徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

天気が良かった下総基地祭

2009-10-25 22:29:41 | 基地祭

今日は寒かった。明日から通勤は冬用スーツに替えます。近所の風景からどんどん緑が減っていきますが、まだ刈ってない田んぼもあります。徳島より2ヶ月も遅い。

今夜はNの記事を載せようと思っていたんですが、あんまり捗らず(老眼鏡欲しい)急遽別記事を。

今月の初め、ちょうど館山と同じ日に開催された下総基地祭。去年はS61南極号目当てに館山まで特急で遠征したので今年は近場の下総にしました。去年の館山も初めてでしたが下総も初めてです。

Simg_0148

正門、この基地は住宅地の中にあるんで有名だそうで基地への道中でもえっ!というぐらいひくいところをP3Cが着陸していきます。

Simg_0055

基地のメインストリート。正面突き当たりが正門、右手には庁舎があり左手グラウンドの更に先に滑走路があります。

Simg_0010

早い時間の展示機。陸自のヘリ3機の他は海自機ばかりでしたが後で防災展示に色々飛んできてくれました。

Simg_0083

中で初めて見たのがこのMH53。でかいです。MHのMはメタボリックのMか。

Simg_0061

50周年だそうで長々と式典が行われていたので基地内を散策。

Simg_0059

教育航空隊の基地なので「無事にカエル」にかけてるそうです。

Simg_0036

真ん中のネプチューン欲しかったんですが確か6千円以上しました。手前の旅客機は2千円くらいだったのでやはり希少なんでしょうか。

Simg_0042

Simg_0043

下総名物・ミニP3Cの演技に使われるポケバイ。悪役の仮想敵国潜水艦がわかりやすいキャラに作られています。でもこれだけ台車に載っています。

Simg_0049

Simg_0050

基地内売店のお土産コーナー。共通の品もありますが千葉だけあって落花生を使った物もあります。そういえば館山もここもデイリーヤマザキでした。

Simg_0052

売店の隣の食堂メニュー。もう一店ありましたが値段は似たような感じでウチの社員食堂よりちょっと高い。

Simg_0048

公用車です。チャリとはいえ「桜に錨」がかっこいいです。まねしてみたい。

防災展示は大地震発生を想定。P3Cは偵察飛行、館山からUH60が救難に、入間からC1が物資輸送に、木更津のCH47が空挺隊員の降下と盛りだくさんです。

Simg_0069

地元機はもちろんいっぱい飛んでくれました。プロペラが止まって写ると飛んでる感じがしません。

Simg_0075

見えますか?ずいぶん高い所から降下してきます。自由降下?と言っていた思うんですが当日結構風があったにも関わらずパラグライダーのようなやつで全員目標にぴたりと降りてくるのはさすがで、盛大な拍手を受けました。

Simg_0098

降下隊員を空輸してきたチヌーク。KAZUSAは木更津だと思いますが何でインディアンなのか。(そういえばチヌークはインディアンの部族名だったか)

Simg_0073

ほんとに消せるのかというくらいでしたが基地の消防車がピンクの化学剤で消し止めました。

Simg_0120

入間から来たC1。入間と言えば来月の入間基地祭もこんな風に晴れてくれると良いんですが。

Simg_0143

最後はSH60K(館山)の尻尾。クジラの尻尾のような特徴がありますね。米軍機みたいに何か描きたくなります。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白銀週間の乗り鉄

2009-10-18 22:49:22 | 乗り鉄と帰省の道中

今年は9月に凄い連休がありました。5月のGWに対してシルバーウィークというそうですが、GWが「黄金週間」ならこちらは「白銀週間」で良いと思います。

そろそろ晩秋に入るので、白銀週間の乗り鉄を載せておきます。

期間中の3日間を乗り鉄に充てましたが、目標は関東周辺域の未乗区間の内、①御殿場線の御殿場-沼津間、②磐越西線の新津-会津若松間、③飯山線全線です。日帰りで未乗区間は陽のある内に抜けて車窓を楽しむようにしました。

で、初日は御殿場線に向かいます。高崎沿線の自宅からは湘南新宿ライン、南行始発電車は籠原発小田原行きです。

JR東の普通グリーン料金は50km未満とそれ以上の2種類しかありません。なのでこの列車のように150km以上走る列車はどこまで乗っても料金変わらず、しかも休日は割引なので乗り得です。

Simg_0001

というわけで初日の一番手はグリーン車でスタート。

Simg_0005

横浜直前で京急と併走。右手にチラッと写っているのは希少な217系の湘南電車です。

Simg_0009

御殿場線の始発駅・国府津。両側を東海道線の上下ホームに挟まれた中央にJR海の電車が乗り入れて来ます。

連休中なのに2両しかなくて窓側席が取れず車窓からの富士山の写真は撮れませんでした。まぁ雪の無い夏場の富士山はイマイチでしたが、御殿場を過ぎてからの進行右側は富士山丸見えで雪が降ったらまた来たいところです。

折角沼津まで来たので、こちらも初めての岳南鉄道に足を伸ばしてみます。

Simg_0011

岳南鉄道への乗換駅、東海道線・吉原です。右奥が岳鉄のホームになります。

吉原は製紙の街。で吉原といえば

Simg_0010

富士山とワムハチですね。もう鳶色のワムはいませんでした。

Simg_0014

こちらが岳鉄ホーム。手前後ろに出札口と事務所があって今でも硬券売っています。電車は顔からして元・井の頭線の車両を両運改造したようです。南東風の知識では東急の青蛙両運車がいると思っていたんですが代替わりしたようです。

Simg_0030

Simg_0044

製紙工場と富士山はこの鉄道のシンボル。

Simg_0042

終点の岳南江尾で富士山と新幹線も絡めてみました。

Simg_0077

帰り道、撮影名所の根府川駅ホームを車窓から。なんで柵と水平線が一致するんだろう。

2日目と3日目は磐越西線と飯山線なので

自宅から高崎線下り始発→高崎→水上→長岡までは二日間同じルートです。

S20090922022

水上駅。左の湘南色は高崎から乗ってきた電車、右が上越国境を越えて(潜って)長岡に向かう電車です。水上-越後湯沢間は県境現象で普通列車の本数が極端に少ないところでシーズンは混み合います。なんといっても4両からいきなり半分の2両になるのにあまり乗客は減りません。

最近、昼間走る貨物が増えたそうで沿線に撮り鉄の方々をずいぶん見かけました。

S20090922043

新潟県側は米どころ魚沼、車窓の山は勝手に八海山だと決めつけました。

Simg_0006

長岡駅乗換通路の表示。8月の帰省時にもここで乗り換えました。他の駅では見かけないこの駅だけの秀逸な意匠ですが近くに芸術系の学校でもあるんでしょうか。

S20090921007

新・新潟色だと思います(たぶん)上信越線は各区間とも115系の天下でご当地色花盛りです。

前の新潟色よりは良いと思いますが、やっぱり高崎付近の湘南色が一番良い。

S20090921045

長岡から新潟行きに乗り換えて新津に向かいます。進行左手にずっと見えていた山です。あれは米山に違いないと思い込んでいましたが、帰って地図を見ると弥彦山のようです。そういえば弥彦線・越後線も未乗です。

S20090921012

新津駅で磐越西線の新潟色。やっと未乗区間に入ります。キハ40の2連で後ろはタラコ。どっちもあまり好きでない色ですが機関は英国カミンズ製に換装、冷房化さらに

S20090921017

車内もかなり更新されています。わかりにくいですが寒地向けに設けられたデッキ仕切りは撤去されタラコの方は全車ロングシートになっています。全般にきれいに仕上げられていてさすが新津です。

当日はC57が運転されていたようで山都駅から一目で鉄とわかる方々が大量乗車。しかも会津若松から乗り継いだ快速・郡山行きはな・なんと

Simg_0049

583です。ただでさえ混んでる連休でSL運転と「天地人」巡りの皆さんも加わって大混雑でした。583は片デッキでしかも折り畳みドアなのでこういう日には不向きです。結局郡山まで立ちっぱなし。郡山からの黒磯行きも同じ状態で散々でした。

3日目は昨日と同じルートで出発、途中の六日町から「ほくほく線」に乗り換え。

S20090922037

特急は連休中のせいか乗車率良いですが普段はどうなんでしょう。後ろの赤いのはこの会社の持ち車両です。南東風は各停・直江津行きに乗車。

S20090922047

S20090922049

その各停車両はこんなカンジでブームにあやかっています。牟岐線も車体に亀のイラストで入れないと・・・半年で終わってしまいますよ。

S20090922051

ワンマン運転の各停とはいえ140kmまで目盛りがついているのはこことつくばエクスプレスくらいでしょうか。噂通りほとんどトンネルでした。

S20090922056_2

この日3色目の115系長野色。直江津発長野行きのこの臨時快速が運転されていたおかげで豊野乗換飯山線を越後川口まで完乗する事ができました。

S20090922065

そのありがたい快速の車窓から。手前が妙高、奥が黒姫だと思います(たぶん)。

S20090922088

飯山線は千曲川に沿って走りますが、その名の通りクネクネと向きを変える流れを堪能するには十日町方面に向かって右側に座る必要があります。この日は連休中とあって始発・長野から乗ったであろう乗り鉄風の方々で豊野からでは席はなし。悔しい思いをしました。

しかし8m近い積雪というのは凄いです。後ろの記念碑の上に線が引かれているの見えますか。

S20090922092

ずいぶん長くなってしまったので飯山線から上越線への乗換駅「越後川口」の写真で最後にします。

あと近場で残った未乗区間は越後・弥彦線、米坂線、飯田線、陸羽東線と近場とは言い難い所や飯田線みたいに日帰りは無理そうな所ばかりです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

糸崎な夜、完結編

2009-10-12 22:07:46 | 県外(糸崎、布原 ほか)

長らく中断していたシリーズですが開始から半年になんなんとしていますのでそろそろ終わらせます。

S1971081426
完結編ということで夜明け前の写真から。下り本線を通過する貨物。

S1971081499
明るくなってくるのは5時半近くになってから。呉線621レでしょうか、遠出が出来るなら早起きも何のソノです。

S1971081402
朝食営業準備中のオシ17。オシ17ということでずっと32レ上り桜島・高千穂かと思っていましたが、同列車の糸崎は3:32着、34発。調べてみると212レ上り雲仙3号(5:31着、34発)のようです。

S1971081403

S1971081404
ウラも表も着々と準備が進んでいます。夕べ長崎で乗り込んでから翌日の終点・京都まで連続乗務、ご苦労様です。

ちなみに桜島・高千穂のオシ17はこちら↓

S19710813_1463

鹿カコの表記がその証しです。

で、次がシリーズ最後の一枚です↓

S1971081401
7レ下り富士(推定通過時刻5:21)を待避中の荷41レ(5:15着、23発)。手前のEF58と61の重連が荷41レ。

帰途に就いたのは6:17発の312Mとも1号だったと思うんですが、明るくなってからさっぱり撮っていません。フィルムが少なくなったというよりは眠くてやる気が失せていたんだろうと思います。

 

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小松島のキハ45

2009-10-11 22:46:52 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

半期に一度の忙し週間で疲れ切っていましたが下総基地祭に行ってきました。秋晴れのすばらしい天気でした。

秋と言えばもう10月も半ばになろうとしています。最近徳島ネタが絶えていたので何かないかと探して、たった2枚ですが1967(昭和42)年10月に小松島客貨車支区で撮ったこの写真を↓

S196710xx15

ひどい写真ですが確か小生2回目のカラーフィルム。ハーフサイズ(ペンD)です。

たぶん、回着したばかりと思われるキハ45です。この日はもちろん蒸機を撮りに行ったんですが、客留の奥にディーゼルがいるので撮ったものです。

既に本年2月の「1967年の写真」の中で記していますが、

徳島にキハ45が配属されたのはまさに1967年10月改正(ヨンニートォ)でした。名目は鳴門線・鍜治屋原線客車列車置き換え用。

とはいえ今と同じようにこれは名目だけで両線に運用されることはなかったようですね。この改正での置き換えが前もってわかっていれば鍜治屋原線のC12牽引列車や鳴門線のC11牽引の客車列車も撮っただろうにと悔やまれます。特に鍜治屋原線列車は徳島-板野間を高徳線列車に併結という珍しい運用であっただけに残念です。

もっともハーフで撮ったネガはカラー以外残ってないんですが・・・

S196710xx10

私がキハ45を初めてしったのは鉄道ファン誌’66年12月号の「新車インタビュー」の記事でした。手元に残っている鉄道ファンでも3番目の古さで同号の新車ガイドはもうDE10が出ています。そうかと思えば投稿欄「さろんかー」には木次線にキハ52が投入されて急坂に喘ぐキハ07を置き換えた、なんて記事が出ている時代です。

キハ45はキハ20・25の改良型として足回りはほぼそのまま(同型機関を横置き架装)に両開き扉を採用して地方の通勤輸送に対応させたものですが、好きではありませんでした。

理由のその①は一枚目の写真の通り、バランスの悪い顔つき。

確か153系電車の後期型に始まった高運転台・貫通路付きの正面デザインを気動車で初めて採用したんですが電車と違って車体幅が従来通りで一般型としては初めて2灯になった前照灯の位置が良くないせいかとぼけた顔に見えます。加えて一般型気動車として初めて採用されたスカートと従来通りの塗り分けもデザイン的にはマイナスのように思います。

そういえばキハ47系は登場時から首都圏色(タラコ)だったので塗り分け塗装最後の新製車ということになります。

理由その②は座席の狭さです。キハ20・25より45センチも広い両開き扉を採用しながら座席定員は逆に増えています。車体長が連結面間で21.3mと当時の新製車と同じになったことや車内中央にあった排気管がなくなったこともありますが、シートピッチはキハ20・25より70ミリ狭い1400ミリとなっています。

この数字は悪名高い60系鋼改客車の1335ミリよりは広いんですが(現代人があれに4人座ったら拷問です)、高崎線でずいぶん窮屈な思いをした115系初期車でも1420ミリだったようです。キハ45はさらに115系に比べ車体幅も狭かったので「座席を提供することがサービス」ということを優先させたんだろうと思います。

そういう訳でキハ20・25の1470ミリというピッチは当時の急行用車両と同じだったので立派です。そのせいかキハ20系は急行増結用によく使われていましたがキハ45が使われたのは見たことがありません。

機関の横置き・高運転台・スカート・両開き扉・ユニットサッシの窓・2個ずつとなった前照灯とタイフォン等、一般型気動車としては「初めて」がいっぱいるんですが両数が少ないこともあって(徳島は6両)影の薄い存在でした。

※平成23年10月23日に改訂版記事を載せました。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・「ひたちなか」のキハ20

2009-10-04 22:49:00 | 関東近郊、JR特定線区外と私鉄

うちの近所でも稲刈りが始まりました。8月下旬に徳島に帰省したとき一部で稲刈りしてましたから一ヶ月半の開きがあります。日本は広いです。

で、前回の続きでひたちなか海浜鉄道の中根駅。ここは9月中旬で稲刈り中。

お立ち台の木立沿いの道からはどちらを向いても良い風景です。

Simg_0098

↑勝田方。

Simg_0120

↑那珂湊方。

ここの良いところは順光の状態で背景がすばらしい。コメントに頂いたように日本の原風景ともいえる眺めです。

特に南東風が気に入ったのは建物(ビルとか)が写り込まない点です。最近はかなり田舎に行っても街中と同じような大手メーカーの画一的な造りの家が多くてガッカリします。都会に住む人間の勝手な願望なんですが・・・

徳島でもなかなか建物が全然写り込まない場所というのはなくなってしまいました。

Simg_0132

↑この日のベストショットと思っています。右手の三脚組の方々に遠慮してこれ以上は寄れませんでした。

ところでこの写真はオートで撮っているんですが背景が暈けています。前から気になっていたんですが、南東風世代だとこういう晴天の風景では1/125~1/250でF11~16でパンフォーカスすると思います。データを見ると(こういうところはデジカメ便利です)何と1/1250でF4。これは手ぶれ防止への心遣いか自動焦点の精度に自信があるのか・・・いやはや踏切の所に置きピンしてて良かったです。昔はこの天気だと50㎜以下のレンズなら無限大にしたままでいちいちピント合わせず撮ってました。

この後から絞り優先の設定で撮るようにしようと思いマシタが絞りの最大値はF8までしかありませんでした。コンデジならこんなモンなんでしょうか。これからNの客車模型の接写する時なんかはもっと絞りたいんですがね。

Simg_0150

だいぶ背後の木立の影が長くなってきたので何回目にかやって来たキハ20で帰途に就きます。

Simg_0153

この列車から降りた方々の盛大な見送りを受けます。

Simg_0155

車内の冷房装置。この車両が夏に活躍出来るのは他のキハ22が非冷房だから。これは水島臨海で付けたんでしょうか。装置そのものは小湊鉄道のと同じ感じです。そういえば小湊鉄道の車両は国鉄キハ20のコピーだそうです。

Simg_0084

扇風機にはJNRの文字が。他のはテープで覆われていましたがここだけ付いていませんでした。

Simg_0160

ワンマン化されているのでトイレと運転席後ろの座席は撤去されていますが、ドアが中央に寄っているためあまりワンマン向きとはいえません。

内壁の色も同時代の標準色。

この窓も懐かしいです。上段・下段ともすっかり上部に収納でき窓を全開する事ができるタイプです。キハ35系や電車では101・111~115系初期はこのタイプでした。次のキハ45系は12系客車や153系電車のような外ハメ式のユニット窓になり(上段下降・下段上昇)窓枠の半分までしか開かなくなりました。冷房は未だそれほど進んでいない時期に開口部分を狭くするとは事故防止と言うより工作の簡略化が最大の狙いだと思います。旧型客車では60系のようなローカル用でも鎧戸も内蔵していました。日差しを遮りながら通風させるためですが寝台車の網戸といい、冷房のない時代は思いやりのある丁寧な造りだったと思います。地元・高崎線の231系ではカーテンも省略されました。夏の夕方、日差しが水平に入ってくるとやはり眩しい。

Simg_0164

↑もうひとつの思いやり丁寧工作がドアステップの明かり取り窓。

キハ20系と17系にだけ付いている設備だと思います。たしか電車ではなかったはず。両系統がいち早く地方の客車用ホームしかない区間に進出し無煙化に貢献した証し。

更に、夜間用に小さいですが照明も付いています。こういうのを「上質なサービス」と言うんだと思うんですが。もっともステップなんか無いのがもっと良いわけで、最近はホームの嵩上げやバスではノンステップが普及してますがね。

Simg_0170

休日限定とはいえ、こういう車両が一般運用に就いているのが「ひたちなか海浜鉄道」の凄いところです。たぶん冬場は走らないでしょうが運用を確認してまた行きたい所です。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする