昨夜の「鶴瓶の家族に乾杯」は、2月11日の本木雅弘さんに続いて今度は、岐阜に帰蝶役の川口春奈さんを迎え、岐阜県山県市(やまがたし) を紹介。彼女は長崎出身で岐阜ははじめて。私も山県市は未訪です。明智光秀の墓があることは知っていたのですが・・・
お墓はかなり奥まったところにありますが、「麒麟が来る」のおかげで、その日も観光客が来ていました。
ハヤシライスを考案した早矢仕さんが岐阜の人であることは知っていたのですが、山県市出身とは知らなかったです。市内にはそのハヤシライスを出す店もあり、川口さんも完食。
55年前の大河ドラマ「国盗り物語」での帰蝶役は松坂慶子さんでした。川口さんを見ると時の流れを感じます。斎藤道三役は、今は亡き平幹二朗。すっかり過去の人になり、今回の本木さんにバトンタッチされました。どちらも凄みのある道三を演じてくれました。
下はハヤシライスの早矢仕氏についての情報
https://ja.wikipedia.org/wiki/早矢仕有的
追記; うっかりして書き落していたことがあります。
山県市には、1998年に小説すばる新人賞をとられた池永陽さんがおられ、偶然あの日鶴瓶さんに出会われました。著書も持って庭に出てこられました。
この奥に光秀の墓があります
絵馬を奉納して祈る川口さん
番組宣伝で川口春奈さんが山県市を訪問することは知ってました。
山県市に光秀の墓があるのですか。
ちょっとびっくりしました。
何故かと申しますと、Saas-Feeの風は大津市の西教寺で
光秀の墓や一族の墓を見ていたからです。
いつだったかなと資料を探し、2011年10月21日であったことが判りました。
外付けHDD内の写真フォルダーから日付を追いかけて、墓の写真を見つけました。
ブログには西教寺に至る前の坂本の様子(日吉大社など)をアップしているのみで
西教寺についてはまったく記していませんでした。
光秀は坂本城主でしたね。
西教寺の庫裡の増築や仮の本宮を完成したなど
墓の傍らに説明板が立っておりました。
また、光秀の母であるお牧のかたの墓は岐阜県恵那市明智町の、ひっそりとした場所にありました。
主殺しの光秀の母ということで、墓は目立たないように建てられたということでした。
2007年10月2日に大正ロマン館や大正村資料館へ歩く途中で寄りました。
明智城跡もありましたよ。
子の様子はかつてのブログ、いい色ひろばにアップしていたのですが
サイトの閉鎖により公には消滅しています。
発見しました。昭和の終わりごろです。
その看板にかなり詳しいことが書かれています。
『光秀は土岐元頼と中洞の豪族の娘との間に生まれたとのことです。
7歳で父が亡くなったため明智光綱のもとで軍学を学び、
やがて養子になったと伝えられています。
山崎の合戦で死んだのは影武者で、郷里の中洞に帰り、
荒深小五郎と名乗って暮らしていました。
関ヶ原の戦いの際に徳川家康の要請で合戦の地に向かう途中
増水した薮川(根尾川)に流されて亡くなったと伝えられています。』
荒深(あらふか)という名字はいまも現地付近に多いです。
それから明智城ですが、恵那市のものは市町村合併前は
明智町でした。大正村で売っているところです。
しかし昔は明知でした。
その証拠は第三セクターの鉄道が明知鉄道だからです。
また地方銀行の十六銀行の支店名も明知支店です。
要するに知名度の高い明智光秀に乗っかって
改名しちゃったわけです。
くだんの明智城も明知遠山氏がはじめて
作ったので明知城なのだそうです。
大正村で売り出した町が我田引水したと思われます。
岐阜ということは聞いていましたので見ました。
かなり前に大垣が出て、今年2度目の岐阜です。
全国規模ですから、もう次はかなり先でしょうね。
西教寺にはかなり前に行きました。
ここのお墓は大きかったですね。
ブログのどこかに書いているはずです。
放送大学の研修旅行だった記憶です。
光秀の母のお牧の方のことは全く知りません。
記事が消滅して残念です。
大正村には行きましたのに・・・
峠おやじさんのコメントで初めて明知から
明智に改名したことを知りました。
そして光秀が生きながらえていたことも知りました。
それで、お墓が二カ所もあるのですね。
今年二度目ですから次はかなり先のことと思います。
「麒麟が来る」の影響ですから。
知らなかったことばかりです。
もう30年以上前に山県にいらしたのですね。
でも仕事の合間に歴史散策をされるとは
すばらしいです。
明智と明知の関係も知りませんでした。
荒深小五郎という名前で生涯を終えたことは
歴史学者の小和田氏は御存知かしら?
明知遠山氏がドラマに出てくる遠山の金さん
であることは聞いたことがあります。
いろいろ教わりありがとうございました。
あちらこちらにあると聞いていまして、大津市西教寺が一番有力とか。福知山にもとかいろいろ言われていますね。
山県市がどこにあるか調べましたら、岐阜市の真北にあるのですね。
55年前の大河ドラマ「国盗り物語」、懐かしいですね。
当時は現地に荒深姓があるので真っ当な話と思ったのですが、
荒深小五郎と文字にしてみると、名探偵・明智小五郎
とそっくりな名前です。
江戸川乱歩が自身の小説に登場させたのが大正末期から昭和初期なので
語呂合わせ的に若干疑わしくなります。
五輪塔の年代など検証してませんから何とも言えないのですが。
私も行きました。
峠おやじさんのコメントによれば影武者が
いたので、お墓も複数になったのでしょう。
山県市はお墓以外何もないのでテレビでは
どこを取材するのか想像できなかったです。
国盗り物語をご覧になられたのですね。
ありがとうございます。
私は原作も読みました。
明智小五郎との関連とは思いもよりませんでした。
いずれにしましても、影武者のおかげで
光秀が生きながらえてよかったです。
光秀は覇者になる野望もないので、希望通り
一市民として生きられてよかったです。