酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ありふれた教室」~女性教師が落ちた<正しさ>という名の陥穽

2024-06-09 22:10:44 | 映画、ドラマ
 棋聖戦第1局は藤井聡太棋聖(八冠)が山崎隆之八段を下し、永世位獲得に好スタートを切った。AIに捕らわれない独創性で藤井を混乱させてほしいと期待したが、山崎の定跡から外れた構想に最善の手で対応するなど、藤井は盤石だった。後輩への面倒見の良さで知られる山崎だが、本人の弁によれば10代、20代の頃、勝負にこだわる冷たい人間だったという。過去の〝鬼〟を呼び戻すことが必要なのかもしれない。

 新宿武蔵野館でドイツ映画「ありふれた教室」(2022年、イルケル・チャタク監督)を見た。冒頭からラストまで緊張が途切れない学園サスペンスだった。地域で標準レベルのギムナジウムが舞台で、日本でいえば中学1年にあたる12~13歳のクラスの担任は新任の女性教師カーラ(レオニー・ベネシュ)だ。数学と体育の代講を担当するカーラは生徒と真剣に向き合っているが、学校で頻発している盗難事件で平穏な日々に波紋が生じる。クラスの生徒が疑われ、学級委員が〝チクリ〟を求められる。「我が校の方針は不寛容主義」と繰り返す校長(アンネ・カトリーン・グミッヒ)と、ディベートに基づく民主主義を重視するカーラとは立ち位置が異なった。

 ところが、同僚が募金箱から小銭をくすねるシーンを目撃したカーラ自身が、〝不寛容〟と〝行き過ぎた監視〟の体現者として批判を浴びることになる。カーラはパソコンのカメラ機能を設定して席を離れる。自身のバッグから金を盗んだ者の着衣が映像に残っていた。白地に星の模様が入ったブラウスを着ていたのは女性事務員のクーン(エーファ・レイバウ)だった。クーンを問い詰めたカーラだが、断固否定され、校長に報告する。

 フランスほどではないが、ドイツの学校も多国籍の生徒たちによって成立している。多くを占めるのはドイツ系だが、カーラのクラスにもイスラム系、アフリカ系の子供がいる。冒頭で窃盗を疑われたのは両親がトルコ人の少年だった。カーラはポーランド系という設定で、本作のチャタク監督はトルコ系である。〝学校は社会の鏡〟といわれるが、本作に漲る緊張感の背景には複層化する社会での息苦しさがあるのだろう。

 数学教師であるカーラが生きるよすがにしているのは<正しさ>だった。授業でギリシャの哲学者タレスの日食予言について、自然現象は神の思し召しではなく科学で解明出来ることを実証したと絶賛した。印象的だったのは<0.999=1>という仮説を示し、回答を促すシーンだ。「引き算すれば差が出るから異なる」と答えた女子生徒に対し、分数を使ってイコールであると答えたのが、クラス一の秀才でクーンの息子であるオスカー(レオナルト・シュテットニッシュ)だった。カーラはオスカーの才能を認めてルービックキューブを貸したことがあった。

 カーラがクーンを告発したことが知れ渡るや、生徒は学校新聞を使ってカーラを攻撃する。オスカーは他の生徒への暴力行為やカーラのパソコンを川に投棄した件で停学処分を受けた。メディアの暴力やSNSでの炎上を彷彿させる事態に、カーラはもがき苦しみ、学校中の女性が白地に星のブラウスを着ている幻想に襲われる。クーンの犯行は冷静に考えて明らかだが、100%ではない。カーラは<0.999と1の間>の陥穽に落ちたのだ。

 ラストでオスカーは、カーラの前でルービックキューブを揃えてみせる。ルービックキューブが何のメタファーであったのか俺にはわからない。オスカーは警官に肩車されて学校を出ていった。チャタク監督がインスパイアされたという「バートルビー」(ハーマン・メルヴィル著)も機会があったら読んでみたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奥泉光著「虫樹音楽集」~荒... | トップ | 「高架線」~滝口悠生が描く... »

コメントを投稿

映画、ドラマ」カテゴリの最新記事