徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

打出村踏切にて

2022-08-18 10:09:48 | 県外(糸崎、布原 ほか)


大気の状態が不安定、と言うのが天気予報でしょっちゅう聞かれます。でも、相変わらずここらはまとまった雨は無し。


まだ暑いですが、それでもセミの鳴き声は減ってきたし、何より日がだんだん短くなってなってきました。


夏バテが出てくる頃です。入道雲の元気が羨ましいわ。


阿波踊りが終わったら、案の定感染者急増です。ちょっと前は千人超えてビックリしとったんに、今は二千人越の連日のような記録更新。また遠出しづらくなりましたよ。



かの芦屋市にある踏切。一寸法師由来の「打出小槌」と言う地名もあるようで、あやかりたい。


去年、芦屋からさくら夙川まで歩いて探索したときに両方向撮れそうな場所やなと思っていた所です。きっかけはお立ち台通信の記事ですがね。


さて、着いて最初の上り列車は時間からすれば56レなんですが、編成を見ればそうで無いことは明らか。貨物ちゃんねる様で運用を確認させてもらうと8056レとなっていました。だとすれば、この辺は7時丁度くらいに通過する列車ですから二時間以上の遅れ。


約15分後に来たこの列車はカンガルーの一部ブロックトレインですから5060レでほぼ定時。


合焦が遅れてカスカスになりました。この列車は機関車次位が空コキなんで冴えん。


後追いしてると下りが来ています。


81レとここらですれ違うことになっとんですが、ほぼダイヤ通り。


大阪方で下りを撮るとカーブの一番外側を来るんで素晴らしい構図なんですが、架線柱の張り線が玉に瑕です。


続く下りは1059レ。ここらも貨物列車は新快速の間を走ってるんで約15分おきに来ます。


桃太郎は真っ正面から撮ると鉄人28号みたいになって好きじゃないんで、このくらいが限界です。


あ~こらもうアカン。なんとかこの張り線避けようとアチコチ試しましたがダメ。脚立使ってフェンス越しに撮るしかなさそう。


1059レもここらで1070レとすれ違うダイヤですが来ず。それどころか、3050レ・62レと15分で雁行する列車はどれも来ず。半時間以上待ってやって来たのは2073レと思しき列車。


下りはほぼ定時で来てるのに上りには何か障害があったんでしょうね。


両方向撮れる場所で効率良く撮れる時間帯と狙って来たんですがアテが外れました。見づらいですが、連結器上のステップに白線が入ってるのは新鶴見所属機の印だそうです。


そもそもこの日は午後に数年ぶりで鉄談義することになっていて、場所の近いここにしたんです。


さっぱり来なかった上りが10:40になってやっと来ました。


スジは1072レですがどうだろか?貨物ちゃんねる様で調べても136号機のこの日の運用は不明でした。


最後尾付近が芦屋駅ホームで、こことの中間くらいに線路を潜る通りがあるんですが、以後は踏切がないんで結構通行量がありあます。芦屋は快速待避があるんで、踏切の閉まってる時間は長めです。


良い角度ですが、中間の空コキが残念。


編成前部をみれば1050レかと見紛う列車。


後半は一般型を積んだ1055レです。


いや、でも十分に格好いいです。やっぱり満載の長大貨物を撮るんは楽しい。


新快速もギリギリ躱せたこの写真がこの日のベストショットやと思います。


しかしホンマに300番台が多い。新鶴見に続々と配備されてるそうで、65の置き換えが近いんでしょうね。


今回は写真が少ないんで、この列車はいっぱい載せます。


遅れたヤツが来るんとちゃうかと待ってましたが、来るのは下りで似たような写真ばっかり。


この列車も機関車次位が空コキでしたが、このくらいの角度なら目立たん。


定時なら高松行きの73レですね。


上りを待つのは諦めて、この後は昼食にしました。


大阪が本店だと言うカレー屋さんの芦屋店。ネットで見たとおり、最初の一口が甘い。その後はずっと辛いんですが、カレーの辛さとは違う気がする。


暑さも眠さも吹き飛んで、会合場所に向かう前に名所・さくら夙川に寄ってみましたが、期待の上りは来なくて1071レと思われる列車。


このカーブでまた上り列車撮りたい。と言う所でこの日の撮り鉄は終了です。





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帰郷後初の県外撮り鉄

2021-10-24 21:36:22 | 県外(糸崎、布原 ほか)


寒い、急激な変化に体の反応が追いつかんわ。一番列車から撮ろうと日の出前から出掛けたら寒くて閉口。首にタオルを巻き手袋も填めたんですが、鼻水は出るし何よりマスクで眼鏡が曇って撮りづらい。イヤな季節になりました。


既に木枯らし一号が吹いた所もあるそうで、徳島はさすがに未だですが陽が差さないとホンマに寒い。


陽の当たる眉山を撮ろうと思ったら、塗料がハゲて迷彩塗装状態の街路灯に目が行きました。いわゆる一級国道なんですけどね。


10月になってやっと制限が解除され始めたんで遂に越境撮り鉄敢行。手始めは高松駅での駅撮りから。


高松なら土日限定で、特急が使えるトクトク切符があるんでこれを利用。徳島から始発特急に乗って7時前には高松着。


サンライズの到着は始発で来んと撮れません。


ポイントで巨体をくねらせるとこを狙っていたんですが、意外とすんなり入線。


こいつの顔もインパクトありますね。


最近はこの7次車がよう当たる。


小生は嫌いなデザインですが、瀬戸内の疾風と呼ばれた電車。


高松は四国の首都みたいな所ですから、こんな光景が見られるのもここだけ。


気動車は我が高徳線、7次型が華を添えます。


やっぱり7次型だけは異次元の格好良さ。


そう言えば「電車」を撮るのも帰郷後初めて。


サンライズはこの日も琴平延長。折り返しの停車時間は35分。


8:02に琴平に向け発車。


高松-琴平間だけの乗車は認めてないせいか案内放送は一切無し。


ここでもポイントを渡るとこ狙ってます。到着時よりは良かったものの高徳線ホームから撮った方がええんかな?


さて、この日の第二目標は貨物列車を撮ることです。四国では数少ない貨物の71レを、高松でサンライズの発車後に撮ろうとすると端岡しかありません。


いやぁホンマに久しぶりに桃太郎が牽くコンテナ列車が撮れましたわ。


端岡に来たのは初めてで、変わった配線に戸惑いました。


この区間は四国では貴重な複線電化区間。ここは上下列車とも待避可能な駅ですが、上下ホームがタンデム配置。


しかも上り線は本線と待避線が別ホームになってます。


上手いこと説明出来んのですが、下りホームに行くには駅舎前の上り本線ホーム端にある跨線橋を渡る必要があります。奧に見えてる跨線橋は上り待避線ホームに渡るもの。


撮ってる途中、8:45には千年物語回送が通過。


次の目的は宇多津。コンデジ時代にいっぺん撮り来たことがあって、この勾配と分割・併合作業が見物です。これは分割作業を終えたいしづち8号が高松に向かうところ。


右の坂を上る複線は瀬戸大橋線で、予讃線上り線を越えていきます。


このシーンを狙って来たんです。これでもかなりトリミングしてるんですが、ほんとはもっと長いレンズで強調したい。


いしづち8号を切り離して岡山に向かうしおかぜ8号と瀬戸大橋を渡ってきた南風3号。時刻表ではこの列車がここですれ違うことはないと思うんですが、南風が早着したんか小生の時刻表が古いんか(未だに2021年3月号を使用中)。


この日の赤アンパンマンは最後尾の一両が一般色でした。


ホーム端から左手を見ると瀬戸大橋で一番四国側の南備讃瀬戸大橋が望めます。


9:41に琴平からのサンライズ回送が到着。


琴平への延長運転はコロナ禍でも設定臨として続けられてる様です。運転台の向こうはゴールドタワー。


高松方向から2700が入線してきます。徳島から来たうずしお6号です。南風は高松に行かんし、この区間を走る2700はうずしお2往復としまんとだけ。


今日は三両です。


一時サンライズ回送と並び。この時点ではまだうずしおは尾灯点灯中。


サンライズ回送は直ぐに発車です。


一方うずしおの方には相方の黄色アンパンマンが接近中。


同じ2700でも塗色が違うと別形式みたいですよ。


うずしおに前照灯が点って出発準備完了。岡山に直通するうずしおは高松と宇多津の二カ所で進行方向が変わります。
今回は久しぶりの遠征で撮りすぎたんで二回に分けます。で、前編はここまで。







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宇野からの帰りに高松で、1967年8月

2021-09-05 22:40:49 | 県外(糸崎、布原 ほか)


9月の写真はキハユニ15で行きます。この時期に撮った写真を現在スキャン中ですが、これはかなり前にスキャンしていて既に記事として掲載済み。キハユニ15は四国では徳島のみに配置で、5と12が居た様です。キハユニ15は他の写真で徳島本線で運用されていた様ですが、最近のスキャンでは1967年の写真では牟岐線・鍛冶屋原線の客車列車にはオハニ61が繋がれているのがあり(毎回ではない)、高徳本線ではマニ36や60が、更に気動車列車にはキユニ17や15が運用されていたようです。この写真では、後ろ三両は皆キハ20で座席を利用するならキハユニ15は避けるのべき。座席間隔は狭いし肘掛け無しでたしかビニール貼りのシート、台車は防振ゴムだけのDT19。今なら興味本位で乗ってみたくはありますが。


前からそうですが、徳島で暮らすようになって一層通販依存が高まりました。大変ありがたい仕組みなんですが、最近はちょっと横柄な気がしてます。確実に受け取れて、配送の方にも負担にならん様にと日時指定しとんのに先方の都合をいやらしい言い回しで押しつけられるのが時々あるんです。早く着けば良いと言うわけではないと思うんですよ。


次は食い物のハナシ。この入口見ただけでは何の店かわからんし、入ってみようと言う気にもならんでしょう。OPENと言う文字で商売しとんやなと言うのは分かります。ええ、市内にある喫茶店です。


店内はこんなカンジ。コロナの時代ですから真新しい空気清浄機が目を引く一方で、石油ストーブは真夏であることを忘れさせる存在です。特に聞きはしませんでしたが、下がってる衣類は売り物の様です。


外壁に絡まる蔦?が凄い。でも中から見るともっと凄いというか怖いカンジです。


ランチでご飯物はオムライスかカレー。事前にネットで調べて、マスター特製カレーにしようと決めていたんですが、今日は無いと言われ止むなくオムライス。下の写真はビートルズ、マスターの好みらしく店内に溢れてます。


ネットにあったとおり、鶏肉でなくてシーチキン使用。同じ物を頼んだ愚妻が「こんなに食べられない」と半分近くよこしたので午後は胸焼け状態が続きました。


今回は本文の写真が少ないんでもうひとつ。埼玉に居る間に載せようと思っていて忘れて居たヤツ。高崎線吹上駅の熊谷方にある踏切です。この溝の蓋が、


ご覧のように横軽アプト線のラックレールですね。こう言うのは八木原の駅前でもあって、もう一カ所どっかで見た記憶があるんですが思い出せません。


前回の宇野の写真とは違うフォルダーに入っていたネガですが、同じ日です。既に帰りの連絡船に乗り込んでいて、船内から撮った様です。元のパーラーカーで1967年10月の時刻表では「展」となっています。


「ゆうなぎ」になっています。前回「うずしお」として11:39に着いた編成が12:45発の新大阪行きとして折り返す様です。151なのか181に改造済みか不明ですが、最近読んだ鉄ピク№986(山陽本線特集)に1966年10月に広島駅で撮られた「しおかぜ」の写真が載っていて「151系から181系のへの改造が終盤を迎えつつある時期」と説明が付いていたんで、たぶん上の編成は181だろうと思います。


高松駅での写真。フォルダーのメモには第二南風とありましたから、連絡船は宇野発11:19の13便だった様です。特急「うずしお」からの接続を受けるんで、準急上がりの「土佐」や「うわじま」でなく正規の急行が待ち受け。土讃線ですからキハ58が続くのも凄いですが、何より3両目のキロが既に冷房設置済みです。「瀬戸」のスロやB寝台が非冷房だったのに比べ、やはり四国は気動車では先進地域だったんだと痛感します。


こっちは到着していたDF50の各停。


「第二せと」。南風もせとも絵入のヘッドマーク。本州の「瀬戸」は漢字表記で、四国はひらがなとして区別してますね。


「第二せと」と「第二南風」は5番線・6番線と同じホームの両側に停車。こうしてみると高松駅はホーム幅も広く大駅の貫禄があります。


徳島行きは昔から一番端っこ。26系主体の編成の様ですが、それでも特急に接続してるんで一番手前の車両はキロ25ですね。当時、二往復だけ一等車と二等指定席車の連結があったようです。キロハ25が繋がってるのはみたことあったんですが、今回のスキャンで全室一等の車両もあったんやと知りました。この頃は高松-徳島が急行で一時間半掛かっていた様です。


4番線に居たDF50が引き上げです。高松は行き止まりホームで、機回し出来る配線でも無いようでしたから編成後方に入替機関車が付いて先に客車だけ引き上げたんだろうと思います。


連絡船から航送車を出し入れするDD13。これも四国では高松だけの配置だったと思います。


オユ12とマニ36?オユの番号からすると宇野で撮ったのとは別の車両です。
高松で撮った写真はここまで。


少ないんでYS11の写真を追加。松茂の飛行場、かまぼこ形格納庫は海自第三航空群のもの。


まだ日本国内航空時代のものです。機首には真珠と書かれている様です。1967年10月の時刻表を見ると、大阪便は一日4便あったものの東京便は一本だけで、しかも高知便が途中立ち寄るものでした。


ちゃんと徳島空港と出てますね。当時は市内から自転車で撮りに行ってました。
そう言えば最近飛行機も乗ってないなぁ・・・と言うところでおしまいです。

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昔の宇野駅で撮った写真

2021-08-29 21:16:27 | 県外(糸崎、布原 ほか)


コロナに加え、長雨で近場の撮り鉄さえ行けず昨日やっと8月初の撮り鉄に。土讃線ですがここは県内。徳島を除く四国各県にも蔓延防止等重点措置が適用されましたね。
う~ん、徳島の感染防止策や県民意識が高いのか、それとも魅力が無いんで県外から人が来んのか・・・


コロナのせいであんまり報道されてないように思いますが、未だ一部区間で不通になっていて代行輸送が続いています。四日市から南松本に向かうタンカーが何本か大回りして中央東線経由で運転されたそうです。


長雨の間、重い腰を上げて昔のネガをスキャンしてました。ハーフサイズのスキャンは二枚一緒になるんで、一旦取り込んだ画像を分割し、かつ回転させなアカンので面倒なんです。おまけにちょっとスキャンしては懐かしさのあまり「ここは今どないなっとんだろ?」とか検索したりするんで捗りません。
今回は比較的まとまっていた1967(昭和42)年8月に宇野駅で撮ったモノです。
先ずはうずしお。既に181系になってるのか、それとも151のままなのか分かりません。バックミラーや運転室上の交互点滅灯?も残ってますが、目を引くのは覆いが外されて自連がむき出しになってることです。151はしおじの運用でセノハチにEF61が補機に付いたと言うハナシをネットで見たことがありますが、ひょっとしてそのせいか?


当時宇野と言えば先ずは鷲羽ですね。小生が利用し始めた頃は新幹線連絡列車の印象が強いんですが、この当時の時刻表を見ると新大阪発着列車より大阪の方が多い感じでした。今回、下りに一本京都始発があったことを発見。


これは宇野線のローカル電車。詳しくないんですが、50番台の系統でした。床は木張り、ニス塗りの室内でモケットが紺ではなく緑だったような気がしてます。


これは「さぬき」の到着です。当時、徳島から高徳本線始発で宇野着は8:25、さぬきは9:08着です。


今度は気動車急行、9:10発の砂丘・しんじだと思います。しんじは伯備線から一旦日本海側に出た後で小郡に行く行路で有名でした。ホーム向かいに停まってるのはさっき着いたさぬきの編成だと思いますが、左から二両目はスハネ30の様です。更に隣の10系寝台車も非冷房ですね。しんじのキロも窓が開いてるようで、この時代はまだまだ冷房は貴重だったんです。


これも貴重な玉野市営電気鉄道。社名と違って気動車です。もっと撮っておくべきでした。。。


さぬきを牽いてきたEF58が機回ししてるとこです。これは青15号に前面クリーム警戒色の、後に標準となった塗色でしたが、この後着いた瀬戸の牽引機は茶色でした。


到着編成の最後尾に連結、これから引き上げて留置線に転線です。最後部の10系寝台も未だ非冷房、ナハネフ10だと思います。


瀬戸の到着です。機関車は茶色で、庇が付いてスノープラウは無いものの汽笛にカバーがあるんで寒地仕様車に見えますが、当時の配置は東京区だった様です。右側の客車は引き上げられたさぬきの編成ですが、やはりスハネ30が多い様です。


岡山区のサボが入ってました。当時の編成表を見ると、東京-岡山間の客車3両が付いてる様ですが、ここは宇野なんで切り離してるハズ。ただ、上の写真で車両数えると15両ありそうなんで、夏の多客期対応かもしれません。


瀬戸の編成が引き上げられてるところです。オロネ10の後ろにスロが二両繋がりますが、何れも非冷房でそれに続くのはスハネ30の様です。


こっちは留置線に置かれたさぬきの編成。冷房改造済みのスロ54、そしてそれに続くオシ16です。Nで揃えようとして挫折したまま放置状態です。小生の手引書となった誠文堂新光社「客車・貨車ガイドブック」を買ったのはこの頃だと思いますが、オシ16の希少性に未だ気付いてなかったのが悔やまれます。


編成端は元・特急用のスハニ35。この頃の急行用車両は皆ピカピカです。


堂々たる鷲羽号の編成。このタイプのヘッドマークは一世を風靡しましたね。編成後方に連絡船が写ってます。


跨線橋から留置線の客車編成を見たところです。真下が瀬戸編成、右隣がさぬきです。


向こうの電車は塗り分けからすると165かなぁ?


これはクモユニ81だと思います。隣の非冷房スロ54は瀬戸編成で、品川車なのに何故か電暖化された二千番台。学生帽も凜々しくカメラを構えてるのは同行のK野君かS田君だと思います。


さっき165系かなぁと迷った電車。165と言うとクモハ+モハ+クハの三両ユニットとだと思ってましたが、検索すると奇数の中間モハも少数あったとネットに出ていたんで、ひょっとするとそれかもしれません。急行幕が出てるんで臨時の鷲羽か?


連絡船への積み込み。これは瀬戸で来たマニ36らしき荷物車。’69年10月の編成表では宇和島行きになってます。


後ろはさぬきで来たオユ12。


瀬戸の編成をホームから撮ってます。数えると14両あるようなんで、やはり多客期対応で岡山回転車を宇野まで付けて来た様です。
次回は徳島か小松島の写真を載せようと思います。


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糸崎な夜、完結編

2009-10-12 22:07:46 | 県外(糸崎、布原 ほか)

長らく中断していたシリーズですが開始から半年になんなんとしていますのでそろそろ終わらせます。

S1971081426
完結編ということで夜明け前の写真から。下り本線を通過する貨物。

S1971081499
明るくなってくるのは5時半近くになってから。呉線621レでしょうか、遠出が出来るなら早起きも何のソノです。

S1971081402
朝食営業準備中のオシ17。オシ17ということでずっと32レ上り桜島・高千穂かと思っていましたが、同列車の糸崎は3:32着、34発。調べてみると212レ上り雲仙3号(5:31着、34発)のようです。

S1971081403

S1971081404
ウラも表も着々と準備が進んでいます。夕べ長崎で乗り込んでから翌日の終点・京都まで連続乗務、ご苦労様です。

ちなみに桜島・高千穂のオシ17はこちら↓

S19710813_1463

鹿カコの表記がその証しです。

で、次がシリーズ最後の一枚です↓

S1971081401
7レ下り富士(推定通過時刻5:21)を待避中の荷41レ(5:15着、23発)。手前のEF58と61の重連が荷41レ。

帰途に就いたのは6:17発の312Mとも1号だったと思うんですが、明るくなってからさっぱり撮っていません。フィルムが少なくなったというよりは眠くてやる気が失せていたんだろうと思います。

 

 

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