酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「あんのこと」~絶望から絶望の果てに

2024-06-25 21:44:14 | 映画、ドラマ
 都知事選が告示された。争点は小池都政の評価というが、俺は興味がない。東京が抱える問題点は、格差と貧困、教育現場の荒廃、福祉の後退など挙げればきりがないが、都知事選は上っ面を撫でているだけだ。本質に迫っていないことを実感させられる映画を新宿武蔵野館で見た。「あんのこと」(2024年、入江悠監督)である。<コロナ禍の下での若い女性の飛び降り自殺>を報じる新聞記事に、監督らがインスパイアされ、製作に至った。

 覚醒剤(シャブ)中毒の香川杏(河合優実)が夜の繁華街を歩いている。ラブホテルで同伴した売人が過剰摂取で倒れ、杏は多々羅刑事(佐藤二朗)の尋問を受ける。反抗的な杏だったが、ヨガのポーズを取ったり、奇矯な声を上げたりする多々羅に親しみを覚える。杏は「ウリ(売春)はやめろ」と釘を刺す多々羅が主宰する薬物依存者更正施設「サルベージ赤羽」に足を運び、雑誌記者の桐野(稲垣吾郎)と知り合う。桐野は多々羅を取材するため、同施設に足繁く通っていた。

 多々羅、桐野と交遊するうち、杏の来し方が明らかになっていく。公団住宅に母、祖母と暮らしているが、母から虐待を受け、小学校も卒業していない。12歳の時、母の仲介で売春するようになり、以降は薬物に溺れる地獄のような日々を送るようになる。多々羅は杏に付き添い、生活保護を申請するが、らちがあかない。桐野の尽力で杏は高齢者介護施設の仕事を得た。優しかった祖母を助けたいという思いからだった。

 薬物から逃れた日々の記憶を綴っていき、それが蓄積すれば中毒を克服する道標になる……。多々羅の忠告を守った杏は少しずつ立ち直っていく。漢字が書けなかった杏は夜間中学に入り、外国人らとともに学んでいく。職場でも信頼を勝ち取り、サルベージでの集まりでも自分について話せるようになった。NGOが経営するシェルターに入居し、穏やかで充実した日々が訪れた。

 ハッピーエンドかなと思いきや、暗転する。コロナが全てを変えてしまったのだ。夜間中学は閉鎖され、介護施設でも非正規職員は自宅待機になる。サルベージは閑散とし、多々羅との連絡はつかない。桐野が多々羅に近づいた理由も明らかになる。

 日常で杏のような女性に会う機会は少ないが、コロナ禍以降、新宿界隈で路上売春する女性たちについて報じられている。若い層も多いという。それぞれ事情はあるが、彼女たちの中に<杏>がいても不思議はない。真っ当だとか、愛とかは戯言に過ぎず、公的な窓口も信用出来ないと考えている女性は多い。人々は自ら目を背けているだけだ。

 桐野が多々羅と面会するシーンで、見る者は<正義>の意味を突き付けられる。主宰者であることを利用し、複数の女性に性的関係を強要したというのが多々羅の罪状だ。突然サルベージに来なくなった女性が、多々羅にプレゼントを渡そうとしている音声があるシーンで流れていた。一方的に断罪されるべきかどうかは〝薮の中〟だ。

 生きる意味を失いつつあった杏だが、シェルターの隣人で部屋を出ざるを得なくなった紗良(早見あかり)に幼い隼人を託される。杏は隼人に母らしいこまやかな愛情を注ぎ、再び希望の灯が射したかに思えた刹那、実母という母が現れ、希望は消えた。ラストで杏が歩く繁華街は、オープニングと同じだった。絶望から絶望の果てに、杏は辿り着いたのか。

 エンディングは隼人を取り戻した紗良が児相を出ていくシーンだ。俺は紗良に杏を重ね、胸が熱く、そして痛くなった。東京の真実を抉る映画に出合えてよかった。
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