コロナに加え、長雨で近場の撮り鉄さえ行けず昨日やっと8月初の撮り鉄に。土讃線ですがここは県内。徳島を除く四国各県にも蔓延防止等重点措置が適用されましたね。
う~ん、徳島の感染防止策や県民意識が高いのか、それとも魅力が無いんで県外から人が来んのか・・・
コロナのせいであんまり報道されてないように思いますが、未だ一部区間で不通になっていて代行輸送が続いています。四日市から南松本に向かうタンカーが何本か大回りして中央東線経由で運転されたそうです。
長雨の間、重い腰を上げて昔のネガをスキャンしてました。ハーフサイズのスキャンは二枚一緒になるんで、一旦取り込んだ画像を分割し、かつ回転させなアカンので面倒なんです。おまけにちょっとスキャンしては懐かしさのあまり「ここは今どないなっとんだろ?」とか検索したりするんで捗りません。
今回は比較的まとまっていた1967(昭和42)年8月に宇野駅で撮ったモノです。
先ずはうずしお。既に181系になってるのか、それとも151のままなのか分かりません。バックミラーや運転室上の交互点滅灯?も残ってますが、目を引くのは覆いが外されて自連がむき出しになってることです。151はしおじの運用でセノハチにEF61が補機に付いたと言うハナシをネットで見たことがありますが、ひょっとしてそのせいか?
当時宇野と言えば先ずは鷲羽ですね。小生が利用し始めた頃は新幹線連絡列車の印象が強いんですが、この当時の時刻表を見ると新大阪発着列車より大阪の方が多い感じでした。今回、下りに一本京都始発があったことを発見。
これは宇野線のローカル電車。詳しくないんですが、50番台の系統でした。床は木張り、ニス塗りの室内でモケットが紺ではなく緑だったような気がしてます。
これは「さぬき」の到着です。当時、徳島から高徳本線始発で宇野着は8:25、さぬきは9:08着です。
今度は気動車急行、9:10発の砂丘・しんじだと思います。しんじは伯備線から一旦日本海側に出た後で小郡に行く行路で有名でした。ホーム向かいに停まってるのはさっき着いたさぬきの編成だと思いますが、左から二両目はスハネ30の様です。更に隣の10系寝台車も非冷房ですね。しんじのキロも窓が開いてるようで、この時代はまだまだ冷房は貴重だったんです。
これも貴重な玉野市営電気鉄道。社名と違って気動車です。もっと撮っておくべきでした。。。
さぬきを牽いてきたEF58が機回ししてるとこです。これは青15号に前面クリーム警戒色の、後に標準となった塗色でしたが、この後着いた瀬戸の牽引機は茶色でした。
到着編成の最後尾に連結、これから引き上げて留置線に転線です。最後部の10系寝台も未だ非冷房、ナハネフ10だと思います。
瀬戸の到着です。機関車は茶色で、庇が付いてスノープラウは無いものの汽笛にカバーがあるんで寒地仕様車に見えますが、当時の配置は東京区だった様です。右側の客車は引き上げられたさぬきの編成ですが、やはりスハネ30が多い様です。
岡山区のサボが入ってました。当時の編成表を見ると、東京-岡山間の客車3両が付いてる様ですが、ここは宇野なんで切り離してるハズ。ただ、上の写真で車両数えると15両ありそうなんで、夏の多客期対応かもしれません。
瀬戸の編成が引き上げられてるところです。オロネ10の後ろにスロが二両繋がりますが、何れも非冷房でそれに続くのはスハネ30の様です。
こっちは留置線に置かれたさぬきの編成。冷房改造済みのスロ54、そしてそれに続くオシ16です。Nで揃えようとして挫折したまま放置状態です。小生の手引書となった誠文堂新光社「客車・貨車ガイドブック」を買ったのはこの頃だと思いますが、オシ16の希少性に未だ気付いてなかったのが悔やまれます。
編成端は元・特急用のスハニ35。この頃の急行用車両は皆ピカピカです。
堂々たる鷲羽号の編成。このタイプのヘッドマークは一世を風靡しましたね。編成後方に連絡船が写ってます。
跨線橋から留置線の客車編成を見たところです。真下が瀬戸編成、右隣がさぬきです。
向こうの電車は塗り分けからすると165かなぁ?
これはクモユニ81だと思います。隣の非冷房スロ54は瀬戸編成で、品川車なのに何故か電暖化された二千番台。学生帽も凜々しくカメラを構えてるのは同行のK野君かS田君だと思います。
さっき165系かなぁと迷った電車。165と言うとクモハ+モハ+クハの三両ユニットとだと思ってましたが、検索すると奇数の中間モハも少数あったとネットに出ていたんで、ひょっとするとそれかもしれません。急行幕が出てるんで臨時の鷲羽か?
連絡船への積み込み。これは瀬戸で来たマニ36らしき荷物車。’69年10月の編成表では宇和島行きになってます。
後ろはさぬきで来たオユ12。
瀬戸の編成をホームから撮ってます。数えると14両あるようなんで、やはり多客期対応で岡山回転車を宇野まで付けて来た様です。
次回は徳島か小松島の写真を載せようと思います。
雨降り止まず・・・雨合羽買おうかなぁと検討中。
何処の街な?これでも市内中心部。右側のビルが雰囲気盛り上げてます。
先日お盆の墓参の際に「せと久」に寄ってみたら休み。お盆くらいは開いとんだろと期待したんですが。止むなく春日神社境内のこちらで購入。
せと久と同じく老夫婦が手焼きされてるんですが、やっぱりせと久の方が見た目も味も一枚上ですね。
本文はまだ7月末の話で、夏らしい晴天が続いていた頃。
この日も早とく切符使用、一番列車で佃着。跨線橋から池田方を見たところ。この先もいっぺん歩いてみたい所です。
佃で接続する土讃線上り各停に乗り換えて箸蔵へ。ここでも跨線橋から34Dを。
ホンマは俯瞰撮影は好かんのですが、下からではなかなか上手いこといかんのですわ。
ここで31D+2003Dと交換。列車が潜ってるのが元の32号線で、あそこから上り列車を狙うのが箸蔵の撮影ポイントのひとつ。
34Dを待たせて通過です。
後追い。あのカーブの所を何とか上手く撮りたいんですが・・・
この後、10分ほど歩いてロープウェイ乗り場へ向かいました。
ここからが今回記事の主題、箸蔵寺参拝です。
箸蔵駅から歩いてロープウェイ乗り場に到着。8時半過ぎ、早すぎるのかコロナのせいか駐車場はガランとしてます。正面のうどん屋の裏を土讃線が通ってます。
早速往復券千七百円を購入して搭乗。左端に吉野川鉄橋が写ってます。土讃線は吉野川の向こう側の右奥にある池田駅から左端にある吉野川鉄橋を渡ってこのロープウェイの麓駅下の辺りに上って来るんです。
進行左手の山にある集落は桜坂や三縄から見える所だと思います。凄いとこにあるなと感心しますわ。
下を見ればゴンドラの影が。
到着。たぶん、あっちが剣山の方。
本堂目指して登る途で鐘楼。素晴らしい造りです。
そこから本堂に向けて上る階段がキツかった・・・段数もそこそこありますが、何より傾斜が急で背中の荷物に後ろへもってかれそうで怖かった。格好を気にせず手すりを持って上った方が安全です。
ヤレヤレと着いた本堂。しかし、どう見ても神社の様な造り。だいたい登り口に鳥居があったんでおかしいなぁと思とったんです。
更に奥に寺の本堂があるんかとウロウロしましたが、やはり此処でした。お寺と神社が一緒になってる様です。
見事な木彫り。
丸に箸。金比羅さんの奥の院らしいです。
ぼけ封じ観音は念入りにお参りしました。
遍路姿のご夫婦もいました。実は、小生はずっと此処が八十八カ所巡りの一寺だと思っていたんですが、間違いだったとわかりました。
さて、参拝も終わって駐車場下にある「箸蔵の桜坂」へ久しぶりにやって来ました。(多分、ここやと思うんですが確証はありません)
十年くらい前にリンク先にあるごっさん様の記事で、ここで撮られた素晴らしい写真を見て何とか自分もと思ってるんですが、どうも上手いこといかん。ほんまに此処でええんかと不安になります。
列車は33D。その季節に来たことがないんですが、左の木が名前の由来の桜だと思います。
33Dと池田で交換する38D。ここは上りは全然アカンので後追い。
その後はまた歩いて箸蔵駅に戻り、さらに池田方に進んで最初の踏切、「八幡踏切」へ。
踏切脇から箸蔵駅を望んだところ。カーブしながら緩い起伏を越える良い場所なんですが、障害物が多くて撮影難所。
色々場所を考えましたが、これが精一杯。
後追いで池田方。ものすごい大回りを強いられますが、一つ先の踏切へも次回は行ってみたい。
せっかく来たんで40Dまで待ちました。
踏切脇の農家の方が草刈りされてて、マムシの事を聞いたら「こんな暑い日は昼間は出てこん」とのことで一安心。以前は撮り鉄の車で道が埋め尽くされたこともあったとのこと。ここもポイントのひとつなんでしょう。
確認はしてなかったんですが、休日なら動いとんだろと思ったら案の定。
最近は高知に出来た列車の方を盛んに宣伝してますね。
今の季節は赤の方が断然映えます。
コロナの状況が悪いんでこの先の運転が危ぶまれます。
朝乗って来た各停が箸蔵に着くのが8時過ぎ。で、つぎに箸蔵に停まる各停は上下併せても4時間以上過ぎた12時半過ぎです。坪尻でも状況は同じで、箸蔵はまだバスが何本かありますが、坪尻で午前中撮るには覚悟が必要です。前は10時台にあったんですどねぇ。
池田に戻るのに乗る各停を財田で追い越してきた37Dは黄色アンパンマン。
2700は嫌いな仏壇塗りでないと表情が一変。
直ぐに来る42Dもホームで撮ります。バイクで来た若い方が動画撮影中。小生に気を遣ってくれて引いて撮ってくれました。
池田行き4229D。列車番号からすればワンマンのはずですが、この日は女性の車掌さん乗務でワンマン表示なし。
池田から接続する464Dは穴吹で半時間ほど停まるんでブドウ饅頭本店に寄ろうと思っていたんですが寝入ってしまい、次の機会に持ち越しです。やっぱり朝が早いとアカンわぁ、と言うところでおしまいです。
ついさっき、久しぶりに放送された大河ドラマを観てる最中に眉山から花火が上がったようです。阿波踊り最終日だからか?
お盆の前は晴天続きで夕立さえ無かったのに
お盆に入った途端降り続いて晴れ間無し。近場の撮り鉄にすら行けてません。
お盆の前にお墓に行かななぁと思いつつ時機を失し・・・今日の午後やっと行ってきました。
今年のお盆に帰省してる方は気の毒ですね、隠れるように過ごさないかんでしょう。都会の大爆発の影響か四国でも香川が遂に100人超え。帰省による感染拡大の結果は来週辺りに出て来そう。大雨の事もあって、中途半端な開催の阿波踊りなんて全然報道されません。
前回の撮り鉄編からの続きで、阿南を10時過ぎに出る4533Dにどうにか間に合いました。夏休みが始まってることもあってか、1500単行の列車は混んでいて座れませんでした。
止むなく運転台後方で全面展望してたんですが、途中でスマホを持った女性がやって来て前方を撮ってました。木の枝が窓を叩くので撮りに来た様です。地元の人は慣れっこですが、旅行者は驚くかも。
なるほど、これは撮りたくなりますね。ここは福井-由岐間だと思います。中央は由岐の場内信号だと思います。
単線の交換駅のお手本みたいな由岐駅。
ここで木立の中から出てくる544Dと交換です。
うっかりして田井ノ浜臨時停車場は撮り遅れ。今年も海水浴場やってないんで通過です。
だんだん道が険しくなる。
木岐駅の手前だったと思います。
昔、銚子電鉄に乗ったときに似たような区間がありました。
↑銚子電鉄の本銚子駅近く。ゴミが散乱・・・
こう言う区間こそトロッコ列車走らせたらエエと思うんですが。あと、夏場なら大坂峠越えのトンネル連続区間もお薦めしたい。
鯖瀬に着いて乗って来た列車を見送ります。
駅出て直ぐにトンネル。
海南方を引いてみたところ。
こちら牟岐方。左手のお堂のような建物が鯖大師。
山腹にあるホームから55号に降りると目の前に大福の店。他に店は一軒も無いんで迷うことはありません。
帰りの列車まで時間もあるし、先ずはお参りせないかん。
観光バスが居て、婦人団体が参拝中でした。
その後、無事「さばせ大福」購入。実はネットで調べたときに、うどんもやってたんで昼食はここにしようと思っていたんですが、店に入っても誰も居らず大声で呼んで出てこられたおばあさんに聞くと既にうどんはやめたとのこと。
時間が余ってお店の裏の海岸に。
ここも「八坂八浜」の一つだろうと思います。
ここでも防波堤の草むらにレンズフードが落ちて、3往復ぐらいしてやっと回収。
古そうな石碑と思って後で見たら「四国のみち」の道標。
さて、鯖瀬から帰る途中で福井か桑野で降りて観察しようと思っていて、今回は桑野にしました。自転車に乗って去って行くのが小生と一緒に下車した方で、他に人影無し。
無人駅ですが駅舎は昔のまま残ってます。四国の駅でよく見かける炎のような葉を茂らせる木は「カイヅカイブキ」ではないかと思います。
駅前を通る県道から駅を見たところ。奥の左手はタクシー会社、その向かいは旅館で昔はそこそこ賑わってた様です。
桑野は初めて来ましたが、昔牟岐線にはC11が牽く桑野行き貨物列車があって、貨物好きとしてはいっぺん寄ってみたかったんです。
阿南方の小川に残る道床らしきもの。貨物扱いがあった頃はここにもう一本分岐があったんだろうと思います。
今も一本だけ保線車両用に側線が残ってますが、昔はさらに2線くらいあったカンジです。那賀川の電源開発が盛んだった頃、この駅からダム建設用資材を運んだと聞いたことがあります。
駅の裏手の田圃は7月の二十日過ぎで穂を垂れています。県南や高知では二期作をやってると小学校の社会科で習ったんで、昔は今頃二回目の田植えをしとったんかもしれません。
駅に貼ってあったんですが、この太龍寺のロープウェイもいっぺん乗ってみたい。と言うところで終わりです。
今年は祝日の変更が多く、去年のウチに買った物は間に合わなかったんでしょうね。今月は明日が休日です、間違えて出社しない様に。
と、その暦の上では既に立秋を過ぎてます。例年暑さの本番はこれからですね。
先日「徳島ラーメンでないラーメンが食べたい」と言う愚妻の要求で、ラーメンを食べるためだけで空港に行ってきました。
現在もほぼ半減されてて飛行場に機影無し。連絡バスも併せて減便されてるんで路線バスを利用。初めて乗りましたが、連絡バスより安いし時間が合えばこっちがエエかも。
この本数ならしゃあないんでしょうが、ホンマに人がおらん。帰省するなと盛んに言ってます。県ではどうしても帰省すると言う人に無料PCR検査も実施中、水際防御に懸命です。
肝心のラーメンはこちらの「うずしおラーメン」、美味しかったです。高血圧対策で麺類のタレは飲まんことにしとんですが、久しぶりに半分くらい飲みました。
こっちは今日撮ったヤツ。入道雲は夏のダイナミズムだ、とは誰が言ったのか?一連の写真はフジのコンデジで撮ってるんですが、広角にすると画面左下がボケます。一度修理に出して、レンズが不良と言うことで交換してもらったんですが、あまり改善せず。手ぶれ補正機構が悪いんかな。
今回、撮り鉄は鯖瀬駅前にあるこちらのお店で大福餅を買うついでです。
そんな気にさせてくれたのはこの切符。値段は18切符をバラ売りしたぐらいで、通年販売ですが土休限定・島内専用です。調べて見るとウチから鯖瀬往復するより安い。乗り降り自由なんで撮り鉄もしょうかと言うことになりました。
撮り鉄は初めての阿南駅北方。以前、中島から那賀川鉄橋併設道を通って阿南方に来たときにええなあと思った田圃です。今回も中島から那賀川を渡ってこようかとも思ったんですが阿南駅から歩いてみました。市役所脇を通り、桑野川を渡って約25分で到着。
左端に那賀川鉄橋が写ってます。
5時半過ぎに出る下り始発で来て、ここでの二本目になる524Dが47二連。
天候・光線状態とも申し分なしですが、このシャッタータイミングの悪さはなんな・・・
新しいカメラが連写に向いてない(いや、設定が悪いのかも)、撮った後で一瞬ファインダーが固まるんはどうすれば防げるのか研究せんといかんのです。
貴重な列車ですからしつこく追いかけ。
25‰を上って鉄橋に差し掛かる所はエエ構図なんですが、異様に電線・電柱が多くてどうにもならず。
これは桑野始発の526D。休日でも三連。
三連で鉄橋に向かうところは更に格好いいんですが、開き直って電柱をいっぱい入れます。
逆光になりますが反対側からも。
顔が暗いですが四灯点けてくれてるのが救いです。
528Dも三連。
先の524D以外で今回1200・1500以外はこの特急だけ。
牟岐線の特急はこの朝の上りと、夕方の下りの1往復だけになりました。朝に二号が上って、夕方に一号が下るんです。
那賀川鉄橋取り付き部分を何とか上手く撮りたいと場所を移動しましたが解決策は見つからず。
それでもここは空が広いし、飛行機雲も出てイイ感じでした。
鉄橋手前になるとこちら側に電線が併走しますが、このくらい離れてれば気にならず。
いい加減撮り飽きたんで、田圃の中をクネクネ曲がりながら鉄橋の方へ行くことに。
以前、向こう岸から歩いて渡って来たところ。さっきまで撮って居たところは中島と阿南の中間くらいだそうです。
これも以前撮ったのと同じ構図。この日も草刈り作業が行われていました。お陰で足回りまでスッキリ写ります。
さて、以前と同じ構図しか撮れんので戻ることに。河川名の看板を撮ったんですが、この後レンズフードが外れて足下の田圃の中に落下。黒いので泥にハマったのを探すのに苦労しました。一昨年辺りから緩くなって、油断すると斜めになっていて隅に写り込んでくるんです。何かエエ方法はないもんか・・・
来たときとは違う道を通り、やって来た列車を一枚。
来るときに気になっていた桑野川の鉄橋。土手の道路上表記は岡川橋梁になっています。中央の立派な建物が阿南市役所。
少し待って上り列車を。こちら側が順光ですが、またしても電線が邪魔。
車は手前で土手下に降りて線路を潜るので、安心して撮れます。と、ゆっくりしてると鯖瀬に向かう列車の時間が迫り、急いで阿南駅に向かったのです。阿南から先は2時間に一本くらいしかないんで、乗り遅れると大変です。ここから次回に続きます。
丁度今日は八月一日、暑さも五輪も真っ最中です。
今回は小松島でハチロク。昔の写真はピンボケのが多いんですが、これは夏場で絞り込んでいたせいかキレイでランボードの白線が鮮やかです。夕方、小松島から出区するハチロクと言えば真っ先に521レの回送が思い出されますが、これは機関車の向きから池田行き423レの担当機だと思います(521レの牽引機は逆向き)。翌年にはC58に変わりましたが、この頃はまだハチロクやったんです。石炭も満載し右手にある客車留置線にバックで進んで行くところです。
市役所前のワシントン椰子が散髪。これから台風シーズンやしね。こない伸びてよう倒れんもやと不思議。
徳島県人になりきるため、マスクはこちらを使用。但し製造は愛媛県。
で、安心してこれも使えます。とっくに期限過ぎてますが、8月末まで延長されとんです。この手のキャンペーが流行ったんは去年のハナシ。
今年はここにきてまた爆発的増加・・・ワクチン接種も終わったし越境しょうかと考えとんですが。
池谷、前回来たのは60Dの最終撮影となった6月中旬。それから約3週間経って緑が濃くなりました。
蓮が成長して撮りづらくなるんですが、この時期は花が咲くんです。
もう蓮の葉が溢れんばかり。
蓮の花。蓮根畑なんで花は二の次ですが、結構これ目当てに撮りに来る方もいるようです。
花は白と赤(と言うより桃色)があります。
この日はドイツ館に写真展を見に行くのが主目的だったんで、ゆっくりと9時過ぎから開始。
右端の古いタイプのシャワーヘッドみたいなんは花が散った後で、あの中に種があるんです。
蓮の花はあるとは言え、この時間だと40・47も無く特急だって三両は稀。
7月21日で長く続いた減便は解除になったようですが、利用が戻ると良いですねぇ。大都市圏でまた感染が爆発的に増えてて、夏休みで地方に拡散しなきゃいいんですが・・・
蓮の花と睡蓮の花は別の種類だそうで。レンコンは隠元禅師が持ち込んだとのこと。
雲がイイ感じです。せめて1000形やったらなあ。
この雲が気に入って何本かここで撮りました。
ちょっと無理矢理花を入れたカンジ。左の雲は金床雲になってますね。
先頭車の前半分は指定席、でも後ろもガラガラ。
踏切の正面に入道雲が来ました。通りか掛かった車が待ってくれました、ありがとうございます。
上の写真から約半時間後。雲の形はどんどん変化。
この日もアンパンマン無し。この先代にあたる181系の仰々しさに比べると四国向きの車両です。なんと言っても181は2両じゃ運用出来ん。181もJR化後は四国色に塗り替えられたんですが、あれは似合わんかったわ!
この後はドイツ館に行くことになってたんで駅の方に戻り、鳴門線側の草むした踏切で。
振り返ると交換の鳴門行きが待機中。複雑な跨線橋がオブジェの様です。
こう見ると、ちゃんと線路を走ってるのか心配になります。
分岐器までが異様に長い。
こっちは高徳線の踏切。左に分岐してるのは安全側線。特急がはしるだけあって多少は草が少ない。
その後バスでドイツ館に行き、支部長ら主催の写真展を見学。
帰りにまた池谷で撮ると言ったら、支部長がお薦めポイントに案内してくれました。
午前中に撮っていた辺りよりずっと勝瑞寄り。
レンコンの花と車両足回りも入れられる場所だそうです。右端に写ってるのはコウノトリ。
この時間だと逆光。
コウノトリはこの辺で育ったせいか列車が来ても動じません。
目つき悪い。長い足には識別票みたいなんが付いてます。大型の鳥と言えばトンビかアオサギくらいしか見たこと無かった小生にはかなり大きく感じます。
支部長は仕事中やったんで少し撮っただけで戻り、その後は帰りに備えてまた駅寄りに移動。
天気が良かったらもうちょっと居てもよかったんですが、ボンヤリしてきたんでここらで終了。
ちょうど下校時間なのか、単行では立ち客多数。
さて、3時半前の列車で帰ろうと駅に行ったら私製ダイヤのミスで5分前に出てしまってました。止むなく駅で待ってる間に上り特急。
時間的に上りが増える頃で、徳島行きは45分くらい待つんで構内からもう一本。まあ新カメラの習熟にはよかったかな。