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承認撤回求め、シュプレヒコール 辺野古移設の反対グループ(2013.12.27 21:41)
別件でたまたま見ていたTwitterで紹介されていたので気付いた記事は、沖縄、盛り上がらない反対運動 県庁集結は約10人(SankeiBiz(サンケイビズ) 2013.12.27 11:17) 本紙記事と時刻の違いに注意
一つの記事だけでその媒体全てを批判をするのは、特にマスメディアの場合は避けた方がよいと思っていますが、それにしても酷い記事でした。
まさに「ヘイトスピーチ」の如き記事です。「・・・」には私が関係している団体も含まれるかもしれない、政府・行政の拮抗力(countervailing power)として市民サイドでの活動に関わる方々はご用心。
安倍自民党ポチのような産経新聞記者のレベルを笑うより、彼らがこんな記事を書く程に勢いづいている我がニッポン國の状況を私は憂えるしかない。愛国者づらした亡国の徒、愛郷者を装う打算の徒、どこにもいる。
かなり前にこんな事を書いたことがあります・・・
『 「持続可能な社会をつくろう」とは、学者のみならず政治や行政に関わる人々は当然のごとく口にします。経済人にとっても企業の持続性は常に念頭にある事です。でも、「何」を「持続させたい」のかという 「何」 の部分で食違いがあります。ですから持続させるために採用されるシステムが異なってきます。従って持続可能を目指す「社会の形」そのものが違ってきてしまいます。
「生きることにした、他人の命を犠牲にして」 という選択肢を私は選びたくないと思います。しかし自分が犠牲にされるようなら牙をむき相打ちになるだけの力を養っておくべきだとも思っています。 』
このブログから離れるのですが、「相打ち」より上位の思想に「相抜け」があることを私は以前に学びました。最近の軍事・外交問題を見ながらふと思ったこと、どんな相手とも相打ちにもっていける力は抑止力になるが理想的には相抜けかも知れない。難しいです。ことに紛争当事国が相抜けを理解しそれに至ることができるかどうか、できるなら紛争は解消し共存共栄の世界が構築できる。ニッポンを取り戻すという真の意味はそういう日本武道の神髄を理会する事だろうと私は思っています。