徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

小松島1969年その2

2008-08-10 23:29:36 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

前回の記事では年数を間違え失礼シマシタ。最近ずっと’70年のスキャンをしてたので混同してしまいました。

さて「その2」のトップは5月に撮った機関区全景。前回のその1と大差ありませんが3ヶ月後にはC58が全運用を失うのです。

S19690505_1709

次は客車と貨車を

S1969033066

スハ32です。幹線の各停には一般的だったようですが小松島には3両だけ。40両以上いた60系に比べ急行型標準の88席(オハ61は96席も詰め込みます)かつ背もたれもクッション付き(60系は板張り!)と優等普通車デシタ。外観も隣の戦後の鋼改車オハ61が既にベコベコなのに比べ戦前の丁寧な工作がうかがえます。

S19690202_930

次は「ロ・ワフ」。ヨンサントウで2軸貨車も2段リンク式走り装置で最高速度が75kmhに引き上げられましたが対象からもれた車両は写真の様に黄色い帯を巻かれ四国と北海道に閉じこめられました。四国には高速貨物がなく65kmhのままだったのでしょう。

S1969101201

その1で少し触れた竜華から来た78680デス。キャブ下が直角にカットされているのが分かると思います。一般的なハチロクはRが付いています(極初期型はS字カーブと呼ばれるさらに緩いカーブですが見たことはありません)

S1969082424

ハチロクの話題をもうひとつ。68692のキャブですが区名札差しの下に小さく「ボイラ48681」というプレートが貼ってあるのが見えるでしょうか?この48681は記録を調べると’68年7月に多度津区を最後に廃車となっています。載せ替えたいうことのようで、他の58685なんかはかなり古い8677という’61年10月廃車のボイラの銘が付いています。ちなみに製造は「大12日船」となっていますが日立造船笠戸工場の略号デス。

S1969082412

こちらはC58-333のキャブです。8月24日の撮影ですが7月には佐古で元気な姿を撮っているのに廃車回送の準備がされています。

S1969082411S1969082417

こうして同日の673レで小松島C58で唯一250W前照灯装備の333号機も廃車かと思っていたんですがなんと・・・

S1969101215

10月12日に小松島にいってみるといました。この頃既にC58は運用がなく火は入っていませんがランボードの白線は引き直され真鍮の磨き出し、さらにタイヤにも色が入っています。クランクも付いているので何かのイベントに使用されるのだろうと思っていましたが今考えると保存の準備だったようです。

S1969123119

ナンバーやメーカーズプレートも磨き出しされています。徳島で保存されたわけではないのに運用のない小松島になぜわざわざ還ってきたのか謎デス。

S1969101212

こちらは同じ日に撮った58623。ナンバープレートが少し傾いていますが、この時期他の58623や68692も同じように傾いて哀れな感じデシタ。この機は日車製造のハチロク1号機だそうで豊川工場に保存されてるとのことです。

S19690505_1715

S19690505_1716

今回おまけは5月に赤石で撮った牟岐線586レ。中田以南で撮った唯一の写真デス。赤石というと入り江の脇にある駅という印象でしたが、昨夏帰省したときここを通ってみると全く風景は変わっていました。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小松島1970年←訂正196... | トップ | 吉野川付近1968年←196... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
四コマの客車 (小松島の武)
2018-01-27 12:15:29
もの心ついた幼少の頃客車はWルーフのオハ31系が主流でオハ60が入り次にオハ61系になりオハ、オハフ、オハニ、オハユニと色々いましたが、投入始めの頃塗装はピカピカ、車内もピカピカでしたが座席の背もたれが板張りでガッカリしました。他にも少数派でスハ32、オハ35等もいましたが。混雑時の対策としてオハ31のワンボックをロングシートにして吊革まで付いてましたがオハ60、61も同様の改造車もあったような気がします、混雑対策の切り札としてオールロングのオハ41が配置され旧客の末期頃には名古屋等本州から余剰となったスハ43系、オハ46,47,36等で究極はなんと元特急用のスハフ43で運番201の5組で高松、池田、遠く松山まで5日で回ってました。最後は高徳線にオハ50系が四カマに入り、やがて徳島線にも入り四コチのが入り四コマはオエ61が二両になりました高知車は中国や九州の失業車、高知から土讃線池田徳島線小松島で帰りは港発も有りました。昔の事で記憶違いがあるかも、長文失礼しました。
返信する
小松島の武様 (南東風)
2018-01-28 17:56:00
次々とコメント、と言うか
珍しい貴重な逸話をありがとうございます。
C58、9号機の焚き口のハナシや
(そもそも他のが自動と言うのも知りませんでした)
キハ52が徳島でも運用されていた?こととか
(宇和島の方で貨車を牽いていたと言うのは聞いたことがありましたが)
徳島蒸機最終日の翌々日に試験車が運用された
と言うのも初めて知りました。
更に小松島-堺に日本初の民間航空路が
開設されたこともビックリです。
(こっちは空港のギャラリーに展示があるそうですが)
こういうハナシをお聞きすると
昔、神田瀬側脇に留置されていた
ガソリンカーの写真を早くスキャンせななあと思います。
また、面白いハナシがあったらヨロシクお願いします。
(但し、夜更かしはほどほどにして下さい)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

蒸機時代の徳島で撮ったん」カテゴリの最新記事