つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

加藤清正の孫の顕彰

2020-02-21 | 歴史

 昨日の放送大学リフリレッシュサークルのテーマは、加藤清正公と嫡孫の光正公の顕彰について。松尾さんが発表されました。清正の孫の光正と飛騨と関りがあることをこれまで知りませんでした。縁あって彼は、飛騨で昨年秋の高山祭に合わせて開かれた光正の顕彰大会に参加されました。熊本や、山形の鶴岡や、清正の生地名古屋の有志120名が集まり昨年の10月9日、10日盛大に開かれたようです。2年ごとに大会が開かれています。

 知られているように戦国武将の加藤清正は秀吉の元では大活躍をしたのですが、家康の時代になり、子供の忠弘は不審のかどにより、山形の庄内藩に預け、鶴岡藩に配流。孫の光正は飛騨高山に配流。金森藩にお預けとなりました。清正の50歳の死も暗殺と言う噂があり、孫の光正の19歳の死も同様の噂があります。家康が秀吉に関連する人たちを消したいということだったのでしょう。

 清正は秀吉と同郷。生地もとても近くてどちらも名古屋市中村区。家康にとっては邪魔だったのでしょう。名古屋城近くには清正の銅像もあります。飛騨には、巨大な五輪塔の墓もあり、菩提寺は日蓮宗の法華寺。盛大に法要も営まれ加藤家も供養されました。高山市長も交えてパネルディスカッションもあったようでした。加藤家の直系はなくなりましたが、子孫の女性は谷口家に嫁ぎ、当主は医師。19代目で岡崎に居住されています。

 


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