独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

平成30年度 学生版秋季昇級試験結果発表

2018年11月11日 08時12分43秒 | 未歩ちゃん

                           

 
               準初段 (提出時) →  初段  → 初段上へ2段跳び昇級に                  提出後の保存作品ですが

      
              初段上(提出時) → 2段 → 2段上へ2段跳び昇級に                      提出後の保存作品ですが 

1年生から私と一緒にお稽古をはじめましたが月例作品提出もままならず、1年生は3回のみ、2年生は5回、3年生は10回、4年生からようやく12回の提出が
できるようになりました。
1年生時は文字になっておらずにとても心配しましたが、嫌いにならないように叱咤激励に現在に至っております。
4年生からは積極的に毎月提出できるようになり、
有り難いことに今までに硬筆は4回、毛筆は5
回の写真版掲載を頂きました。
そしてこの度、秋季昇級試験は毛筆・硬筆共に挑戦して嬉しい結果を頂きました。
 
しかし、競争することを好まず「こんなに昇級したら怖い」と申して「来春は提出したくない」と。
原因は学校での書写の時間に「毛筆が上手に書けなく、自分
としては5級くらいと思うので」と。
本人の気持ちを尊重しながらも続けて欲しい!と願っております。
最後までご覧頂きまして有り難うございました。
    

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娘家族が 清里の ペンション 『LaVERDURA(ラベルデューラ)』 へ1泊の旅

2018年11月10日 10時42分16秒 | 我が家・親族

  
            ペンション『LaVERDURA(ラベルデューラ)』 HPより                        夜のダイニングルームですと                    

         HPのご紹介  https://la-verdura.club/

 
              朝のダイニングルームと入り口ですが素敵なお部屋に感激しながらお食事も美味しく頂きましたと

三浦友和さんのお姉様、篠塚弘子さんが経営するペンション『LaVERDURA(ラベルデューラ)』で楽しんできましたと報告を受けました。
ペンション『LaVERDURA(ラベルデューラ)』の名前はイタリア語で”野菜たち”の意味だそうです。
「清里の森」という別荘街の中にある4件のペンションのうちの一つです。
清里駅から近いということに、周辺には道の駅やサントリー白州の工場などがあり、色々と遊ぶ場所にも困らないロケーションと。
「ソフトクリームの聖地」とも呼ばれている清泉寮も車で近くにあります。
清里高原のリゾート地らしく、テスコートも借りることができるそうです。
6部屋ある客室はイタリア語で野菜の名前がついていて、篠塚弘子さんの手作りの高原野菜を使用した美味しいお料理を楽しましたと。

              ペンション内には三浦友和さんや百恵さんの作品が飾られていましたと

              
百恵さんは今やハワイアンキルト界では知る人ぞ知る名作家で、キルト展にも毎年大作を出品されていますが、
          ラ・ベルデュールにも百恵さん作の畳2畳ほどの大きなキルトが飾られていました

             
      三浦友和さんの趣味は陶芸だそうで、プリミティブなデザインのつぼなどが飾られていました
                    後方の色紙は三浦友和さんのサインだそうです

お土産を頂きました
  
  お茶うけに限定の信州の味を楽しみました         娘たちの優しさが身に染みました           これはパックですが包装は限定のもみじ色                                                    

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本場の富有柿を頂きました

2018年11月09日 10時12分28秒 | 友人のご紹介



今年も本場の美味しい富有柿を沢山頂戴致しました。

Mさまご厚意の程に心から御礼を申し上げます。
柿は家族揃って大好きですのでご厚意に甘えさせていただきます。
誠に有り難うございました  

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奈良だより「興福寺の中金堂が再建されました」のご紹介 -50-    

2018年11月08日 17時02分05秒 | 奈良だより

奈良の前田様から興福寺中金堂が300年ぶりに再建されました事に写真を添えて説明を頂きましたのでご紹介させて頂きます。

「前田様より」
興福寺の中金堂は、奈良時代に創建されましたが、度重なる戦火や災害などで、
過去に7度焼失しているようです。
今回は300年振りに再建され、10月7日から11日にわたり落慶法要が営まれ、南都諸大寺の僧侶や天台宗総本山延暦寺の天台座主等も参列されました。
10月20日から一般公開され、11月11日まで落慶記念夜間特別拝観と、中金堂のライトアップが行われました。
音楽に合わせて中金堂を照らすLED照明が赤や緑に変化し、拝観者に配られるLED提灯の色も変化し、幻想的な時をすごしました。
 
           猿沢池に映える興福寺の五重塔                                 興福寺東金堂
 
 
                興福寺と五重塔                                 南円堂の左に夕日が沈んで行く
 
 
          300年ぶりに再建された中金堂                                      ①
 
 
                    ②                                              ③
 
 
                    ④                                            ⑤

  ①~⑤ までの写真は中金堂を照らすLED照明が赤や緑に変化し、拝観者に配られるLED提灯の色も変化し、幻想的なすがたです

大切な友人N様からメールに頂きましたお言葉を保存させて頂きます。

奈良・前田様の奈良便り何時も楽しみにしています。
昨日の興福寺中金堂の幻想的な写真に魅せられました。
昭和42年秋~49年春まで新婚時代をJR奈良駅からバスで5分程の住宅公団(UR)で過ごしました。
興福寺、奈良公園、春日大社は子供たちの遊び場でもありました。
懐かしい想い出、何時も前田様の便りを拝見させて頂いておりますが、特に今回の写真の“300年ぶりに再建された中金堂”は素晴らしいお便りでした。

N様の追伸①より
興福寺のこと、日本経済新聞・朝刊「私の履歴書」に11月1日より掲載されていることのご連絡です。
興福寺の貫首“多川俊英氏”の履歴書が掲載されています。
今日の内容は、学生時代大学研究室で「唯物心理学」に出会うことが書かれています。
日経新聞を購読されておられるかは存じませんが、目を通してみてください(購読されていない場合は近くの図書館で)。
履歴書は今日で九回目、月末まで連載されますので、「中金堂」のことが記載されるかもしれません。

N様の追伸②より

送信後、日経電子版を見ましたら下記の履歴書の記事が載っていましたので追伸します。

多川俊映(1)中金堂落慶  https://www.nikkei.com/article/DGXKZO37168480R31C18A0BC8000/

  私の履歴書 11月1日  https://r.nikkei.com/culture/autobiography

... 10月7日、興福寺の本堂中金堂の落慶奉告(ぶこく)法要があり、当日3千人を超える方々にご臨席いただいた。1997年6月に「興福寺境内整備基本構想」を
発表して20年、水面下で事業が動き出してほぼ四半世紀の歳月が流れていた。 ...

台風が近畿地方を直撃するとの予報だったが、それてくれた。
雲間から夏のような陽光が差し、時折、涼風が吹き抜けた。「当山の晴れの日。晴れてくれ」と祈っていた。「多川さんの法力ですね…

以上、N様のメールより転載させて頂きました。
参考までにお目を通していただけましたら幸いに存じます。

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自宅で収穫の秋の味覚を頂きました

2018年11月07日 00時20分08秒 | 我が家・親族

                          

ミカンは5年前に植木屋さんが2本植えて下さったものが初めてたわわに実をつけてくれましたと、100個余の初なりの貴重な一部を頂きました。
とても甘く美味しく頂いております。

柿は子供たちに分けた後の一部ですが、季節の美味しさを味わっております。

大好きな菊の花もたくさん摘んで頂き、ゆでて酢醤油+鰹節で秋の香りを頂いております。 

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ダンスの友人の加藤信子様の納骨式~能満墓苑に臨みました

2018年11月05日 14時34分28秒 | ダンス

   
     日本キリスト教団 千葉教会(千葉県有形文化財)              納骨式式次第                平成24年 85歳時の加藤信子様

                    在りし日の加藤信子様のご紹介  残念!先輩 91歳 8ヶ月 のお別れ

千葉教会の概要(千葉県のHPより)
 明治12年(1879)に伝導を開始し、同19年(1886)に講義所を設けたのがこの地における布教の始まりである。
この教会堂は、明治28年(1895)夏に着工し、同年10月7日に献堂式(竣工式)がおこなわれた明治の本格的洋風教会堂である。
構造は、木造平屋建で一部に塔屋が付いており、屋根は桟瓦葺で、一部は鉄板葺となっている。
基礎は煉瓦及び石造で、外部は洋風下見張である。
当初は、現在の塔屋の位置にベルを備えた塔屋があったが、明治44年(1911)7月の台風で崩れ、その後現在の姿になった。
建築設計者は、国指定重要文化財の「同志社クラーク記念館(旧クラーク神学館)」(京都市)を設計したドイツ人ゼールで、工事は東京の大工に請負わせたという
本県に残る数少ない明治期の教会建築の中でも、ひときわ意匠がすぐれ、かつ建築家ゼールを知るための資料としても歴史的価値の高い貴重な建築である。

【市原市合同能満墓苑にて】
 
             納骨堂の準備をされますお方
                             納骨堂の準備を待たれる遺族の皆様

 
       納骨堂に歩を進める加藤様のお孫様とお嫁様                  納骨堂に入る直前の加藤様のお孫様とお嫁様

加藤信子様とはダンス、短歌の趣味の友人として8年間のご厚誼を頂きました。
85歳の時にはお得意のタンゴを披露されました。
又、
28年度NHK短歌大会には題詠「風」の部及び自由詠が入選、そのお歌は下記の2首です

       庭先のチューリップ二本お互いに触れない距離で風にゆれてる       題詠「風」               

       われの身の壊れゆくがにほつれては直しつつ着る古き掻巻(かいまき)  自由詠

平成29年5月から一人住まいは不安と千葉市若葉区小倉町の「若葉の丘」に入居、お部屋にはご自身が描かれました素晴らしい油絵を飾り、大きな三面鏡を
備えて毎日お化粧を欠かさずおしゃれを楽しまれてお元気に過ごしてお出ででございました。
そして短歌も続けて頂きたく施設を訪問して励ましてまいりました。

しかし、平成29年11月、短歌はもう無理と最後に詠まれました一首です。

       濡れ縁で朝顔めでしは去年(こぞ)のこと今はホームで蝶や鳥愛ず 「軽雪」 2018年 第1号に掲載

平成30年4月10日、お食事時のわかめが喉につまったことが原因と青葉病院に搬送されました。
青葉病院にお伺いしました時は、すでに会話をすることも叶わず眠られましたままのお姿が最後になりました。
お見舞いから2日後に
残念!平成30年4月20日(金) 11時15分 91歳にてご永眠されました 合掌

そしてこの度、合同納骨式のお知らせを頂き、ダンスの友人3名と参列させて頂きました。
教会でのお式は勿論ですが、初めての儀式に戸惑いも多くありましたが、礼拝後の昼食を囲む懇親会に友人代表のお方から加藤信子様を偲び、素敵な人生の多くの歩みのご報告に皆様から大きな拍手が贈られました。
昼食後はバスに乗車して1時間余の市原市能満にあります合同墓苑に赴き、教会の多くの皆様とご主人様が眠ります霊堂に納骨までお見送りができましたことに
素敵な先輩に最後のお別れができました。合掌

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横須賀市 国指定史跡「猿島砲台跡」見学の旅

2018年10月30日 21時42分43秒 | 旅行

                実施日  平成30年10月29日(月)素晴らしい秋 
                参加者  男子・女子各3名の友人
                ガ イ ド  木暮様(猿島公園専門ガイド協会) 
(この度の幹事のN様より)
今回はガイドの木暮さんに島一周の案内をお願いしました。

ベテランのガイドさんで、江戸時代の台場、太平洋戦争時の猿島を案内頂きました。
また、昭和初期東京湾内に防衛の為3ヶ所(現在残っているには2ヶ所)に台場を作ったことの説明がありました。
現存しているようですが海図には記載なしと。
猿島ガイドは90分間、猿島に生息する草花・蝶々・樹木、砂鉄遊びも楽しむことができました。

    猿島のご紹介 https://www.tryangle-web.com/sarushima.html 

【行 程】 
 1)往   路 千葉発(大船行き) 9:07 → 品川 9:58着、京浜急行乗換 10:10発 → 京浜急行・横須賀中央駅 11:00着

 2)昼   食 11:00~12:00(横須賀中央駅周辺) → 三笠桟橋への移動時間約15分

 3)行き乗船 三笠桟橋発 12:30 → 猿島着 12:40

 4)猿島観光 ガイド時間  12:40 ~ 14:10頃 (90分)

 5)帰り乗船  猿島発     14:45 → 三笠桟橋着 14:55 (下船後、三笠桟橋周辺の海鮮市場・横須賀中央駅周辺のお店散策)
 
 6)帰   路  横須賀中央駅発 16:00頃 帰路所要時間 2Hr → 千葉駅着 18:00頃 (※万歩計は1万893歩を記録してくれました。)          
         

                          
                                                  猿島公園専門ガイド協会冊子より
 


           猿島に近づきますと白い岩が目立ちました                       猿島公園専門ガイド協会冊子より

 
                                                 日蓮洞窟見学入り口(現在は立ち入り禁止)の掲示版より撮影

 
 
                                                       今も使われておりますことに詳しく説明を頂きました

島内には緑深い木々の中、旧軍施設であるレンガ積みの美しいトンネルや砲台跡が残り、ちょっとした探検気分が味わえます。
この砲台跡は平成27年3月に国の史跡に指定されました。(冊子より)

  
           100段の階段を上って探検開始                  見学者のために歩道が整備されましたと(手前の写真は以前の歩道)

 
  猿島の石垣。中央の茶色の部分は終戦後の武装解除のために
  上陸した連合軍が威嚇発砲した痕ですと。

 
                  弾薬庫入り口                    ガイドさんに鍵を開けて頂き、中の「落書き」「揚弾井」等が見学できました
 

              
弾薬庫内部より。弾薬庫歩哨の監視窓。当時はガラスが嵌められていた。     管理がされていなかった頃の「落書き」が残されていました
島に電灯が無かったため、窓枠下の二箇所の丸い窪み蝋燭を置いたと。


                
  弾薬庫の隅には、真上にある砲台へ砲弾を運ぶためのたて穴があった。       「揚弾井(ようだんせい)」の文字を掲げて説明頂きました      
「揚弾井(ようだんせい)と呼ばれ、井戸のように滑車を利用して引き上げるんですよ」と。

 
               いよいよトンネル探検へ                          トンネル探検が終わって出口からトンネルを写す

 

 
                残念!現在は立ち入り禁止でした            
当時大砲が置かれていた砲台跡から房総半島が一望できました

 
                                                       幸いにも美しい「アサギマダラ」に出合いました

渡舟が着岸した目の前の砂浜を「砂鉄の浜」と呼んでいます。
この砂浜は砂鉄を多く含んでいて砂鉄遊びを楽しむことができます。
この砂浜で乗船までのひととき木暮様の素敵なアイデアを楽しみました。
「おみくじ」を1枚頂いて砂鉄をふりかけ、砂鉄を落としていきましたら最後は「大吉」の文字が現れ素敵な旅の思い出になりました。

 
素晴らしい秋  に恵まれました一日、ガイドさんの木暮様の説明を頂きながら仲良しグループの皆様と初めての「猿島砲台跡」見学の旅を楽しました事に、
この度の実施にあたり綿密な計画を立ててガイドさんとの確認などにご尽力を頂きましたN様に改めて御礼を申し上げております。
今後も皆様と親しくご一緒させて頂けますように健康管理に努めてまいりたく思っております。
N様をはじめ、皆様お世話になりましてありがとうございました。
 

この度の「猿島」見学の旅に毎日多くの皆様にお訪ね頂いておりますことに御礼を申し上げます。 

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2018.10.30(月)

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平成30年度 千葉県戦没者追悼式に参列致しました

2018年10月26日 01時00分16秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                    恒 久 平 和 の 誓 い 新 た に
          
千  葉  県  戦  没  者  追  悼  式

千葉県では、千葉県関係の戦没者(軍人・軍属等のほか戦災死没者も含む。)を追悼し、平和を祈念するため、毎年、千葉県文化会館において追悼式を実施し
ています。
追悼式は昭和29年から実施し、平成30年度で65回目を迎え、遺族のほか森田知事や県選出の国会議員ら約1000人が出席されて厳かに執り行われました。  

 ●日清戦争以後の千葉県の戦没者   57,248名
  (日中戦争以後ですと、約52,000名です。)
 ●一 般 戦 災 死 没 者         1,320名  (以上千葉県HPより) 
                            
犠牲になられました尊い多くの御霊に心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

千葉県内、各市町村遺族代表、来賓、市町村職員等の皆様が式場の千葉県文化会館の大ホールに参列され、千葉県警察音楽隊によります「ふるさと」などの演奏が流れる中、14:00開式、式次第に添って厳かに執り行われました。

  

 
                 式 典 斎 場                             「拝 礼」 千葉県森田健作知事

 
            「式 辞」 千葉県森田健作知事                   「追悼のことば」 遺族代表 丁子(ようろご) 様

 
       「献 花」 千葉県遺族会会長 丁子源三郎様                   「献 花」 各市町村遺族代表の皆様

毎年、千葉TVニュースにて追悼式の様子を放映してくださいましたが、この度は残念ながら放映されませんでしたのでご紹介の写真がなく困りました。
従いまして森田健作知事及び遺族代表者のお言葉をお伝えすることができませずにとても残念に存じます。
ただ、遺族代表者の丁子(ようろご) 様はよく存じ上げておりますお方で、お兄様お二方が散華されました事にご両親様の悲しみを語られました。
丁子(ようろご) 様は御一方のお兄様の慰霊に 2015.4.13掲載の 天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅に感謝 の一員として参加され、貴重な慰霊巡拝ができました事に深い感謝のお言葉を述べられました。

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平成30年 第60回市民体育祭 兼 都小地区家族大運動会に参加しました

2018年10月22日 15時58分26秒 | 千葉の事(町内行事含む)

 
             6 町内会が参加のプログラム                            各町内会の応援席

 
              「綱引き」大人も子供も一緒に参加                    「びん吊り競争」に真剣な面もちの女性選手

 
                            「100m競争」に
大人の男女が真剣に激走しました

 
          「障害物競走」に参加の子供と大人の選手              「ニアピンコンテスト」いつもグランドゴルフにご活躍の皆様

 
                 「2段玉入れ競走」に頑張るわが町内会の選手の皆様 結果は残念!6チーム中5位でした

 
         「輪踊り 炭坑節・千葉踊り」に参加の皆様             「輪踊り」に大人・子供・赤ちゃんを背負ったママも参加されました

 
      「輪踊り」に沢山の子供たちもママと一緒に踊りました               役員さんが撮って ↑ くださいました私です

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平成30年度 千葉市戦没者追悼式開催される

2018年10月20日 11時35分36秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                                      恒 久 平 和 の 誓 い 新 た に         
              千  葉  市  戦  没  者  追  悼  式
                日   時  平成30年10月19日(金)14:00開式  
                会   場  千葉市文化センター アートホール
                対 象 者  戦争・戦災死没者遺族
                
先の大戦において尊い命が犠牲になりました4200余柱のご冥福を祈る千葉市戦没者追悼式が挙行されました。
式典には、千葉市 熊谷俊人市長様  をはじめ、市議、県議、国会議員、母子推進委員、民生委員等のご来賓の皆様、遺族関係者約400名が参列いたしました。
式典は14:00開式。式次第に添って厳かに執り行われました。 合掌


                式次第                                    千葉市戦没者追悼式斎場

  
           「思い出のことば」 遺族代表 I 様                    「献 花」 中学生・来賓・遺族代表らにより行われました

「思い出のことば」を奉読されました I 様が「遺族会だより」に寄せられました一文よりご紹介させていただkます。
 毎年思い出します。母子3人は父親の実家(滋賀県東近江市)へ疎開していました。
真夏日でした。愛知川へ勤労奉仕に出ていた所へ父の戦死広報が届きました。
母の号泣姿が忘れられないのです。
父は38歳、私は就学前でしたが、鮮明な記憶です。
78歳になりましたが、あの戦争は何だったのか?問い続けたいのです。
母は10年前に91歳で父のもとへいきました。
戦地のフィリピン・ルソン島バギオへ報告に行ってきました。大きな慰霊塔を前に、自分の報告をしてまいりました。
世代は変わっても、あの昭和の大戦を風化させてはなりません。
一言、投稿させて頂きました。(以上、ご紹介より)

 
            「献 花」 女性遺族代表者                           「御礼の言葉」 千葉市遺族会副会長 T 様

「思い出のことば」を奉読されましたI 様は「お父様との思い出がないから悲しい」と壇上で絶句されました。
参列者も年々高齢化がすすみ、杖をつきましたり、ご家族に支えられながらの参加者が
多くなりました。
幸いにも の予報が外れて足元の心配がなかったことに安堵いたしました。

しかし、今年も地元の放送局のお姿がなく、新聞記事も見当たりませんことに一抹の淋しさを覚えます。

私たち遺族は生ある限り悲しみが癒えることはありません。
世界の恒久平和を心からご祈念申し上げ、千葉市戦没者追悼式に参列させて頂きました。
追悼式を執り行ってくださいました千葉市の関係者の皆様に感謝と御礼を申し上げます。

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奈良だより「斑鳩三塔」のご紹介 -49-

2018年10月19日 20時53分13秒 | 奈良だより

奈良の前田様から詳しい説明にお写真を添えてご案内を頂きましたので早速ご紹介させて頂きます。

「前田様より」
秋の斑鳩の里はコスモスが咲き乱れ、道端の畑には黄色味の増した大きな柿が実っています。
法隆寺・法輪寺・法起寺の塔は、斑鳩三塔と呼ばれ旅行者の人気スポットです。
コスモスの花が見頃を迎えている頃と思い、奈良からの帰途少し回り道をして、訪ねてみました。
今回は法隆寺をカットして、法輪寺と法起寺を訪ねました。
法輪寺は飛鳥時代の創建と伝えられ、法隆寺の北方に、法隆寺式伽藍配置で、法隆寺西伽藍の三分の二の規模で建てられていましたが、国宝三重の塔は
昭和19年に落雷により焼失しました。
現在の塔は、昭和50年に飛鳥様式で再建されたものですが、再建にあたっては、「五重塔」などの作品がある小説家の幸田露伴の娘さんで作家の幸田文さん
格別な協力があったと伝わっています。
法起寺は岡本尼寺とも呼ばれ、聖徳太子臨終の遺命を受けた山背大兄王が岡本宮を寺に改めたと伝わり、発掘調査で岡本宮の建物跡と推定される遺構が
発見されています。
慶雲三年(706年)建立と推定される塔(国宝)は、三重塔では現存最古の遺構といわれています。
発掘調査によって、金堂が西、党が東に建つ法隆寺とは逆の伽藍配置が確認され、同様の伽藍配置を持つ寺院は法起寺式伽藍配置とよばれています。
法起寺と法隆寺は、平成5年「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に認定されています。

(記事は奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブックから引用しています。) 

 
              法輪寺の塔                                      法輪寺金堂

 
                     法輪寺講堂                                        法 起 寺

 
                   コスモスと法起寺の塔                              満開のコスモスと三重塔

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日本遺族通信 平成30年10月15日号 遺書と九段短歌

2018年10月17日 09時39分19秒 | 日本遺族通信


                          平成30年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

今号もお若い
お方の遺書ですが「我々兄弟三人が、目出度く凱旋の日をお待ちください。」に、どうぞ全員が戦死ではないことを祈りつつ拝見致しました。
戦後70年、日本は戦争を繰り返すことの無き平和を守ってまいりましたが、世界の一部の紛争の放映に心が痛みます。
戦争の悲劇は永遠です。世界の恒久平和を祈って止みません。

今号の九段短歌の紹介に選者 安元 百合子先生から「里の秋」の歌について説明を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
 今号は様々な視点
の歌が届きました。
「里の秋」は昭和16年に戦地の父への慰問文として作詞され、題名は「星月夜」で曲はなかったそうです。
1番と2番の歌詞は現在と同じですが、戦争が拡大したころ、3番は「椰子の島、武運を祈る」4番は「兵隊になり国を護る」という内容に変わりました。
終戦後NHKラジオで放送するに当たり、題名を「里の秋」3番の歌詞を「さよなら さよなら椰子の島」と変えたそうです。
まさに歌に歴史ありです。
戦後の遺児の生活の悲しさ、苦しさ、悔しさに憤りを覚えました。と頂きました。
 

次に「里の秋」の歌をお詠みになられましたお方から掲載順に10名の方の鎮魂の歌をご紹介させて頂きます。 

   「里の秋」 歌の真実聞かされて平和の今をあらためて知る        甲州市 遺児男性
   ささやかな吾が思ひなり献じたる「みたま祭り」の一灯に足らふ       鳥栖市 遺児女性
   白菊を手に持ち進む中学生世代をつなぐ慰霊のきずな          佐世保市 田中暁様元「鳥海」艦長子息
   大方は餓死とふ南の島青く兵らは永久にここに眠る          富士吉田市 遺児男性
   戦死せし父のみ位牌葬列にしかと持ちたり五つのわれは         青森県 田中
恭子様
   父の顔知らねど吾に父ありと軍服の写真に父上と呼ぶ          長野市 遺児男性
   五歳から戦争遺児の境遇はがまん我慢の七十余年           名古屋市 遺児女性 
   国策とて父なき人は不採用戦争遺児の悲しき思い出            京都府 遺児男性
   沖縄の慰霊の式に中学生朗読せし詩「生きる」に泣けり          千葉市 遺児 私
   終戦日遺影に語る母の背の細き姿やあをぐ夏空
                相馬市 遺児女性    

この度の「里の秋」の歌について徳さん先生から大切なお言葉を頂きましたのでご紹介させて頂きます。

 この歌は今の千葉県山武市成東で出来たものです。
斉藤信夫さんという学校の先生が作詞をしました。
千葉市の院内小学校の先生もした人です。
戦後、海沼実さんが作曲して世に知れ渡るようになりました。
戦時中には歌詞は4番までありました。
「大きく大きく なったなら 兵隊さんだよ 嬉しいな ねえ 母さんよ 僕だって 必ず お国を 護ります。」 という歌詞でした。
全く秋とは関係ない詩ですね。
戦後引き上げ船が舞鶴などに着くたびにこのメロデーが流れたので全国にこの歌が知れ渡りました。
でもこの歌が千葉県成東で出来た歌だと知る人は少ないですね。

徳さんさま貴重なお話をありがとうございました。
千葉県から誕生しました素晴らしい童謡に町内カラオケ同好会に皆で歌いたいと思います。

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懐かしい友人の庭のお花のご紹介(再)

2018年10月15日 23時03分07秒 | 友人の庭のお花のご紹介

厳しかった夏の暑さも記憶が薄れそうな昨今でございますが、いつもお訪ねいただいております皆様には夏のお疲れはございませんでしょうか。
気温の変化が激しい日々にお風邪など召しませんようにご健勝をお祈り申し上げます。

ここに2011年10月15日に紹介の
 
  
友人の庭のお花のご紹介 を再度紹介させて頂きます。
長い間、お花のを頂いておりました大切な友人が病に倒れましてから久しくなりました。
今頃はどんなお花のご紹介を頂いておりましたかと懐かしく過去ログ
を紐解きましたら、丁度10月15日に頂きました秋の可愛いお花に出合いましたので再度
ご覧頂きたくご紹介させて頂きます
 
「今回は庭の花 つり花 ・ まゆみ ・ 霜柱 ・ ふじばかま ・ 風露草 ・ 南天萩 をご紹介し、追って 「つり花」 のファイナルをご案内いたします。」と頂いておりましたので、再度ご一緒にご覧いただけましたら嬉しゅうございます。

 
                つ り 花                              ま ゆ み

  
                霜  柱                             ふじばかま

 
                風 露 草                             南 天 萩

      つり花 のファイナルをご案内いたします。と頂いておりましたので再度ご紹介させて頂きます。 

         
                    つ り 花 1                    つ り 花 2

         
                    つ り 花 3                    つ り 花 4

 

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親戚からの嬉しいお届け物

2018年10月13日 00時50分41秒 | 我が家・親族

 
         孫が大好きなお餅ともぎたてのインゲン            大好きな葉しょうがと毎日の食事に欠かせない嬉しいネギ

親しくなりました宅急便のお兄さんが、わがことのように嬉しそうに 「又、 ですよ」と届けてくださいました。
そして「冷蔵になってるので宜しくね。」と。
嬉しい  に加えて優しいお心遣いに「上がってコーヒー
でも如何?」と言いそうになってしまいますが、とんでもないお節介オババは要注意ですね。
生きていくうえで大切なことは「挨拶」を再確認しました宅急便のお兄さんの優しいお言葉でした。

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平成30年度 千葉県護国神社秋季大祭開催

2018年10月11日 21時17分38秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)
          千葉県護国神社 秋季大祭 平成30年10月10日 (水)  10時開式

  
                               
 千 葉 県 護 国 神 社

大祭御参拝要綱に基づいて下記の通り「参列方式」から「参拝方式」に変更して開催される運びとなりました。

 1.施  行  日    平成28年10月10日 秋季大祭から実施
 1.当日の参拝時間  午前10時から午後3時まで、時間内に参拝
 1.参  列  者    来賓招待者、各地域遺族会会長他関係者
 1.ご 案 内 方 法    テント及び椅子の敷設無く、「祭典参列方式」→「祭典参拝方式」に変更

 
      慰霊碑に拝礼する来賓及び遺族関係代表者      資金難から座席の設営が無くなり立ったまま拝礼する各遺族会
 
 「奉納の舞」を踊られたお方に特別にお願いしました       本殿においての式典が終了して退出される宮司の皆様

長年テントが敷設され千葉県遺族会関係者約1000名の参列者は全員が椅子に座って本殿の式次第に合わせて式典を執り行っておりましたが、押し寄せる
経済的事情から平成28年度
秋季大祭より遺族関係者の座席の準備が無くなりました。
参拝時間は午前10時~午後3時までとされ、各地域遺族会がそれぞれ自由に参拝時間を選べますことに遠方の遺族会の皆様は時間的に余裕があります事
とも思います。

本殿では来賓の皆様による式典が例年通り10時~11時半まで執り行われております。
その折の奉納の舞は本殿の中で踊るようになり、写真に収めることができませんでしたので終了後にお願いしました記念のお写真です。

自由参拝の境内は閑散として一抹の寂しさがこみ上げておりますが、今までの時代が終わり、新しい時代の始まりでもありますかと思っております。

 
 
「奉納の舞」を踊られた可愛いお方に誘われましたので嬉しくてずうずうしく申し訳ありませんがめったにない1枚になりました                                           
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