どうも最近は年数を間違えてばかりで。歳なので気を付けないと・・・
今回は徳島駅西方の出来島付近から佐古にかけてデス。
手前の徳バスが止まってる踏切が本当の出来島踏切かもしれませんが当時私はC58がさしかかっている踏切を「出来島の踏切」と呼んでいました。何れも警手のいる立派な踏切デシタ。
その「出来島の踏切」を行く高徳線上り貨物。少年の背後には刑務所の煉瓦塀がありました。
別の日ですが上の写真と同じ列車デス。367号機は四国に在籍したC58の最大番号だと思います。
こちらは池田行423レを牽く333号。前年はハチロク牽引でしたが他区から転入したC58達がいつの間にか取って代わりました。
同じ333号牽引の高徳線上り貨物。写真は7月28日の撮影ですが、小松島の項で紹介した通り翌月には休車になりました(というよりC58自体の運用がなくなったのですが)この列車は佐古でコンテナ車を連結するので先回りして吉野川付近でもう一度撮ることが出来ました。
同じ列車が田宮川を渡って佐古駅に進入するところ。上の333号と続番ですが333は多度津、この332は高知からの転入デス。
上の写真の反対側から。この年の夏休みは佐古から吉野川によく通いました。
上の写真と同じ日(4月1日)の同じ列車。佐古駅西方、今は高架になっていますが徳島線と分かれて高徳線が吉野川にカーブしていく所デス。こうして一日で同じ列車を二度撮れ、かつ下り貨物も同様に二度撮れて半日で効率よく撮影出来るのが佐古の魅力デシタ。
二度撮りが出来る理由のコンテナ車増結風景。下り貨物の解放作業はよく撮りましたが上り貨物は周りが立て込んでいるのでこの一枚しかありません。佐古駅西方の踏切より撮影。104は高松→松山と異動。
最後は増結を終わって佐古駅を発車するところデス。8月に撮ったこれらの写真は火の入ったC58としては最後の勇姿デス。
だいぶ長くなったので下り貨物は次回にシマス。