徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

続、新見・布原1969年

2008-09-28 22:45:11 | 県外(糸崎、布原 ほか)

前回に続き布原、1969年8月7~8日。

布原といえば三重連ということで前回最後に紹介しましたが、私は三重連より重連や後補機付きの通過列車の方が迫力があって好きでした。

神代方の川のはるか上流からボーボッボッ・・・ボーボッボッと絶気合図の交換が聞こえてきて勾配を下って来ると

S1969080787
信号所手前で今度はボッボッ・・ボッボッと力行合図を短く交わして

S1969080778
猛然と加速しながら場内を駆け抜けて行きます。

S1969080753
今思い出しても鳥肌が立つような光景でした。

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重連の他には後補機付き列車。後々補機付き列車もありました。※前回紹介した時刻表付き記念しおりは翌年の正月に行った時のもので今回紹介している列車とは多少違ってます。S1969080830

S19690808321
上2枚はいずれも後補機で逆行です。運用の都合か機廻しの合理化かもしれませんが、こうすれば少なくとも自機の煙からは逃れられます。

D51ばかりでしたがC58のペアもがんばっていました。

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S19690807_822

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しかし、同じプッシャーでもやはりD51の方が迫力がありました。

S1969080846
この機は重油併燃付きです。そういえば新見では重油タンク付きの機は見かけませんでしたが米子の機でしょうか?タンクの取付位置が、東北は炭水車後部のようですが、これはC58と同じくドーム後部です。

C58では芸備線・芸備線管理所(三次)の機が結構見られました。

S1969080789

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ご覧の通り、集煙装置なし・シールドビーム・埋込式(広工式)テールランプそして旋回窓付きなんで一目で分かります。
一方こちらのC58は

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私が初めて見た(撮った)第四次型(戦後型)で台枠のない全溶接構造の船底型テンダーとTR41似の台車が特徴です。投稿頂いて初めて知りましたがこの続番の404号機が四国にも居たのが後で分かりました。

※訂正:C5866様よりご指摘頂き、C58には「第四次型」は存在しませんでした。お詫びして訂正します。

S1969080758
同じ船底型テンダでもこちらはD51。カマボコ型ドームの戦時型です。以下次号・・・

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新見・布原1969年

2008-09-28 00:21:15 | 県外(糸崎、布原 ほか)

徳島の’69年と言えばDE10の出現ですが、小生としては夏の新見・布原での撮影がこれまでで最高の内容でした。

前年同様、宇高連絡船→急行しんじ→新見・布原→糸崎(徹夜)→呉線(小屋浦)というルートですが、糸崎と小屋浦は前回紹介済みなので今回はメインの新見と布原。

やはり初日は新見機関区へ。

S1969080642
ラウンドハウスとターンテーブル。

S1969080635
写真中央はD51ですが右の煙室扉の開いてるのはC58。ボイラーの太さ以外見分けがつきません。

S1969080636
右の861号機、煙室扉の上が切れています。前照灯の下は鉄板で細工されてますが給水温め器のところまでかき取られた戦時型(ウィキによるとD51の「戦時型」は1001号機以降のようですが、その前のグループに準戦時型とも言えるような特徴があるとのことです)。

S1969080638
こちらはC58-175号機。一見、門デフにみえますが後藤工場式切取除煙板G1型で’57年4月装備だそうです(RM付録の「機関車表」、役に立ちます)

ところで、下の写真は前年来訪時のもので既に紹介済みですが↓S19680811h30
この651号機、よく見てみると密閉式キャブに改造されています。例の機関車表で調べると東鉄→水戸→平→糸崎→新見(’65年10月、後工式集煙装置装備)というのは分かりましたがキャブの改造は不明です。

S1969080641
D51がウジャウジャ。この当時は事務所でノートに記帳さえすれば構内は自由に撮影出来ました。

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さて翌日はいよいよ布原。前年は情報なしで空振りに終わりましたが、おかげで今回は「布原」とは新見の隣にある信号場で日に数本のDCが客扱いもする、ということが分かりました(時刻表には当時載っていませんでした)。

で、7時台のDCで信号場に到着。S19690808421

そこでこいつを頂きました↓Skippu03
大変重宝しました(鉄道友の会様ありがとうございました)。それにしても種類と本数の多さには感激です。左の図にあるように、ここは新見方にトンネルのある25‰、備中神代方に15‰の谷間に位置しています。

S19690807_828
新見方を望んだところ。S字の先に鉄橋があり直ぐトンネルに入ります。山の中腹には国道ですが、未舗装なので土埃の跡がくっきりと分かります。

S1969080746
こちらは神代方、撮影にちょうど良いカーブです。

布原といえば先ず三重連。列車は石2492レと言いますが、元来重連の列車に回送の一両が前々補機の位置について三重連となります(翌年の正月に行った時はただの重連でした)

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9時12分、2492レ到着、交換のDCを待ちます

S1969080749
交換列車到着、勾配区間ですがキハ20の様です。交換待ちの間、登坂に備え蒸気圧を上げている様子がわかります。

S1969080750

S1969080751

有名なアングル。下の写真でトンネルの上が後に有料撮影場所となったところです。この当時も既にフィルムの空き箱等が散乱していました。長くなったので以下次号。

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糸崎・小屋浦1969年

2008-09-21 23:37:35 | 県外(糸崎、布原 ほか)

前年とほぼ同じルートで布原で撮影後糸崎で徹夜して呉線小屋浦と廻ってきました。布原は中身が濃いので順番が逆ですが糸崎・小屋浦を。

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クモユニ74でしょうか?今回も前年同様ネオパンSSSを1600に増感して使っています。三脚を使えばそれなりに写りますがほとんど手持ちでした。

S1969080953_2

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糸崎名物天麩羅そば。下りは22時位から、上りは日付が替わる頃から夜行急行が次々やって来てその都度販売員がつゆの入ったヤカンを提げて売り歩きます。下の写真、特急通過待ちでカレチさんも腹ごしらえしています。翌年の大阪万博輸送用に作られた12系が臨時急行に使われ始めました。非冷房旧客の定期急行が満員なのに冷房完備の臨急はガラガラです。列車はたぶん音戸51号だと思います。

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その通過列車は16M金星。左端に写っているのは通過音録音中の友人のマイクです。

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ほぼ同時に11M明星も通過。

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上り音戸2号京都行きです。改正前は準急ななうらで従来の音戸は全車寝台の1号になりましたがこちらは座席主体です。ここ糸崎で呉線の牽引機C62からEF58に交換します。

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員の客車の隣で郵袋の積み卸しが行われています。糸崎は大鉄郵と広鉄郵の乗務交代駅でもありました。列車は客車も10系でオユ10(または11か?)が付いているので霧島・高千穂ではないかと思われます。

S1969080981

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郵便車クルーだけでなく機関区があるので機関士・車掌の交代もあります。この駅は岡山と広島のほぼ中間にあります。

この当時は夜行といえばまだまだ客車が主体で幹線の終夜営業中間駅は飽きることがなく、翌々年また訪れることになりました。現在、こういう駅は名古屋あたりで貨物の通過を見られるくらいでしょうか(そもそも一晩中構内に居られる駅があるんか?)。

S1969080965
一夜明けて呉線小屋浦駅です。前年の呉とは違いさすがは有名撮影地、同じアングルに人が群がっています。

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この年もC62の代走はD51。2年続けてC59には会えませんでした。まだ二眼レフを構えてる方もいました。

S1969080962
「なんや、またC62かぁ」と贅沢な文句を言ってました。新見2泊で前夜は糸崎徹夜、体力も気力もなくなり早々に帰徳の途につきました。

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市役所前~新町川1969年

2008-09-15 22:33:35 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

久しぶりの連休なので続けて行きます。前年に引き続き市役所前から県庁前デス

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新町川鉄橋デス。’69年4月1日の撮影ですが対岸のトタン葺きの魚屋さんの長屋があり

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いつも魚臭いにおいがしていました。今は近代的な造りになっています。しかし鉄橋の方は

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今年帰省したときに確認してみると、塗りつぶされてはいましたが同じ銘板が付いていました。

明治42年ということは1909年、来年で百周年です!これがなんらかの記念物になってないとおかしいです。

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その鉄橋を渡る回423レ。何度見ても不思議な洋館デス。

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反対側から。午後こちら側は逆光になりますが曇りだったので牟岐線上り貨物を撮りました。

逆方向(市役所方)をむいて鉄橋に上ってくる牟岐線下り521レ↓

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少しトリミングしてます。

次は私が撮った唯一の混合列車↓

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列車は前掲2枚と同じ回423レですが、小松島線貨物ウヤの日に客貨車支区から急ぎ出場させる必要があったのでは、と想像しています。

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徳島線貨物は見たことがありませんが、徳島の貨物は高徳線以外全部C11だったのでしょう。

下の写真は文化センターの自転車置き場から撮りました。今は線路からかなり離れてしまいましたが、当時は

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これくらい近かったので

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こんな風に撮ることが出来ました。ところでこのハチロク、全検「長野工」の文字がみえるでしょうか?牟岐線のこの列車を翌年3月末まで牽引するため天・竜からは78670とこの78647が遠く長野から来ました。庇が長いのは雪国仕様でしょうか、それにしてもキャブはつぎはぎだらけ。こんなこの機が翌年3月末の蒸機最終列車を牽こうとは思いもよりませんでした。

S19690003

この機はちょっとおしゃれで煙突や煙室扉に他機とは違う造作が見られます。

でもやっぱり四国の機の方が良いです↓

S1969033080

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佐古駅徳島方1969年

2008-09-14 23:49:19 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

以前、少し紹介シマシタがこの年の夏は佐古駅徳島方でずいぶん撮ったので他の写真も紹介シマス。吉野川付近で撮って急げば佐古での解結作業に間に合いますが暑いので佐古だけで撮ることがほとんどでした。今から思えばもったいないことをシマシタ、C58最後の夏だったんですが・・・

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吉野川の項で重連を載せましたがその佐古での解結作業のシーン、手前88号、向こうが155号デス。どちらも’68年3月の配置は多度津になっていますが廃車はいずれも小松島デス。

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解結が終わって徳島に向け発車していきます。この日は、佐古で解放した後はワフ1両を重連で牽く贅沢?な編成です。

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別の日、コキを解放中の121号機。110号と共に王寺から和歌山を経由して四国に来たようです。110号は小松島配置になったときも未だ集煙装置未装備でしたがこの121は装備済みデシタ。

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こちらは大御所12号機。四国では9号に次ぐ若番機でとっくに廃車になったと思っていましたが最後のこの時期も元気に稼働していました。戦後は高知→高松と土讃線一筋に働いて来たようなので集煙装置や併燃装置も早くから装備されてたのではないでしょうか。

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続いて351号。デフにバイパス弁点検用穴が開いてるのが特徴デス。趣味誌では各形式でよく見かけますが小松島配置機には以外とありませんでした。四国に来る前は大分に居たようです。

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333号の後ろ姿。この時間帯、真夏の昼下がりで太陽が中天にあります。

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下り貨物の佐古駅発車シーン。上は7月30日、下は約一ヶ月後デス。9月以降この地で撮影したことはありませんでした。

C58最後の活躍ということでキャブの写真を数葉。

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見ておわかりでしょうか?本来、ナンバープレートの付いていた場所にタブレットキャッチャーを付けたためメーカーズプレートや区名札差を移動していますが場所が一定していません。110号のようにメーカーズプレートが見あたらない機もあります。やはり夏の密閉式キャブは暑いので全機ともドアは取り外してあります。

C58ばっかりになったので同じ場所での鳴門線貨物を最後に一枚

S1969040158

この列車も満足に撮っていません。10月からの改正で発車が夜間になり悔やんだものです。

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