最終回は今夜なので未見だが、連続ドラマW「フェンス」はテーマ性とエンターテインメント性を兼ね備えた秀逸な作品だ。復帰50年を迎えた沖縄で起きたレイプ事件の真相に、元キャバ嬢のキー(松岡茉優)とカフェバー経営者の桜(宮本エリアナ)が迫る。キーは日本人とアジア系、桜は日本人とアフリカ系米国人のミックスバディで、キーと旧知で警官の伊佐(青木祟高)が協力する。
地上波ではタブーになっている日米地位協定、珊瑚礁破壊、辺野古移設問題、沖縄を食いものにする癒着に加え、福島原発による子供たちの被曝まで言及している。WOWOWだからこそで、野木亜紀子の脚本はジェンダーや女性の繊細な心理まで踏み込んでいた。別稿(2022年6月14日)の冒頭で紹介したドキュメンタリー「サンマデモクラシー」でナビゲーターを務めた志ぃさーが骨のある伊佐の上司役だった。
沖縄を描いた作家といえば目取真俊だ。現在は辺野古移設反対闘争など政治活動に軸足を移しているが、目取真を知ったきっかけは辺見庸との対談集「沖縄と国家」だった。目取真を〝究極レベルの表現者〟と評価する辺見の言葉は正鵠を射ている。当ブログで紹介した短篇小説選集1「魚群記」、2「赤い椰子の葉」、長編「虹の鳥」は、いずれも沖縄の苦難の歴史を背景に、寓話、神話の領域に到達する作品だった。今回紹介するのは短篇小説選集3「面影と連れて(うむかじとぅちりてぃ)」(影書房)だ。
上記した「フェンス」の台詞にもあったが、本作にも<魂(まぶい)>という表現が繰り返し現れる。沖縄特有の死生観に基づき、生きる者と死せる者の魂が、時空を超越して交流する様を描いた作品が多い。別稿(3月24日)で紹介した「ダブリナーズ」は<エピファニー文学>と呼ばれる。<エピファニー>とは、<物事を観察するうち事物の「魂」が突如として意識されその本質を露呈する瞬間>というが、本作にとって「魂」とはまさに<魂>だと思う。以下に、作品ごとの感想を記したい。
♯1「内海」では、母、父、祖母、源吉おじいと幾つもの死が連鎖する。繰り返し現れるのは幼い頃の家、通っていた喫茶店、そして祖母の死体の横に現れる魚や熱帯魚だ。絶望を知っているからこそ優しい女と知り合った主人公は、性的に彼女を愛することが出来ない。表象するイメージが混淆していた。
♯2の表題作「面影と連れて」では死者との魂の会話が描かれている。彷徨っていた魂たちは主人公のうちを見つけ、思い出を語る。うちは皇太子訪沖反対を闘うあの人と結ばれず、レイプ事件を経て自らも魂になることを選ぶ。♯6「帰郷」にも沖縄特有の風葬が描かれ、霊媒師のユタが現れる。民俗信仰とシャーマニズムが受け継がれる沖縄の土壌が窺えた。
全12作の中で異質といえるのが♯7「署名」だ。目取真の作品は沖縄色が濃いのだが、一読すると別の場所でも成立するように思える。補充教員をしながら教師を目指している新城は、野良猫駆除の署名協力を座間味に頼まれる。だが、猫を鼠捕り器にかけたり、殺した猫を吊るしたりと常軌を逸した座間味を拒絶するようになると、アパート住人は新城を〝犯人〟と疑うようになる。沖縄の構図が後景に聳えるホラーだ。
♯8「群蝶の木」は白眉の一編だ。豊年祭で久しぶりに部落(しま)に里帰りした義明と、村八分状態の老女ゴゼイの2人の主観が連なって、沖縄戦の地獄、残酷な差別の実態が綴られる。戦時中は日本兵、戦後は米兵の慰安婦として生きざるを得なかったゴゼイの人生で唯一燦めいた昭正(ショーセイ)との恋が胸を打つ。ゴゼイ、昭正、義明の一瞬の邂逅が鮮やかな愛の神話だった。
♯9「伝令兵」ではバーを経営する友利がシンクロする二つの死に心を惑わせる。亡き父が取り憑かれた伝令兵の亡霊と、自身の娘の死だ。戦争と死者の記憶、贖罪の意識が描かれる目取真ワールドの真骨頂か。沖縄の闇を照らす♯10「ホタル火」、沖縄文化の流れを描いた♯12「浜千鳥」も記憶に残る。紹介しなかった作品を含め、濃密な空気に炙られた短編集だった。
柔らかい話で最後を締める。3時間後に出走する皐月賞は混戦だからさっぱりわからない。ならば直感で◎は⑱マイネルラウレア、○⑧トップナイフ、▲⑪シャザーンとする。人気上位馬はいないし、ダメ元でレースを楽しみたい。
地上波ではタブーになっている日米地位協定、珊瑚礁破壊、辺野古移設問題、沖縄を食いものにする癒着に加え、福島原発による子供たちの被曝まで言及している。WOWOWだからこそで、野木亜紀子の脚本はジェンダーや女性の繊細な心理まで踏み込んでいた。別稿(2022年6月14日)の冒頭で紹介したドキュメンタリー「サンマデモクラシー」でナビゲーターを務めた志ぃさーが骨のある伊佐の上司役だった。
沖縄を描いた作家といえば目取真俊だ。現在は辺野古移設反対闘争など政治活動に軸足を移しているが、目取真を知ったきっかけは辺見庸との対談集「沖縄と国家」だった。目取真を〝究極レベルの表現者〟と評価する辺見の言葉は正鵠を射ている。当ブログで紹介した短篇小説選集1「魚群記」、2「赤い椰子の葉」、長編「虹の鳥」は、いずれも沖縄の苦難の歴史を背景に、寓話、神話の領域に到達する作品だった。今回紹介するのは短篇小説選集3「面影と連れて(うむかじとぅちりてぃ)」(影書房)だ。
上記した「フェンス」の台詞にもあったが、本作にも<魂(まぶい)>という表現が繰り返し現れる。沖縄特有の死生観に基づき、生きる者と死せる者の魂が、時空を超越して交流する様を描いた作品が多い。別稿(3月24日)で紹介した「ダブリナーズ」は<エピファニー文学>と呼ばれる。<エピファニー>とは、<物事を観察するうち事物の「魂」が突如として意識されその本質を露呈する瞬間>というが、本作にとって「魂」とはまさに<魂>だと思う。以下に、作品ごとの感想を記したい。
♯1「内海」では、母、父、祖母、源吉おじいと幾つもの死が連鎖する。繰り返し現れるのは幼い頃の家、通っていた喫茶店、そして祖母の死体の横に現れる魚や熱帯魚だ。絶望を知っているからこそ優しい女と知り合った主人公は、性的に彼女を愛することが出来ない。表象するイメージが混淆していた。
♯2の表題作「面影と連れて」では死者との魂の会話が描かれている。彷徨っていた魂たちは主人公のうちを見つけ、思い出を語る。うちは皇太子訪沖反対を闘うあの人と結ばれず、レイプ事件を経て自らも魂になることを選ぶ。♯6「帰郷」にも沖縄特有の風葬が描かれ、霊媒師のユタが現れる。民俗信仰とシャーマニズムが受け継がれる沖縄の土壌が窺えた。
全12作の中で異質といえるのが♯7「署名」だ。目取真の作品は沖縄色が濃いのだが、一読すると別の場所でも成立するように思える。補充教員をしながら教師を目指している新城は、野良猫駆除の署名協力を座間味に頼まれる。だが、猫を鼠捕り器にかけたり、殺した猫を吊るしたりと常軌を逸した座間味を拒絶するようになると、アパート住人は新城を〝犯人〟と疑うようになる。沖縄の構図が後景に聳えるホラーだ。
♯8「群蝶の木」は白眉の一編だ。豊年祭で久しぶりに部落(しま)に里帰りした義明と、村八分状態の老女ゴゼイの2人の主観が連なって、沖縄戦の地獄、残酷な差別の実態が綴られる。戦時中は日本兵、戦後は米兵の慰安婦として生きざるを得なかったゴゼイの人生で唯一燦めいた昭正(ショーセイ)との恋が胸を打つ。ゴゼイ、昭正、義明の一瞬の邂逅が鮮やかな愛の神話だった。
♯9「伝令兵」ではバーを経営する友利がシンクロする二つの死に心を惑わせる。亡き父が取り憑かれた伝令兵の亡霊と、自身の娘の死だ。戦争と死者の記憶、贖罪の意識が描かれる目取真ワールドの真骨頂か。沖縄の闇を照らす♯10「ホタル火」、沖縄文化の流れを描いた♯12「浜千鳥」も記憶に残る。紹介しなかった作品を含め、濃密な空気に炙られた短編集だった。
柔らかい話で最後を締める。3時間後に出走する皐月賞は混戦だからさっぱりわからない。ならば直感で◎は⑱マイネルラウレア、○⑧トップナイフ、▲⑪シャザーンとする。人気上位馬はいないし、ダメ元でレースを楽しみたい。
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