酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ロストケア」~救いと裁きのスリリングな狭間

2023-04-11 20:28:10 | 映画、ドラマ
 白内障の手術は右目の方は終わったが、近日中に左目の方を受ける。両目の見え方の差が大きいので映画は控えようと思っていたが、邦画なら大丈夫だろうと「ロストケア」(2023年、前田哲監督)を新宿で見た。原作は13年発表の葉真中顕著「ロスト・ケア」である。少子高齢化、格差拡大、福祉予算削減、弱者切り捨てと日本社会の闇を穿つ作品で、我が身に重なる部分が幾つもあった。

 公開後3週間足らずなのでストーリーは最小限に、感想と背景を記したい。斯波介護士役の松山ケンイチ、大友検事役の長澤まさみのダブル主演で、両者が対峙するシーンは緊迫感があった。閉ざされた空間における言葉のキャッチボールを描いた「対峙」(23年2月22日の稿)を紹介したが、「ロストケア」の濃密度も匹敵するレベルだった。

 訪問介護センターに勤めている斯波は、献身的な仕事ぶりで老人たちとその家族、同僚の猪口(峯村リエ)と新人ヘルパーの由紀(加藤菜津)にリスペクトされている。白髮が多い斯波について、猪口は「若いのに苦労したんだろうね」と由紀に話しかけていた。そんな折、介護対象の老人宅で、当の老人と団センター長(井上肇)の死体が発見され、団が借金で苦しんでいたことが明らかになる。

 盗みに入った団が犯行後、階段を踏み外して死亡……。一件落着かと思いきや、椎名検察事務官(鈴鹿央士)の調査で重大な事実が発覚する。数学科を出たばかりでデータ分析に長けている椎名は、同センターが介護していた老人が短期間で41人亡くなっていたことを大友に示す。日誌を点検し、斯波の休みの日に〝事故〟が起きていたことが明らかになる。

 検察取調室で数字を突き付けられた斯波は、「僕は42人を救いました」と切り出した。大友は憤然と「殺したのですね」と切り返す。<救い>と<裁き>の対極にある価値がメインに据えられた。キーワードは冒頭に提示されたマタイによる福音書7章12節<人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である>で、この新訳聖書の聖句は、斯波にとっても大友にとっても馴染みの深いものだった。

 41人ではなく42人……。プラス1は脳梗塞で倒れた斯波の父(柄本明)だった。俺自身も発症し入院したことがある脳梗塞で体の自由が利かず、認知症になった父の介護で疲れ果てた斯波は、生活保護を撥ねつけられる。ニコチン注射を打っての嘱託殺人は最後の手段だった。<社会の底から落ちたら終わりで、自助努力なんてまやかし。安全地帯にいるあなたにはわからない>と斯波に問われ、大友は表情を歪めながら<法の正義>を説く。

 斯波は自身の体験に基づき、高齢者と家族の重荷を取り除いたと主張する。それを斯波は「ロストケア(喪失の介護)」と呼んだ。<絆を断ち切ることで、当人を含めて家族を解放した>と語る斯波の〝殺人〟に、結果として感謝する家族もいる。介護に疲れ果てていたシングルマザーの羽村(坂井真紀)は母の死後、新しい一歩を踏み出す。同じく限界にまで追い詰められていた梅田(戸田菜穂)は解放感を上回る怒りをあらわにする。

 本作に重なったのは映画「PLAN75」(昨年6月28日の稿)だ。高齢者連続殺害事件をきっかけに<75歳に達した人間に自ら生死の選択を与える=安楽死>という法案が成立する。近未来ディストピアだが、日本で恵まれた老後を送っているのは一握りの勝ち組だ。「ロストケア」に登場する要介護の老人たちと家族もぎりぎりの生活を送っている。人が殺せば罪、国が殺せば? 死刑制度についても斯波は言及していた。

 松山は目の演技が秀逸で、優しさ、怒り、慟哭、諦念を表現していた。一方の長澤は2歳年下だが、ストーリーが進行するにつれ迷いと苦悩が刻まれ、年齢が逆転したように感じた。施設に入居している母(藤田弓子)も認知症を患っており、生き別れの父とのエピソードがラストで明かされる。<救い>と<裁き>で対峙する両者を凝った映像が浮き彫りにする。取調室で大友の顔が四つの窓に映り、拘置所では和解を仄めかすように両者の影像が重なった。

 聖句をキーワードに掲げた本作は社会的な矛盾を後景に、共生、絆、人間の尊厳、罪と罰といった重いテーマを問いかけてくる。繰り返しご覧になった方も多いという。<見えるものと見えないもの>ではなく、<見たいものと見たくないもの>が世の中を分けているという大友の台詞が印象的だった。大友は斯波によって<見たくないもの>に気付く。俺は施設で暮らす母に思いを馳せた。
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