前回に続きまた間違えました、タイトルは1969年デス。
ここは高徳線吉野川と鮎喰川の間にある川です。吉野川鉄橋を渡り終えた下り貨物がその川に架かる鉄橋を渡っていますが右手には鮎喰川に架かる鉄橋がある場所デス。高徳線の貨物は佐古で貨車の大半を解結するので、ここで撮影後佐古にチャリをとばせば佐古の発車も撮れました。写真は重連ですが同日佐古で撮った写真を見ると補機位置が155号機、本務が88号機でいずれかが有火回送デス。
別の日ですが上の鉄橋に近寄った所デス。手前のヘロヘロの潜水橋はかっぱ橋と呼ばれていました。
この頃C58がこの列車で回送されて来るのに何度か出会いました。小松島の項で書きましたが四国各区をDLに追われたC58が続々と集まっていたのです。
こちらは鮎喰川鉄橋を渡る上り貨物。高徳線貨物は県内で唯一コンテナが運用されていてワムも80000型が多く近代的な感じです。
それと冷蔵車も上下ともよく繋がれていました。鳴門線貨物にもよく入っていたので継送されていたのでしょうか。
最後はその鳴門線貨物。この年の改正では徳島発が夜になって撮影不能となりましたが・・・
鮎喰川鉄橋のこの場所は背景に眉山が写し込める良い場所なんですが午後はご覧のように逆光になってしまうのが難点デス。
撮れてませを卒業後三年余り大阪出稼ぎで新幹線開通前までは西成線でD52などを撮り帰郷しても大坂峠でC58を撮りましたがいずれも根気がなく少ししか写真がなく皆様の写真を見せて頂いて五十余年前を思い出しています。
小生は母校がこの近くだったんで
授業中も汽笛が聞こえ
通過時間を覚えて、休みに
撮りに行きました。自転車は
小生も随分走らせました。
南限が赤石、北限は勝瑞の先ですが
西は佐古までで、もっと行けばよかった
と今更後悔しています。