先月オンエアされたドラマ「うつ病九段」(NHK・BSプレミアム)は先崎学九段が自身の体験を綴ったノンフィクションをベースにしている。安田顕が演じた先崎は、文筆家、イベント企画、ギャンブラー、愛飲家で、ユーモアに溢れた語り口が魅力で信望も篤い。
2016年秋、三浦弘行九段はスマホ不正使用の疑いで竜王戦の挑戦権を剥奪された。先陣を切った渡辺明名人(当時竜王)、タイトル保持者、連盟幹部が協議した上での決定だったが、三浦の潔白が証明されたことで将棋連盟に激震が走る。広報担当理事だった先崎は、棋士間の仲介、メディアとの折衝に疲れ果て て心を蝕まれた。家族や仲間の協力もあって復帰した経緯が描かれている。
年末年始、将棋をテーマにした極上のミステリーを堪能した。「死神の棋譜」(新潮社)には奧泉光の将棋についての造詣の深さが染み渡っている。奧泉は熱心な将棋ファンで、「ビビビ・ビ・バップ」ではプロ棋士の芯城銀太郎と大山康晴(十五世名人)アンドロイドの対局が起点になっていた。
「東京自叙伝」を筆頭に、奧泉はオルタナティブファクト(起こり得た史実)、メタフィクション(史実と創作との交錯)の手法を作品に織り交ぜている。「死神の棋譜」は東日本大震災直後の2011年5月、羽生善治名人と森内俊之九段の名人戦7番勝負とシンクロしていた。
主人公、いや語り手というべき北沢克弘と、20歳ほど年長の天谷敬太郎を軸にストーリーは進行する。両者はともにプロ棋士を目指しながら三段リーグ最終局で敗れ、年齢制限で奨励会退会を余儀なくされた。現在は将棋ライターとして活動している。
北沢と天谷は絶望に加え、もどかしさを共有していた。2人の夢を絶つ〝死神〟だった後輩が、自身の退会と軌を一にして行方不明になっていた。天谷は20年前に十河三段、北沢は夏尾三段の消息を追う。きっかけは将棋会館近くの鳩森神社将棋堂に刺さっていた矢文に記された「魔の図式」だった。それは〝不詰の詰将棋〟で、「解いた者は棋道会に来たれ」と併記されていた。
棋道会とは戦前、栄華を誇った団体で、十河と夏尾は「魔の図式」に魅せられ、本部があった北海道の炭坑町に引き寄せられる。2人は目の前の勝利より真理を追究するタイプだった。北沢は神殿の面影を残す廃坑で、夏尾との最後の勝負の続きを指す。サイドストーリーは15年前にブログで紹介した「阿片王」と重なっている。日本帝国軍がヘロインを廃坑に隠匿したという設定が、パズル完成へのピースになっていた。
ミステリーは最後に謎が解けるが、本作は不詰?……。そんな思いが脳裏をかすめる。十河と夏尾は魔の図式に迫る方法を見いだし、81枡の将棋盤から無限の空間に飛翔していた。北沢もまた、将棋ならぬ龍神棋に興じるが、現実なのか幻想なのか判然としない。北沢の周りでは名棋士たちが戦っている。無辺の宇宙で至福に浸っているかのように……。
将棋指しにとって<敗れること=死>で、本作はタナトスに彩られている。北沢も死神の鎌で首を刈られる恐怖を夢想の中で感じていた。先崎が復帰した頃、デビュー間もない藤井聡太2冠が、棋界の救世主になっていた。藤井は勝利者イ。ンタビューを「そうですね」で切り出し、圧勝であっても「難しかった」と振り返る。ている。まさに〝優しく謙虚な死神〟なのだ。
奧泉ワールドには「ビビビ・ビ・バップ」の主人公フォギーなど強烈な個性を持つ女性が登場する。「雪の階」の笹宮惟佐子は論理と直観に秀でた女子大生だが、食虫植物のように男を翻弄する淫靡さを併せ持っている。その延長線上といえるのが「死神の棋譜」に登場する玖村麻里奈女流二段だ。
北沢は5九と5一の場所に王ではない駒を置く龍神棋を指すことで、異なる景色に気付く。終盤に複数のメールがやりとりされ、死神の実像が浮き上がるスリリングな展開に驚愕し、驚嘆した。
上記の先崎は夭折した故村山聖九段の最大の理解者だった。村山の生き様、死に様を描いた映画「聖の青春」で、以下のような印象的な台詞がある。
村山(松山ケンイチ)「羽生さんが見ている海は他の人と違う」
羽生(東出昌大)「深く沈み過ぎて、戻れないと思うこともあります。でも、村山さんとなら一緒に行ける。行きましょう」
本作にも海に溺れるような、正気と狂気の境界で喘ぐような棋士たちの感覚が描かれていた。将棋ファンであることの幸せを感じている。
2016年秋、三浦弘行九段はスマホ不正使用の疑いで竜王戦の挑戦権を剥奪された。先陣を切った渡辺明名人(当時竜王)、タイトル保持者、連盟幹部が協議した上での決定だったが、三浦の潔白が証明されたことで将棋連盟に激震が走る。広報担当理事だった先崎は、棋士間の仲介、メディアとの折衝に疲れ果て て心を蝕まれた。家族や仲間の協力もあって復帰した経緯が描かれている。
年末年始、将棋をテーマにした極上のミステリーを堪能した。「死神の棋譜」(新潮社)には奧泉光の将棋についての造詣の深さが染み渡っている。奧泉は熱心な将棋ファンで、「ビビビ・ビ・バップ」ではプロ棋士の芯城銀太郎と大山康晴(十五世名人)アンドロイドの対局が起点になっていた。
「東京自叙伝」を筆頭に、奧泉はオルタナティブファクト(起こり得た史実)、メタフィクション(史実と創作との交錯)の手法を作品に織り交ぜている。「死神の棋譜」は東日本大震災直後の2011年5月、羽生善治名人と森内俊之九段の名人戦7番勝負とシンクロしていた。
主人公、いや語り手というべき北沢克弘と、20歳ほど年長の天谷敬太郎を軸にストーリーは進行する。両者はともにプロ棋士を目指しながら三段リーグ最終局で敗れ、年齢制限で奨励会退会を余儀なくされた。現在は将棋ライターとして活動している。
北沢と天谷は絶望に加え、もどかしさを共有していた。2人の夢を絶つ〝死神〟だった後輩が、自身の退会と軌を一にして行方不明になっていた。天谷は20年前に十河三段、北沢は夏尾三段の消息を追う。きっかけは将棋会館近くの鳩森神社将棋堂に刺さっていた矢文に記された「魔の図式」だった。それは〝不詰の詰将棋〟で、「解いた者は棋道会に来たれ」と併記されていた。
棋道会とは戦前、栄華を誇った団体で、十河と夏尾は「魔の図式」に魅せられ、本部があった北海道の炭坑町に引き寄せられる。2人は目の前の勝利より真理を追究するタイプだった。北沢は神殿の面影を残す廃坑で、夏尾との最後の勝負の続きを指す。サイドストーリーは15年前にブログで紹介した「阿片王」と重なっている。日本帝国軍がヘロインを廃坑に隠匿したという設定が、パズル完成へのピースになっていた。
ミステリーは最後に謎が解けるが、本作は不詰?……。そんな思いが脳裏をかすめる。十河と夏尾は魔の図式に迫る方法を見いだし、81枡の将棋盤から無限の空間に飛翔していた。北沢もまた、将棋ならぬ龍神棋に興じるが、現実なのか幻想なのか判然としない。北沢の周りでは名棋士たちが戦っている。無辺の宇宙で至福に浸っているかのように……。
将棋指しにとって<敗れること=死>で、本作はタナトスに彩られている。北沢も死神の鎌で首を刈られる恐怖を夢想の中で感じていた。先崎が復帰した頃、デビュー間もない藤井聡太2冠が、棋界の救世主になっていた。藤井は勝利者イ。ンタビューを「そうですね」で切り出し、圧勝であっても「難しかった」と振り返る。ている。まさに〝優しく謙虚な死神〟なのだ。
奧泉ワールドには「ビビビ・ビ・バップ」の主人公フォギーなど強烈な個性を持つ女性が登場する。「雪の階」の笹宮惟佐子は論理と直観に秀でた女子大生だが、食虫植物のように男を翻弄する淫靡さを併せ持っている。その延長線上といえるのが「死神の棋譜」に登場する玖村麻里奈女流二段だ。
北沢は5九と5一の場所に王ではない駒を置く龍神棋を指すことで、異なる景色に気付く。終盤に複数のメールがやりとりされ、死神の実像が浮き上がるスリリングな展開に驚愕し、驚嘆した。
上記の先崎は夭折した故村山聖九段の最大の理解者だった。村山の生き様、死に様を描いた映画「聖の青春」で、以下のような印象的な台詞がある。
村山(松山ケンイチ)「羽生さんが見ている海は他の人と違う」
羽生(東出昌大)「深く沈み過ぎて、戻れないと思うこともあります。でも、村山さんとなら一緒に行ける。行きましょう」
本作にも海に溺れるような、正気と狂気の境界で喘ぐような棋士たちの感覚が描かれていた。将棋ファンであることの幸せを感じている。
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