徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

撮り鉄自粛中につき、その2

2021-01-31 21:00:00 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


群雀。


桜のつぼみもだいぶふくらんでますが寒い。一月が終わりますが、寒さは本番。嫌やなぁ・・・


巣ごもりで断捨離がブームらしいです。整理していたら昔のマッチで、両国のこの店は二度ほど入った記憶があるんですが、


大道のこちらのお店は全く覚えがない。なんでこんなマッチ持っとったんだろ。


駅前の喫茶店は身内の者と行ったのを覚えてます。


本棚の肥やしになっていた趣味誌もだいぶ整理。高校時代に買った写真集も先日処分したんで記念に撮っておきました。

相変わらず撮り鉄封印中、昔徳島で1月に撮った写真の続き。今回のも、ほとんど再掲載です・・・


C11の牽く牟岐線貨物列車582レ。場所は園瀬川鉄橋南岸で、線路脇のモンキー・ホンダは後に市内で耳鼻咽喉科を開業した高校時代の友人のモノ。


後追いで二軒屋方向。今はこの辺に文化の森駅があるはずですが、1970(昭和45)1月では一面田んぼと畑。


小松島で1969(昭和44)年1月。蒸機は給水ポンプから発電機に至るませでほとんど全ての補助動力をボイラーの蒸気で賄ってるんで全身に蒸気配管が巡らされており、そこから漏れる蒸気が特に冬場は何とも言えんエエ雰囲気を出してました。


こっちはC58。この頃、土讃線はDF50,予讃線には既にDE10が入っていて各地からC58が小松島に来たんですが、徳島各線にもこの年の夏には高松のDE10がやって来ました。


同じ日の機関庫全景。給炭台脇で前照灯点けてるC58は池田行き423レの担当。


準備が終わって出て来ます。344号機は当初高松に居たようで、土讃線仕様の重装備が格好いいです。


右手、踏切の向こうの客車留置線に向かう手前で一旦停止、操車掛が待機中です。


回送列車の到着。この列車は、ずっと当日朝に小松島を出て池田に向かい折り返して昼頃徳島に上る列車の回送だと思っていたんですが、「銀河鉄道」様のブログで同列車はC58の正向運転とわかり、今では前夜に穴吹へ下った列車の回送かと思っています。


今度はハチロクの出区。この日の牟岐行き521レを担当です。


521レとなる回送列車の発車。


徳島で機回しして先頭に立つんで回送列車は逆行運転。


機関庫の先にある転車台奥には休車中のC58が留置中。この日は徳島では稀な小雪の舞う日でした。


昔はこんな所まで許可も取らずズケズケ入り込んでました。左の機はタブレット受けが邪魔で読みづらいですが339号機ではないかと思います。


今度はC11の出区。


これは穴吹行き425レの担当、穴吹で一泊して翌朝424レとして戻って来ます。石炭満載、水も前部タンクから溢れています。


さっき回送を牽いていたのは137号機だったんで、別の日なのか、あるいは元々別運用なのかは不明。小生が徳島時代に撮った蒸機で250W前照灯を付けていたのは、このC11-31号機とC58-333号機だけでした。
C11は(実車は見たことありませんが)C54をタンク機にしたような形態で好きな蒸機の一機です。動輪周出力は610馬力だそうですからハチロクと大差ありません。


この年(1969年)は未だC11も三両居て、徳島線客車列車や牟岐線・鳴門線の貨物列車を牽いていました。


ここは勝浦川鉄橋、1970(昭和45)の一月四日。中田駅を出た521列車の回送がこれから渡ろうというところです。


どの写真もそうですが、フィルム現像が高温にしすぎて感光剤が溶けゴミが付着しています。ダークバッグの埃がはらわれてなかったということもあるんでしょうが、悔やまれます。


ここからは1月25日の写真になります。小松島で廃車待ちの78647。隣には既にデーテンが居ます。


見えにくいですが、前回全検は長野工。たぶん、小松島の68692が全検切れとなり徳島の蒸機全廃までのリリーフで来たんだろうと思います。


この一連の写真はコントラストが強いんで富士の複写用フィルム(ミニコピーだったか?)を使っていたかもしれません。たしかASA32でした。


夕方の斜光線に照らされると黒く潰れがちな蒸機の下回りも割とキレイに写ります。


こちらは当日の521レ担当。煙のカンジがスローシャッターを思わせるので、やはり複写用フィルムでしょう。


この日の小松島線貨物で78647は多度津送り。この小松島線貨物は不定期列車だったんだろうと思います。小松島には随分通いましたが、毎回撮れた列車ではなかったはずです。以前はC11でしたが、デーテンに替わっています。


同じ日、倉の中に居たC58の88号機。休車札は入っていませんが、この時期既にC58の運用はすべてデーテンに置き換わっていたと思います。


転車台の先、機関区の一番奥に295号機。徳島に居たC58の中では12号機と並んで好きな一台でした。保存に備えてか化粧されています。


C58に限りませんが、タブレットキャッチャーの取付位置が各機まちまちで、その際に移動されたナンバープレートや製造銘板取付位置も統一されていません。


また勝浦川鉄橋の写真です。今回は鉄橋を渡りきった辺り。土手の道路はこの当時未だ未舗装ですよ。


地蔵橋駅に向かって土手を下って行きます。列車は毎度の521レ回送。右端の建物は確か縫製工場だったと思います。


順番は前後してる様ですが、ここは園瀬川鉄橋の北岸。キハ30+25+20?


同じ場所から二軒屋方を向いて急行むろと。車体裾のカンジから、3両目はキハ26かなぁ。通過駅でのタブレット授受のため運転士さん2人乗務です。
相変わらず撮り鉄は我慢、次回もこんな体裁になりそうです。

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撮り鉄自粛中につき

2021-01-24 23:55:31 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


ほぼ一年前、去年の1月25日に国府津で撮った54レです。


小生は昨年夏頃より荒川を超えず、専ら高崎沿線での撮影に自粛してますが、最近は鉄道ホビダスの新規投稿がまた休止され、貨物ちゃんねる様での投稿もほとんど無くなりました。


これは辻堂。しばらく見ないうちに102号機は運用離脱、廃車待ちみたいです。撮り鉄出来ないうちに66の百番台はほとんど運用無くなるようなカンジです。


鉄道ホビダスの「今日の一枚」と言うコーナーでは、最近投稿者の都道府県名が記載されなくなっていました。去年はいわゆる「遠征」をして撮ってるなと言うのをよく見かけたんですが、やはり都市部からの移動を助長するんを止めたのでは?


と言うわけで昔の写真を。ほとんど再掲載です・・・↑は1968(昭和43)年1月か2月、文化センター裏の自転車置き場から撮りました。小生お気に入りの一枚です。ブレブレのボケボケやないか!と言われそうですが、この頃から「動きがあってエエわ!」と自己満足し、以来ピンボケ写真への抵抗感が薄れました。


一連の写真の様に見えますが、ここからは1970(昭和45)年1月の写真。背景は当時の徳新本社。キャブの後端からテンダにかけてキャンバスのシートが掛かっています。この牟岐行き521レの回送は小松島から逆行で牽いて来るんですが、ハチロクみたいに開放型のキャブは逆行時に寒風の吹き込みがひどいのでその対策みたいです。


別の日です。この年の春に徳島蒸機全廃と決まったので、冒頭の1968年の様な写真をもっぺん撮ろうと何度も挑戦しました。521レは17:21発、この時間はハチロクが入換中です。


旧・徳新本社を背景に流すのも気に入って何回も撮ってますが一度も決まらず・・・この日は58623号機、日車一号機として保存されてるハズです。


また別の日。だいぶ日が延びてるようで月末か?


小生が撮り始めた頃から居たハチロク三両のウチ、68692は既にこの時期二休車になっていて、58685もこの頃が最後の運用で58623が一番遅くまで運用されてましたが、それでも最終運用は前の年にヨソから来たヤツでした。


大正生まれと言うことは、撮影時点でも50年超かもしれません。牟岐線はC58が重量制限で入線できず、C11より長距離走行できると言うのが生き残れた理由だと思います。


C58の写真をちょっと挟みます。これは回送列車で、朝イチで池田に下った421レの折り返し428レの戻しだろうと思います。右端は文化センター、左端は市役所旧庁舎。


これは佐古駅を発車する朝の徳島行き列車。C58が牽いてるんで池田発の422レか高松発の321レでしょう。一見、コンテナ列車に見えますが、コキは手前に留置中。背景は徳島市のシンボル、眉山です。


また文化センター裏に戻ります。煙は盛大で、入換中の機関車の灯火で良い感じになってます。


ちょっと風の具合が冒頭の写真みたいにはなりませんでした。


後追い、機関車次位の客車は小窓が並んでるんで、特ロから二階級格下げで通勤車に改造されたオハ41-455か356~358のいずれかです。背景に市役所隣にあった東消防署の火の見櫓が写っています。


この日は入換機がデーテンに替わっていました。


入換していたのはキハ20。この五枚の写真は元旦と特定出来てます。


こちらは1月24日と記録してました。ここは寺島川を埋め立てた所で、今はまもなく移転する東署がある辺りです。


牽引機は78680、キャブ下が直角にカットされてるんで一目で判別出来ます。


後追い。今と違って遮るモノが無く、ここでもっと撮っとったらなぁと悔やまれます。


中央の四角い建物は元の水上警察署。


同じ24日の夜、徳島駅の佐古方。背後にこの当時は刑務所がありました。


三脚立ててるんでブレてはいませんが、完全にピンボケ。


この頃はC11も一両だけになったんで、鳴門線と牟岐線の貨物をどちらも日中に別々の機が運用していたのを、鳴門線を夜間に移して一運用にしていました。


短いとは言え緩急車付き。鳴門に着いたら入換を担当されるんでしょう。


これは1月25日の朝に撮ったヤツ。バック運転のハチロクは、朝に牟岐から上ってきた522レが蔵本まで行って折り返して来た426レが徳島に着いたところです。隣の湘南顔はキハユニ15ですね。今はJR貨物運営の駐車場ビルになってる辺りから撮っていて、クレーンの一部が写ってます。

今週も撮り鉄に行ってないんで次回も昔の写真にしますわ。




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前回の続き

2021-01-17 21:45:42 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面


案の定、緊急事態宣言は各地に拡大中。先日は徳島でも過去最高を更新してました。こんな状況では近場の高崎沿線といえども撮り鉄行んも気が引ける・・・
加えて大寒波来襲、徳島県南でも雪が降ったって言うし、埼玉じゃ日中でも最高気温が5度とかの日があって、とても線路際で待ってられない。

と言うわけで、前回分を薄めて使ってます。上の写真は大宮駅ホームの紅生姜天蕎麦です。


昨年末は新都心駅高崎・宇都宮線ホーム赤羽方からでしたが、今回は大宮方からです。左側二棟が合同庁舎、てっぺんが写ってないのは明治安田生命、右端の薄茶色の建物はJR東系ホテルの入るビルです。


こちらは大宮方を見たところ。ここでも遵法、黄色い点字ブロックの内側から撮ってますよ。


今回最初は岡山の18号機が牽く4091レ。


一番エエとこは架線柱の間を抜くのに失敗して没・・・もう反射神経がイカレてますね。大宮駅への進入でうねるところが気に入りました。


遠方に金太郎牽引列車。右の架線柱に13両クリアとありますが、この辺にき電区間の境界があるようです。昔、小生の乗っていた電車がここらで非常停止装置による緊急停止の際、編成が境界を跨いで停まったので、起動時に編成の前後で別々のき電区間から受電したため停電し非常灯だけの車内に長いこと閉じ込められた経験があります。


後ろから湘新南行が来てるのは分かってたんですが、


金太郎22号牽引列車は大宮操停車の様でゆっくり進入、後から来た宇都宮線下りも通り過ぎて目の前で撮れるなと思ってました。


ところが何と後ろから8586レと思われる列車が来てます。だいたい、この金太郎列車は想定外で貨物ちゃんねる様でも当日の22号機は不明です。


まあ、これはこれで大宮操らしい光景。とは言え、今は新鶴見でも金太郎は当たり前に居るみたいやし、ひょっとしたら下関辺りでも見られるんかもしれませんね。


時刻表では、8586レは10分ほど停まることになっとんですが通過してます。


おかげで金太郎牽引の不明列車を撮ることが出来ました。


金太郎も側面が殺風景になりましたねぇ、ブースターでも繋いでるみたいです。


編成中に気になるコンテナが。Zは事業用の記号だと思います。矢印が指してるのは稲沢と苗穂でしょうね。「北海道・東海支社間専用 エンジン輸送専用」とあります。


こっちは一番。検索してみるとDF200のエンジンを輸送してるんじゃないかと出ていました。関西線のDF200の機関は北海道で修理してるのか?


もう一つ目立つ荷票。警告、??衝撃を記録中と読めます。この列車が北海道行きだろうと言うのはわかりました。


さっき良いなと思った大宮駅進入です。


この列車の様に割と整ったコンテナ列車では見応えあります。


もうちょっと視点が下げられれば先頭の機関車も写し込めそうな気がします。


貴重な66牽引4093レ。この次辺りがベストポジションかと思いますが、またしても電柱を躱せず・・・


大宮操は通過です。


載りが良いので、この列車もうねりを期待。


列車の上に架かる跨線橋から俯瞰できれば良いのが撮れそうですが、あのフェンスは結構高そうやなぁ。


一見複線に見える右側の線をどの列車も通ってます。左側の線路はどこに繋がってるのか気になります。


安中貨物まで待とうかなぁと迷ってました。


しかし、寒さに耐えられそうもなく、今のご時世風邪を引くわけにはイカンので、次の高崎線列車で引き上げようと決断。で、8883レと併走してきた列車で帰宅しました。

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籠原の熊タ方偵察

2021-01-07 22:41:57 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面


徳島で大判焼と言えばここのヤツ。ところが以前お土産に持って帰ったら愚妻の評価はイマイチ。だいたい、これは今川焼だと言うんです。まあ、関東ではそう呼ぶらしいです。


で、去年の暮れに「大宮の百貨店で売ってるここの今川焼がいつも行列してる」と買ってきたんです。どっかで聞いたことある名前やなぁと思ってました。


確かに生地も餡子もこっちの方がおいしい気がします。調べてみると姫路が本社の会社で、なんと徳島駅にも店がありました。今度戻んたら寄ってみます。

感染状況はこんな甘いハナシしとる場合じゃないです。金比羅さんに初詣行くんも暫く辛抱かいな・・・


今年最初の記事が仰々しいタイトルですが、鉄道ホビダス様のサイトで三ヶ尻線の踏切が使用停止になったと言う記事を見て、小生も車内から見たのを思い出し、撮れる場所が増えたかと確認してみることにしたんです。
布団から出られず、籠原に着いたのは3090レが駅横踏切でかろうじて撮れる時間。この日はなぜかEH200の代走でした。


さて、駅から熊タ方面に向かうと最初に三ヶ尻線を渡る踏切。


警報装置にカバーが被せられ、遮断棒も撤去されてます。それでも車は皆さん一時停止してました。


高崎線の線路沿いに熊タに歩こうとすると上の踏切のところを大回りせんとイカンのです。廃線になったんなら、この辺で渡れる様にして欲しい。


この日はとにかく寒くてしもやけがまたひどくなりました。日差しがあったら全然ちがうんですけどね。


大回りをしてやっと三ヶ尻線が高崎線と別れる所まで来ました。架線も健在で廃線のカンジはしません。


ここがネットで紹介されていた踏切。手前の三ヶ尻線側は警報装置が封鎖されています。


こちら籠原方。三ヶ尻線の線路分だけ高崎線に寄れますが、フェンスも新設されて撮影には使えませんなぁ。


こちらの熊タ方も同様。


と、言うわけで2092レは少し籠原方に戻って撮りました。


このところ大雪や年末年始の運休でまともな編成見るんも久方ぶり。やっと本来の高崎線化成品列車2092レです。


10分ほどで福タ発4067レが熊タから出て来ますが、スカスカなのは今朝熊谷で確認済み。機関車寄りの空コキは熊タでだいぶ放した様でポツンと載ってた冷蔵コンテナはそのまま。


まるでコンテナに電車が載ってる様なカンジ。


薄日が射してきたところで8164レ。堂々たる編成。


熊タ手前ですから機関車次位に配給空コキは無く、最後部の倉賀野からのヤツだけ。


4074レを撮ってから与野に行こうと思っていたんですが、何と4074レ来ん・・・皆定時で来てたのに何で定期列車が来ないか不思議に思ったんですが、ともかく与野へ。着いて直ぐに来た配8592レも空コキ配給。


もとより配給列車ですから空コキで当然。年末年始で溜まって居た分が送られてるところか。


新型桃太郎に牽かれてやって来たのは8795レ。


前回シントで撮ったら94レにブロックされたのを学習して今回は与野。ただね、この列車は撮れたんですが写真左端に小さく金太郎の前照灯が見えるでしょうか?


遠くに見えていた金太郎牽引列車は3055レ。時刻表では3055レが先に着くことになってますが、今回も8795レが先に来て場内信号手前で今にも停まりそうなカンジ。


こうして今回も3055レは撮れず。


昔で言うところの特急貨物ですから大宮操駅通過です。


8795レの後部にはキレイに整備されたコキ。熊タか倉賀野へ行くんだろうと思いますが、荷票は隅田川なんで試運転?


続いて8681レ。編成も似てるし列車番号も混同しそうなカンジです。


柵が無かったらなあ・・・ちゃんと黄色い点字ブロックの内側から撮ってます。


進路は武蔵野線下り一番を指しています。


この駅もホームドア設置完了。山手線のと違って透明アクリル板が無く枠だけです。


94レのブロックを避けて与野に来たのに、この日94レはウヤ、シントでも上の二列車は撮れたみたいです。これはその後の1070レ。
まだ続きますが、撮り鉄に行かれんことも想定して残りは次回に延ばします。









コメント (2)
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ワンパターンな撮り鉄

2021-01-03 21:20:19 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面


あけましておめでとうございます

例年は都心の金比羅さんに初詣して その後線路沿いを歩くんですが 直近の恐ろしい感染状況みて近所の神社に歩いて行きましたわ
マスコミが街に出てる人に聞くと「政治家も会食してるし」とか「我慢しても収まらんし」とか 確かになぁと思いますが まあ こういう政治家や若者がいてはジジイが湘南撮り鉄に行ける日はまだ先の様な気がします

今月は小さな写真、1967(昭和42)年にハーフサイズのオリンパスペンDで撮ったモノで、場所は二軒屋駅、列車は穴吹行き425レです。この列車は小松島-徳島間が回送扱いだった時期もありました。


こちらがそのオリンパスペンD。中学の修学旅行の時に買うてもらいました。ズイコーレンズはF1.9とかなり明るいです。フードをひっくり返して収納した状態なんでレンズ廻りが異様に大きく見えます。右上の半円形突起は確かセルフタイマーやったと思います。


この露光計がD型の証し。ペンで主流のE型と違い、露光計の目盛りを読んで露出を決める本格派。左側のフィルムカウンターが70以上ありますが、ハーフサイズですから36枚撮りを入れると72枚撮れるんですわ。上手いこと装填すれば74枚は行けたと思います。まあ、ほんなことしても後でDPE代が嵩んで困るんですが・・・最初はフィルム現像だけ頼んでネガを虫眼鏡で見ながら吟味していました。フィルム巻上レバー等が黒く汚れてますが、マジックインキで黒く塗ってブラック仕様を真似ていた名残です。銀色でアルミ製の様に見えますが、緑青が浮いてる所があるんで真鍮だろうと思います。
落ち着いたらハーフのネガをスキャンしようと思いつつ未だですが、今年は実現させな。

新年最初の記事が去年と全く代わり映えのしないハナシで恐縮ですが、これも自粛のせいです。


今年最初がまた吹行ですが、実は前回掲載より前に撮った分です。寒くなって8877レも来るようになりました。


年末に入ったからか、この日は工事してませんでした。工事用車両のためか道幅を広げてるように見えます。


185が引退するとJR東の定期特急車両としては最年長になるんか。


寒さに耐えて待ったのに8760レは来ず、4067レは定時で来ました。欅の大木は伐採されて本瓦の立派な建物だけがらしさを残してます。


この列車らしいコンテナが勢揃い。


この日は熊タまで行かずに熊谷まで。外科病院裏で3090レです。線路脇に鉄条網のごとく張り巡らされたセンダングサが接近を拒んでます。


晴れなんですが、時々雲が広がる。日が陰ると一段と寒い、太陽の力は偉大です。


まさに外科病院裏と言う構図で6098レ。ここはセンダングサが除かれてました。どなたか撮影用に整備されたんか?もしそうなら感謝です。


この場所に居ると3090レから始まって4074レまで5本の上りがおおよそ半時間間隔でやって来ます。


二本目の2092レが何とこの日も熊タ特発・・・寂しい編成で来ました。


更に三本目の8794レは機関車次位に配給空コキが4両も繋がってて見た目が冴えん。


でも際どいところやったんです、撮れただけでも感謝せな。


後部のは倉賀野からで、機関車次位のは熊タからのはず。


殿が4074レ。三本もEH200をほぼ同じ構図で撮っとる、能が無いなぁと痛感してます。


この日は揃ってる方でした。一両目の希硝酸が二個とも載ってるのは最近見たこと無い。


上り列車5連チャンが終わって今度は下り。


最近雪で遅れや運休が続いて2071レが定時で来るんもエッとぶり。


約10分で続行の8795レ。


まさに外科病院裏。こっち側から撮るときは曇ってくれてありがたい。


ほな昼食しょうかぁと腰を下ろして食べてるところにJR東の65が上って行きました。13:03でしたからほぼ配8790レのスジやったのに油断してました。


食後は8795レから。


キャラクターの絵が付いてると300番台と錯誤しそう。


後部に配給のコキ。じゃあ前のタキは石油が入っとんかと気になりますが、貨物時刻表では種別が「その他」になってるんで全部空かも?


6083レは少し熊谷寄りに移動して、秩父鉄道とクロスする手前で。この辺は嫌いな白いガードレールでなんです。


8876レは更に熊谷寄りに進んで、「ほ通り」踏切を通過するところをこんなカンジで撮ろうと思ってました。


ところが本番では合焦してくれず・・・もっと早めに構えて待っとらなイカンかったか。最近時々こういう現象が発生するんですわ。
完全に曇って夕陽は射さないんで安中貨物は撮らずに引き上げました。











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