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「日本に渡った「百済の微笑」79年ぶりに故国訪問…半跏思惟像に並ぶ国宝級=韓国」

2024年03月27日 | 朝鮮史
「The Hankyoreh」 2024-03-27 08:00
■日本に渡った「百済の微笑」79年ぶりに故国訪問…半跏思惟像に並ぶ国宝級=韓国
 朝鮮半島仏像の最高傑作「百済金銅観音像」 
 湖岩美術館の仏教美術企画展に劇的に出品 

【写真】湖岩美術館1階の展示室2セクションの入り口に展示された日本の個人蔵である百済金銅観音菩薩立像。25日、マスコミ説明会の時に撮影した写真=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 最も美しい百済の微笑が故国の地に帰ってきた。
 朝鮮半島の古代仏像の中で半跏思惟像とともに最高の傑作とされる百済金銅観音菩薩立像(日本の個人蔵・以下、百済観音像)が、1945年の植民地解放時に搬出されてから79年ぶりに故国の地に帰り、韓国国内の観客たちと会う。
 サムスン文化財団傘下の湖岩美術館は、27日から始まる仏教美術企画展「泥に染まらぬ蓮の花のように」の開幕に先立ち、25日午前にマスコミ説明会を開き展示場に出品作として展示された百済観音像を公開した。
 7世紀前半から中葉に作られたと推定されるこの百済観音像は、1階の1部2セクション展示室の入り口に展示された。高さ28センチ、頭に宝冠をかぶり左手に浄瓶を持った観音菩薩が美しい姿で立っている精巧な仏像だ。慈悲深い笑みを口元に含んだ表情と、肩・腰を少しひねった三曲姿勢、天衣を上半身に巻いて玉装飾(瓔珞)を付けた姿などが百済仏教美術の頂点に立つにふさわしい調和と均衡の美しさを見せてくれる。韓国の学界では国宝の半跏思惟像、百済金銅大香炉に匹敵する名品と評価されてきた。
 1907年、百済の古都・泗ビ(サビ)城があった忠清南道扶余郡窺岩里(プヨグン・キュアムリ)の畑で、ある農夫が釜に収められた状態で発見したとされるこの仏像は、1922年に大邱に暮らしていた日本人医師・市田次郎氏に売られ、1929年に大邱で開かれた新羅芸術品展覧会にこの仏像を含む所蔵品を披露したのを最後に公開の展示はされなかった。(1945年の)解放直後、市田氏が懐に入れて日本に持ち帰ったとされているが、韓国国内の展示場に公開されたのは95年ぶりといえる。
 この仏像は華やかだが贅沢ではなかったという華而不侈の美徳でよく語られる百済造形芸術の最高絶頂を示す仏像に挙げられる。百済の仏像は7世紀、北斉・隋・唐の様式の影響を受け、自然で優雅な体の量感を表現する段階に発展することになるが、湖岩美術館に展示される百済観音像はこのような発展過程を最も端的に示す作品といえる。現在、日本に残っている朝鮮半島の仏像は約150体程度で、これらの中で国籍および出土地、移転経緯、所蔵来歴が正確にわかっている仏像はこの百済観音像がほとんど唯一だ。青銅の錆が染み込んでいるが、鍍金された状態や仏像の表面細部などが依然としてしっかりと残っている。

【写真】湖岩美術館1階の展示室2セクションの入り口に展示された日本の個人蔵である百済金銅観音菩薩立像。25日、マスコミ説明会の時に撮影した写真=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 市田次郎氏は1970年代に死去するまで百済観音像をごく少数の知人以外には全く公開しなかったが、2018年に当時東国大学教授だったチェ・ウンチョン現文化財庁長とチョン・ウヌ東亜大学教授が、東京で他の収蔵家の手に入った仏像を実見し調査する過程で、完全な状態で保存されている事実が伝えられた。これをハンギョレが単独報道(2018年6月4日付1面)し、韓国国立中央博物館が現地に実態調査団を送って本物であることを確認し、文化財庁が返還交渉に乗り出した。しかし、鑑定評価額の差が大きく、買入交渉は4カ月で決裂し、作品は再び埋もれてしまったという経緯がある。
 サムスン財団側は、2年前に企画展の準備を始めた時からこの作品を展示作の候補に上げ、関係者との交渉を試みたもののずっと接触できずにいた。展示の開幕を控えた今年初めに実務者との接触が成立し、所蔵者の貸与許可を得て1カ月前に美術館に作品を搬入したという。湖岩美術館のある関係者は「当初、所蔵者との連絡自体ができなかったが、終盤に奇跡的に連絡がつき、所蔵者も快く貸与に応じてくれて展示が成功した」と明らかにした。
 「泥に…」展は、女性と東アジア仏教美術の関係を世界で初めて照明する美術史企画展で、百済観音像を含め世界各地に散在する仏教美術の傑作92点を6月16日まで展示する予定だ。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
l韓国語原文入力:2024-03-25 19:09



「中央日報日本語版」 2024.03.26 15:45
■80年ぶりに帰還した「百済の微笑み」、ちょうど40日後に再び日本へ帰る「釈迦誕生図」=韓国

【写真】観音図と白磁観音像(中国)を一堂に集めた集めた展示室。[写真 湖巌美術館]

 宝瓶を持った左手、流麗な裙衣の線、そして口元をわずかにあげた微笑み!このような微笑みは百済人だけが作ることができた。7世紀中盤に製作されたと推定される高さ26.7センチの百済「金銅観音菩薩立像」だ。扶余郡窺岩面(プヨグン・キュアムリ)の出土と推定されるこの仏像は日帝強占期に日本人が持ち去り、2018年にその存在が知らされて「百済の微笑み」という愛称で呼ばれるようになった。
 当時韓国文化財庁が最大42億ウォン(現レートで4億7400万円)で還収しようとしたが所有者が150億ウォンを提示して交渉が決裂した。京畿道竜仁(キョンギド・ヨンイン)の湖巌美術館で25日から始まった「泥に染まらないレンゲのように」特別展出品のために借り、ほぼ80年ぶりに帰郷がかなった。
 世界各地に散逸していた仏教美術の傑作92点を一堂に集めた今回の展示は「女性と仏教」という異色のキーワードで企画された。責任研究員のイ・スンへ氏は「現代美術で女性に光を当てるさまざまな動きを見て、仏教美術にも多くの女性が存在しているが、いままで一度も注目されたことがないことに考えが及んだ」と説明した。女性と東アジア仏教美術の関係に光を当てる世界初の企画展の誕生背景だ。
 Leeum美術館をはじめ、国立中央博物館・仏教中央博物館など韓国国内9カ所から国宝1点と宝物10点など40点を集めた。李健熙(イ・ゴンヒ)コレクション9点も含まれている。米国メトロポリタン美術館・ボストン美術館、大英博物館・東京国立博物館などにある仏教美術品も数多く“帰国”した。展示作の半分を越える47点が海外から初めて韓国に帰ってきた。『金銅観音菩薩立像』の他に『釈迦誕生図』と『釈迦出家図』が代表的だ。
 「(太子をお産みになった後に)夫人が木の下におられたが…」。1447年首陽大君(スヤンテグン)〔後の7代国王、世祖(セジョ)〕は父・世宗(セジョン)の命で母である昭憲(ソホン)王后の冥福を祈るために釈迦の一代記を書いた。宝物として残っている『釈譜詳節』だ。日本の本岳寺からやって来た『釈迦誕生図』はまさにこの場面を描いている。釈迦を出産した摩耶夫人が菩提樹の下の台座に座って正面を見つめている。頭上に4羽の鳳凰がついた装飾をのせてその上に加髢(つけ毛)を載せたヘアスタイルは、朝鮮王室女性の「クンモリ(加髢を多く載せてヘアスタイル)」に似ていた。宮中の長老と天神のイメージが重なった摩耶夫人の姿から、絵画に頼って願いをかなえようとした王室女性たちの様子が自然に思い浮かぶ。
 その横の『釈迦出家図』では太子の出家を知って悲しむ父と妻の姿を繊細かつ精巧に描いている。ドイツ・ケルンの東アジア美術館からやって来た。二卵性双子ようなこの朝鮮の仏画2点はワンセットだったものと見られる。朝鮮仏画の規範ともいえるこの2点の仏画がどのような運命で異国の地に散ることになったのかは定かではない。帰郷して史上初めて並んで展示されることになったが、それもたった40日間だけだ。『釈迦誕生図』は5月5日まで展示された後、日本に戻る。
 仏教は女性をどのように見つめ、女性は仏教からどのような可能性を見出して猛烈に帰依したのか。展示はこの2つの質問から出発した。新しい美術は後援者なしに語ることはできない。仏像・仏画を製作する過程と念願を記した発願文には女性たちの名前がびっしりと並んでいる。公式的な歴史書物や仏教文献には登場しない女性たちだ。仏教では万物に仏陀になることができる可能性があると教えながらも、女性は先天的に資質が足りず、女性の体では成仏できないとした。そのため『紺紙金泥 妙法蓮華経』を製作した高麗女性キム氏はこのような発願文を残した。やはり国内初公開となる。
 「私は以前の劫の不幸で女の体を受けたため…真に嘆かわしいことこの上ありません。これによって銀の文字で書いた華厳経1部と金の文字で書いた法華経1部を作るというまことの願いを心から込めて、ようやく事をすべて終えました」。
 仏伝図(釈迦の生涯に起きた出来事を描いた絵)の中で母として描写された女性、執着と情念の根源と見なされた女性の体、女性の形状で表現された観音菩薩など、仏教美術の中の女性の姿を集めた1部から、2階に続く2部では崇儒抑仏政策(儒教を重んじ仏教を排斥する政策)の中でも積極的に仏教を支持した王室女性たちが作った仏画や仏像、髪の毛を捧げて仏と菩薩の形状を縫取った刺繍仏画を見ることができる。
 展示は3月27日から6月16日まで。おとな1万4000ウォン。展示期間は火曜日から金曜日で、一日2回、Leeum美術館と湖巌美術館間の無料シャトルバスが運行。バスは公式サイトで予約後に利用することができる。
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