松代城跡「三日月堀」護岸の遺構確認(信濃毎日新聞 2017年07月27日)
長野市教委は26日、松代地区の松代城跡で2015年に国史跡に追加指定された範囲を発掘調査した結果、「三日月堀」の護岸の遺構を確認したと発表した。堀の存在は江戸時代の絵図などで知られていたが、実際に確認されたのは初めて。29日に現地説明会を開く。
この記事には次のように書かれていたので引用しておきます・・・
三日月堀は、防御力を高めるために城門の前に築かれた半円形の「丸馬出し」に併せて造られ、戦国武将・武田氏の築城技術の特徴とされる。
松代城は、戦国時代に武田氏と越後の上杉氏が争った「川中島の合戦」で永禄3(1560)年ごろ、武田方の拠点「海津城」として造られたと伝わる。
松代城は、戦国時代に武田氏と越後の上杉氏が争った「川中島の合戦」で永禄3(1560)年ごろ、武田方の拠点「海津城」として造られたと伝わる。
長野市教育委員会を確認したら、国史跡「松代城跡」の史跡指定地の拡大について(PDFファイル)(2014.10.30)に 『甲州流築城技術として三日月堀や丸馬出しなどの特徴的な遺構が現存』 と書かれていますので、今回が初めての発見ではありません。私は昔、川中島を通りかかって見物したことがありますが、「松代城跡」は興味がわきました、いつか、そのうち・・・
◇ ついでに関連記事が見つかりました・「八幡原史跡公園」の名称を「川中島古戦場史跡公園」に変更しました(長野市 2017年7月14日)
・・・ということで「開府500年」カテゴリーの記事になりました。