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今年は都合で少し遅れましたが、年刊短歌誌・「月見草」第19号(A5判42ページ)を発行、送付を済ませました。(17号は2005.12.16にup) 18号は紹介を怠りました。表紙絵作者は、第3号よりずっとTさん。第5号より月見草100態と称して、月見草ばかり15点描いて頂いています。(東京のTさんの記事は2005.11.14~16にup) Tさん、いつもありがとうございます。
来年は創刊20周年ですが、とりたてて何か行事をする訳でもありません。区切りの年には、会員の名簿を掲載する程度です。これも、20年所属する短歌結社「高嶺」に準じています。何しろ地味な結社ですから・・・歴史は丁度今年80年ですが・・・
月見草19号より
無になれと胸に聞かせて瞼とぢ無になれぬまま時は過ぎゆく Kさん
さまざまの人に想ひを残しゆく生を終へるはさういふことか Sさん
今日もまた病院の窓に日は落つる西空の茜濃き日薄き日 Mさん
来年は創刊20周年ですが、とりたてて何か行事をする訳でもありません。区切りの年には、会員の名簿を掲載する程度です。これも、20年所属する短歌結社「高嶺」に準じています。何しろ地味な結社ですから・・・歴史は丁度今年80年ですが・・・
月見草19号より
無になれと胸に聞かせて瞼とぢ無になれぬまま時は過ぎゆく Kさん
さまざまの人に想ひを残しゆく生を終へるはさういふことか Sさん
今日もまた病院の窓に日は落つる西空の茜濃き日薄き日 Mさん
↓のポピュラーソング歌えるのですが曲名が思い出せません。今も口ずさんでいるのですが。誰かにこのフレーズを聞いてもらって曲名が解かればお知らせします。matsubaraさんも聞かれたら多分、ご存知だと思います。
今日の月見草19号のなかの句、読ませていただいています。
どの句も素直に心の中に溶け込んでゆくようで。
年齢的にも私と近い方々なのでしょうか。
Sさんだけ年齢は殆ど私たちと同じです。Kさんは若くて中学生の母親です。Mさんは、80歳です。
いろいろいらっしゃいます。
住所知らせて下されは贈呈します。
ネットで知り合ったokoさまも歌を出されています。
心が歌に表れているような 素人なりに感じます。
また、来年もブログを時間の許すかぎりの中で楽しみに拝見さしていただきます。
御縁ほんとうに感謝したいと思います。
歌を寄せていただきありがとうございます。
まだお若いのでこれからが楽しみです。
okoさまの短歌も拝読することが出来ました。
無知な私が少しでも知的な世界に浸させていただけますことに感謝申し上げます。
「月見草」昨日、確かに拝受致しました。
ご紹介の三首を初め、10月の歌会時の姉妹愛を詠まれたお歌、
そして平島人さまのお歌、昨夜ユックリ拝読させていただきました。
この中のヴァイオリンの発表会のお歌に、もしやお母様のお歌では
と存じましたが。
matsubaraさまのお歌も改めて拝読させていただきました。
先日、鶴岡先生宅で書き写して参りましたが、掲載していただき
嬉しゅうございます。
未熟な歌を沢山載せていただき有り難うございます。
一首めは父の戦死、昭和19年10月27日に想いを致し詠みましたが、
納得出来ないままお届けしてしまいました。
ご指導有り難うございました。
三首目の「お酒やめて」は通夜の席では通常のことですので理解を
していただけないかと思いますが、田舎の事ですので深酒になり、
大声をあげて陽気?になった方があり、接待すべき母の号泣は
忘れらませんでしたので。
最後に「靖国の家」の標識の歌ですが、これも未完成のままで
失礼を致しました。
「追悼のことば」に挿入したく先生に再度のご指導に
哀悼の「靖国の家」の標識も語るも今や知る人少なし
といただきました。
この一年、ご指導有り難うございました。
お体お大切になさって下さい。お嬢様は順調ですか。どんなお孫さんか楽しみですね。どちらに似てもすてきで・・・
たくさん歌を出していただき嬉しく思います。
よく、平島の人の本名分かりましたね。この町の平島にお住まいなのです。
はい、老母です。今年は気分がいいのかたくさん作りました。85で余り外には出ませんが・・・
お父様終戦の前年に亡くなられたのですね。あと一年早く戦争が終わっていたらよかったのに・・・本当に残念です。
お酒やめての歌はお母様の悲しみがよく出ています。当事者でないとなかなか理解できないですが、歌に詠まれて凡人にもその悲しみがようやく伝わると思います。