読売新聞山梨版記事、「甲府城に天守閣」示す絵図…県教委27日会見(2017年03月25日)
甲府城に天守閣があったことを示す絵図が見つかったことが24日、わかった。天守閣が存在していたかどうかは明確になっておらず、意見が分かれていた。県教育委員会は27日、詳細についての記者会見を開く。
甲府城は、豊臣秀吉の家臣だった浅野長政が1600年頃に完成させた。現在は天守台が残っているだけだが、天守閣が存在した可能性もあるため、県教委は1960年代から、文献と絵図の調査や発掘調査などを実施。しかし、天守閣の存在を記した史料は見つからなかった。
2015年秋には、天守閣の復元を検討する委員会を発足させ、絵図などの調査を実施。16年4月には「天守閣の存在を示す史料は発見できなかった」とする調査結果をまとめたが、調査を続けていた。
2点の写真は2007年3月の撮影、甲府市中心商店街に設置されていた甲府城天守閣の模型です。
下の写真(解説掲示板)にあるように甲府城天守閣早期建設促進協議会が制作されたもので、かすがも~ると銀座商店街通りとの交差点角に置かれていました。
今回の新発見により建設促進協議会さんの活動再開があるかも知れません。 リニア新幹線開通時に合わせた甲府城天守閣再建計画が生れるかも・・・
山梨県教育委員会の記者会見詳細は報告されると思います・・・・
山梨県教育委員会ホームページ あるいは 学術文化財課
2008年3月4日 私はブログで記事を書いていました・・甲府城最古の絵図
Webサイトでは(最近は更新もしていませんが)、甲府城跡・舞鶴城公園案内、久しぶりに天守台に出かけてみたくなりました。
NHK山梨のニュース(2017年03月27日 18時10分)
16世紀末に築城された甲府城に天守閣が存在したかどうかについて調査を進めてきた県教育委員会は27日「天守閣の存在を示す直接的な資料は見当たらなかった」と発表しました。
甲府市中心部にある甲府城の跡地には天守閣の土台となる「天守台」が残っていますがこれまでの県教育委員会の調査で天守閣の存在を示す資料は見つかっていませんでした。
甲府城をめぐっては天守閣の復元を望む声が多く寄せられていて県教育委員会はおととしから全国の図書館や資料館で甲府城の絵図の調査を行い天守閣の存在について改めて調査を進めてきました。
この調査結果について県教育委員会は27日会見し、有識者で作る検討委員会の萩原三雄委員長は今回の調査で39の甲府城の絵図が見つかったものの「天守閣の存在を示す直接的な資料は見当たらなかった」と発表しました。
今回見つかった江戸時代中期以降の絵図には「天守」が書かれているものもありましたが、会見によりますとすでに存在が確認されている「月見櫓」を当時の人が天守閣と認識していた可能性が高いということです。
会見で萩原委員長は「甲府城の歴史的価値を損なわないためにも史実に基づいた整備を行うべきだ」と述べました。
甲府城「櫓を天守」と表記した絵図(UTYニュース 2017.03.27 18:55)
甲府城の天守閣復元を検討する委員会は、甲府城の櫓(やぐら)を天守と表記した絵図が新たに見つかったことを明らかにしました。 「これまで存在が明確にされておらず、意見が分かれていた甲府城の天守閣、1年9か月に及ぶ調査の結果、真相解明に大きな一歩を踏み出しました」(記者)。 天守の存在を示す絵図の存在は、復元を検討する委員会が会見をして、明らかにしました。 それによりますと、江戸初期から後期までの文献や絵図など、新たに見つかった62点の史料の中に、甲府城にあった「月見櫓」(つきみやぐら)が天守と表記された絵図が見つかったということです。 この絵図は江戸中期の軍事学者が、当時の史料から江戸初期の甲府城の様子を描いたものと推測され、委員会では月見櫓を天守または天守代わりに認識していた可能性があるとしました。 しかし、この1枚の絵図だけで天守閣が実在したかを評価することは難しいため、今後も検討を重ねていく必要があるとしました。 県教育委員会は、およそ2年かけて行われた調査を報告書にまとめます。
天守閣の存在裏付ける史料は見つからず(山梨県)(2017/3/27 21:36 山梨放送)
甲府城の天守閣復元の可能性を探ってきた県教育委員会が今年度の調査でも天守閣の存在を明確に裏付ける史料は見つからなかったことを明らかにした。 調査では甲府城の月見櫓の上に「天守」の文字がある軍学系の絵図が新たに見つかった。 絵図の作成時期は江戸時代中期で、月見櫓を天守閣として認識していた可能性があるため、今年度も「天守閣」の有無について結論は出なかった。県は今後も調査を続けていく方針。