湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/15 キャンナスの著書を眺めつつ/県サポにて

2012-10-16 06:09:55 | 引きこもり
2012/10/15 記
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相模大野から一度藤沢に戻る。ジュンク堂でキャンナスの「ボランティアナースが綴る東日本大震災」を見つけた。内容をみてがっかりした。また震災直後からの急性期看護対応を始めた看護師の日誌なのだった。

私が求めているのは、自分たちが何をしたのかではなくて、その活動がどのように協力者と連携しているかという著述。例えばキャンナスの看護師のもとに、湯を調達したり、手不足の避難所まで看護師を運んでくれたひとのこと。被災直後はそのすべてが即興であったりするが、医師を支える看護師を更に支える家族や、薬剤師や避難所ボランティアのこと。ガソリンが不足して動けなくなると、ガソリンを調達に奔走してくれたひとのことだ。

これは道徳臭い話ではなく、状況を動かしていく過程のエスノグラフィックな記録であり、専門職の専門性の高い活動を支える状況の構成要素の連続性、つまり活動の集団性・社会性を意識化することだ。ここを通すとき、関係者相互が看護師さんの周辺、つまり協力者との成すべき活動が見えてくるのだと思う。

専門性の高い活動は自分の活動の縄張りを当たり前のこととして著述してしまう。しかし被災という混沌の中では、圧倒的な医療関係者の不足に振り回され、その基盤を支える活動が前に出る。医師や看護師が孤立無援の活動をしているわけではない。家族がおり、それを支える人々がいる。それを傍観者・追従者として著述していいのか、治療と保健の戦いの中に関係者の自立活動を組み込んでいくのは絵空事なのか。

このことは、仮設住宅入居以降、救急の事態をくぐったのちのこと、仮設生活という過渡的な生活を、様々な歪みを抱えつつ、更には救急時に沈黙を強いられていた諸問題の軋轢が浮上してくる中での地域保健・医療の網目をかける時期をどう支え。推進していくのか。その活動は専門職の仕事として切り出していいのかという疑問だった。この著述の隙間を私はつかみとりたいと考えていた。

仮設生活というのは実に厄介だ。一見日常生活の萌芽のように見えていながら、やがて建設される被災者住宅への仮住まいであること、新築したら家族の年寄りの体調が悪くなって、亡くなったという話をよく聞く。生活という個人の人生の基盤がゆらぐ時期、不安定に変動する場である。農家の広い家の生活から、顔をつき合わせて暮らす仮設生活のストレス、家族構成や財産が危機に瀕し、閉ざされる未来との孤独な戦いはボディブローのように後になって効いてくる。それゆえ、単身高齢者宅の孤独死が生まれたりするわけだが、この課題を専門職に任せると本気にそう思うか。プライバシーを守るという言葉の中に研究の放置はないか。

この辺は市販書籍には無理かなと思い始めている。今までの探索で見つかった研究書では、

●「地震による津波で被災した一人暮らし高齢者・高齢者世帯の生活再構築のための支援過程の構造化」岡本玲子代表編・岡山大2012.3刊NCID:BB10096415

●「東日本大震災における高齢者・障害者等に対する福祉支援のあり方に関する調査研究事業報告書」全国介護者支援協議会著・2012.3刊

がある。大学図書館にも在庫が少なく、県立保健福祉大図書館ルートでコピー取り寄せをかけている。類似の視点が共有できるひとたちであるといいのだが。

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期待するから落胆がある。それはそうなのだが、助成金の件を探るために、期待を抱かず県サポに向かった。結局は情報の出所が同じで、サポチガ情報網と同じだが、神奈川県と市民活動中間支援者の裏道の探りをいれた。結果は社協の年度末資金の残りに期待をかけるかという話で終った。今回の講演の公共性は共催者があってしかるべき内容だが、それができたら苦労は無いのだ。県社協への申請書をそれでも書いていこうと思っている。地方紙筋も探り済みだ。

県サポの前で電話、明後日**子の就労の件で蒲田をまわる。その前に東京の順路に大門の赤十字と八丁堀の日遊協を入れた。確認電話。黒田さんの講演は意味が大きい。最悪のときに備え、蔵書とレコード(TONYさん感謝)を売って担保資金を確保済み。残り10万円強である。

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補)以下の書を借りた。

●「発達障害白書2013年度版」
●「災害救護 : 災害サイクルから考える看護実践」

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母に弁当を買って帰る。軽くパンを食べておくとの話、母は何も食べずに待っていた。これでは、夜の授業に出ることが出来ない。えぼ鯛の開きをさっとサラダ油で揚げると美味しい。この一品で納得したようだ。私は鯖の味噌煮、糖尿病食にしては贅沢な方だ。洗濯物がたたんであった…見返りがこわい、こわい。

夜間傾聴;中学生君(仮名:お礼の電話あり、嬉しい。)

北里大サークルメールあり。事務長名入りの丁重なお断り文。

p.s.
陸前高田の高田病院の経歴をNHKドキュメントから知る。被災支援の熱気が去れば、東北の太平洋沿岸部の「過疎化」「極端な高齢化」「無医地区拡大」に対抗する社会運動はつくりにくくなる。これを予測した支援活動を生活支援活動の中に作る必要がある。

(校正2回目済み)

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10/14 連続セミナーを支える資金繰りのこと/鶴嶺高校ボラ塾待機期間の活動について

2012-10-15 05:50:02 | 引きこもり
2012/10/14 記
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昨日から助成金制度を探している。県のHPから探っているが、「SCF」や「『わーく』編集部」または、「講演会実行委」は法人格ではない上、災害ボランティア関係者向け企画となると、対象になる助成金がない。

黒田裕子さんの講演は、神戸から茅ヶ崎までの交通費と謝金、陸前高田・大船渡から計2名の招待となると最低でも15万円、諸雑費込みで18万円は見ないといけないだろう。3回の講演で、500円参加費を取った場合も、のべ60名、3万円程度回収して、結局15万円を捻出しなくてはならない。以前のQRコード医療等個人情報シール実現時には、某薬品販売会社が関心を持ってくれたが、非被災地と被災地をつなぐ生活支援プロジェクトでは、結局は3連続講演会なのである。本来なら3日連日プログラムすべき内容なので、間を開けずに積み上げていく。そのために、15万円を分散させずに15回無利子払い返済の借金で立替えできないかと、立替え調達元を探している。私が被った場合、私のように、複数収入勤務と自営では、クレジットが昔から出来ない。これ以上短期だと、私自身が被災地訪問できなくなってしまう。

第一回目の講師決定とともに、この助成金または借金先探しは結構時間がかかる。しかし、東北の被災者を見捨てぬ非被災地の生活支援活動の流れを作るためには、絶対に手を抜くわけにはいかない。情けないが正念場となっている。

月曜日、つまり明日、県サポと県庁に相談にいく。火曜日はろうきん・全日遊連をまわる。黒田さんの分は見通しが出来たが、それでも宿泊費は出ない。

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ボランティア塾の私の分科会は、JRCのような高校内の恒常活動があれば、膨らませができるが、湘南の被災時の個人の心がけの提案では、価値が薄い。ふたつばかり、彼らがサークル活動できるような活動提案を残したいと思っている。タージの方々の南三陸の高校生交流会の報告を含んだ分科会の方でも活動参加の勧めがあるだろうから、邪魔はしないような領域の提案に留める。

茅ヶ崎の場合、近郊都市型の被災パターンになるので、東日本の漁村型の活動とは異なる面がある。それを押さえた場合、陸前高田・石巻・気仙沼の経験がどう活かせるか、整理している。支援活動は常に重複部分が出るので、機械的な配分はあまり役に立たない。むしろつながり方の話を伝えようと思う。資料作りを始めたが、地域医療福祉の関係者のゲストをどう活かすのか考えている。概要ができたら、ブログに載せるつもりだ。

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キャンナスの著書の読書を始めている。

●「ボランティアナースが語る 東日本大震災」

結局は、被災直後(急性期)の活動レポートなのだ。仮設入居が始まり生活再建が始まってからの、地域医療福祉ネットワークと関連付けたNPO協働の活動見通しが、かすんでしまうのはどうかなと思う。

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火曜日に**子の居場所つくりの件で、蒲田に立ち寄る。夜の相模大野、間に合うか。高検準備指導なので休めない。


夜間傾聴:「非定型うつ病」の典型の青年との付き合い。焦らない、焦らない。


(校正1回目済み)
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10/13 ボランティア塾と連続セミナーの準備

2012-10-14 06:30:11 | 引きこもり
2012/10/13 記
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朝、立正佼成会の++さんが突然現われ、追うように民生委員さんが現われた。++さんは故・祖母の友人で年数回現われては、祖母の写真に手を合わせていく。父の宗教の関係で我が家には仏壇がない。位牌も無い。父に燃やされてしまったからだ。そのことに++さんは猛烈に反発し、私たち家族に不幸が起こらないようにと、我が家の近くに来たとき、故・祖母の写真に手を合わせて帰る。父が老健に入所したので、仏壇を復活しようと考えるなら、それは可能だが、故人の思い出はしっかりもっていけばいいので、あえて作らないことにした。思い出す契機がほしいから、彼岸の墓参だけはしているが、いわゆる罰当たりを引き受けていこうということにしている。考えてみれば、東日本大震災の被災地では、仏壇を流されてしまった家庭が多いだろう。私と母は先祖代々に思いを馳せることはないが、生前、共に生きた家族は思い出として抱えている。先祖代々に申し訳けないとは思わないが、父がえぐった突然の傷だけは、喪失の悲しみとして、被災者につながるものがある。

鶴嶺高校の「わーく」編集部の分科会は「災害ボランティア:高校生に出来ること」をほり起こしていくが、活動の紹介もあるが、主は「被災時」の立場の変化の話だ。災害沈静化・行方不明者捜索・重傷者搬送・ガレキ撤去等環境整備・ライフライン確保等のいわゆる「最前線(外の仕事)」を社会人に任せて、避難所の雑務と家族の心身の安全確保は、主婦と青少年が軸となる。

この部分のイメージを持ってもらうような話になるが、一歩進めて何をどうするかという話になる。この間の防災教育の欠陥は、学校という集団のリーダー統率型の集団避難や消火活動などに重点がおかれ、青少年集団は「迷える子羊」状態に押し込められてきたところにある。ところが震災津波被災の現実の中で、学校は休校、地域集団を基礎にした急性期の活動や、授業再開する仮設住宅を基礎にした慢性期の活動には「後方の固め(避難所・地域の仕事)」の期待される力として主婦・青少年による避難生活「ケア」の活動が軸になる。

学習によるモラトリアムの存在であった高校生が、社会活動の一員として再編されていくところに、災害ボランティアの活動の特徴がある。いま・ここにある現実と彼らなりに向かい合う貴重な場となる。避難所の食事のカレーライスを動けない祖母に届けたり、箸でないと食べられないといわれて、箸の確保に走り回った体験の方が、学校単位で優等生集団支援「ありがとう」の挨拶練習をさせるよりよっぽど価値の高い活動をしている。この辺の勘違いが駄目な指導者の特徴である。

しかも「防災」を場面にしたとき、彼もまた被災当事者であることが意識されないことが多い。家族を失ったり、未来の身辺変更を余儀なくされたり、死の境界をすり抜けてきた体験の重さにおののいていたりしている。その彼が同様の足元の震え・すくみを抱えたまま、家族や他者と向き合うという、それゆえの青少年の力動を大人たちは生活支援のパートナーとして自覚的に迎え入れなくてはならない。その上で、彼らに仕事を任せていくのである。同時に彼らの羽を休める場を確保せねばならない。

仕事の種類を羅列したり、例えば被災愛玩動物の世話を提供したとき、実際にそれを実行すると思いもかけないことに出会うことがある。怖れて吠える小型犬をひねりつぶしてしまったり、ビルの5階から放り出してしまったりすることがある。愛憎のうねりに耐え切れなくなった例だ。これは残酷な事例だがそれは教えておくべきだろう。「たまらなくなったら、大人を呼べ、ひとりで苦しむな」というアドバイスである。それでもなおかつ、彼はまとわりついた愛憎のうねりと付き合いつつ、静かな一歩を踏み出すべきなのだ。勿論、動物の持つ「心の治癒力」を感じ取る子もいるのだが。

だからボランティア塾の分科会の懇談は一風変わった話になる。見通しを持ってもらいたいと思う。いつ起きるとも知れぬ災害に備える活動の心得暗記というより、そのときに役立つ活動を立ち上げて、磨いていって欲しいと思う。それに笑いを引き込むのは、彼らの若さの素質と想像力によるものだ。

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連続セミナーの第一回目の講師選択が難航している。ここが決まらないと、企画の全体像を描きにくくなる。黒田裕子氏という失礼だが「スルメ」のような人物と出会え、仮設生活以降の道、「東北被災者支援」と「防災」を阪神淡路大震災復興経験を踏まえて、何をなすべきかという提言を得ることが確保されたので、当初予定していた第二回目の講師の方を第一回に繰り上げた。黒田氏の日程によるものだ。今回のセミナーの主眼が、「社会的弱者と被災」であり。東北被災者の支援の長期継続を考えるところに置かれている点で、「防災」論議からはみ出している。後者は「民間交流(フレンドリー・ネットワーク作り)とケア」であり、前者は生活再建の道を先陣の轍を踏まぬような注意をはらった経験の再編にあり、その焦点を障がい者支援に向けた避難と避難所生活を検討することにおいた。

この講師に疾病者・妊婦・高齢者ケアを含んだ生活支援ネットワークを進めている**氏や、居宅介護・訪問介護支援センターを始めたNPO##氏、自閉症協会発行の防災ハンドブック編集者の$$氏、「あと少しの支援があれば」の中村雅彦氏等打診しているが、いずれも会わねば埒があかない状態で、福島・大阪・大船渡・陸前高田といずれも遠い。フットワークが重いため、会いに行けない壁にぶつかっている。「生活支援のアクチュアルな形」をつかみ出していくために、現場経験を引き出したいと考えるからだ。資金不足だから企画が立たないとしたら、助成金も得られない。セミナー立替えも考えると交通費を捻出できないそんな堂々巡りをしている。

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●「ナース発東日本大震災レポート―ルポ・そのとき看護は」から視点が面白い筆者を選び出している。この本の限界は、被災当日から避難所生活までのいわば急性期の支援レポートであり、仮設入居後の生活再建支援は、その見通しも含めて数が少ないことだ。また、無理な話といわれそうだが、極端な都市周辺部の過疎高齢化や、無医地域の課題を現在的に検討していく質を孕んだ活動が提案されていないからだ。東北の被災者支援は「過疎高齢化」「無医地域」の落とし穴に立ち向かう質が必要だ。まだいまいち作業が続く。

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穴子を買い込んで煮付けて母に出して肘鉄を食らった。柔らかな食事を作れないかと腐心中。私は80kcalのカレーで片付け。

明日、巡回文庫第二回配本の件で、希望書籍リストを作る。


夜間傾聴:ひとり(こころに絆創膏を)


(校正1回目済み)

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10/12 鶴嶺高校ボランティア塾分科会ゲスト決定

2012-10-13 05:26:56 | 引きこもり
2012/10/12 記
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朝、茅ヶ崎市の青少年課から連絡が入り、11/13の県立鶴嶺高校ボランティアティア塾の分科会ゲストが決まった。講師選択は紆余曲折あったが、テーマが「防災」だが、東日本大震災の被災地に派遣された体験を持つ職員の中から、

保健福祉課 1名 **さん
産業振興課 1名 ##さん

が決まった。青少年課からもという話もあったが、大人が多すぎると高校生が萎縮するということで、派遣体験のある2名になった。看護介護福祉畑の**さん(女性)と、中学校派遣体験のある##さん(男性)であり、どうやら面白い懇談になりそうだ。

話は「災害ボランティア:高校生にも出来ること」である。

さっそく保健福祉課と産業振興課にお邪魔して、それぞれの方に挨拶と概要説明をしてきた。産業振興課の##さんは、以前雇用労働課の○○さんと就労支援の企画を話し合っていたときに、意見を伺った方だった。

高校生向きの役割は、時期のよって変わる。被災直後・避難所生活中と、高校授業が再開し仮設住宅の生活が続く時期、復興が進み被災者住宅に移り住む時期である。

また、「防災」の議論なので、自分自身も被災当事者であること。相手もまた様々な被災ストレスにさらされた方であること。その中でのボランティア活動なので、外部ボランティアと異なる部分があること。大人の誰と連携していくかというネットワークの自覚を求めたいこと。若者の軽快さを潰してはならないが、注意事項を心に置いて…とはしなかった。活動の目的には裏表があって、その両面を自覚的に実行して欲しいとした。

実際避難所の雑務手伝いや、高齢者の誘導、料理と配膳担当などもあって、災害が一段落した時点から大学生ボランティアが入ってくるので、地元であることを活かす役割を考えておかないと、大学生の雑務係になってしまう。

そういう現場の体験から高校生に問題を提案、あとはフリー・トーク。

ともあれ、メンバーが揃ったのだった。


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東京都社協が出したパンフレット、社会的弱者(高齢者・障がい者・子ども・外国人等)のケア関連の書だが、その作者がわかった。その方とのコンタクトが取れそうだ。ともあれメールし、面会を求めた。

また自閉症協会の防災ハンドブックの関係者にも打診をしている。

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茅ヶ崎図書館の水飲み場の蛇口パッキンが磨り減っていて、突然水柱がたって、私の頭上に局地豪雨。時ならぬ大雨にブレザーごと水浸しになった。タオル地の手拭きを持ち歩いていたので、なんとかなったが、ひどい目にあった。

外出時、USBメモリー内のファイルを印刷できるのは、イトーヨーカ堂のミノルタ製コピーか、セブンイレブンのコピー機しかない。茅ヶ崎駅前はセブンイレブンが無いので、いつも難儀する。中海岸の動物病院から鉄砲道沿いにペットレスキューの通信不足分を配布するために、茶屋町店に入った。ところが故障中。ならばと浜見平団地中央店に移動したところ、16日オープンと看板、臨時休業。バスで会館前で乗り継いで、常磐町店に行ったら太陽光発電工事中で30分待たされた。茶屋町から常磐町まで、一昨日はさんざんだった。ジンクスを担ぐわけではないが、どうやら呪われているらしい。

無事市役所の話を終えて、茅ヶ崎駅の地下道でばったり発達障碍関係者の%%さんと会った。%%さんに頼んだ2/13の連続セミナーの黒田さんの会の支援の件、呪われるのかなと、すでに覚悟している。しょうもない話だ。

橋本にて個人指導を済ませ、用事があって辻堂に遠回りした。駅前に黒い影。いた、久しぶりに路上生活者●●さんを発見。事情を聞いた。食えないからとぼそり。なんとも悲しい。握り飯を買って、置いてきた。足が前より不自由になっている。関節が痛いという。漁りに出られないのかもしれない。要チェック。

●「AMDA被災地へ!国際緊急医療NGOの活動記録と提言」
●「発達障害児者の防災ハンドブック」
●「災害支援と家族再生」

----- 茅ヶ崎図書館に買わせることに成功。

夜間傾聴;なし


(校正1回目済み)

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10/11 鶴嶺高校ボランティア塾の構想を練りながら

2012-10-12 05:20:10 | 引きこもり
2012/10/11 記
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庭の松の木の手入れを頼んでいた職人さんが、早期治療できた脳血栓で軽い半身不随となり、代わりの職人さんを探さねばならなくなった。高齢者事業団の職人さんは、草取りは、やるが高いところは、やらないという。結局私が昔塾の自然観察塾にも使っていた教室の卒業生が園芸農家なので、庭師はしていないというが、無理を頼んでやってもらうことになった。彼らは朝が早い。今朝は下見に来たといって、就寝後1時間半、チャイムに起こされて急いで寝直ししたが2時間半後に生協の配達が来て起こされた。そんなわけで、今日は一日中うたた寝状態だった。

市の青少年課に鶴嶺高校ボランティア塾の災害ボランティアの一分科会シンポに、協力してくれる被災地訪問経験者職員を紹介して欲しいと頼んでいたが、講師選択に悪戦苦闘しているようなので、獣医師さんに相談を持ちかけていた。ただペットレスキューは、湘南被災時、危ない団体が入り込む可能性があって、結論としては、授業時、活動紹介しないことになっていたが、その獣医師さんから、防疫の知り合いを紹介しようかと電話が入った。生協の配達直後だった。

要するに家畜のお医者さん。福島のように町ごと避難した地域では、牛や豚などの家畜が餓死し、逃げ出せた家畜は野生化した。この野生化した元家畜が、伝染病に感染すると、近隣非非難地域の家畜に感染がひろがってしまう。その前に、捕獲して引き受けてくれる農家があれば、予防接種後引渡し、残りは安楽死させる。しかし実際は、福島産の家畜は放射能汚染が疑われて売れないということで、引き取り手がなかった。また安楽死させるために、地域に入るが、線量が高いために獣医師が敬遠して、結局その場で家畜は餓死に追い込まれた。そんな体験談が可能だが、災害の悲惨さを語ることは、彼ら高校生にボランティア参加を促す目的には不向きだった。被災現場で高校生が安楽死の手伝いをするわけではないし、災害をやめさせるわけにもいかない。行動決行のモチベーションがあがるわけでもない。丁重にお断りした。

そんなこともあって、最悪のときわたしひとりで分科会をもつことを覚悟した。

茅ヶ崎周辺に想定される震災と津波の状態を把握させること、そのなかで被災直後から避難所生活期、生活再建期にわけて、場面を考え、その中でできることを考える。

携帯は多機能化している。とくにカメラ・録音機能は取材機材の代用になる。問題は場面と役割のなかに組み込まないと意味が無い。そのつながるべき災害対策本部の説明と、つながり提案の仕方を解説する。

また、子どもの遊び相手の場合も、目的と注意点をはっきりさせていく。また自転車・原付部隊の有効性・救急医療との関係等、いわゆる期間限定隙間ボランティアの存在を雑用・現場即応性と切り分けて説明する。また閉鎖集団ではなく参入者に開放された活動の価値を説明する。

例)単独行動を取らない。>組織行動 2名同伴行動 etc.
団体をつくる。>鶴嶺高校災害ボランティアの会 etc.


掛け合い懇談が出来る場合は、被災地の体験を伝えていく。

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茅ヶ崎市消防署・保健所に立ち寄る。主に2/18黒田氏講演会の件と、鶴嶺高校ボランティア協力要請。>失敗

慶応大看護学部の**准教授にメール。>応答待ち

寝惚け状態>辻堂図書館で


夜間傾聴>橋本3君(仮名・母親緊急連絡)


(校正1回目済み)


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10/10 黒田さん2/18講演の基本線と呼びかけ文作成開始

2012-10-11 06:41:35 | 引きこもり
2012/10/10 記
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母が東京の主治医の診察を受ける日だったので、母に付き添って茅ヶ崎駅に出る。母を駅のエスカレーターに乗せ、私は茅ヶ崎市立図書館に立ち寄った。

私は阪神淡路大震災のとき、重症患者搬送前の避難所のトリアージ・レッドの方々を集めた仮設ベッドあるいは、床毛布の準備の設置の様子や、看護師の急場こしらえチームの結成呼びかけの様子などがわかる資料がないか探していた。茅ヶ崎図書館は、そのような資料探しには向いていないが、事前にPCで探して、神奈川県のOPAC横断検索に引っかかった資料の取り寄せ窓口には、なった。

急性期の組織的救急対応は、中核避難所以外はとれなかったのだろうか。道が寸断され、近隣避難所から中核避難所に移動できなかった地域は、どのような対応がちられたのだろうか。赤十字が入ってくる前の時間の様子のことだった。私の今描いている仮設住宅を背景にした生活再建期(慢性期)の様子をさぐっていくと、地域医療のセンターができているが、そこの牽引役の看護師・医師たちと、被災直後の修羅場の救急医療現場の医療関係者は、別人格なのだろうが、救急医療の待機関係者の数だけでは、現場が裁ききれないだろう。ましてや、地域孤立した避難所をも射程に入れた救急医療のマニュアルがあったのだろうか。茅ヶ崎のような近郊都市の場合は、指定病院の救急外来が動くことになるから、ピンとこないかもしれないが、東北のように地域差が極端な地域の場合、トリアージ・レッド~グリーンの方たちは、どのような網目をかぶされ、治療がなされているのか。急性期の様子をつかんでおきたかったのだった。

県OPACに乗っている資料は少なく、

●「災害看護 改訂2版」

がとりあえず入った資料だった。これから私たちが描く地域医療福祉ネットワークの端緒をアクチュアルにとらえるための基礎作業だった。

書籍としては、以前紹介した下記の書が体験記が中心であるが、良質な情報を与えてくれる。これは私が出したリクエストに応じて、茅ヶ崎図書館が買ってくれた。

●「ナース発 東日本大震災レポート」

とりあえず「災害看護」を受け取り橋本までの相模線の車内、つまみ読みをしていた。

茅ヶ崎に戻る頃、市内の動物病院が午後診療を始めていたので、残りのペットレスキュー支援紙を巡回配布し、鶴嶺高校ボランティア塾の対話の相い方確認のために、市役所に立ち寄り、市民自治推進課で油を売っていた。2/18午後の黒田裕子さんの講演は、行政職にも見通しの件で意味を持つ。積極的な参加を求めていた。

私は特定の組織に入っていない。それゆえ、提案し同調者を得て活動する。いわゆるネットワーカー型の動きだから、組織を背景にした運動論の方から見ると異様なのだ。だからその谷間にいつも落ちてしまう。それゆえ誰と結びつき、なにをなしえたいのかを明確にしていく必要がある。孤立の乾きは企画の実現可能性に賭けていく以外ない。(お馬さん、水飲んでくださいなという話だ。)

獣医師さんとの話で、平塚のセンターに収容されないでいる被災ペットたちは、避難所近辺の仮設シェルターに臨時収容される。ここの管理もペットレスキューNPOの出番となるが、それを高校生に推薦紹介していいものか悩んでいると話した。NPOが百鬼夜行の世界なのだ。捕獲高級犬を闇市場に流したり、助成金稼ぎをすれば金になる。そういうNPOもどきも、全国各地にいるからだ。結局良質の仲介者が安全なNPOに結んでいかなくては無理だから、紹介はやめておいたほうがいいという結論になった。

母を茅ヶ崎駅改札口に迎えに行き、2本待ったがこないので家に電話すると話中だったので、私を無視して帰宅したものと判断してバスに乗った。すると数分して携帯が鳴った。相手は父の入所する老健。焦って中途下車し、話を聞いた。老人性乾燥肌をかきむしり、足が血だらけになっているので皮膚科に連れて行く許可を求めるものだった。すわ誤嚥性肺炎かと寒気がしていたが、少し安心。しかし明日、合間に老健を除いてこなくてはならない。

1本遅れたバスの中で母と出会い帰宅したが、これで母の調子が悪くなったら、身動きがとれなくなる。やれることは、やっておかなくてはと念じていた。

夜間傾聴;ないしょ2名

p.s.藤沢,キャンナースに再コンタクト始める。


(校正1回目済み)

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10/9 連続セミナー第一回講師探し/地域医療福祉活動、障害者生活支援畑、近くにいないか

2012-10-10 06:19:07 | 引きこもり
2012/10/09 記
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ペットレスキュー支援紙No.12の配布し残し分を、巡回しながら獣医師さんと話した。青少年課に依頼していた行政職員の方との懇談話、今日9日に予定の職員が出張から戻るので確認をとるとの話だったが、連絡が無いので、ペットレスキューの件で話をしてくれないかと打診した。茅ヶ崎・寒川には私が通信を出し始める前、この地域は、ペットレスキュー関連ボランティアと獣医師会・行政の間で問題が起きていたらしく、獣医さんたちは、強い拒否反応が多く、講師探しの援護射撃も上手く行かなかった。

今回の号はNo.012つまり号が1年目に達したということだ。そんなことを獣医さんと話した。飼い主さん向けの動物愛護の講演会が最近あって、被災ペットの新しい飼い主さん話は、最後にちょっと関係団体からのアピールを受ける時間があった。勿体無いとのお話で、次回是非と答えたものの講師の話題は、空転しつづけた。

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黒田さんの講演日程の時間は「昼過ぎから」にしようと思う。今回の話は一般向けではない。関係者向けにしたとき、19~21時にしたからといって、平日なので、通勤帰りの担当者が大幅に増えるというものでもないと思えてきた。

また、年内の第一回の講師は、近場で探すことにした。藤沢などで講演しているキャンナースの会の専門職活動も射程にいれた。サロン活動をしている方の中から、打診するのも手だが、本来は障害者生活支援活動の中からさぐるべきだろう。応答をもう少し待つ。

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夜間傾聴>なし


(校正1回目済み)

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10/8 被災者支援活動と防災活動との間の「ねじれ」とは/etc.

2012-10-09 06:40:51 | 引きこもり
2012/10/08 記
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黒田裕子さんの講演会の年内実施が頓挫し、このまま4・5ヶ月も先の講演を待っているのは、やはりおかしなことなのだ。非被災地の東北被災者支援活動は消えてしまう。篤志家の自主行動選択という自由意志に基づく、被災地訪問型活動は、まだまだやることがある。しかしその活動は公衆の眼からは消えていく。現実の問題として、被災者の生活再建はこれからだ。復帰の壁の重圧、新しい仮住まいの生活の不安が、被災者の社会的弱者の心身を蝕んでいる。孤独死(多くは病死)はその最たるものだ。試合の観客の応援のような元気付けはさすがに下火だが、環境整備のように直接被災者の生活に届くような連携活動が姿かたちを見失っている。現地に行けない非被災地の支援者と、東北の被災者のつながりが消えかかっている。

被災地訪問型支援活動にとっても、それは支援のすそ野を失うことであり、それを「南海トラフ大地震と首都直下型大地震」への備えの形で、「次の」災害対策活動「防災」へとつなごうとしているが、それは活動にねじれをいれることだ。「東日本大震災」復興生活再建活動は、連携する東北の被災者という相手が存在していた。ところが「防災」活動にはそれがない。自分のために、自分らも痛い目に遭わないように備えようという活動だ。災害ボランティアの活動の原動力に、私の活動が他者に必要とされているという手を結ぶ手ごたえのような自己実現の本源的な力が構造的に支えられてきた。災害ボランティア活動の中でいわれてきた「正常性バイアス(平常性バイアス)」のように、起きるかどうかわからない平気だ、自分だけやっても意味が無い、一蓮托生、それより先にやることがあるという発想がまかり通る。理知的な判断と結果としての必要だけが行動の源泉になるような活動は、単独で成り立つほど甘くない。大切な活動であるが、これは別個の活動なのだと思ったほうがいい。

仮設入居以降の被災者に寄り添い、私たちにも協力できることを探りつつ、対話していくことが早急にやるべきことなのだと思う。これからの支援は、被災地に訪問しなければ仕方が無いと即断する前に、活動の推進者が一度見通しをたてる論議をすべきなのだ。その大きなヒントを与えてくれるのが、地域医療福祉という心身の健康管理の課題だ。(このほかにも町の産業復興支援・子どもの教育支援等もあるので、すべてひとつとは言わない。)

その課題から、有益な経験や提案を提供してくださる方や、被災者の方との懇談を場を作って論議した方が現状打開の道が開けるだろう。今回の黒田裕子さんは、東日本大震災と阪神淡路大震災に取り組んできた災害看護のプロの方だ。その震災からの生活再建を体験との比較の中で語りうることに、私は大きな価値を感じる。もうひとりは、被災地の地域医療福祉ネットワーク作りに関連し、これからもその地域の有効な橋渡し役となってくれそうな方と被災者の自立活動をされている方の2名招待が理想として動いている。問題は招待するときの費用(交通費+宿泊費+謝金)の捻出であり、提案される私たちの解決能力という受け皿の整備の課題だ。

この連休中に、黒田裕子さんの講演日程が決まった。二回目に予定していた講師候補には、まだ2回目の接触をしていない。そのために被災と障がい者家族の視点からの提案者と、気仙地方の地域医療福祉ネット関連の方にメールではなく手紙を出した。アドレスがわからなかったからだ。むしろ年末向け企画ができないかと考えている。ふたりで宿泊費を除いて10万円はかかる。

来年春、一周目最後の課題は「防災」活動への橋渡しとなる活動全域から観たマジョリティな活動の隙間に抜け落ちてしまう社会的弱者の課題をどう浮かび上がらせ、的確な支援へと取り結んでいく意思的な活動「つなプロ」の是非と、フレンドリー・ネットワーク(パーソナルな民間交流束)実現に導く懇談を立てていく。来年度は民泊推進活動を加えた交流活動と、東北被災地の医師不足を始めとした地域医療周辺の課題解決への助力と保健活動への参与の道を拓いていきたい。

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今日は一日、ペットレスキューの通信No.12を夕方配布したり、講師候補へのメールを書いて終った。私の恩師の一周忌でもあったが友人に託し、ほぼ缶詰状態でいた。橋本2君は塾長にお願いし、まとまらない連休を終えた。今は、鶴嶺高校ボランティア塾の掛け合い爺ぃ漫才(震災ボラ話)を市の職員の方とするのだが、行政の方が怖がらないように、大体の話題をまとめている。明日、市教委から連絡が来る。


夜間傾聴:ひとり(ないしょ)


(校正1回目済み)

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10/7 黒田裕子さんの講演は2/18になるか?

2012-10-08 06:28:44 | 引きこもり
2012/10/07 記
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黒田裕子さんの講演は来年2月18日になりそうだ。まだ参加団体の企画日程の重なりや、時間希望が取れていない。災害看護学畑の方だ。阪神淡路大震災と東日本大震災双方に関わり、仮設入居以降の生活支援を地域看護医療の観点から取り組み、支援が薄くなる時期の被災者孤立を生み出さない接触活動と、地域医療的手立てを行なってきた経歴のある方だ。

非常にお忙しい方で、看護学生への巡回講演をされている。しかし、非被災地の災害ボランティアにとって、4・5ヶ月のブランクは痛手だ。残り火が消えてしまう。連続セミナーは3回シリーズで組んでいるので、2回目の方を先に12月に入れる算段をしている。

東日本大震災は、被災地訪問型ボランティアとし、非被災地(例:湘南)の課題は「防災」とくくってしまえば、仮設入居後の被災者は専門職に任せる以外なく、被災地に行けない私たちは成す術がないという形で、残り火のようにくすぶっている世間の心情も消してしまう。東北の被災者は孤立していく。

東北の被災者支援と地域防災は、災害ボランティア活動の車の両輪のようなものだ。東北の被災者を切り捨てない、そういう活動をどう作っていくかという難題の探索のため、連続セミナーは構想された。阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長の黒田さんは、具体的手立てを提案できるタイムリーな講師であると思っている。地域看護福祉の訪問員さんが決定的に不足している現状を打開するために、外周の非ライセンス者による支援の形を探る。同時に被災時から生活再建にいたる南海トラフ・首都直下型地震被災者の自立活動の見通しを持つというふたつの課題を持っている。

災害時要援護者の視点を貫くセミナーなのだが、全体の一朝一夕に答えが出るものではない。だからセミナーは、重要な生活支援活動の契機、特に立場を横断するケアのネットワークをつくる一歩にしたい。地域関係者は是非参加して欲しいのだ。

会場も今日、午後から夜間まで会議室を借りた。関係者、特に関連行政・医療関係者にも参加を呼びかけたい。

連休明けに、地元障碍者関連団体をまわる。

第二回講師は、被災地から地域医療福祉関連の自立活動を行なっている被災者との交流が出来ないかと、探りをいれている。

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喉風邪の薬のせいか、突然眠気が襲ってくる。明日はペットレスキュー支援紙No.12つまり1周年号を集中配達する。

●「ナース発 東日本大震災レポート」

これは半分ほど読み終えた。分厚い本なので持ち歩きが出来ないので、読むタイミングがとれないからだ。私が本書発刊前にリクエストを出したので、茅ヶ崎市立図書館が買ってくれた。私は自分の分を買ったので、ご利用下さい。


夜間傾聴:ふたり


(校正3回目済み)

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10/06 **子の内職探し4/連続セミナー講師は黒田裕子氏に決まり…

2012-10-07 05:33:17 | 引きこもり
2012/10/06 記
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のど風邪を引いた。糖尿病の検査日だというのにと思いつつ、市販薬を飲み、医者へ向かう。うっかり風邪と言うと薬漬けにされる。ばれたら、喉が渇くが「PLだけ下さい」と言おうと思いつつ、検査結果が出るなと苦々しい気分で受診した。結果は良好。ただから咳があるから、薬を出そうと医師が言い出し、「PLだけくれればいいです」と応えたが、ジェネリックは扱っていないからと、ムコソルバンやらクラリスやら、知らないと思って…これもジェネリックではないかと思いつつ、せめて他の調剤薬局へと足を向けた。が、糖尿病薬が新薬で取り寄せとなるといわれて、結局元の調剤薬局へ。敗北感。

9日の約束を6日に変更できないかというメールに答えて、駆け足で蒲田を訪問することにした。昼食をとって蒲田へと向かう。**子は今の作業所をやめて、内職をすると言い出していた。好きなときに、誰にも気兼ねせずに、やれる範囲で仕事をし、収入を得るから内職がいいという。いくつものハンデを抱えて、一般就労で内職を探すという。期間もノルマもない、配達でもない、しかも彼女のハンデをクリアする内職、探してみればわかる。インターネットにいくつもの内職の話がある。郵送してきたものを作業した分送り返すという。会社に内職のものを取りに行き、出来たものを収めるのは、交通機関乗り継ぎがあるところは行けない、発作がおきるかもしれないという。

内職の自説を曲げようとしないので、ハローワークや親の会をめぐった母親が実態に合わないと説明して親子喧嘩をしていた。

私は人間関係を絶としているところが気になっていた。作業所の施設長とも話して、退職の経緯をそれなりにつかんでいた。中・重度の発達障碍系の利用者さんが職場に入って、むしろ精神の方の彼女が耐えられなくなったというところだった。そこは知的障碍の関係施設で、近いからと彼女が選んだ場だった。彼女だけが高機能で浮いており、身体障碍の部屋の利用者さんと交際していたが、そこでもトラブルを起こしていた。

親御さんに経過報告をしつつ、近場の精神の生活支援の施設につなぎ、そこをベースにしながら、精神の共同作業所を併行して通う形で、人間関係の作り直しをしていく福祉的就労の線を提案するために、店舗の作業所をまとめているPSWの**さんと会い、通所型の仕事を見つけて押さえてきた。しかしそれは、通所の乗り換えを、ジョブコーチ風に同伴練習をするのが本筋のように思われた。それには区の行政を通しておく必要があった。

当人と会ったが、頑として内職を固辞し続けた。彼女の能力を超えるものでさえ一般就労の面談の席で嫌な思いをすることになる。次の破局が見えるだけに、場に連れ添う件を親御さんと相談する必要があった。短期決戦はだめだと思案しながら引き分けた。しかし地域の距離を感じてしまう。地元なら別の解決法もあっただろう。

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連続セミナーの講師が決まった。

阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長 黒田裕子氏

だ。2・3月の2つの選択肢を煮詰めている。災害看護が専門。東日本大震災の今後と、仮設の生活支援期(慢性期)に打つ手を阪神淡路大震災の経験と対比しながら、支援活動の見通しをたてていく。

第一回の講師にと思っていたが、全く日程の隙間がなかった。支援活動からすれば、4ヶ月の空白は決定的なものになってしまうので、黒田氏は第二回目の講師とすることにした。

第一回は現地の声を反映させたい。新たに交渉が始まった。病院関係者が一人目、地域医療福祉関係の方がもう一人。地域関連行政の方がもうひとり。この3人の候補を選びたい。

ともあれ核となる講師が決まったことで、次のステップを踏み出せる。ともかく金策。

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日本財団の「つなプロ」の書籍以外の資料あつめを始めている。社会的弱者のニーズをメジャーな必要性のノイズに覆い尽くされないように、拾い出し取り上げていくネットワークの働きは必要だ。しかしそれは急性期(災害救援期・避難所生活期)の検討しかされていない。仮設に入り、ニーズが多様化し、個別化していく段階をどうとらえるのか、考えている。特に高齢者・障碍者のように、それぞれの継続的な活動をそれぞれの領域の活動とせず、横断的にたてる効果と実現可能性について、もつれた糸玉をほどくような根気を持って、描く作業をしなくてはと思う。支援活動のガバナンスの志向で進めていくのが的を射ているか否か、考えている。今回は日本財団にたち寄れなかった。「つなプロ」関係者を取材してみようと考えている。

セミナーの館の骨組みができたので、陸前高田・大船渡に行きたくなった。うーん、金が無い。


夜間傾聴:南大沢君(仮名・こちらから)


(校正一回目済み)

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10/5 災害看護講師は2月に延期か/市居宅介護事業所連絡会の企画に参加し/寒川図最悪

2012-10-06 05:23:00 | 引きこもり
2012/10/05 記
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連続セミナーの要となる災害看護の講師が、先方のご厚意により決まりつつある。ただ年内は無理。2月とのこと。被災救援期(急性期)を過ぎた阪神淡路大震災の生活再建と東日本大震災の岩手・宮城型生活再建との比較をしながら今後の支援活動の見通しを探っていく企画だが、二回目の地元(被災地)の地域医療福祉ネットワーク作りと特に障がい者の課題について、現地活動を行なっている方を招待する予定を入れ替えるか、思案している。私に後押しをしてくだされば、病院関係者や行政職の方を12・1月に招待を試みるのだが、何もないところに招待するのは失礼と思うのだ。

災害看護の講師の方は、活動の立ち上げ支援として検討してくださることになっている。

さて2月体制への転換、災害ボランティアの状況は待ってくれない。非被災地の東北被災者支援活動の残り火が消える前に、手を打ちたい。4~5ヶ月のブランクを開けるわけにはいかない。思案のしどころになっている。

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茅ヶ崎・寒川居宅介護事業所連絡会主催の会合に参加してきた。高齢者訪問介護や障害者生活支援をしている事業所の職員募集ガイダンスのような場である。私は全くの部外者だが、我田引水流にこじつければ、引きこもり青年の就労支援をするときの、有効な就職先でもある。就職時のことを思い出して、その契機や就労現場の体験談の語りを聞いてきた。

しかし、行きたくて行った方ではなく、なりゆきで就労する場合が、引きこもり青年には多いので、こんな思いがあったから入ったという語りは、あんまり意味が無い。まもなく別資格になるようだが「ヘルパー2級」を取るとき、就職して現場に立つとき、彼を引きつける場面があるだろうか。

報告者の中に年齢が私と同じ方がいらしたのには、びっくり。70代の方もいらっしゃるとか。

実は今回の出席は、連続セミナーの参加依頼巡回の際、「いちげんさん(初対面)」ではなく、あのセミナーの前列に白髪頭があったなあという記憶を持ってもらいたいという奸策でもあった。ところが大半は知人ばかり。無念。

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帰りに社協に寄って、ビッグイシュー200号を置いてきた。また、災害看護の**さんを講師によぶつもりと明らかにしてきた。私は非被災地の東北被災者支援の流れを消さない。定型をこなすんではなく、一応形だけ内容を提案している都社協の言っているように、生活支援の流れも作りましょうよ。(cf.『東日本大震災 高齢者、障害者、子どもを支えた人たち/都社協』)

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終了後、橋本に出るので、途中寒川の図書館に立ち寄った。驚いた。寒川図書館は、書架の整理と購入本のセンスが非常に良い図書館だったが、ここ2ヶ月行かなかった間に、言っては何だが平塚本館と同じような野暮ったい雑然とした書架の図書館に化けていた。職員の異動があったなと思わされた。倉庫にある本を機械的に循環させては、寿命の切れた本が占領してだめなのだ。利用頻度や図書館推薦の優良本を集中させ、さらに諸分野の探索に寄り添う書架配置が研究されねば、図書館は活きて来ない。関連全集すらばらばらにはいっているなど、職員の質が落ちた。図書館には、発見と利用しやすさという隠れた主張がないと物置きになってしまうのだ。寒川図書館は、新入荷本のオンライン予約が出来ないようになっている。そのくらい厳しいなら、機械的な管理は反則だろう。これでは新入荷本書架探索にも支障が出る。だったらオンライン予約を開放すべきだ。制度だけ残るのは滅亡の道、公務員臭さを発するなといいたい。

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橋本2君と会う。付き合い長いねえとため息。彼はきょとんとしている。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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10/4 高検2回目の対策が始まり/ひとを相手にする福祉活動への雑感

2012-10-05 05:23:34 | 引きこもり
2012/10/04 記
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早いものだ、高校卒業程度認定試験の2回目(11/10・11)の追い込みが始まった。私は今回が初めての若者だけ。受験へと直結する子はいない。JR相模原の塾の方では、橋本3君が就労を親があきらめて、中途半端な状態を続けている。橋本2君は進学だ。このふたりが決まれば、このブログに登場を了解している若者はいなくなる。じんわりと定年の2文字が迫ってくる。

相模原の方は大体の年齢しか決まりは無いが、相模大野校の方は、契約講師は特例を除いて65までだ。時間講師は制限が無い。茅ヶ崎で塾をやればいいといわれるが、私は15年前、自分の塾を責任を負って閉じ、再開しないと約束したので、この地で塾を開くことはしない。相模原の今の2ヶ所の教室のお荷物にならない限り、時間講師で続けさせてもらうことにしているが、実は既にお荷物なんではないかと考えてしまう。私には細々と教材屋と先の見通しのない家業がある。だから、定年退職後の縛りが緩い分、私教育を取り組み続けていこうと思う。高検があるたびに自分も問われる思いがある。

今回はあざみ野のカリタス女子大と、大岡山の東工大だ。しかし、今回は初受験の子で、年齢にゆとりのある子ばかりなので、同伴は、お役御免となった。

私の担当の子ではないが、受験生の中に。福島の避難家族の子がひとりいる。メンタルな面の応援が私の役目。

ーーーーーー

会議の後、伊勢原に出て、父の老健に向かった。父の介護度の更新に立ち会った。父は間が悪く睡眠中。起こしたものの眠いのか、全く質問に答えず、体調チェックにも協力しなかった。結局前回のチェック点から、担当者と私が明らかに変化してきているところをチェックして、老健の資格保持者、ケアマネさんに、後日検査をし直してもらうことになった。ひとを相手にすれば、予定は未定のような事態を抱え込むのは、ゆりかごから墓場まで常につきまとう。短気では出来ない仕事だと改めて思う。

私は鶴嶺高校ボランティア塾はこれが4回目だ。今回は災害ボランティアの入門体験の勧めのような企画となるが、福祉の世界はその大切さの割りに、給与的に報われないのだろうと思う。介護報酬と交付金の逆ざやが関係者の低賃金に追い討ちをかけている。私はいわゆる「割に合わない世界」の水先案内をしているのだなと思いつつ、感謝されるときの喜びという精神論を語っている。

予想より早く終わったので、図書館に予約した本がきているので、その受け取りに回った。災害看護学というちょっと特殊な世界を災害現場レポートを通してつかみ返す書籍だ。今回の連続セミナーの第一回は、東日本大震災の現場に飛びこんだ医療関係者として飛びこんだ看護師育成の研究者からの生活支援期の被災者サポートがテーマになる。この講師の著作で、東日本大震災前の著作だが急性期を過ぎた阪神淡路の長期にわたる生活支援を反映したものだった。神戸から招待するのだが、助成金が見当たらない。かぶる覚悟はしている。ここから、非被災地からの東北の被災者を伴走する流れが生まれて欲しいと願う。出席者なしという悪夢だけは、避けたい。講師にとっての失礼に当たってしまう。だから可能日程の連絡を首を長くして待っているのだが。

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●「台風17号で石巻・1万人に避難勧告 実際行動たった82人」

正常性バイアスという奴なのだろうが、災害体験をしているひとたちでこれだ。気象庁や行政が信用されていないということもあるだろうが、災害対策を自主的に取り組むことの難しさ。冷や汗をかく思いだ。

●「福島、震災関連死1000人超 避難先の変更影響か」

高齢者は家を新築するだけで命が縮むというが、怖れていたことが起きている。無策でいいはずがない。

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目標にしてきた気仙地方訪問を連休にと考えてきたことが、講師招請の費用を捻出するために、再延期となった。気持ちは苛立つが、こればかりは仕方が無い。無念ではある。

明日は茅ヶ崎・寒川居宅介護事業者連絡会の講演会を覘く。しかしまだ、連続セミナーの日程が決まらないので、招待チラシも何も出すわけにいかない。時間との根気勝負が続く。

第二回の障碍者の避難生活の話だが、主役は身体障碍者になってしまう、発達障碍では、自閉症協会のハンドブックとクリエイツかもがわの著書しか出てこない。特別支援校の学校の避難も射程に入れると、今の講師ではフォローしきれない部分がでてしまう。被災地との連携を第三回に置いて、作り置きネットワークをかぶせるような被災地サポート論議は後退させることにした。モデル地域を作ってフレンドリー・ネットワークを基礎に、地域医療福祉ネットの周辺サポートの構想を育てることが可能か、連続セミナーの像をよりアクチュアルなものにしていく算段をしている。社会に残り火があるうちに。

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ペットレスキュー支援紙のNo.12が大幅に遅れている。連休がかき回しをしているのだが、紙面にやむなく遅延のお詫び記事を入れた。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)


(校正1回目済み)

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10/3 今日は急に缶詰になっていました

2012-10-04 06:14:59 | 引きこもり
2012/10/03 記
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母の主治医(東京の某病院)の診察日。眼科にもまわり、瞳孔を開く検査をうけるため、昼間は母に付き添い、夜に相模大野校に入る予定で休みを取っていた。ところが当日(今日)、母が「行かない」と言い出した。美容室に行っていないから、今日これから美容室いくというのだ。予約も土曜日に動かしてあるという。ひとの仕事を何だと思っているのかと、さすがに切れて、口論の結果、日が落ちる頃まで、ひと言も口を聞いていない。

やむなく、急遽デスクワークとなった。

県立鶴嶺高校ボランティア塾の方は、**課長から留守番電話が入っていた。市役所に連絡を取ると、懇談に対応できる講師に苦慮していることが伝わってきた。公務員は講演のように一方通行で、予定通りの話を語ることはしても、懇談のように臨機応変に話すようなことは苦手だ。話せば責任が生まれる。うっかり発言がこわいから、演説のような伝達型の語りしかできないのだ。

私が関係した陸前高田に臨時派遣されている他課の職員の方が連休明けに帰るので、彼と調整し、それがだめだとお手上げとのこと。駄目というとき、****課の**課長が経験者だと伝えるつもりだ。私の友達だ。しかしワンパターンだ。

連続セミナーの講師は神戸。依然応答がないので、事務局に連絡を入れると、メールボックスがパンクしていて、依頼書が届いていず、今回のFAXで、やっと構想がわかたっとのこと。今、日程の調整をしているから、いま少し待っていて欲しいとのお話をいただいた。関心を持ってくださったことがわかり、少しほっとしたが、連休明けに、こちらももつれ込むのだろうか。時間勝負が鬱陶しい。

茅ヶ崎市図書館にこの方の著書があり、在庫があるというのに、本が無い。現在捜索中。これもまた、気がじれる。

茅ヶ崎・寒川居宅介護事業所連絡会の研修会が金曜日にある。連続セミナー関連担当者も参加されるので、しばらく行っていないので、名刺交換のために、お邪魔する。勿論、講演も拝聴させていただく。参加申込期限がすぎていたが、無理をお願いして参加させていただいた。

藤沢にキャンナースという社会的企業がある。地域医療福祉ネットワークの件は訪問すれば接点が持てる活動をされている。ところがこちらは、看護師と元看護師さんたち有職者の社会活動であり、外周支援者を意識した活動をされているわけではない。有償ボランティアというか、企業体として活動されている。連続セミナーの骨格が決まった時点で、一度お邪魔したいと思っている。

領域横断的活動を生み出そうとすると、ノード(結節点)の姿を明確にしていかないと、専門性の壁は厚くうまくいかないだろう。

相模大野校から、私の個人指導の方は、その前の授業に欠席しており、無駄足になると思うとの連絡あり。しっかり給与交渉をして、結局今日は在宅のままで終った。

「つなプロ」の最後に日本の年齢別人口分布を「阪神淡路のころからの15年間の変動を紹介していた。1985年の18歳以上の人口は約177万人だったが、2010年には122万人まで減少、若者は15年間で3分の1も減った。非正規労働者の割合も7割増え、人数の上でも生活の面でも、災害時にすぐに被災地に向かうことができる若者は少なくなった。一方、65歳以上の高齢者は同じ15年で6割増加し、75歳以上では9割も増えている。65歳以上のみの世帯割合も17.3%から、24.2%へと4割も増加した。」(p.157~158 要約)とし、これからの被災地訪問型支援は国内では成り立たない時代が来ると危機感を募らせている。近未来、国際協力に依存する日がやってくるという。

面白かった。このような指摘をする方は少なかった。しかし考えてみると、中国・台湾・韓国・ロシアと領土(資源)問題で争っているシビアな現実をみると、アンリ・デュナンの夢は現実味が無い。赤十字の国際支援感覚からすると、上記の外国の支援がつながってくるのだろうが、従来の災害ボランティアの方法を踏襲するのは近々限界に達するというのは、踏まえておいていいことだろう。

夜間傾聴:南橋本君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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10/2 9/29の記事の「寄せ場」の定義に差別的表現がありました、お詫びします/他

2012-10-03 05:35:36 | 引きこもり
9/29 の「寄せ場」の定義に、差別的な内容を書き込んでいた。@@さん、ご指摘ありがとうございます。「寄せ場」に生きる者の誇りを傷つける無神経なものであったこと。そのとおりです。

以前、大阪の学童保育の子たちの夜回りの記録を上映したとき、なぜ子どもが路上生活者の支援をするのかという質問が、ビデオを観た高校生から出ました。このとき、寄せ場に生きる者として、路上生活を送る者を異物のように見てしまう目が子どもの中に育つことがいかにおかしいことであるかを体験してもらうという大人の願いがこもっていて、対話をすれば名前も家族もあり、事情があってここにいるということがわかる。自営業の方が仕事に失敗して、仕事が見つからずここで廃品回収をしているという話が出てきただろう。生きていこうとするひととともに私たちも生きていこうというメッセージなのだよと伝えました。その高校生も納得してくれました。その意味で絆が強い町なんだよと。

今回私は「貧困」という社会矛盾が集積する場所ということを強調し、そこに生きる者の体温を伝えませんでした。それは「寄せ場」を伝える場で、誤解を与え失礼な表現であったことをお詫びします。9/29 の記事はその部分を削除します。

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私が今、生活支援の災害ボランティアをしているのも、命が一瞬にして押し流されたことへの憤りと、それでも生きていこうとする人々への共感があるからです。船板一枚の地獄の上で私たちはそれを意識することなく生きています。「舫(もやい)」式に言えば「すべり台構造」。そこからの復活の場面に不平等があります。やり直せる社会が夢であるような社会は、歪んでいます。この場面の中にこそ、ひとがつながる場面があります。被災地に行ってみれば、互いが互いを必要としている社会があることを体験するでしょう。スポーツの応援のような嗜好と宴会の仲間意識ではなく、綿々続く日々の生活と家族の喜怒哀楽への共感がそれを生み出しているのです。大事な人を失い、大事な人が生き残った、そういう命をめぐる深い悲しみと喜びが錯綜する社会が私と被災者をつなぐのです。

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今回、鶴嶺高校のボランティア塾は関連行政からゲストを招き、対談形式で高校生と話します。災害に遭遇したときの自分を活かすつながり方、その契機をどう生み出すか、高校生がつながるために、まず叩く扉を明らかにしていきます。

昼前に先方から依頼書について、問い合わせの電話が入っていました。留守番電話が入っていることを気付かずに17時を過ぎてしまったので、明日連絡を取り直すつもり。

今回は南三陸の高校生交流体験のことを語る分科会があるとのことで、被災地訪問型支援の話はそちらに任せるつもりでいる。重点は地震津波型重点の災害発生から被災救援期全般の場面における高校生の出番の話をします。行政は講演のような伝達型の企画には強いが、シンポと懇談のような偶然性が支配する企画は苦手。この辺の調整が続いています。

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今日16時近くに、茅ヶ崎駅南口駅前で、真っ黒に日焼け・酒やけした熟年男性が倒れ、救急車で運ばれた。用事の途中だったので改札口で用事を済ませ、再び南口ロータリーに下りたが、すでに男性は移送されて、ロータリーにはいなかった。様子が路上生活者風だったので気になり、交番の巡査に誰かと聞いた。私の身元確認に異常に時間がかかり、重症だった場合、行政やポルト湘南のような専門性を持った関係者につなぐために症状と入院した病院名を教えて欲しいと頼み込んだ。これも17時を過ぎてしまったので、ポルトの方に連絡するつもりだった。巡査は路上生活者とは言い切れないという。病院名はついに明かされなかった。明日、市役所を別用を兼ねてまわる。私には海岸線にすんでいる路上生活者に見えたからだった。辻堂の●●さんも、ここ4・5日姿を見ていない。辻堂駅前周辺は、以前から、路上生活者に暴力を振るうひとがいるので、なにかおきたかと心配ではあるのだ。

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**子君から出先に電話があり、一般就労の内職紹介があったとのこと。巧緻作業や持続性に問題を抱えているので、飛びついた後の挫折が尾を引きそうな気配があるので、焦らないで欲しいと**子に言うが、**子の連日1時間の雑談電話がボディブローのように効いてきていた。夜間傾聴ではないが、彼女は話すこと自身が目的なのだ。連日はだめというルールを作った。

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●「奇跡の災害ボランティア 「石巻モデル」」
を購入した。

「釜石の奇跡」国際発表へ。
●「「釜石の奇跡」世界の教訓に…政府と世銀発表へ」


夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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10/01 「つなプロ」の有効性を考える

2012-10-02 06:36:19 | 引きこもり
2012/10/01 記
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●「つなプロ本部」
●「ROADプロジェクト レポート024 「つなプロ」5週間の成果と新たな出発」

「つなプロ」の企画を読み進めていくうち、発想の差異が見えてきた。「つなプロ」はトップダウン型なのだということだ。災害ボランティアのナショナルセンターが初めからあって、被災初動段階から、抜け落ちがないように、細部が見えるように網を張って(アンケート)、メジャーな企画や専門性を帯びた個々の企画の影に埋れてしまう「特別なニーズ」(高齢者・障碍者・子ども・病弱者・妊婦・外国人等)を先行的に拾い上げて、専門性を持った団体につないでいく試みだ。

しかしこれは、どこまでも細部を描いていけば、現実を著述できるというような発想が潜んでいるように思える。災害が起きた直後(急性期・災害救援期)常に対立的に矛盾を帯びるのは、「メジャーな必要の優先」という行動原理だ。そこで切り捨てられた「マイナーな要望(ここを『必要』としない偏見)」が「後から補充」という形で、切り捨てられていくこと。酸素の必要な患者が場が設置されてからというタイムラグに耐えられるか、重度の自閉症の子に窮屈な避難所の集団規律をしばし守らせられるか、リウマチの高齢者を底冷えのする体育館の床に寝かせられるか、卵にアナフィラキシー・ショックを起こしてしまう子どもに配給食を食べさせられるか、そういうことだ。

爆発する個々のニーズに、アンケートからの対応というのは現実的ではない。しかし、数日が過ぎた頃から様相が変わってくる。非常時でありながら、そこに生活が始まる段階だ。東日本大震災のときは、道の破壊とガソリン不足という交通遮断と情報障害という混乱が加わり、ところによっては自衛隊が生命線となり、地元自主活動・消防団が立ち上がった時期だ。トリアージの発想ではないが緊急性により優先度が高いニーズには、自衛隊・消防団が取り出し・連れ出しの形で対応に追われた。やっとこの段階になって外部支援者が被災地に到着し始める。実際、支援者が活動に入れたのは、5日目を過ぎたあたりからだ。ここにおいてアンケートは、それなりの効果を生むだろう。しかし被災者はまだ避難所を移動している。ひとが入れ替わり、まだ安定していない。この段階では、必要を訴えた方がその場にいるとは限らない。散ってしまった家族や地縁をもとめて、被災者は移動していた。これではアンケートの効果が出てこない。

1週間を経て、やっと居場所が安定して、訴えはレスポンスが発信者に届き始める。そして半年。仮設住宅への移動が進み、支援も多方面から入り始める。つまり「つなプロ」の本意が発揮されるのは、「1週間後~半年間」の場面に於いてであって、被災混乱期にはその力が届かないだろう。

仮設住宅入居後は、まさに「仮設」コミュニティの自主運営を育てる時期で、ここに至っても、遠方の縁者を頼って出て行ったり、長い逗留の軋轢が生まれ、仮設に戻ってきたりとひとは動いている。失業保険が切れる頃から、なんらかの職を得た家族や働き手が、通勤に便利な地に移動していく。こういう複雑さをカバーしていくのは、中央制御のネットワーキングなのだろうか。常に指の間からこぼれ落ちていく流動体を支えていく活動足りえているのだろうか。

「特別なニーズ」というのは、結局は自己申告を吸い上げ束ねて支援へと結ぶ、自治活動でうわずみをすくっていく形なのだろう。実際はその自己表現力が萎えていたり弱かったり手一杯だったりしているし、表現先がわからない混迷のなかにいる。被災救援期の後期がこの時期に当たる。被災地では訪問相談員が巡回している。しかしそれでさえ孤独死(主に病死)が起きてしまう。病状悪化や生活のQOLが下がってしまう。

仮設生活という生活再建期に於いては、支援が欲しいその相手が、行政であったり、病院であったり、金融機関であったりする。支援者はサイドガードしていくことになるが、プライバシーの問題が頭をもたげることになり、専門職と結ぶ意味はあっても、自然発生性と個人の自由意志というボランティアの本源は脇役に追われて行き、この力を活かして、生活再建を加速したり、フレンドリー・ネットワーキングのなかに生きるという新しい生活スタイルの実質の獲得という、いざというとき孤立しない関係性を育てるという想像力の力を「つなプロ」は活かしきれない。なぜなら「つなプロ」は「必要のネットワーク」だからだ。

「つなプロ」が活きるのは「被災1週間後~仮設入居まで」を支える期間であり、災害が起きる前に「臨戦出動」が出来る半プロ集団の活動であるといえる。ボランティアは常に「ヌエ」のように、指の間をすり抜けていく存在であり、生活再建期からの伴走支援の俎上からは、はずれていくしかし、「特別なニーズ」を被災救援期後期において埋れさせない、必要性を持った活動ということだろう。

私が感じた違和感とは「必要のネットワーク」という活動原理だったからだ。つねにそれをはみ出したもので、生活再建期以降の支援はデザインすべきだろう。私は「フレンドリー・ネットワーキング」という民間交流の育成を孕む方向にあると思っている。「被災者との連携」ではなく「○×さんたちとの連携」である。その実現のために誰と組むか、私は地元地域医療福祉関係者である。ここのデザインが鍵だと信じている。

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新聞記事の中に次のような記事があった。

●「支援拠点住民と神大が13日協定 岩手・陸前高田」

陸前高田の広田町には三井君たち法政大集団がいる。各地のノード(結節点)のような役割を兼ねつつ、若手集団が根付くことの意味は大きい。単純に「高齢化していく東北」のアンチテーゼという意味ではなく、外部往来を促進していく力にもなるからだ。私は彼らに80・90の齢を経た高齢者の気持ちに寄り添えとはいえない。理解は無理だろうという気持ちも大きい。田舎の高齢者は都市部と比較して肉体年齢が若い。しかし無理が効かなくなっていたり、長い距離の歩行が困難だったりする。庭先の農作業手伝いや、荷物運びなどは地味だができるだろう。これらは高齢者の孤独に寄り添うこと、間接的な話し相手となることだが、地域ケアの意味合いは大きい。直接は息子や娘夫婦が背負っている生活再建の重荷から、切り離されて居場所を失っている高齢者や、家族を被災で失い老夫婦だけになっていたり、更には認知症を発症していたりする場合、よそ者の接触はほとんどなくなる。また高齢の軽度障碍者の場合は、専門職に依存しているといっていいほどの状態にあり、寄り添い活動の意味合いは大きいといえる。

引き潮が始まっている時期に、このような協定を結び、外部訪問支援者の仲介や、援農・援漁など就労支援。環境整備に彼らをガイドしつつ、脇役に見られがちな高齢者のQOLをあげる活動を同時にしていったとき、地域の継続支援の大きな役割を果たすことになるだろう。

まだ生活再建期のデザインは輪郭しか見せていない。ここをもっと形にしていく作業の中に、今回の連続セミナーは位置している。「つなプロ」の議論は、経験の交差する場に議論がある。だから一般向けは無理。関係者が思案する場になるだろう。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     南大沢君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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