徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

小松島1970年←訂正1969年でした

2008-07-27 23:34:28 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

やっと1970年1969年のスタートです。スキャンはほぼ完了したんですが先週・今週と18切符で関東の未乗区間乗り潰しに専念してました。水郡線・八高線・身延線と難敵を片づけ今夏中に御殿場線と房総各線に残る未乗区間の完乗を目指します。今回は幸い各線とも車両が良かったので昔に比べ楽でしたが(水郡線のキハE130特に良かったデス)同世代の同士がずいぶん増えました。ブームなんですね。

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さて1970年1969年も小松島からスタート。上の写真は同年正月4日の撮影デス。去年とあまり変わっていませんが前年から池田行423レの牽引がC58に替わってイマス。写真で点灯中の機がそれです。

S19690104_501

給炭台の反対側のハチロク。今夜の牟岐行521レ牽引機ですがこうして蒸気や水が出ているといかにも生きてるという感じがシマス。521レは翌年3月の蒸機終焉までハチロクで残りますが写真の58685はその前に休車になりました。

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こちらは423レ担当のC58-344。高松をDF50に追われ前年には松山をDE10に追われ徳島線の運用をハチロクから奪ったのですが8ヶ月後にはまたDE10に替わられマス。

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客留に向かうところ。冬なので密閉キャブが本領発揮してすっかり閉じられてイマス。ところでC58は小松島では必ずこの方向を向いていました(徳島→小松島向き)徳島に向かって正向は見たことがありません。C11も必ずこの向きでハチロクだけが両方ありました。C11はタンク機なので転向の必要はないと思いますが小松島の転車台はC58を載せられなかったのでしょうか。

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夕方の回送出区の殿は穴吹行425レ担当のC11。この列車だけは小松島始発として客扱いしてました。給水直後なのでサイドタンクから水があふれ出してイマス。

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一方、転車台の奥には2両のC58が留置されています(ということは転車台に載った・・・)左の339号機は先の344号と同じ経緯で高知→松山と渡って来ています。こうしてこの頃小松島には四国各区から必要以上のC58が転入してきていました。

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整備中の295号機。この機も高松→松山と異動。

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こちらは2月2日の撮影デス。全身煤まみれで酷使されてきた凄みがあります。

過剰配置はC58だけではなくハチロクも

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この項冒頭に載せた徳島生え抜きの58685も5月の撮影では一休。

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8月24日の撮影では58623と68692の各機も転車台の奥で休んでいました。(2両とも昔、C58に松山を追われ小松島に異動してきたのです)。では牟岐線1往復は誰が担当したかというと、同日の担当は↓

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この78680は天・竜からの異動。何も付いてないパイプ煙突や形式の入ってないつまらないナンバープレートのほかにこの写真では分かりづらいのですがキャブ下に特徴がありました(他の項で紹介シマス)天王寺局からは以前にもC58の110や121が来てるんですがもう一両ずいぶん遠くから来た78647号がありますが小松島で’69に撮った写真がないのでこちらも別の項で紹介シマス。運用が1往復だけなので予備を入れても2両で充分、上記の各機は廃車かと思えばそうではなく夏以降も動いてイマス。ということはこの2両は全検周期を延ばすためのワンポイントリリーフとして全国から余剰車を探してきたのではないでしょうか・・・

長くなったので続きは「小松島19701969年その2」とシマス。

コメント (2)
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