徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

22夏、サンライズで徳島帰省 前編

2010-08-29 23:15:56 | 乗り鉄と帰省の道中

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例年、定例会議を済ませると帰省出来るのは20日過ぎになり8月第三土日に開催される横田基地公開は諦めていました。

今年は徳島での滞在が1日短くなりますが横田に寄ってから帰省する事にしました。そのかわり夜行のサンライズを使って時間の有効利用を図ることにしました。

で、サンライズは一番安い「のびのび座席」が取れる前提で、①せっかく朝早く着くので岡山から未乗の吉備線に乗る、②この前RJ誌で紹介されて懐かしくなった糸崎に寄る、③春の帰省時乗り損ねた宇高国道フェリーに乗る、というプランを立てました。結局徳島に着くのは夕方になりますが。

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サンライズが入線。夏休みなので一ヶ月前に即予約したら以外に若い番号が取れました(乗ってから車掌さんに聞くと売り切れてるとの事で、やはり早めの行動が吉)

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今や東京から西に向かう唯一の定期夜行列車です。ネットで体験記等を探して結構ふるいのしか見あたりませんでした。上野発の夜行に比べると注目度が低いのか。電車だからかもしれませんが去年帰省に利用した「きたぐに」も電車ですがあっちの方が人気ありそう。

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小生などは夜行列車=青という固定観念みたいなのがあるんですが、それからすると夜行列車らしからぬ塗色。それでもこうしてみると夜行のムード満点。

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夏休みらしい客層です。ちなみに古い乗車記にホーム売店が営業してないので外で購入する必要があるとあり心配してたんですがJR系コンビニの「NEWDAYS」が22:10まで営業しています(平成22年8月現在)ここで缶ビールとつまみ、明朝用に缶コーヒーを購入して乗り込みます。

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当夜のネグラとなった場所です。座席という名称ですがカーペット車、船の二等のようです。ただ寝るだけなら十分な広さですが荷物が多いと置き場に困ります。これは下段の様子です。

住宅メーカーが関わってるだけあって軽合金とメラミン板で構成された以前の寝台車とは大違い、良い造りです。

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訳があって左隣は空いたままでした。右は深夜に乗り込んで来て早朝兵庫県下で下車、座席ですからこうゆう利用も有りです。

寝心地ですが小生は熟睡出来ませんでした。昼間炎天下横田基地行って来たし缶ビールでも飲めば直ぐに寝れるだろ、と思っていたんですが。下段なので音はしょうがないとして本気で走ってるのでそこそこ揺れます。高速貨物と平行ダイヤなんでしょうね。

もうひとつ心配していた喫煙ですが、のびのび座席の隣の車両が喫煙可能な車両でデッキに大型の灰皿が備えてあります。何度か通いましたが貫通ドアがまた良く出来ていて。手前の貫通扉に手を触れると渡り板を超えた向こうの車両の貫通扉も同時に開きます。こうして各車両に貫通扉を完備して騒音防止に努めているようです。

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翌朝岡山で下車。分割作業には人だかりが出来ていました。そういえば夕べも車内探検をする人が多く落ち着かなかったんですが夏休みだけの現象でしょうか。

夜中はビュンビュン飛ばしていたのに朝目覚めるととっくに降りてるはずの隣の人が未だ居て変だなと思ったら先行列車のせいで30分以上遅れてるとのこと。結局岡山着は1時間近い延着。迷いましたが吉備線廻りで乗車券を買ってあったし糸崎で2時間取ってあったのでこれを圧縮する事にして予定の行程を。

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岡山地区独特の塗装。これは津山線列車。

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こちらがこれから乗車する吉備線総社行きです。

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JR西日本は旧国鉄車を徹底改造して長く使う方針の様ですが、この車両もロングシート化ほか機関も換装されてるそうです。窓は下段固定、上段上昇に改造されていました。

意外に半数ぐらいの人が終点まで乗り通していました。岡山-総社なら倉敷廻りより早いんでしょう。

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総社で初対面。意外に良い、芥子色。色より左側の中間車からの先頭化改造された車両の方が凄い。時間が飛びますが糸崎ではこういうのも見ました↓

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JR化前に短編成化のためにあちこちでこういう改造車出ました。Mc+M’c編成が多いんですが多客時対応で4両化すると全電動車編成になりますが、別にT+Tc編成を用意しておいて多客時だけ増結した方が経済的なような気がします。補器類の関係でそう簡単にはいかないのか。

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総社から伯備線電車で倉敷へ、山陽線下りに乗り換えて糸崎に向かいます。在来線で岡山より西に向かうのは30年ぶりくらいでしょうか。

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糸崎に到着。右端に広島色が居ます、ここはもう広島県ですね。奥の工場の煙突が昔のままです。糸崎については長くなるので別記事にそのうちまとめます。

予定では糸崎で糸崎-岡山の乗車券と福山-岡山の新幹線と乗継割引でうずしおの特急券を買うつもりでいたんですが、みどりの窓口はあるものの時間限定の営業でした。自販機で乗車券だけ買って福山まで戻ります。

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福山駅新幹線ホームから撮影。

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福山から二駅だけ新幹線に乗るのはうずしおの特急料金を半額にする意味よりも未乗のレールスターに乗るためです。

しかし、今になって考えてみると乗継にするんならサンライズの特急料金3,860円の方を半額に出来たんじゃないのか・・・と後悔してます。サンライズも乗継割引の対象になるのかな。

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九州新幹線と乗り入れするようになると「さくら」と平行ダイヤが組めないそうでこだまに格下げされるそうです。自由席だったので残念ながら自慢の2-2シートではありませんでしたが喫煙車を選んだので空いていました。

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待っている間に上下のぞみが一本ずつ通過しましたがその早いこと早いこと。流し撮りに挑戦してみたいとう野心が出て来ました。

続く・・・

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22夏帰省、徳島点描

2010-08-28 18:42:06 | 徳島で

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今週徳島に帰省しておりました。

道中は別記事にしますが、先に市内の写真を少々。

埼玉・東京はもちろん道中も徳島も、とにかく日本中暑い!

そのせいかどうか徳島の空に自慢の青さがありません。

「眉山の上に入道雲」を狙っていたんですが雲がボンヤリ。

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着いた日の夕方5時過ぎの徳島駅前。暑かったです。

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西日を浴びる元・南海ビル。存在感はそごうに劣りません。

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ご存じ文化センター。こうやって裏の煙突を一緒に写すと窓の無い外観と相まって何かの工場のようにも見えます。

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こちらも市内の方にはお馴染みの立体交差。正式名称は何と言うんでしょうか。他にもオーバークロスを含め何カ所か立体的に交差している所はありますが徳島で立体交差と言えばここを指します。

脇の文化センター共々今だ現役、もう50年近くなります。

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徳島本町の交差点です。右手の凝った建物は城東高校ですが手前のガソリンスタンドは春に帰省した時既に取り壊しが始まっていました。老舗だったと思うんですが。

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昔、両国のロータリーがあった場所。奥は郵便局、手前の東横インが建ってる場所は以前日興證券があった場所です。徳島にも大手チェーンのホテルが過剰に出来てそのせいかどうか富田橋の野上屋が解体されたいう情報を頂いたのですが今回写真は撮れませんでした。

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解体されたと言えばこちら。手前は両国通り、奥に市役所が見えます。右側の角にはカバン屋さんや徳島画廊が入ったビルがありましたが今年解体されたそうです。

黒崎楽器、井関の本屋、いかりや珈琲は元気そうでした。

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文化食堂。去年、確か隣の橋本が閉店した写真を載せたのですが今年はこちらも閉店しまいました。この日、直ぐ近くのラーメン一福もシャッターが降りていたんでまさかと思ったんですが定休日でした。

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平日の昼過ぎの様子。徳島だけの現象では無いようですが買い物は郊外の時代なのでしょうか。

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吉野川橋。爽やかな感じがしますがむちゃくちゃ暑かった。

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43年前の8月、徳島駅

2010-08-15 22:08:37 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

徳島では阿波踊りが最高潮に達している頃だと思います。

毎年この時期は残り少なくなった昔の写真をチビチビ紹介しています。

今年は去年の、この記事の写真と同じ日に撮った写真から。

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去年の写真と同じく市役所前の跨線橋からですが、反対の駅方向を撮っています。

ワシントン椰子が無いので今と雰囲気が違います。今は線路左側は植え込みがあって小さな公園のようになっています。

この年は徳新本社(当時)前にも桟敷があったようです。

変わってないのは夾竹桃の花と城山。引き上げ線で入れ換え中の気動車はキハ20、キハ11,キハ35と当時徳島気動車区所属の殆どの形式が連なっています。

もう一枚、

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たぶん、小生が初めて撮ったカラー写真です。カメラは上と同じくオリンパス・ペンD,フィルムはフジカラーN100です。

場所は徳島駅構内、佐古方の跨線橋からです。写真では見えないと思いますが写っているC58も前が9号機、後ろが12号機と機番まで憶えています。

給炭台の反対側にはハチロクがいるようです。その向こうは西の丸運動場、そして画面左上隅には当時ここにあった徳島刑務所がチラッと写っています。

ハーフのネガを35㎜用のネガフォルダに入れてスキャンするとコマ間を上手く認識してくれなくて変なサイズになり少々トリミングしてあります。

今とは比べものにはなりませんが、黒が上手く表現出来なかった当時のフィルとしては良い色が出てると思います。

集煙装置に重油併燃装置も付けた2両が窓枠もドアも外して暑そうです。RM付録の沖田祐作氏作成「機関車表」によると

両機とも’38年製。9号機は汽車大阪で落成後、長崎機関区配置、戦中の記録は無くて終戦の年の8月には既に高知機関区配置が記録されています。その後’55年8月は高松(たぶん’51年に高知にD51が配属されたので異動したのでは)、そして’63年に小松島初のC58の一両として12号機と一緒に来徳したものと思われます(たぶん高松・高知にDF50が揃って来たため)。9号機は四国に在籍したC58では最若番のはずです。

12号機は川重・兵庫製。戦前は9号機と同じく門鉄(機関区不明)、以降は9号機と同じ経歴です。

但し、9号機は小生が撮ったのはこの写真くらい。本格的に撮るようになった翌年にはもう居なかったと思います。

一方12号機の方は小松島のC58最後の年となった’69年8月にも健在でした。その後に高松や松山から移動してきて先に廃車になった機が多数あったので、よほど出来の良い機関車だったのでしょう。

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上の写真は以前紹介済みと思いますが’69年4月1日佐古で撮ったものです。12号機は確かどこかで保存されて居ますね。

こうやって徳島のことを書いてると来週からの帰省がますます待ち遠しくなってきました。

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百里基地祭初訪

2010-08-08 22:39:48 | 基地祭

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例年、地獄の渋滞だというので躊躇してましたが今年は茨城空港が出来て少しは道路も整備されて緩和されるんじゃないかと思い、ついでに18倍ズームのカメラも買った事だし意を決して出掛けてみました。

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埼玉の自宅を始発で出て石岡駅に着いたのが8時半頃。バス乗り場には20~30人の列が出来ていましたがバスは5~6台待機しており殆どの方は座って行くために一台見送ります。案内係の方は45分くらいかなと言ってましたが結果はほぼ1時間で到着。

途中、霞ヶ浦や旧・鹿島鉄道の小川高校下駅らしき物も見えたのでかなり大廻りしてるようです。

ところで乗ったバスは関鉄・水海道営業所所属の床が木張りの車両。域内最大イベントなんで総動員なんでしょうな。(ちなみに帰りのバスは竜ヶ崎の低床車でした)

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着いて間もない基地の様子。この日は暑かったんですが薄曇りでした。

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その強きこと闘犬のごとく・・・

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その闘犬。入間で展示されてるのは見たことがありますがやはりこれから飛ぼうとしてる機体はなんか迫力あります。尾翼の梅マークは茨城所在部隊の証しか。

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とはいえ熱中症になりそうな暑さでキャノピーに日除けを着けた機体もありました。

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こちらはF4。こういうのを列線を敷く、と言うんでしょうな。

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もうひとつのF4部隊は国内唯一の偵察部隊。

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なんで偵察部隊が啄木鳥なのか。敵にきつつきかれないうちに偵察する・・・

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ベトナム戦争たけなわの頃、こういう写真をよく見ました。

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今回の記念塗装機だそうです。新撰組みたいな塗り方はベトナム戦時の米艦載機に見たことあるような気がします。

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当日の海自機はP3Cのみ。奥は米空軍の空中給油機。

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大きさのせいか塗色のせいか存在感あります。一見列が少なく見えたので中に入ろうかと思ったら最後尾は機体の反対側を尾部の方まで続いていました。

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その尾部。控えめにいろいろ描かれています。

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同じくZZの米空軍F15。沖縄・嘉手納から一緒に来たのでしょう。

ここまで地上展示機ばかりですが、F15やF4の機動飛行はまともな写真は一枚も撮れませんでした。早い、追うので精一杯です。もっと練習しないとです。

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まともに撮れたのは救難へりだけ。ほぼ静止状態ですが・・・

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周りが暗くなってるのは何故でしょうか。

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同じ空自の救難ヘリで小生が好きな塗色の方。救難ヘリは海自機も含め空自で一括運用する事が決まったそうですが色はどうなるんでしょうか。

機動飛行を撮る時にひとつ勉強になったのは、どこから来るのか分からないときは長いレンズを持った方々が構えてる方向を注意してれば良い、ということです。だいたい当たりました、さすがです。

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遮る物のない飛行場はとにかく暑い。

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格納庫の中はいくらか涼しい。

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やっぱりファントムは格好いいですな。

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戦闘機なのに大戦中のB17を凌ぐ爆弾搭載量だと言われていましたね。

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こちらも空自らしい展示物。初めて見ました。

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81式短SAM。

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空自は防空任務全般を担当するわけですね。

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入間でもツアーバスはよく見かけますがここは半端じゃない数が来ています。写真はごく一部です。

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このバスは昼過ぎに着いていました。最初からブルーインパルス狙いなのか、渋滞に遭って遅れたのか。

ブルーインパルスが始まると同時くらいに帰りのバスの運行が始まります。渋滞を避けるためか早々に帰る方もかなりいて迷いました。案内の方もバスが渋滞が始まるとバスが回転しなくなって間隔が開くので早めの利用を呼びかけていました。

結局当日は曇り空だったこともありブルーインパルスは早々に諦め14時前にはバスに乗りました。今回も一本見送って着席。約2時間かかって石岡駅に着いたのでした。

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高崎のデーデー

2010-08-01 22:20:49 | 鉄道施設

正確には先月になりますが、高崎で車両展示があるというので猛暑日の炎天下に出掛けてきました。

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ほんまに暑かった、射すような日差しとはこういうのでしょう。

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大方の方のお目当てはこちらでした。ヘッドマークといい大盤振る舞い。535号機の方は保存の署名活動が盛んに行われていますね。

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小生の目当てはこちらです。この前、新前橋の公開日に行き損ねたデーデー。遠目に走っているところや駅に留置されているのは見たことがありますが至近でちゃんと撮れるのは初めて。

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ところが他の各機と横一線の展示でほぼ正面しか撮れない。

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どっちから撮っても同じ。だいいち、こうやって最前列に出るのも一苦労、順番待ちです。

デーデーはもう少し横から撮った方がその大きさが出て良いと思うんですが。これじゃDE10と変わらない・・・

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そのかわり休憩所になっていた高崎の旧客を堪能しました。

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実はテールライトフェチです。それも少し後の外ハメ式ではなく、こういう埋め込み式が大好きです。

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国鉄書体も良いですね。現役車両で「荷物」表記があるのは他にマニ50くらいか。換算表記見てるとインレタか、と思ってしまいました。

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オハニ36の室内。旧客荷物室の内部が見られるのもこの車両ぐらいではないでしょうか。製造当初のオハニ63が示すように鋼体化シリーズの一員ですが最初から急客仕様で造られ座席はスハ43と同等、台車は当初こそ他の鋼体化客車と同様に種車のTR11でしたが後に軽量客車と同じTR50に履き替えました。

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同じくオハニ36の車掌室。荷扱車掌(ニレチ)も乗務するからでしょうか、広くとってあります。鉄ピク・アーカイブスセレクションによるとオハニ63の時代から土讃線準急「南風」に使用されていたそうです。当初はC58(土讃線運用なのでもちろん重油併燃と集煙装置付き)でDF50登場後は早速これに交替。 この後方監視窓から流れゆく大歩危・小歩危の絶景を見てみたかった。そういえば新緑と紅葉の時期に運転されるトロッコ列車乗ってみたいですねぇ。

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目を転じると上信電鉄の保存(放置)車両が見えます。これは元・西武でしょうか、電車にガラベンが不似合い。他にも元・国鉄テムと思しき貨車なんかもありましたがもっと酷い状態だったので割愛します。

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