徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

線路沿い歩き、新橋から品川(最終回)

2015-03-30 07:52:52 | まち歩き


上野東京ラインが開通して丸二週間が経過しました。当初は試し乗りの方や春休み中という事もあってごった返したと言う感じでしたが、さすがに最近は上野止まり常用者と上東ラインが常用の方に分けられて落ち着いた様です。

上東ラインは混んでますね。今回一番得をしたのは山手線や京浜東北線の上野-東京間利用の方々でしょう。随分空きました。
こっちは4回目でやっと最終回、随分と引っ張りました。桜も咲いたのに正月のハナシです。
前回、高輪大木戸跡を過ぎたところから。

久しぶりに線路が見えたと思ったら、どうも向こう側に抜けるトンネルがあるようです。


かなり低い。


それでも高さ制限はあるものの車も通行可能な様です。


高さは1.5メートル。座って運転できる車より歩行者の方が通りにくい。大人はだいたい屈まないと頭をぶつけますね。


線路と線路の間は上が開けていますが、地図で見ると一番幅がある辺りなんで向こう側に抜けた頃には腰が痛くなりそうですよ。


こちら側で買い物でもしてきたと思しき老夫婦が慣れた足取りでトンネルに向かいます。抜けた先は大汐線が分岐する辺りで元・東京機関区もあったはずです。来年は向こう側を散策したいです。


トンネル入口横は広い駐車場。向こう側に見える怒り肩のビルはNTTだと思います。NTT系の建物は変わったデザインの目立つビルが多いように思います。


第一京浜の方を見ると、またビルの間に神社がありました。さすがに神様を立ち退かすのは罰当たりなんでしょう。


線路沿いに出られる公園がありました。


入口は狭く、うっかりしてると通り過ぎそうなくらいです。


で、その通り向かいにはまた神社が。初詣の方もそこそこいます。


線路沿いの駐車場ですが昔貨物扱いでもしていたような雰囲気です。


昔は品川客車区か田町電車区か。撤去工事が進んでいるようで、たぶん向こうの185が停まってる辺りまで線路は後退して再開発されるんだと思います。


金網が邪魔ですが至近距離で電車が撮れます。ただ、ここはたぶん私有地で本来勝手に入ってはいかん所だと思います。


ちょうど東京駅百周年記念の山手線が品川駅を出てきました。


取り壊し中の高架登り口の様な構造物。基地内で立体交差していたのか、それとも別の用途なのか不明。背後にある品川駅港南口の高層ビル群も凄いです。


向こう側までざっと300メートル以上ありそうです。


ここは品川の夜行バス乗り場か。徳バスが運行する東京線もここ発着のはず。


ちゃんと待合室もありました。もちろん正月も営業中。


裏手はこんな風です。徳島駅前も高速バスターミナルが欲しいなぁ。


この横がまた超線路際です。こっちに向かってくるのは山手線内回り電車です。


いや、ここも撮影目的じゃ立ち入ってはいけないとこでしょう。それにしても旧・品川客車区の部分はすっかり線路が剥がされてますね。


随分歩いたように思いましたが日本橋からでも7㎞しかないとは。新橋からなら4㎞くらいですかね。高崎線なら一駅で7㎞と言う区間もありますよ。


ビルの隙間から京急の電車が見えると言うことは品川に近いと言うこと。手前の顔が黒い電車は初めて見ました。検索してみると住宅都市整備公団9100形のようで北総鉄道から乗り入れてくるんで見たことないはずです。


品川駅前に到着。右手のビルは昔パシフィックホテルでした。


いきなりゴチャッとした風景に。全然正月らしくないです。


歩道橋に上がって歩いてきた第一京浜新橋方。こう見ると正月やなと感じますが。


この歩道橋がまた年代物みたいで随分使い込まれてます。


こっちは京急品川駅。外観の意匠は取り壊された東急東横線渋谷駅に似た感じがあって私鉄ターミナルらしい雰囲気です。ここも昔は京浜百貨店が入っていたんですが今はどうでしょうか。


品川駅前まで来たんでどこかで終わりにしたいんですが、八つ山陸橋まで行くことにしました。


八つ山に向かう途中の線路向こう側にも高層ビル群が。


超一流企業ばかりですね。


こちら側には坂の途中に高級マンションがいくつか。上京した頃、山靴モもえさんが住んでいたと噂のあった所です。


八つ山の陸橋が見えて来ました。


右手は石垣が続いています。地図で見ると三菱の迎賓館、関東閣のようです。


こうやって見ると昔の八つ山の面影はトラス橋だけですね。背後の高層ビルが建ってる所が新幹線基地(東一運)だったことが信じられないくらいです。


この交差が八つ山ですよ。


上も下も銀色の電車ばっかりですね。


ここはもちろん京急の撮影名所ですが運用上はネックでしょうね。


京急の踏切を渡ると都営の高層アパートがあって下が都バスの車庫になっています。この建物も小生が上京した時からあったと思います。


で、その横に以前に掲載済みのラーメン屋さんがあります。いっぺん行ってみようと思いながらもう三ヶ月経ちました。


この一角だけ木造家屋が残っています。駐車場の所も昔は家が建っていたんだろうなと思います。徳島市内でもこういう光景が増えてきました。


高層アパート下の都バス車庫脇にある営業所。都バスは一気に全車をノンステップ車両に替えたそうですね。


この道を右に進むと直ぐに北品川駅に行けるはず。


どこで終わりにしようか迷いましたが、この日は風が強くてしかも時折粉雪が舞うほど寒かったんです。お握りも残っていたんで品川駅に戻ることに。


八つ山陸橋の京急踏切。遮断機が3台連なる広い通りです。こういう一目で京急とわかる車両も少なくなりました。
実はここでこれ以上写真が撮れなくなりました。電池は金杉橋のコンビニでお握りと一緒に買って交換していたんですがなんとメモリーが一杯になったのでした。1ギガのカードを入れていたんですが500画素のコンデジで1枚2.5メガくらいですから計算上は400枚撮れることになりますが300枚強でした。この写真も要らない写真を削除して撮り直したものです。

さてネタ切れです。何を載せようか。。。



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線路沿い歩き、新橋から品川その③

2015-03-22 23:50:39 | まち歩き

うっかりと下書きのまま投稿していました。。。

撮り鉄に行かれず!昨日は今年初めての撮り鉄に行かれる条件が揃ったんで先ずは近場の秩父鉄道に行こうと準備していました。が、前日夜より体調不良。今月末から来月いっぱいは公私とも忙しいので大事をとってじっとしてました。


今日も天気が良かったし回復したら浜川崎でも行こうかと昨日のうちから新ダイヤを作成していたんですが、やっぱり思わしくないので止めときました。
ところで、写真の商品ですが甘すぎて使い切れるか心配です。

ダラダラと3回目です。このままやとネタ切れになるわぁ・・・

前回最後の地点から更に線路沿いに進むと

エスニック料理の店が。


こういうロケーションです。また線路は少し高架になっています。


こちらの和食店も趣のある木造モルタルの見本みたいな造りですね。


看板代わりにもなる、と言う感じ、格好いいです。


この辺も高層マンションが多い。線路の向こう側にはモノレールが併走しています。


揚げ物の良いニオイがしていました。このチェーン店は目立たないようで結構ありますね。


高層マンションの間にある通路?か公園。オシャレやなぁ。


線路の向こう側の建物は港区HPによると「港区は、港区最大規模の複合施設「みなとパーク芝浦」を、12月22日(月曜)に開設しました。」とあったので出来てからまだ十日も経ってないようです。


やはりこの辺が海岸線だったようです。


ここにも向こう側に抜けるトンネルがあります。モノレールはここらで線路から離れ海の方に曲がって行きます。


昔、魚が水揚げされていた場所だった、と横の案内板に書いてありました。昭和43年に埋め立てられたそうです。


ヨンサントウの頃というと大昔と言う気はしませんが埋め立て地の面影は全くなし。中央の先端が尖ったビルは日本電気本社ですね。


頻繁に通る電車をローアングルで狙えるんですが金網が邪魔。


と、ここにもビルの谷間に神社が。付近のマンションに住んでると思われる人たちがけっこう初詣に来ていました。


横にあった消防分団の機材置き場?かな。ボランティアというと無料奉仕と言う知識しかありませんでしが検索してみると語源は「志願兵」だそうです。


神社の脇を通って第一京浜に戻るとそこはもう田町駅前。


田町の駅前には粉ミルクに劇薬を混ぜたことのある会社の本社ビルがあるんで無視して通り過ぎます。


更に品川方向に進むと凄く目立つ高層ビルが。ここまでずっと高層ビルは林立していましたが、これほど存在感がある建物は無かったですね。山で言うと富士山や鳥海山みたいに周囲を圧倒する感じです。


変な建物ですが地図で見ると学校の様です。


さっきの存在感のあるビルが建ってる場所は札の辻。そう言えばここは箱根駅伝のコースですよ。


線路沿いに行こうと第一京浜を外れます。高層マンションの建設現場には四国の会社も参加してますね。


線路を跨ぐ大きな陸橋があるところです。立派な注連飾りが付けられています。


振り返れば東京タワー、やっぱり港区のシンボルですね。


陸橋を潜るトンネルの脇に餌入れが置いてあります。猫用と思うんですが既に空、正月休暇は一週間くらいありますからひもじい思いをしてるんじゃないでしょうか。ひょっとするとこの鳩も餌になるかもしれません。


ここからは線路沿いに行けるんかと期待しましたが、


跨線橋の下を潜ってみると大きなビルの敷地のようでダメでした。


やむなく再び第一京浜へ。またビルの間に神社があります。現在の地名は三田ですが昔はこう書いたのかもしれません。


英国の自動車メーカーだと認識しておりましたが、この車のオーナーの方の一人に伺うと今は独逸資本だとの事です。展示方法が秀逸、目を惹きますね。


こんな所にあったんですね。今回、ウィキで改めて確認しましたがあまりに記述が長いので途中で止めてしまいました。


振り返るとさっきの高層ビルがまだ存在感を示しています。紅殻色の様な色のせいか小生にはひどく印象に残ります。ビルでこんなに印象に残ったのは有楽町の国際フォーラム以来です。ネットで調べると昔は都ホテル(都イン?)があった場所の様で、高さは195mくらいとありました。


この会社も都内に何カ所か良い場所にビルがありますね。通りから一歩入った丘の上と言うのがまた良い。


こんな学校?がありました。サロンの様なものなのか、あるいはほんとに勉強するとこなのか。


付近の案内図ではなんと言っても旧・田町電車区や旧・品川客車区の用地が目立ちます。少し先に海側へ抜ける通路があるようです。


今更ですが、第一京浜の地下には都営浅草線が通っているのでした。この駅から京急に乗り入れる線が分岐します。


通りの反対側には由緒ありそうな蕎麦屋がありますよ。


歩道にいきなり石垣の小さいやつが出現。


さっきの札の辻と言い、やはり昔からここは幹線道路だったんですね。


よくぞ残してあったなという感じです。
品川目前ですが、もう一回だけ続きます。







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線路沿い歩き、新橋から品川その②

2015-03-15 22:01:12 | まち歩き


マスコミでは最近、北斗星やトワイライト、ここ数日は北陸新幹線で持ちきりですが小生にとって最大の関心事はもちろん上野東京ラインの開業ですよ。なにせ毎日の通勤がかなり楽になると期待してます。
いや、ほんとは東海道新幹線と併走する常磐線電車をここ冒頭の写真にと暫く待っていたんですが、そう上手いことは行きませんで・・・
土日じゃわからんので明朝の出勤時が楽しみです。

前回からの続きで浜松町駅から。

今は高層ビルが林立してますがウィキで見ると江戸時代はあんまり良い場所じゃなかったようです。


浜松町と言えばモノレール。この連絡通路は今でも使われてますが段差がいっぱいあって、いかにもやっつけ工事という感じがします。大きな荷物を持った人も多いのにこの不便さは未だに解消されませんね。


新橋辺りまで延伸する計画もあったそうですが。今は大汐線活用案がやっと陽の目を見つつあるのでそっちに期待したいところですが東京五輪には間に合わないらしいです。何とかならんもんか思います。


モノレールの高架を潜って直ぐに古めかしいビルが。


浜松町駅の南端。煙草が吸いたくて何度かこの出口を利用したことがあります。出た所に喫煙場所があるわけではないんですが・・・


もうほとんど高架ではなくなってます。上を横切ってるのは貿易センタービルに入るモノレール、京浜東北線は上野方向に向かう北行です。


またまた昭和感溢れる建物が。木造モルタルの見本の様です。一部はアルミサッシに交換されていますが、どの窓にもちゃんと雨戸が付いてますね。玄関脇にある電気のメーターも忘れてはならない必須アイテム。


浜松町駅を過ぎて最初の向こう側に抜けるトンネルです。もう高架とは言えないくらい低くなってるのでトンネルがかなり掘り下げられています。


鉱山の坑道と言った感じ。


この辺で「港町」と言われてもピンと来ませんが昔はここら辺りが海岸線だったと言うことでしょう。連絡先が施設指令となっていますが、国鉄時代から指令と言うのが続いてるんですね。通信・電力・営業と言った各指令がいました。


このトンネルの所で線路沿いに進めなくなり90度曲がって迂回。


船宿があるんでこの先に川があるようです。


ここだけはお正月感満点です。


この路地を行けば船乗り場があるんでしょう。


線路方向を振り返るとこんな感じ。モノレールはえらく高いところを通っています。


やっぱり川がありました。古川という川のようです。徳島にもあるでよ。上を首都高に覆われすごい圧迫感がありますが。


釣り船よりも屋形船が多い。


橋の名前は金杉橋。


横の公園にあった案内図。橋を通っているのは国道15号、いわゆる第一京浜でした。うーむ、暫く線路沿いには出られそうもありません。


線路沿いのごっつい高層マンション。クレストというのは鶏冠のことでてっぺんの意味があるそうです。プライムも極上とか最上と言う意味らしいのでここの凄さが強調されています。


なるほど、


なんぼするんでしょうか。


その先に向こうへ抜けるトンネル。線路が完全に地平に降りてるので下を潜る感じです。


このホテルも線路際で眺め良さそうです。ただ駅からは遠いですが。


その先にある三角形の建物は電車からもよく見えますね。線路の向こう側は確か大手建設会社のビル。


狭い土地の有効利用。建物というより広告塔みたいな感じです。


この石鹸会社は昔からありますね。ウィキによるとクレンザーで有名なミヨシも同系の会社で、ミツワのブランドも引き継いでるそうです。ちなみに牛乳ブランドの会社も健在のようです。


郊外の霊園ではなく都心の寺の境内にお墓があるというのは自慢出来るでしょう。


梅か桃か、早すぎますね。


直ぐ先にあった新浜町ガード。人と自転車だけですね。


で、更に進むと何とも渋い建物が。


完全木造。注意したいのは横の街路灯や交通標識の裏が茶色に塗られています。この気配りも凄いと思います。


この辺も戦災を受けたと思うので戦後直ぐに建てられたんでしょうか。小生の実家も戦後直ぐに建てた家でしたが、当時は資材不足だそうで歪みや隙間がいっぱいありました。この家は建て方も手入れも良いんでしょうね。


都心の住宅に必須なのが物干し台。田舎と違って庭に干すスペースが取れないので屋根上の有効活用ですね。この状況では陽当たりは望めませんから風通しだけで干してるんでしょう。


いやあ和みますね。右端はたぶん棕櫚、紫陽花もあるようです。中途半端な庭があるよりこっちの方がずっと良いと思います。


ずいぶん撮ってましたが路地を抜けて振り返るとモノレールも見える所でした。


後で地図を見るとこのガードの先の所に芝浦運河があるようです。


と言うことは、旧海岸通りはこの先で90度曲がることになるんでしょう。


その旧海岸通りを渡った所から抜けてきた路地を振り返ります。田町駅はまだかいなぁ、と言うところで続きます。






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線路沿い歩き、新橋から品川その①

2015-03-08 22:05:15 | まち歩き

北斗星やカシオペヤの熱狂にはついて行けませんが、便利になると言うことで純粋に改正が待ち遠しいです。

上野駅7・8番線ホームから「東京方」を見た所です。一番左端の9番線は現在ほぼ常磐線中距離電車専用で、このため東海道線に乗り入れる常磐線は一時間に1~2本だろうと予測されていました。ところが決定は高崎・宇都宮各線とほぼ均等割。で、7・8番線にも常磐線からの乗り入れ列車が発着するようです。

同ホームの駅名標。見えにくいですが、緑帯の次駅表示で左側には「東京」がうっすら透けて見えます。同時に右側「尾久」の下には「日暮里」が透けて見えます。と言う事は、この7・8番線ホームは常磐線専用になると言うことでしょうか。高崎・宇都宮線と共用なら尾久と二股にするはずです。

「始発」でない列車が近々走るための準備。

こちらは9・10番線ホームの駅名標。やはり「東京」は準備されてますが、北側へは日暮里のまま。従って改正後も引き続き常磐線専用ホームですね。高崎・宇都宮線と上野東京ラインを直通する列車には5・6番線しか使わせないのか?特急の乗り入れもあるそうで何か今回は常磐線だけ特別扱いしてるような気がします。

乗換案内も紙で貼ってあって下には既に東京・横浜方面と言うのが加えられていると思います。

中央改札の上には新幹線と高崎・宇都宮・常磐の各線時刻が表示されていますが、新規に一つ追加されています。当然、上野東京ラインのものでしょう。

と、最近の話はここまで。本文はまだ正月の、しかも非鉄のハナシです。


ここ数年、初詣に虎ノ門の金比羅さんにお詣りした後、正月で人通りが少ない線路沿いを歩くのが習わしになっています。

ビルの谷間にある金比羅さんのお社。


と言うか、金比羅さんがビルの中にある。自家用車やタクシーで乗り付けてお詣りする方も多いです。国道一号の表示も格好いいです。


確かこの辺に新しいヒルズが出来たはずや・・・と探しますがどれやら分からん。


なんせごっついビルが多いんで。


結局特定出来ませんでした。


金比羅さんの向かい側です。やはり海運に縁があるんでしょう。


新橋の駅前に戻りました。テレビで中年のオヤジにインタビューする場所ですが、正月はガイジンの方が多い。駅を覆うような巨大な屋根を工事中です。後ろは汐留のビル群。


新橋駅前のランドマーク。


再開発の話が去年の秋に出ていました。どうも小生が上京した年に出来た様です。


去年までは帰りのことも考え、北の方に歩いてましたが、新橋-赤羽間はほぼ歩いたので今年は南下することにしました。


ホーム越に汐留のビル群を望みながら出発。だんだん雲行きが怪しくなって後で雪が降ってきたんです。


烏森口前。このビルが三角地帯にあるのが分かります。


この辺も煉瓦のアーチが続いています。以前は飲食店がびっしり入っていて気付きませんでしたが、耐震補強工事が始まってアーチの存在が分かります。


第一京浜に掛かるガードに来ました。向こう側に神社が見えますね。


第2源助町橋高架橋とあります。検索してみると、この煉瓦のアーチが「高架橋」で数連の単位で名前が付いてるようです。


線路の向こう側は汐留のビル群。左端は共同通信。その手前に小さなお社がありお詣りしました。汐留と言う地名で昔この辺が海岸線だったと想像ができますね。


共同通信の左側一体は日本テレビだと思います。昔の貨物駅の跡形なんて全然無しです。


さっきの日比谷神社の境内にあった石碑。昭和7年建立。江戸東京博物館友の会様のサイトによると、この神社は元は芝口三丁目西の裏通り(日陰町)にあった日比谷稲荷で、今は高架下になって跡形もない、とあります。う~むぅ。


環二通り?を渡って更に線路ぞに進みます。線路の向こう側に聳えるのは高層マンションでしょうか。画面左端にチラッと写ってるのはホテルのようで新幹線や東海道線を眺めるの良さそうな立地です。


こちら側には一攫千金を夢見る人々の浄財で建てられたビルがあります。


そのビルの横から望まれる先端を斜めに切り落とした様なビル、たぶんあれが虎ノ門ヒルズでしょう。


少し進むと線路沿いに古めかしいビルがあって進めないのでやむなく迂回。


線路の向こうにはまたごっついビルが。左端に写ってる高架は東京臨海新交通臨海線、通称ゆりかもめです。


迂回した所はいかにも意図して雰囲気を作り出した街並み。地図で見るとどうもイタリア街と言う一帯のようです。


先ほどの浄財で建てられたビルもその線でデザインされた、のかなぁ。


で、少し進むとイタリヤとは無関係な世界が。木造モルタルで瓦葺き、二階の手摺りの意匠も昭和そのものでやはり和みます。


アパートとマンションの違いについて検索してみると、法律的な定めは無く不動産業界的に鉄筋コンクリートの集合住宅はマンションで、そうでないのがアパートみたいになってる様です。とすると、この辺もマンション街。一階が店舗または事務所で上が住居という小さなビルは去年歩いた神田辺りも多かったです。


迂回が終わってやっと線路端に戻って来ました。行く手を阻んでいた古めかしいビルはJRの変電所の様でした。


久しぶりに向こう側に抜けるトンネルがありました。新銭座トンネルとあります。低いので少し掘り下げて高さを確保してる様です。


左側は化粧されていますが右は赤煉瓦が残っています。


この辺でも未だ赤煉瓦のアーチが残ってるのが意外でした。


高架が始まる場所の様です。ゆりかもめが海側に90度ターンしていきます。地図で見ると港区海岸一丁目、線路の向こう側は浜離宮と芝離宮に挟まれた所ですね。


ビルの局面ガラスに写る電車がおもしろくて何本か撮ったんですがなかなか意図したように写らない。


ビルの谷間をゆりかもめが行きます。この辺り、ゆりかもめは、汐留貨物駅から日の出桟橋や芝浦埠頭に延びる貨物線の跡地を利用して造られてるはずです。東海汽船が発着する竹芝桟橋に浜松町駅から向かう途中にこれらの線を渡る踏切があったのを覚えています。


反対側には東京タワーが。今回気になって検索してみるとタワーが建ってる土地は元々増上寺の境内だったそうです。


工事現場の仮囲いですがアートですね。モノクロの写真もええなぁ。


浜松町駅北口前。この通りを真っ直ぐ進むと増上寺に突き当たります。


新橋駅前からダラダラ歩いてちょうど30分でした。この辺でその②に続きます。




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高崎の前後で、その3

2015-03-01 22:23:14 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面


もう3月、今日はちょうど一日なんで45年前の3月に撮った写真を載せます。以前にも書きましたが、現像が高温すぎてゴミがネガに付着しています。
徳島駅を夕方5時21分に出る通勤列車で徳島最後の蒸機牽引客車列車でもありました。新町川の鉄橋を渡り終え、続く富田のガードを過ぎたところ。最後部の客車は未だガードの上です。この付近だと専ら新町川鉄橋の手前で撮っていて、ここが結構良い場所だと分かったのはこの時が初めて。ここに駅が出来るとは思ってもいませんでした。


相変わらず鉄分無しの休日を過ごしています。これは先月撮った写真で、数寄屋橋の元・東芝ビル跡に建設中の建物は2基にクレーン「はるみ」と「みゆき」の活躍で随分大きくなっていました。以前のビルより多きかも。

こっちに来るともうひとつ気付いたのがここ。有楽町駅銀座口から新橋駅前にあるホテルが見えます。正面の工事囲いがしてあるところには手を伸ばせば新幹線に届きそうな距離でビルが建っていましたが今年になって取り壊されたようです。500系や300系が終わる頃、この辺をウロウロしましたが当時あのビルが無ければ良い撮影場所になったと思います。

3倍に薄めた高崎周辺も今回が最終回。

倉賀野で2082レを撮った後、やって来たのは八高線で一駅の北藤岡です。

左側を走る高崎線車内から見えて、前から気になっていました。


乗って来た列車が走り去るところ。右側の低い柵の所までがたぶん鉄道用地で昔はここに線路がある島式ホームだったんじゃないでしょうか。


こちらは高崎線の上り電車。分岐して直ぐに駅があります。いや、駅と言うよりホームだけですが。


高崎線の大宮方を見るとこんな感じです。この間の土地は立ち入っても良いんでしょうか。


結局そこには立ち入らずホームから2071レを撮ります。13:44はほぼ定時でしょう。桶川・鴻巣と途中駅での側線待避が多い列車です。今朝、倉賀野で撮った901号機が戻って来ました。


この列車の常連、味液です。今回変だと思ったのはその前後のコンテナです。海コンかと思ったんですがISO表記じゃないようで、


その隣にはこんな扉付きのヤツや


更に扉の形が違うタイプも。何れもMで始まる桁の多い数字が書かれています。どーも、レンタルボックスと言うんでしょうか、貸倉庫として使われているヤツに似てる気がします。フォークリフト用のポケットはともかく、20ftコンテナと同じようにツイストロックで固定されてるようです。


改めて駅名看板を。割と最近にホーム内外が整備された様な感じです。


いわゆる駅舎は無くて、ホームから階段を下りたところにスイカ用簡易改札機があります。


常駐するタクシーも無く、商店も無くて最近宅地開発された感じの新しい住宅が並びます。


駅舎はありませんが、ホームに待合室はあります。紺地に白文字の琺瑯引き駅名標が国鉄時代からの駅であることを物語っています。


次の列車まで間があるし、高崎方にある踏切まで出てみます。第22とありますが、21や23があるのか気になるところです。で、検索してみると結構踏切専門のサイトもあってビックリ、どうも第2の12踏切の様です。一連のなかで「高崎線歴史的傷痕探訪記」を読み耽ってしまいました。こう言うのを拝見すると自分でも線路沿いに歩いてみたくなります。


踏切から高崎方を見たところです。画面中央、左に安全側線を持つ線が北藤岡からの八高線、直ぐ先で合流するのが高崎線下り、行き止まりになった中線を挟んで一番奥が高崎線上りです。


高崎線下り線上です。倉賀野を出た八高線列車はかなり遠くで一旦中線に移り、更に分岐2基で高崎線下り線を越えて北藤岡駅に至ります。中線にも架線があるようですね。


振り返って大宮方です。一番右が北藤岡駅。高崎線にもホームが造れそうなくらい間隔があります。


その後、再び北上して井野駅に来ました。相対式2面2線駅ですが、撤去された中線の跡があり上下線の間隔が広く割に撮りやすい駅です。


この日15:05に来たのは2071レ。さっき北藤岡で撮ったヤツです。高崎操で一時間くらい停まってるんで先回り出来ます。ただ、牽引機が2号機に替わっています。


謎のコンテナ。味液と同じコキに載ってますから北陸まで行くんでしょうか。


この駅に限らず八木原や岩本・後閑と言った撮影で寄る駅はどこも中線が撤去または使用停止にされて待避不可能な駅になっています。


再び今度は倉賀野に移動。時刻表で15:45発の3096レを撮ります。熊谷方の踏切で、こちら側から撮れば逆光になるんですが初めてなんで試してみました。


3096レの後直ぐに編成のきれいな焼島行き2085レが来ます。時間が無いのに順光側に移ろうと移動しましたがご婦人と被られて撮るのを止めました。


続いて高崎駅へ。この写真で16:06、C61の高崎着は17時過ぎなんでちゃんと撮れるか心配になってきます。


上とは逆の大宮方。こっちは空が開けてるので明るく感じます。


上信電鉄の新車が到着。これも顔つきから西武の改造車かと思ったらウィキによると新製車だそうです。世界遺産効果で乗客が増えてる様なので結構な事です。下仁田の白石工業の炭酸カルシウム乾燥施設も含まれてると良いんですが、絹産業とは関係無いからなぁ。
ところで、この電車は一見こちらの方に向かってきそうに見えますが、上信電鉄の高崎駅ホームは右手看板の裏側になります。電車はポイント曲がる寸前で、直進している線がJRとの連絡線です。その連絡線が繋がってるのが高崎線下り本線に相当する線で、高崎線から上越線に直通する貨物列車はこの線を通過します。


まさにその線をやって来た2085レ。この日は16:25でほぼ定時です。901号機はこっちを牽いていました。高崎操で段落としの様ですが、これが常態なのか、あるいはこの日の特別なのかは不明。


通過中の線は1番線と言うことになるんですが、現在は柵があって旅客扱いはしておらず通過列車専用です。その向こう側が上信電鉄ホームになります。


2085レを撮った後はC61を撮るべく再び井野に来ました。


実際もう止めようかと思ったくらい暗いです。16:42、ISOを1600まで上げて三十分の1秒。三十分の1で止められんようでは・・・もっと練習せなあかん。


で、本番は6400まで上げて十五分の1秒。止まってないし暗くて闇夜の烏状態。
この日が平成26年のまともな撮り鉄としては最後になりました。

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