風・しまんと4号の通過待ちです。


先ずはしまんと・南風1号。ここで通過待ちする特急は上下とも所定で5両と土讃線としては長い編成なんでどこで撮るか迷います。


好きな貫通側の顔を後追い。四国色とブラックフェイスがよく似合います。


ここは今回の帰省で絶対撮ろうと決めていた場所です。夏場は蝮が怖くて近寄れません。車の入って来られないこんな場所で咬まれた事を想像するとぞっとします。


この辺が今回の本命。安全な場所となると障害物が避けられません。


34Dの方がNだったんでちょっとガッカリ。どうもこの顔はイマイチ好きになれん。上り列車が駆け上がってくる所が格好いいんですが。


緩いS字を振り子を効かせて通過するのを強調すべきでしたね。


所定では8:29発ですが特急が遅れていたんで8時半を過ぎてからスイッチバック線に入ります。4222Dは列車番号からすればワンマン運転ですが夏に来たときも車掌さんが乗務してました。ワンマンでは運転士さんがエンド交換してこちら側の運転台にいますが、車掌さんが後方監視するので後進運転です。この日は凛々しい女性が後方監視中。


引き上げ線の中程まで入り、


約5分遅れで出発して行きました。落葉樹はすっかり葉が落ちて枯れ木になってますね。


さて、4222Dが出て行くと約45分列車は来ませんから(実はそうではなかったんですが)辺りを観察。草が枯れたと言うよりやはり刈られていたんでしょうね。こんなにはっきり道が見えたのは初めてです。最早オブジェのようなバイクの廃車体はそのままでしたが。



夏に通過車内から見てましたが、踏切周りは劇的にキレイになりました。



通過列車の時刻最新版。四国は3月の改正後も大きな変更無さそうですね。


へえぇ、っこれが坪尻の駅前、ってカンジです。


この柵も目にするのは数年ぶり。「マムシ注意」の古い方の札は無くなったのかと思っていたら草に埋もれていたんですね。夏場の雑草繁茂を踏まえてか、少し手前に新しい札が立っていました。



駅舎は変わらずですが駅名標の上に「秘境の駅」が追加され、マムシ注意も貼られました。前日の小歩危と同じく、ここも屋根から蒸気がたってます。


朝靄に包まれる山間の秘境駅、いやはや名カメラマンになった気分。


と、その時全く想定外に下り列車が。しかもデーテンが185を4両を牽いています。4222Dで岡山から来たと言う方に伺うと訓練運転とのこと。ほう言やネットにそんなん出とったなぁ・・・池田まで2往復するとのことで、もう一度どこかで撮ろうと作戦変更。ネットでは以前牽いていたチキが入場中なんで185を使ってると出ていましたが、後日副支部長に聞いたところでは、チキ2両じゃ軽すぎて訓練にならんからとの事でした。



ホームにこんな幟が立っていて、何を目指すのかわからんので検索したら老人ホームの様な施設のことしか出て来ない。


9:18に2005Dしまんと5号が数分遅れで通過。


で、2005Dを箸蔵で通した36D南風6号の上って来るところはこの日の本命なんですが逆光が凄い。


逆にこっちは白とびです。


9:45、4227Dが約10分遅れで到着。トンネルを出て真っ直ぐスイッチバック線に入ります。



エンド交換してからホームに。



4227Dに乗って箸蔵まで一駅下って来ました。跨線橋が塗装工事中。


桜坂にやって来ました。桜は朝日を受けて枯れ木に花が咲いたようなカンジになっていました。だいぶ前にも紹介しましたが、手本としてる「ごっさん」様の真似して背後の山の集落を引き寄せ撮ってますがやっぱり何か違う・・・もっと長いレンズなんかいな。


随分このアングルで試し、今回初めて200ミリで撮りましたが今までとあんまり変わらず。この後はデーテン訓練運転の返しを撮ろうと駅に戻りました。続きはその②へ。









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12月帰省の撮り鉄、1日目の②

2017-01-22 20:56:55 | 土讃線


写真集を2冊購入。以前は蒸機や船の写真集(と言うより趣味誌の特集号みたいな本)を見ていたんですが歳をとったんですかね。


徳島もこない出とったとは知らなんだわ。30年間JRで通勤していますが実物を見た記憶がありません。


この週末も良い天気でしたね。ただ寒くて・・・多少は温いかと熱海の手前まで進出しましたが各地の天候不良で列車が来ず。


午後は先週半日だけだった横浜市内に移動。寒風に吹かれながら全然来ない貨物を待って心身共に冷え切ってしましましたよ。
四国も雪が舞ったりしてる様ですが、こうして写真を見てるとやはり温そう。

豊永から4232Dに乗ってこの日午後の予定地、阿波川口に向かいます。


途中、いたるところでこういった土讃線らしい光景が。こういう山肌にへばり付くような集落と列車を一緒に撮りたいと考えてるんですがなかなか上手く行きません。


その4232Dが池田に向かって川口を発車していくところです。


駅外に出て駐車場から39D南風9号の通過。この日は13:44だったんでちょっと遅れ気味。


紅葉はとっくに終わって落葉樹はすっかり枯れ木になってますね。先の民家は線路と境目があやふや。あそこをお借りできれば振り子を効かせて進入してくる列車が格好良く撮れそう・・・


こちらは39Dの約20分後に池田を出た4237D。川口駅の対岸は岩がむき出しでちょっとした景勝です。


14:15には上の4237Dと隣の小歩危で交換してきた46D南風16号が来ました。下りホームからの撮影です。


川口に停車する特急はありませんが、この駅は一線スルーではありません。駅両端が急カーブで且つ鉄橋があるんで配線変更が難しかったんではと想像しています。


次の41Dまで少し時間があるし、なんとか線路沿いに降りられる所はないかと旧道を池田方にだいぶ歩いたんですがダメでした。フェンスに電線が通っていて落石を感知するようになっています。32号との間に見えづらいですが線路があります。


諦めて川口駅に戻ってきました。背後の山肌の集落が土讃線らしい。


JR四国もいろいろやっとんやなぁ。イベントそのものはオッさんには無縁ですが、こういう取り組みは歓迎、応援したいです。


どこの駅なんだろ?近いうちにこっちで職探しの可能性もあるんで興味がありますよ。


下りホームの川寄りには側線の車止め跡が。こんな狭い所でも貨物扱いしていたんですね。


ここから上り列車を撮れば背後の集落が良い具合に入り、以前紹介して憧れている「世界の鉄道’70」49ページに掲載されている川崎試作機DF91の写真に近くなりますが、白い巨塔がいけません。


41D南風11号の通過は上りホームで撮りました。進入時の写真は平凡だったのと非貫通型先頭は好きやないんで後追いを。


200ミリいっぱいで撮った写真を更にトリミングしています。急カーブで銅山川鉄橋に入りそのまま山城谷トンネルに突入。


下りホームに移って15:14の48D南風18号を。背後の山を写し込んでいますが、やはり白い巨塔に視界を奪われますよ。


半車グリーンの非貫通型先頭を含む3両編成が南風の基本ですが、これは通常で4両、この日は一両通常編成が混じっていました。


改めて川口は撮りづらい駅やなぁと痛感。


半日無駄にしたようなカンジです。アンパンマンが慰めてくれてる?


とは言え、同じ構図ばっかりでもしゃーないし、今度は小歩危方に少し進みます。駅前通りには古い商店も多い。ここは旧・山城町の中心ですからね。昔は日に1本でしたが急行も停まっていました。


細い道を抜けて銅山川鉄橋に来ました。昭和33(あるいは23)年と読めます。当然「運輸省」になっています。


やって来たのは15:33だったんで43D南風13号でしょう。


こっち側だと背後の山の斜面も入れられそうです。もう少し高い位置から線路と同レベルで撮れると良いんですが。今度また試して見ます。この鉄橋の架かる銅山川の源流が新居浜市とわかってビックリです。



そろそろ帰る時間で駅に戻って来ました。32号線名物の原木運搬車。こんなトラックが狭い国道を走るので怖いです。


なんとか白い巨塔を避けてこれから乗る上り列車を撮ってみました。こっち側に振ると今度は宗教関係の白い建物が入ってきますが信号機と樹木で隠せました。ただ、列車が全然目立たないじゃないか・・・


車窓から古い校舎の学校?が見えます。地図で探しましたが該当する学校はありませんでした。廃校なんか?


池田で徳島行き特急に乗換。昔、高校野球で一世を風靡した公立高校が夕陽を浴びていたので。経理のYさん、セーラー服に白のスカーフと言う制服はあなたの通学時のままですよ。


いつも土讃線方面で撮り鉄して徳島に帰るときは土日なんで剣山八号にはアンパンマンカーが入ってるんですが平日は無し。2号車欠車です。


明るい室内は良いんですがシートをなんとせんと高速バスに負けますね。いや、川重で製造中だと言うニーロクがチラチラとネットに出てて赤のラインが入ってる。と言う事は徳島用?(連絡船時代、赤は徳島で20Nも赤と紺と言う徳島・高知色が採用されています)最小限で多くの運用を置き換えるならこの185の置き換えが一番ええと思うんですが・・・ただ、土佐くろしお鉄道がニーロク購入の意向を示してるそうで、そうなるとやはり土讃線のニーマル置換用なんでしょうね。確かに車齢高いのにハードな運用ですわ。


今回帰省時の撮り鉄で使用した「琴平・大歩危祖谷フリーきっぷ」です。従来、香川徳島フリー切符を愛用していたんですが無くなってしまい途方に暮れていました。今回の帰省に際し藁をも縋る思いでお得な切符コーナーを見てこの切符の存在を知ったとき、思わず声を出してしまいました。入口が穴吹になってしまった欠点はバスが乗り放題と言う新規特典で充分にお釣りが来ますよ。
1日目はこれでお終いです。

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12月帰省の撮り鉄、1日目の①

2017-01-15 21:20:41 | 土讃線


極寒!また徳島でも雪ですか。温暖化と言われてますが最近雪が多いような気がします。今週末も出勤でしたが、来週もネコのお守りで撮り鉄行けそうもないんで出勤前に浜川崎へ初撮りに行きました。
しかし・・・クリーン川崎号は時間を間違えパンを喰ってる間に通過。きれいなコンテナが揃った良い編成だったのに惜しいことしました。


本命の石炭列車は日陰ではとても居られないような寒さの中を待ちましたが来ない・・・


諦めて、元日の線路沿い歩きで良いなと思ったこちらの踏切に転線。


とにかく本数が多い。小生が見た最長は東十条の井頭踏切ですが、ここもなかなかなモンです。どちらも京浜東北線南行が駅に入るときから鳴り出すんで客扱いしてる途中で他の線に列車が来てしまい、ラッシュ時なら更に次の南行が来てしまう、と言うパターンを繰り返すことになります。こう言うのは複々線以上の駅横踏切で見かけますね。


ちゃんと直ぐ横には自転車対応の跨線橋があります。見る鉄するには最高の場所で、この日も子供連れが居て、子供が手を振れば殆どの運転士さん(どうしても「運転資産」になる、運転士はさん付け呼ばんのか・・・)は軽く汽笛を鳴らして応えてました。良い光景ですね。

さて、去年12月の帰省、うち2日は毎度の土讃線撮り鉄。年末年始の休暇中ずっとこの写真を整理していました。枚数が多いので4回に分けて掲載します。

12月初旬の平日、4時半に起きて徳島線始発に乗ります。


池田に着いたら真っ直ぐバスセンターへ。8:16発のかずら橋行きに乗ります。この日の乗客は小生以外に白人女性2名。朝から陽気でしたね。


8:45頃に小歩危駅着。以前は徳島線始発に接続する土讃線下り各停があったんですが今はバスしかありません。しかし、そのバスも乗客は地元モン以外の3名のみですからJRとバスも時間帯別に棲み分けてなんとか維持して貰いたいモンです。


冬の吉野川は川霧が名物と聞いてましたが、この朝も朝靄が掛かっています。


朝靄が水分補給するのか冬でも苔が元気です。小生は乾燥肌に悩んでますが、この辺ならそんな悩みは無いんかいな。


駅の屋根からも蒸気が立ちのぼってるのが分かるでしょうか・・・


大歩危方の踏切でスタンバイ。32号線もほとんど車が通りません。


この日最初は8:59に来た34D南風4号+しまんと4号。暗くて感度1600に上げて500分の1秒を確保しました。


いやはや、鄙びた山峡の駅に圧倒的存在感です。


3両が標準になった土讃線特急ではこの列車は通常期最長です。


通過列車にアンパンマンの印が入ってるのが凄い。この列車54分通過になってますから数分遅れ。どうも土讃線では数分の遅れが常態化してるように感じます。


その後40分以上列車が無くて9:42にやっと2005Dしまんと5号が来ました。この列車はNが入る事が多いそうですが、この日もそうでした。Nはがんばって振り子掛けてるんに後ろはやる気無さそう・・・


ゆっくり行こでぇ~って言うような会話が聞こえて来そう。2000系のこの貫通顔が好きで、Nはお多福みたいな顔立ちがイマイチ好きになれません。


小歩危では1時間滞在して特急2本を撮り、4225Dで次の目的地へ。10時丁度、38Dと交換のため大歩危に停車中。


やって来た38Dを運転台窓硝子越しに。


1000系の中間ドア横は大きな戸袋窓。駅員の居る拠点駅では中間ドアも開けて乗降時間の短縮を図るというのはとても良いアイデアだと思いますが残念ながら後継車輌には引き継がれませんでしたね。効果がないんかいな?


土佐岩原駅に進入中、小歩危の駅によう似たカンジですね。次はこの駅にも降りてみたい。


今帰省最初の撮り鉄目的地、豊永に到着です。夏の帰省では間違えて隣の大田口に行ってしまい半年ぶりに復讐です。右側の保線関連?木造建物がシブイ。


4225Dが高知に向けて走り去ります。正面のトラス橋がこれから行く撮影ポイントです。


跨線橋から高知方を見た所。右側に吉野川と32号線、正面にこれから行く橋が見えています。


反対側の池田方。あの山の向こうが徳島県ですね。今は一面二線の交換可能駅で側線も残って居ます。昔は二面3線に貨物ホームもあるちょっとした構えの駅だったんですね。


山小屋風?に設えられたお洒落な駅舎ですが無人駅。


目指す橋に到着。右側に土讃線の鉄橋が見えています。


昭和6年架設、昭和6年と言えば西暦1931年ですから築80年以上になりますかね。


土讃線の鉄橋は支流が吉野川に合流する所に架かっています。奥に駅の跨線橋が見えます。


橋を渡った所は踏切で、そこから駅方向を見たところです。良いカンジです、が左の体育館みたいな建物がちょっと邪魔かなぁ。


踏切を渡って32号線に掛かるから鉄橋をみるとこんなカンジ。昭和6年の道路橋とダブってしまいます。


車の無い小生でもR439と京柱峠の名前は聞いたことがありますよ。


439号へはこの昭和6年の橋ではなく、隣に立派な橋が別に架かっています。この支流合流部分にはR32・鉄道橋・昭和6年橋・R439と数百メートルの間に4本の橋が架かっています。ところで「国際サロン」とあったので、こんな山奥に何があるんな・・・と検索しましたが分かりませんでした。


お目当ての場所で10:55に33D南風3号。私製ダイヤでは約10分遅れなんですが。


橋の袂の踏切もなかなか良いカンジです。


続いて40D南風10号が冬の陽光を反射させて通過。11:01だったんで私製ダイヤからは6~7分の遅れ。


この橋、欄干が低くて撮影に夢中になってると危険です。幅が狭く乗用車の通過でも気を遣います。


豊永はフリーエリア圏外なんで大歩危まで切符購入。


入場して駅観察。池田方は大歩危駅のそれに似てます。


吉野川側の側線には保線車輌が留置されて居てなんと001号機。


ただ、もう使われてないのか蜘蛛の巣の足場に利用されています。


山側にも側線があったんでしょうね。一目で検査ピット跡と分かりますよ。
40枚近くなったんで以下次回です。





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直島経由で徳島に帰省

2017-01-08 21:28:28 | 乗り鉄と帰省の道中


最近、拙ブログには蒲須坂やこの箒川鉄橋の記事にアクセスが多いです。たぶん某豪華列車の撮影用だと思います。クラッチ様の記事を拝見すると冬のこの時期、蒲須坂では光線状態が悪く箒川鉄橋の方が良いらしいとのこと。上の写真は2015年12月27日にこの区間の直流機と雪を被った山を一緒に入れようと撮り納めに出掛けたときのもの。この写真は9:26。


ただでさえ寒いのに風も強くて吹き晒しの鉄橋の上で鼻水啜りながら待つのはアホみたいでしたが、金太郎の機関士さんが短笛一発挨拶をくれたのが嬉しかった。こっちは10:18です。

本文はやっと去年12月の帰省の記事に入れます。

ここ何回かの帰省は安さと便利さで飛行機の早割を愛用していました。が、たまには鉄道と船で。「寝台特急」の表示も今はこの列車だけでしょうね。


時間があったので駅外をぶらつきました。夜行バスでの帰省も関東に居る間にいっぺん試してみたいもんです。


ビッグルーフ。それにしても最近のコンデジは凄い。もう昼間と同様に撮れますよ。


この列車では毎度ののびのび座席ですが、今回一ヶ月前に行ったのに既に瀬戸が満席で、初めての出雲乗車です。


向かい側ホームは帰宅の方々。非日常の始まりをカンジさせる、思わずニヤリとしてしまいそうなひとときです。


一足飛びに朝の岡山駅。もとより西に行くほど朝は遅いので真っ暗です。サンライズは結構遅れることが多いんですが、この日はほぼ定時でした。


西日本はこうやって貨物の通過も表示してくれるんでありがたいです。岡山駅のホーム屋根は宇高連絡の快速に乗り換えていた時代のままの様なきがします。


このデッキは観光列車ラマルドボア用のなんでしょうが、こういうスペース提供は良いですね。


そうこうしてるうちに四国からの特急が到着。始発駅は4時台ですね。


茶屋町で宇野まで切符を別途購入、飛び出し乗車します。


茶屋町でも貨物列車通過の表示が出たんで構えてると桃太郎が来ました。


7:25だったんで3071レでしょうか。


「活性化」、こう言うのは良いですね。地元の学生さんにデザインして貰えれば愛着もわきます。


宇野に到着。右の車輌は一目で先頭車改造されたヤツだと分かりますね。


直ぐに直島行きフェリー乗り場へ。


折返し直島行きとなる船が入港して来ました。


くるりと一回転してケツから接岸。隣ではこの船の接岸を待っていた四国汽船の直島・宮浦港行きフェリーが出航していきます。


乗船してまっすぐ展望デッキへ直行。今度は高松行きフェリーが出航です。


出港時間を少し過ぎてると思うんですが通勤客と思われる方々がパラパラとのんびり歩いて乗船中。


さあ出港と言うときに自動車運搬船が前方を横切ります。直ぐ先の煙突から煙が上ってる島が直島です。


更にその自動車運搬船の前を横切る小型船。トラックによく付いてるユニックみたいなクレーンを装備、船形は漁船の様です何かの運搬船か?瀬戸内海独特の今にも沈みそうな喫水。


前方の島影に空母型船形の自衛艦が佇んで居ます。戦前の柱島界隈ではこういう光景が何倍ものスケールで見られたんでしょうね。


25分ぐらいで直島に到着。


アートな島なんで岸壁や


島内バスもご覧の通り。


フェリーの待合室も格好いいです。


改めて高松までの切符を購入。売店もあるんですが外人の多さを物語っています。


宇野から乗ってきたフェリーが15分くらいで折り返して出港していきます。


遠くに見えるクレーンと大型船は三井造船玉野か。


ここは宇野-高松航路が通ってるし宇野や高松から直島に出入りするフェリーも多く頻繁に行き来します。


派手な意匠のフェリーやなと思ったら、これから乗る高松行きでした。


高松から来たこの便からは宇野からの倍くらいの観光客と事業用車輌が降りてきました。外人多いわぁ。


うっすらと見える、小生にとっては備讃瀬戸の象徴である大槌島です。


きれいな船やなと思ったらそれもそのはず、一昨年出来た船でした。


寒かったんですが、この船でもずっと展望デッキで過ごしました。今日2隻目の自動車運搬船。


直島を出て20分くらいで前方に高松の街が見えて来ました。


高松では次の特急まで1時間あるんでうどん食べようとゆっくり駅に行ったら1本前の特急が発車直前。慌てて駆けて行ったら目の前でドアが閉まったところでしたが、車掌さんが「乗りますか?」と言って開けてくれたんで徳島には1時間早く着けました。一方、今回の帰省切符を都内某駅でサンライズと一緒に「乗り継ぎで」と告げて高松-徳島の特急券も頼んだら割引になってない!申し出ると一旦奥に引っ込んでからキャンセルの上、割引で再発行して貰えました。宇高連絡なんてマイナーになったんですね。


ずっと前から言われていた通り、徳島駅改札横のキオスクが大手コンビニに変身していました。改札の両側から使えるようになりましたが、結果的にはどっち側からも扉を開けないかんので使いづらい。このチェーンは駅を出ても左右にあり、正に席巻状態。


雨も上がってるんで大きな荷物を持ったまま墓参に向かいましたが、その前に丁度お昼やし橋本で毎度の生そば1半。


ふと横を見るとおそらく50年くらい全然変わってないショーケース。陳列しとる商品は替えとんだろけんどなぁ。


新町橋通りのこのビルも毎年帰省する度に再開発のハナシを聞きますが未だ健在。いや決して健在な状態じゃないか。


平日の12時8分です。どうだ、参ったか!ってカンジです。皆どこいったんえ。


反対側。まだこっちの方がひとけがありました。


もうすぐ、この街で再び暮らし始める可能性が高いんですが、正直どないしたらええんかわからんなぁ。
次回からは帰省時の撮り鉄報告です。






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高崎方面で蒸機の後に貨物を撮る

2017-01-01 21:16:08 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面


新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。正月の写真はここ数年、ずっと小松島だったんで今年は佐古にしてみました。もう、この眺めを知る人も少なくなってると思います。1969(昭和44)年1月4日か5日の撮影、高架になる前で写真右手が佐古駅、列車はこれから田宮川の鉄橋に差し掛かる所です。手前の池は貯木用で田宮川と繋がっており、筏にして運ばれて来て貯木されていました。徳島ではコンテナは佐古駅で扱って居たのでコキが留置されていますね。コキの運用は高松-佐古間のみで徳島駅には入りませんでした。


今年も例年通りビルの谷間に初詣。


その後、ここ数年恒例となった線路沿い歩き。今年は川崎市の南武支線と東海道貨物線の合流点付近から


横浜市の東海道本線と横浜線の合流点付近まで京急線では6.2㌔の距離を歩いてきました。


こらエエなぁ~と言うカンジの場所が2カ所ほどあったんで貨物が走る日にまた行って見ようと思います。

本文はまだ前回の続き。

上牧から高崎乗換で倉賀野に来ました。この写真は14:20で列車は出発待ちの8876レだと思います。


ホームの高崎方に移動してる途中で14:39に定刻で発車していきました。


上りホームの高崎方に来ると側線に停車位置表示多数あり。


この辺の側線はJRと北関東ロジテクスで貨車の受け渡しが行われる所です。


高崎方にある、お気に入りのシーサス+シングルスリップの所で八高線直通のキハ110。JR化後に旧型車置き換え目的で登場して既に20年以上、四国の1000系同様にキハ47系が未だ残る中で次世代車輌が登場しています。


14:42に左奥にある貨物駅からコキが牽き出され来ました。


短い編成を側線に置くと前進して、


高崎方に引き上げ、


スイッチバックして転線、


再び貨物駅に戻っていきます。ふと区名札を見ると「東新」、と言う事はJR貨物車。「Team DE10」様のサイトで確認すると1730号機は当初北海道配置のA寒地仕様車で東新潟異動後は北関ロジ車が検査入場の際には貸し出されることが多いと出ていましたので、今回もそのケースなんでしょう。


15時を過ぎてから別の掛員が出て来て編成のチェックを開始。出発時間が近い、と言う事は15:29発の3096レになるんでしょう。


直後の15:09に高崎機関区の方から66百が単機で出て来ました。丁度上り本線に入ろうとしているところです。


シングルスリップの所から上り側線に移ります。100噸の機関車の向きを変えるのですからポイントにはかなりの負荷が掛かるんでしょうね。


好きではありませんが憎めない顔立ちです。せめて0台と同じ塗装にしてくれたらと思います。長距離高速走行が多いこの機関車に汚れが目立つこの塗色は悪い組み合わせですよ。


上り4番線を通って熊谷方でスイッチバックして編成の先頭に立つ準備中。


新町駅にやって来ました。下りホームの高崎方端ですが、かなり無理して10両編成に対応してる様です。


かつては高崎線の標準的な形態の上下共用中線を持つ二面三線の駅だったと思いますが、ここも中線は踏切の所で寸断されています。


構内西側にはこれも今は使われてなさそうな多くの側線、


高崎方には明らかな引き込み線の跡。地図で見ると左奥には日本肥料の工場があり、敷地内にも線路が残ってる様です。


彼方にさっき倉賀野に居た3096レが見えて来ました。


ああ、やっぱりさっきの107号機ですね。


駅の西側、熊谷方に由緒ありそうな建物が。


次の2087レを駅外で撮る事にして改札を出て、その建物に行って見ると地場の醤油屋さんのようです。高橋さん、知ってますか?この会社。醸造学は化学の最先端、白衣を纏った凛々しい女性達が作業中でした。


醤油屋さんは全国で200社くらいあるそうで、ここもそのひとつでしょうね。自社HPを持たない会社も多く徳島県も何社あるんかわからん。そう言えば、池ノ谷駅横の桃太郎醤油が先日帰省の折に通った時には自動車関連に変わっていたようでした。


直ぐ隣はこちらもシブイ工場。ここはコンデジで撮り始めた頃に撮ったことがあります。あの時、醤油屋には気がつかんかったんか・・・


その前の側線。JR貨物の標識や使われなくなった入換信号機がありますから熊谷方にも引き込み線が伸びていた様です。ウィキによると、こちら側には石油関係や神流川の砂利採取線があったそうです。


同じ場所から高崎方を望んだ所。前方の木立の先が日本肥料の事業所。


引いて撮った写真。左が鋲の工場でその先が醤油工場。


探索にはまっていたので16:01だった2087レは中途半端な場所で。


続いて岡部。ここも関東分岐器の右奥に石油基地があったそうです。


先ずは16:27に定時で来た安中貨物。


もう少し夕陽が当たるかと思ったんですが既にその時間帯は過ぎていた様でした。


通過列車の案内があったんで何だろうと思ったら目つきの悪い電車が来ました。


倉賀野で撮ってる時も高崎方を向いて貨物には見向きもしない撮り鉄が居たんで、何を待っとんだろうと訝っていたんですが、たぶんこいつを待っとたんでしょうね。


最後は16:33の5883レ。


土日ウヤの設定ですが、そろそろ季節やし来るかもしれんと言う予想が当たりました。これにて終了です。






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