徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

46年前の4月、地蔵橋の近くで撮った写真でも

2015-04-26 22:43:43 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


春が終わって完全に初夏ですね。今日は半袖の人も居ました。


昨日も出勤で撮り鉄行けず。浜川崎に行こうとダイヤの準備も出来て居たんですが・・・


60Dもたまには動かさんとアカンなと思いウチのヌコしゃん撮ってみました。


どーも彼女は被写体になるんが嫌いなようで、


愚妻の肩を借りてご機嫌を直して貰いました。ISO6400で三十分の1秒。LEDだと蛍光灯よりきれいな様に感じます。


先日、上野東京ライン開業後のインタビューが新聞に出ていたそうですが、湘南の方で10両が来るようになって困ると言うのがありました。同感です。昨日帰りに上野東京ライン使おうと調べたら休日のせいか10両ばかり。じゃ上野始発で見たらこっちも10両。元より始発が殆どありません。


やむなく直ぐ出る宇都宮線で赤羽から湘新経由の電車に乗り換えました。こっちは殆ど15両ですからね。上野東京ラインは高崎線や宇都宮線が東京以南まで延長されてる感じで、湘新は湘南電車が北関東に乗り入れてくる感じですね。
早いとこ山手線から捻出される231を転用するか、上野東京ラインの運用区間を籠原・小金井-平塚・国府津間に固定して総て15両化すると言うのはどうですか。

えー、やっと本題。

先週載せたのは4月1日に撮った分で、今夜は4月2日と3日の分です。春休みなんで連日撮り鉄していた様です。
最初の写真は地蔵橋に進入する428レ(たぶん)。最近、この写真使こたことあるなぁと調べると4年前の4月も記事にしていました。


手前は一面レンゲ畑。この頃、田植え前はレンゲが植えられていて5月になるとレンゲごと鋤き起こされて肥料にされていたと思います。


地蔵橋に進入中の池田行き425レの回送。左手が勝浦川鉄橋になります。


写真の順番がめちゃめちゃですが、上の写真よりだいぶ前になるハチロク牽引は徳島で折り返して牟岐行き521レとなる回送です。


同列車の最後部。ご覧の通りオハ61で車掌車ではありません。下りは機関車次位で問題ないですが、明日の上りはこの状態で営業列車となるはずです。閑散路線ですから特に尾灯が付いて無くてもええんでしょうか。それとも外付けの尾灯みたいなのがあったんか。


C11で7両だと長いなと思います。


今回も撮り鉄友達のK君が写ってます。機関車は前照灯と炭庫の形状から66号機と特定出来ます。


425レ回送。たぶん3枚目の写真の続きだと思います。遠景のうっすら見える山は眉山に連なる山です。


その425レ回送は地蔵橋で牟岐行き521レと交換します。地蔵橋を出た521レが勝浦川の鉄橋に続く坂に向かってダッシュしています。


ここは麦畑ですね。4年前の記事では背後の山から撮った写真を載せていました。


さっき最後尾だったオハ60が今度は先頭です。


勾配なんで煙を期待するんですが、冬じゃないとあんまり出ませんでした。後ろの小山が昔この辺が海だった名残ですね。

来週はもうGW、となると貨物はあかんなぁ。。。


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46年前の4月、佐古駅前後で撮った写真でも

2015-04-19 22:42:39 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


新聞では売れすぎて製造が追いつかずメーカーでは販売中止にしたそうです。
が、高齢者の多い我が地域のスーパーでは7ケース位山積みされてたと愚妻が言ってました。まあ、年寄りには見向きもされなんだと言うことでしょう。小生も飲んでみたいとは思いませんよ。

予告通り今週末も撮り鉄に行けず昔の写真でお茶を濁します。

何にしようかと探していた時に目に入った一枚。とっくの昔に掲載済みですが、1968(昭和43)年8月に糸崎で撮った203レ夕月です。
時計は0時丁度くらい、糸崎駅3番線は下りの待避線です。8号車には未だ帯が残るオロネ10、9・10号車はスハネ16で最後尾はたぶんオハネフ12でしょう。
今回初めて気付いたんですが、9号車と10号車では通路の向きが逆になっています。東海道・山陽では山側が通路だったように思うんですがもうそんな原則は無くなっていたのか運用の都合なのか。
RJ誌1974年7月号の編成表を見ると、8号車から11号車の4両は大分回転車。宮崎まで通す本編成にもオロネ10が2号車にあってわずか11両編成でAネ2両とロザ(スロ54、いやオロ11か)1両と結構豪華な編成です。やっぱりこの年代はまだ南九州への新婚旅行需要が多かったのではと想像します。
もう一つ、右端のオロネ10の裾には大ミハの標記が見えますが、続くコマには

走り出した同列車の最後尾オハネフ12を撮っています。ブレブレの酷い写真ですが、所属標記はどう見ても大ではありません。こっち方面なら分オイのような気がします(あるいは鹿カコかヤコにも見えるような)。だいたい洗面所側を最後尾にするのは異例のように思うんですが。お盆の時期なんでこの付属編成は寄せ集めだったんでしょうか。
そう思って疑い出すと一枚目で9号車だけ色が違うような気がします。この車輌だけ青15号に塗り替えていたのか・・・いや、ぶどう色で冷改ってあったんか。無さそうな気がします。

やっとタイトルの写真。

1969(昭和44年)4月1日に佐古駅で撮った写真。高松から下ってきた列車が佐古でコキの切り離しをしているところです。当時コンテナ扱いは佐古だけで、上下ともここで解結作業をしていました。


左奥のコンテナホームにコキを押し込んだC58が戻って来て、ホーム残した貨車の所に下がっています。完全に側線に入り込んでの撮影、今なら許されませんね。
以前はこの右手一帯は田宮川から引き込まれた貯木池でした。


コキを切り離した後の残った数両の貨車を牽いて徳島に向けて出発。


小生の知る限りでは、四国のC58で最若番は9号機だったと思いますが約一年前に廃車されたのでこの頃は12号機が最若番でした。9号機・12号機共記録の残ってる終戦時高知に在り、その後は高松・徳島と一緒に異動しています。土讃線や逢坂峠を重装備で越えてきたベテランと言った感じです。
前年くらいから、高知・高松・松山からDF50やDE10に追われたC58が続々と小松島に移ってきましたが、この12号機は調子が良かったのか異動機より長生きで1970年1月付けの廃車です。


こっちは鳴門行き貨物です。そう言えば、小松島線の貨物列車は早々に廃止されましたが、鳴門線は残っていました。さっきのC58貨物に時々冷蔵車が繋がっていて、それが鳴門線に継送されいた様です。


続いては110号機が牽く徳島線上り428レです。早朝の421レが約2時間で池田を折返し(9:40発)徳島着は12:12でした。真昼ですから太陽が高く真夏のように見えますが手前は麦畑です。110号機は1965(昭和40)年に王寺から小松島に異動してますが、来たときは集煙装置がなく四国では特異な存在でした。その後、廃車発生品を貰ったのかいつの間にか四国らしい姿になっていました。


そもそも421レが西の方の通学列車なんだと思います。で、この428レは回送列車の客扱いみたいなもんでしょう。池田の転車台で方転されいます。
右手遠方の自動車修理工場は今も健在ですね。


12号機が徳島で折り返して高徳線上り貨物を牽いて来ました。カーブミラーの横で撮ってるのは当時一緒に撮り鉄していたK君です。


ここは佐古駅を出て徳島本線と別れ吉野川の方にカーブしていく所です。現在は高架になってるし家も建て込んでいて変わらないのは眉山だけですね。
上り貨物も佐古でコキを機関車寄りに繋げるため、こうして先回りが出来るんですが、この日はコキが無かったようで徳島を出たままの組成です。


後追いしたらオッちゃんに被られました。鳥打ち帽にジャンパーと言うスタイルは当時自転車で配達や集金をする方の標準的な格好でしたね。自転車と言えば、隣の重装備な格好いいチャリはK君の愛車です。

今回はこんなところでお終いです。今週末も仕事優先だったんで来週もこんな記事になりそうです。









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徳島に戻んてました

2015-04-12 23:26:57 | 乗り鉄と帰省の道中

選挙の投票には行きましたが撮り鉄は今週も無し。で、先月末に帰省した時の事をちょっとだけ。
今回は上野東京ライン開通後初めての帰省で且つ往復飛行機なんで久し振りに(たぶん2回目)京急利用です。これだと高崎沿線の自宅から品川で一回乗り換えるだけで羽田に行けます。
京急もほんまに久し振りで左の様な赤い電車は今や稀少。乗ったのは右の千葉の私鉄から直通してきたヤツでした。


この前街歩きの時に載せた八つ山陸橋を通過中。右手の高層ビル群の所が昔、新幹線の基地だったと知る人も少なくなったでしょう。


いよいよ空港線です。横浜方面からも直通電車があるとは知りませんでした。スイッチバックして直通してる様ですが、私鉄らしいきめ細かな対応だと思います。


席は貨物ドアの真上。積み込みの様子を窓に顔を押して付けて見ていると「何が見えますかぁ」とスチュワーデスに声を掛けられました。ひょっとしてボケ老人と間違われたんか。


よく空いていて、中央席の人も窓側の空いてる席に移動していました。日航の機内での注意事項を案内するビデオに流れるボーンと言う警告音が気に入っています。こんなに空いてるんなら録音したかった・・・


沖合の一番新しい滑走路に向けて地上走行開始。


いやぁホンマに遠い。首都高でも走ってるような感じです。


やっと見えてきました。こうやって見ると滑走路とは思えません。


見える範囲では3番目の離陸。


後ろからも数機が追ってきます。


別の滑走路には着陸機がどんどん来ます。


しかし、穴は多いな。


東京湾上空を右に旋回中。小生は上昇中の旋回が飛行機で一番怖いです。


船が多いですね。海は凪いでます。


右上にうっすらと富士山が見えますか?


更に旋回を続けて眼下に今飛び上がってきた滑走路が眼下に見えるようになりました。水平方向と垂直方向に2本ずつ滑走路があるそうです。


たぶん江ノ島だと思います。実は未だ一度も行ったことがありません。


少し雲が掛かっていますが眼下に富士山を見るのも飛行機ならでは。席は往復とも富士山側を指定するようにしています。


徳島空港に着陸する直前に上空を通過する4発機。拡大してみたら尾翼に赤い鶴があるようですが貨物機でしょうか。


大鳴門橋も見えました。そう言えば3月は一番渦が大きい時ですね。


吉野川通過中。眉山は写りませんでした。


寺町から見た眉山。桜はこれからみたいですね。


着いたその足で先ずは墓参。


今回帰省で最大の収穫は「せと久」が営業していたことです。


去年は3回帰省し、その都度墓参しますが一度も開いてませんでした。


いやぁ潰れたんかいなと心配していたんですが、店の方に聞いたら花見の時は営業してますとのこと。上の方に通年営業してるお洒落な店もあるし阿波踊り会館や駅でも実演販売してるようですがだいぶ味が違うと思います。ウチはやっぱりここですよ。


翌日は雨でした。切られずにすんだ裁判所の桜が見頃でした。
この後は雨で写真撮らず。徳島を発つときにやっと雨が上がりました。


なんか雨雲と一緒に東上しているようです。左のモッコリした所はたぶん富士山だと思います。


君津の辺りかなぁ。もうすぐ着陸。


なんかでかいのを牽いてますね。


雨の羽田に到着。ターミナルビルへ行くのに滑走路を横切るんで一旦停止して離陸機をやり過ごします。ほんまに過密空港。

この次の土曜もたぶん出勤、さあいよいよネタが無いわぁ。


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しょうがないから去年の写真を・・・

2015-04-05 23:14:33 | 関東近郊、JR特定線区外と私鉄


年が明けてから全く撮り鉄に行かないまま三ヶ月が過ぎ、早4月となりました。
4月の写真ですが、実はこれも一年前の4月の写真の続きのコマです。穴吹を6:28に出て小松島(本駅)8:34着。春休み中ですが小生としては早起きした方です。線路の手前は菜の花で、C11(たぶん66号機)が春の陽射しを浴び9両もの客車を牽いて犬山踏切に向かっているところです。


上野東京ラインが混んでると言う事はこの前も書きましたが、朝の通勤時間帯にまだ10両の列車が残ってるのは何とかならんもんでしょうか・・・東海道線と直通になれば通勤時間帯は全部15両化されるやろと思てましたが期待外れ。

上尾・宮原辺りでは超満員になります。宇都宮線は全区間が旧・西局管内ですが、高崎線は大宮から先が旧・高鉄局なんでやはり不遇、と勘ぐってしまいます。山手線の新車が出来て今秋から運転を始めるそうですが、不要になった231に最小限の改造を施して高崎・宇都宮線列車の増結に回して欲しいもんです。

リンク先のなごみサンからお土産に貰いました。スダチ味と勝手に思い込んでいたんですがそうではありませんでした。もう一つは小男じゃない方です。空港の売店とかではこっちは見かけんような気がします。


えー、去年の元日に撮った写真です。場所は第三下田端踏切。電源車が通過中なのが第二下田端踏切です。


この年の春に定期運用廃止が発表されていましたから元日でも結構人が居ました。左端のリュック背負ったオッサンはこの時点でも既に「踏切内」に入ってますが、この後更に線路沿いに右手に進み罵声を浴びてましたが全然気にしてない様子。エエ歳したオッサンがこんなことしょったらアカン。


一旦客車を押し込んだ後、機関車が入替でもう一回踏切の方に出て来ます。但し写ってる場所までなんで踏切は開いたままでこういう角度で撮れました。この頃、211が尾久の側線に随分留置されていました。


こちらは10日後に西日暮里の尾久方で撮ったものです。


たぶん前後のコマを掲載済みのはずです。高いフェンスがあるんで皆さん脚立持参ですが、小生は柵の隙間から苦しい体勢で撮ってます。


雪が付きすぎてヘッドマークが見えません。豪雪地帯を走ってくる列車らしい光景に感激し、二週間後に再訪しましたが全く雪無しでした。


赤羽駅で下りの北斗星やあけぼのを撮れないものかと下見した時の一枚。湘新ラインのホームだけがLED化されていて一際明るくいけそうな気がしたんです。


これが「二週間後」の朝。京浜東北線のホームから撮ってます。こっちの端なら誰もおらんだろと思ったんですが二人居ました。


これも前後の写真は既に掲載済みのはずです。


で、その後また前回と同じ西日暮里へ。ヘッドマークは見えますがツマラン写真になりました。


続いて北斗星までの合間に宮原へ。熊谷方の駅外で上りタンカー。この辺は柵が低く撮り易いです。


北斗星は与野駅の浦和方で撮る事にしました。武蔵野線からトンネルを抜けて大宮操駅に向かう列車です。一番手前の線が東北貨物線(湘新ライン)下り線です。


上の列車とは逆に大宮から武蔵野線に直通するむさしの号がトンネルに向かうところです。道床が厚く線路が高い位置にあって良い感じですが有刺鉄線が微妙な位置にあるんが困りモンです。


185系(電車の方です)の塗色としては一番好きな新前橋色。未だ7両と10両が1本ずつ残ってる様です。他編成か回してグリーン車2両にしたと言う10両編成の方は以前尾久に留置されて上野東京ラインの試運転に使われていたそうですが最近はどうなんでしょうか。


随分待った割にはツマラン写真になりました。角度は小生好みですが背景が悪いのか、あるいは手前の線路の処理が良くないのか。


この日は続いて鴻巣や桶川で貨物を撮った後、夕方には東十条へ来ました。


貨物を気楽に一杯撮ろうとすれば浜川崎ですが、貨物以外もたくさん手軽に撮りたいとなればここか茅ヶ崎・辻堂辺りですね。今月末くらいになりそうな今年初撮り鉄もこれらのウチのどっかになりそうです。


この日は64千が多い。この通称牛乳パック塗色では64千の格好良さがぶち壊しですね。


日本で一二を争う開かずの踏切。3複線と言う事より、東十条駅が近く、南行電車はホームに入ったところで踏切が閉じるのが閉鎖時間を長くする最大の要因だと思います。停車中に他の5線の列車が通り更に次の南行に反応するという事がラッシュ時はままあります。


最近、デカパンと呼ばれるヤツが運用を外れたらしいですね。小生はあまり好きな機関車ではありません。そう言えば、桃太郎や66はなぜか隅田川に出入りしないんでこの区間で見ることはありませんね。いや、夜間に山手貨物を通過するのはあるんかもしれませんが・・・


ここは手前に高密度の線が4本もあるんで被られ率高いんですが、向こう側だと貨物線に近すぎて好みの角度にならんし。


上の写真から更に二週間後、2月の祝日にまた上りあけぼの狙いで赤羽に来ました。まだ6:30です。


こういうのは早朝じゃないと撮れませんね。


ダイヤ改正まで一ヶ月となってホーム端の撮り鉄も増えました。


この年は早起きして撮り鉄に行く余裕があったんですねぇ。


赤羽駅の上野方は凄いカントがついています。通過列車それほど多くないのに不思議です。上りラッシュ時は押し込もうとしても車内が上り坂状態で押し込めません。


211系グリーン車付き編成も最後の1本か2本の頃。


新前橋の耐寒型はその後も活躍してるようですが、湘南電車で使われていた車輌は東北に疎開させて残していたのに改造が手間なのか使われ無いようですね。


下見をした夜の赤羽駅で下りあけぼのを狙おうと残業になりそうな日に重いカメラを鞄に入れて来ました。この時は小生以外こっち方は二方だけでしたが、今年は北斗星狙いで凄い人出でした。


帰ろうとしていたら通過列車の放送が入ったんでホーム端に急ぎましたが間に合いませんでした。


こちらは二月中旬。王子貨物にふられてまたここに来ました。ちょっと引きすぎです。


これも引きすぎですね。うむ、こうして昔の写真で自分の欠点探しもせなアカンな。落ち込むけど・・・


最後は王子貨物のために平日休みを取ったら雨だったという不運な日。カシオペヤが動いとる日やなと浦和に来ました。この大宮方ホーム端は結構お立ち台で休日は混んでる様ですが平日ならガラ空き。それでも一人居たのはさすが。

今度の土曜も出勤予定やし次回も昔の写真になりそうです。








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