德島の感染者数がエラいことになってます。ちょっと前まで千人超えてビックリしたんに、あっという間に三千人超えました。全国最下位クラスだった人口当たりの感染者数も遂にトップになりましたよ。
と、コロナは終わりませんが季節は確実に進み、何度も田植え後を撮りに通った勝占をはじめ、市内は稲刈りの真っ最中。
また二冊も買うてしまいました。鉄ピクは完全にジジイ狙いの特集が続いてますね。同じに見えるサイズですが、RJが5ミリくらい幅広い。
RJ誌は、特集には全く興味が無かったんですが、こちらの記事が読みたいだけだったんです。立ち読みできるようなページ数じゃないし・・・東京なら図書館でコピーも出来るんですが、こっちは無いだろなぁ。
遠出や中国地方乗り鉄をどうしようか迷ってます。早く落ち着いてほしいもんですわ。
以前来たときは真昼で、いっぺんここで40・47撮ってみようと早起きしてやって来ました。
阿南からの524Dが立江川の鉄橋を渡って赤石駅に進入するところです。ここで撮れる40・47としては上り一番列車の520Dがありますが、その後一時間上下共列車が来ない空白があるので止めました。
駅の反対側、赤石川の鉄橋の方へ移動。7月下旬で既に田んぼは少し色づいてます。
桑野発の526Dは1200×3に決まってる様です。逆光承知で、工場を入れた赤石らしさを優先です。
直ぐ先が金磯岸壁で、川と言うより入江に近い感じです。
後追い。川沿いの良い場所なんですが、線路脇の雑草と背後の住宅がなぁ。。。
さて、遠くに見えてきたのは鳴門から直通して来る527D。526Dを撮りに来たときから既に隣には大型三脚に高級機材を据えた若い方が居ました。
べた凪。
光線は左側の方から撮った方が良いんですが、鉄橋の柵と電線が邪魔なんですよ。
50年以上前の同じ場所です。列車はC11牽引の桑野発貨物。左側に家は全然無い。
その後は北側にある揚水機場?跡に移動。荒れ放題ですわ。
この赤石川橋梁は検索すると牟岐線開業時のモノらしいんで、百年以上と言うことになる。
これも1200三連と決まってる様な528Dをここから。柵とか無かったんで入って来ましたが、ホンマは不法侵入だろなぁ。
やっぱり順光はエエですね。これくらい離れると電線は気になりませんが、保線用通路はやっぱり目立つわ。
こういうのも赤石らしいカンジです。
なかなか良い場所なんで、続く特急もここで撮りました。
赤石は通過ですが、手前に急カーブがあるんでゆっくり渡って行きました。
直ぐ右にはコンクリート護岸の上に白い建物が建ってるんですが、トリミングして躱してます。
赤石の名物は短いトンネルとこの勢合踏切(個人の感想です)。普通なら勝手踏切くらいのとこですが、昔からあるんで警報器一式があるんやと思います。
その踏切から赤石川鉄橋を渡らんとする池田発の529D。
列車が通過しようとしている踏切の左側には「勢合」の石碑があり、源平合戦に関わる由来が書かれてます。
少し間が空くんで532Dは立江川の方に回りました。当然ながら逆光。
で、531Dは次の40・47に備え、またさっきの場所に戻りました。
ごちゃごちゃした背景を車両で隠す。
この日最後に撮った40・47はさっきの527D折り返し、534D。
朱色一色のヤツやし逆光でもエエだろと、こっち側から川面重視です。
背景を隠す苦肉の構図で撮って終了です。
大気の状態が不安定、と言うのが天気予報でしょっちゅう聞かれます。でも、相変わらずここらはまとまった雨は無し。
まだ暑いですが、それでもセミの鳴き声は減ってきたし、何より日がだんだん短くなってなってきました。
夏バテが出てくる頃です。入道雲の元気が羨ましいわ。
阿波踊りが終わったら、案の定感染者急増です。ちょっと前は千人超えてビックリしとったんに、今は二千人越の連日のような記録更新。また遠出しづらくなりましたよ。
かの芦屋市にある踏切。一寸法師由来の「打出小槌」と言う地名もあるようで、あやかりたい。
去年、芦屋からさくら夙川まで歩いて探索したときに両方向撮れそうな場所やなと思っていた所です。きっかけはお立ち台通信の記事ですがね。
さて、着いて最初の上り列車は時間からすれば56レなんですが、編成を見ればそうで無いことは明らか。貨物ちゃんねる様で運用を確認させてもらうと8056レとなっていました。だとすれば、この辺は7時丁度くらいに通過する列車ですから二時間以上の遅れ。
約15分後に来たこの列車はカンガルーの一部ブロックトレインですから5060レでほぼ定時。
合焦が遅れてカスカスになりました。この列車は機関車次位が空コキなんで冴えん。
後追いしてると下りが来ています。
81レとここらですれ違うことになっとんですが、ほぼダイヤ通り。
大阪方で下りを撮るとカーブの一番外側を来るんで素晴らしい構図なんですが、架線柱の張り線が玉に瑕です。
続く下りは1059レ。ここらも貨物列車は新快速の間を走ってるんで約15分おきに来ます。
桃太郎は真っ正面から撮ると鉄人28号みたいになって好きじゃないんで、このくらいが限界です。
あ~こらもうアカン。なんとかこの張り線避けようとアチコチ試しましたがダメ。脚立使ってフェンス越しに撮るしかなさそう。
1059レもここらで1070レとすれ違うダイヤですが来ず。それどころか、3050レ・62レと15分で雁行する列車はどれも来ず。半時間以上待ってやって来たのは2073レと思しき列車。
下りはほぼ定時で来てるのに上りには何か障害があったんでしょうね。
両方向撮れる場所で効率良く撮れる時間帯と狙って来たんですがアテが外れました。見づらいですが、連結器上のステップに白線が入ってるのは新鶴見所属機の印だそうです。
そもそもこの日は午後に数年ぶりで鉄談義することになっていて、場所の近いここにしたんです。
さっぱり来なかった上りが10:40になってやっと来ました。
スジは1072レですがどうだろか?貨物ちゃんねる様で調べても136号機のこの日の運用は不明でした。
最後尾付近が芦屋駅ホームで、こことの中間くらいに線路を潜る通りがあるんですが、以後は踏切がないんで結構通行量がありあます。芦屋は快速待避があるんで、踏切の閉まってる時間は長めです。
良い角度ですが、中間の空コキが残念。
編成前部をみれば1050レかと見紛う列車。
後半は一般型を積んだ1055レです。
いや、でも十分に格好いいです。やっぱり満載の長大貨物を撮るんは楽しい。
新快速もギリギリ躱せたこの写真がこの日のベストショットやと思います。
しかしホンマに300番台が多い。新鶴見に続々と配備されてるそうで、65の置き換えが近いんでしょうね。
今回は写真が少ないんで、この列車はいっぱい載せます。
遅れたヤツが来るんとちゃうかと待ってましたが、来るのは下りで似たような写真ばっかり。
この列車も機関車次位が空コキでしたが、このくらいの角度なら目立たん。
定時なら高松行きの73レですね。
上りを待つのは諦めて、この後は昼食にしました。
大阪が本店だと言うカレー屋さんの芦屋店。ネットで見たとおり、最初の一口が甘い。その後はずっと辛いんですが、カレーの辛さとは違う気がする。
暑さも眠さも吹き飛んで、会合場所に向かう前に名所・さくら夙川に寄ってみましたが、期待の上りは来なくて1071レと思われる列車。
このカーブでまた上り列車撮りたい。と言う所でこの日の撮り鉄は終了です。
各地で大雨や台風、なのに德島は日照りが続いて夕立でも欲しいところです。
一昨日から阿波踊りが始まりました。三年ぶりだそうですが、私としては8月の本物を見るんは19年ぶりです。当然ですが、だいぶ変わったなぁと思いました。
改造 銃ではありません、お墓の補修をしました。ウチのは戦前で、モルタル多用なんでひび割れがひどい。二本使い切りましたが未だ足りないくらいです。
「その1」から44日後、7月上旬の池谷です。土休はウヤとなる4301Dが德島に向けて発車していくところから開始。
実は、4301Dは40単行だったと思い込んでいて、これを撮るため上り一番列車の特急をはり込んで来たんです・・・
ガッカリした気持ちのまま310D。
続く312Dと、高松口の通勤対応で4連の列車を。まだ6時過ぎですから、この辺ではガラガラで一両でも十分。このまま大坂峠を越えて空気輸送するわけですが、基地が德島なんでしゃあないんか?引田や三本松で夕べの下りを滞泊させておけば効率的な気がするんですが?
10分ほどの間隔で4連列車が続いた後は半時間ぱったり列車が途絶えます。こんな所にもジャンボタニシが居ましたよ。
この時期に来たんはもちろん蓮の花を写し込むため。前回から一ヶ月以上経って、軽四の屋根より高く伸びています。
この日最初の40・47は316D。前回来たときは1500だったんですよ。正規はどっちなんだろ?
後追いです。蓮根の背は伸びてますが、線路は一段高いところにあるんで車体は見えます。
池谷で316Dと交換の、鳴門からの一番列車951D。
これも40+47ですが、316Dとは前後が逆で高松方が40でした。
池谷駅からここに歩いて来ると、大型三脚で動画を撮ってる御仁がなんと御大でした。動画は三脚に固定しカメラは手持ちと言う二刀流。
一見、池谷で交換してるように見えますが、左は板野始発の4303Dで、右は鳴門線内折り返しの通勤快速?953Dが到着したところです。
その間に3004D。
確か高松に着くと左の三両は入庫し、右の二両だけがサンライズに接続する3005Dとして折り返します。ただ、接続とは言え一時間近くありますが。
3004Dを待っていた4303Dがやっと発車。四千番台ですが平日は車掌乗務のようです。で、土休は40単行のワンマン。
こうしてみると蓮の海に47・40が浮かんでる様です。
蕾もあるんで花の盛りはもう少し後かもしれません。
首都圏色と四国色は合わんなぁ。
ニーロクも撮っておきます。
やっぱり四国色がエエわ。
板野行き318Dです。
高松からの各停一番列車305D。
御大の邪魔にならんよう県道まで下がって撮ってます。
どうもこの辺はまだ背が低いし花も咲いてない。収穫してる畑もあるし、ハウス栽培もしてるし時期をずらす工夫がされてるようです。
ここらは花が多くて極楽浄土の雰囲気。
背景の青空が消えてしまいました。後方から朝陽が射してるのが救いです。
鳴門発の955D。
朝方、線内一往復した編成が通勤列車となって德島に向かいます。
御大に聞いたら、今年は阿波踊り増結があるだろうとのことでしたが、40・47もあるんか?
955D撮影後、御大は仕事に向かわれたので線路際に来てみました。下回りはすっぽり隠れます。
この日最後の40・47は309D。
先の318Dの折り返し。
ここは何も植わってない。御大の話しだと、コウノトリの餌場として各農家が毎年持ち回りで何も植えずに水を張った場所を用意してるそうですが、ひょっとするとそれかもしれません。
そう言えばこの日はコウノトリを全く見ず。
引き上げるので駅の方に戻って岡山直通の5006D。
駅の鳴門線側踏切で957Dと4954Dの交換。
草を敷き詰めた?線路を行く鳴門行きを撮って終了。
8月最初の日曜日がいきなり立秋です。今回は船にしました。少し前の記事にも使った写真で、右手奥にあるに県庁前のかちどき橋袂の岸壁に向け新町川を遡上するあき丸です。末広にあった深日行きフェリー乗り場付近から撮ってます。当時はまだこの辺でも筏で材木が繋がれてますね。
つい最近撮った写真。向こう岸の左端に錆びた石油タンクが当時まま残ってます。白い船は偶然撮れた、鳴門にある大手製薬会社の社用船。ロイヤル・オークと言う船名で検索したら英海軍の前弩級戦艦ばっかり出て来ます。
新町川絡みでもう一枚。かちどき橋袂にあった阿波銀支店の建物が解体されて、三河家住宅前を行く列車が丸見えになっていたんですが、最近杭打ち機が入って何か出来そうな気配です。
4月末から5月連休までは田植え直後の田んぼに魅入られて5回も通いましたが、久々に6月中旬の勝占です。
この朝もかちどき橋で520Dを撮ってからこちらへ。1000×2連の525Dから開始。
1200×2連は鳴門に直通する522D。
この前来たときから一ヶ月以上経ってますから稲も伸びてます。線路脇の雑草はまだそれほど伸びてなくて幸いでした。
さて、40・47です。鳴門発桑野行きの527D。
先頭は47ですが、相方は40。最近2連だとこの組み合わせが多い。
この編成では47が0台の便所付きなんで編成で2カ所。JR四国では7000系電車は片運・両運とも便所なしです。
イマイチ空がスッキリしない日でしたが、中津峰バックのお気に入り構図。
527Dを中田で待っていた524Dは朱色の47ペアでした。
暑苦しい好きではない色ですが、この状況ではよく映えます。
このペアは塗色の関係もあってかいつも一緒なんでしょうね。
後追い。パッと見50系客車みたいな気がする。
桑野が始発の526D。この列車は1200×3連の固定運用だと思います。
1500は日中のワンマン単行運用中心。ならば、1200は片運・便所無しにして1500との増結専用にするっちゅうんはどうでしょう?
オタマジャクシがウヨウヨ。まだ足は生えてない。
日が陰ったところで特急列車の登場。
先日のBSP呑み鉄では、うずしおで185に乗ってましたが選んだのかなぁ。私なら避けますが・・・
南小松市で10分くらい停まって特急を先行させた528D。単線で、しかも閉塞区間が長いところで追い越しをすると長時間停車になりますね。今回の場合では、南小松島ー中田間が短距離なんでそれほどでもないですが。
この日は二連でしたが平日は三両のハズ。
背後の中津峰に雲が掛って高山の雰囲気です。
牟岐発の532D。牟岐線終点の阿波海南駅からの始発は牟岐まで各停のさっきの特急で、各停で通すには牟岐でこの532Dに乗り換えることになります。
この列車を撮ってから地蔵橋へ移動。
先頃、中田駅舎が解体されてJR四国仕様の待合室風の「箱」に置き換えられました。支部長情報では、次は地蔵橋らしいとのことで撮っておきます。
駅西側が休耕田で雑草が茂ってます。ホームは昔のままで5~6両くらい対応できる長さがあります。
ホーム側から撮った駅舎。
東側の表から。
小湊鉄道の駅みたいな大きさ。
ホーム側から。今は棒線駅になってますが、昔は島式の交換可能駅でここには構内踏切がありました。
柱は結構凝った意匠が見られます。
534Dと記念撮影するために来たんです。
こっち側からだと逆光なんですがね。
この日はこれで終了です。