2012/10/15 記
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相模大野から一度藤沢に戻る。ジュンク堂でキャンナスの「ボランティアナースが綴る東日本大震災」を見つけた。内容をみてがっかりした。また震災直後からの急性期看護対応を始めた看護師の日誌なのだった。
私が求めているのは、自分たちが何をしたのかではなくて、その活動がどのように協力者と連携しているかという著述。例えばキャンナスの看護師のもとに、湯を調達したり、手不足の避難所まで看護師を運んでくれたひとのこと。被災直後はそのすべてが即興であったりするが、医師を支える看護師を更に支える家族や、薬剤師や避難所ボランティアのこと。ガソリンが不足して動けなくなると、ガソリンを調達に奔走してくれたひとのことだ。
これは道徳臭い話ではなく、状況を動かしていく過程のエスノグラフィックな記録であり、専門職の専門性の高い活動を支える状況の構成要素の連続性、つまり活動の集団性・社会性を意識化することだ。ここを通すとき、関係者相互が看護師さんの周辺、つまり協力者との成すべき活動が見えてくるのだと思う。
専門性の高い活動は自分の活動の縄張りを当たり前のこととして著述してしまう。しかし被災という混沌の中では、圧倒的な医療関係者の不足に振り回され、その基盤を支える活動が前に出る。医師や看護師が孤立無援の活動をしているわけではない。家族がおり、それを支える人々がいる。それを傍観者・追従者として著述していいのか、治療と保健の戦いの中に関係者の自立活動を組み込んでいくのは絵空事なのか。
このことは、仮設住宅入居以降、救急の事態をくぐったのちのこと、仮設生活という過渡的な生活を、様々な歪みを抱えつつ、更には救急時に沈黙を強いられていた諸問題の軋轢が浮上してくる中での地域保健・医療の網目をかける時期をどう支え。推進していくのか。その活動は専門職の仕事として切り出していいのかという疑問だった。この著述の隙間を私はつかみとりたいと考えていた。
仮設生活というのは実に厄介だ。一見日常生活の萌芽のように見えていながら、やがて建設される被災者住宅への仮住まいであること、新築したら家族の年寄りの体調が悪くなって、亡くなったという話をよく聞く。生活という個人の人生の基盤がゆらぐ時期、不安定に変動する場である。農家の広い家の生活から、顔をつき合わせて暮らす仮設生活のストレス、家族構成や財産が危機に瀕し、閉ざされる未来との孤独な戦いはボディブローのように後になって効いてくる。それゆえ、単身高齢者宅の孤独死が生まれたりするわけだが、この課題を専門職に任せると本気にそう思うか。プライバシーを守るという言葉の中に研究の放置はないか。
この辺は市販書籍には無理かなと思い始めている。今までの探索で見つかった研究書では、
●「地震による津波で被災した一人暮らし高齢者・高齢者世帯の生活再構築のための支援過程の構造化」岡本玲子代表編・岡山大2012.3刊NCID:BB10096415
●「東日本大震災における高齢者・障害者等に対する福祉支援のあり方に関する調査研究事業報告書」全国介護者支援協議会著・2012.3刊
がある。大学図書館にも在庫が少なく、県立保健福祉大図書館ルートでコピー取り寄せをかけている。類似の視点が共有できるひとたちであるといいのだが。
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期待するから落胆がある。それはそうなのだが、助成金の件を探るために、期待を抱かず県サポに向かった。結局は情報の出所が同じで、サポチガ情報網と同じだが、神奈川県と市民活動中間支援者の裏道の探りをいれた。結果は社協の年度末資金の残りに期待をかけるかという話で終った。今回の講演の公共性は共催者があってしかるべき内容だが、それができたら苦労は無いのだ。県社協への申請書をそれでも書いていこうと思っている。地方紙筋も探り済みだ。
県サポの前で電話、明後日**子の就労の件で蒲田をまわる。その前に東京の順路に大門の赤十字と八丁堀の日遊協を入れた。確認電話。黒田さんの講演は意味が大きい。最悪のときに備え、蔵書とレコード(TONYさん感謝)を売って担保資金を確保済み。残り10万円強である。
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補)以下の書を借りた。
●「発達障害白書2013年度版」
●「災害救護 : 災害サイクルから考える看護実践」
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母に弁当を買って帰る。軽くパンを食べておくとの話、母は何も食べずに待っていた。これでは、夜の授業に出ることが出来ない。えぼ鯛の開きをさっとサラダ油で揚げると美味しい。この一品で納得したようだ。私は鯖の味噌煮、糖尿病食にしては贅沢な方だ。洗濯物がたたんであった…見返りがこわい、こわい。
夜間傾聴;中学生君(仮名:お礼の電話あり、嬉しい。)
北里大サークルメールあり。事務長名入りの丁重なお断り文。
p.s.
陸前高田の高田病院の経歴をNHKドキュメントから知る。被災支援の熱気が去れば、東北の太平洋沿岸部の「過疎化」「極端な高齢化」「無医地区拡大」に対抗する社会運動はつくりにくくなる。これを予測した支援活動を生活支援活動の中に作る必要がある。
(校正2回目済み)
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相模大野から一度藤沢に戻る。ジュンク堂でキャンナスの「ボランティアナースが綴る東日本大震災」を見つけた。内容をみてがっかりした。また震災直後からの急性期看護対応を始めた看護師の日誌なのだった。
私が求めているのは、自分たちが何をしたのかではなくて、その活動がどのように協力者と連携しているかという著述。例えばキャンナスの看護師のもとに、湯を調達したり、手不足の避難所まで看護師を運んでくれたひとのこと。被災直後はそのすべてが即興であったりするが、医師を支える看護師を更に支える家族や、薬剤師や避難所ボランティアのこと。ガソリンが不足して動けなくなると、ガソリンを調達に奔走してくれたひとのことだ。
これは道徳臭い話ではなく、状況を動かしていく過程のエスノグラフィックな記録であり、専門職の専門性の高い活動を支える状況の構成要素の連続性、つまり活動の集団性・社会性を意識化することだ。ここを通すとき、関係者相互が看護師さんの周辺、つまり協力者との成すべき活動が見えてくるのだと思う。
専門性の高い活動は自分の活動の縄張りを当たり前のこととして著述してしまう。しかし被災という混沌の中では、圧倒的な医療関係者の不足に振り回され、その基盤を支える活動が前に出る。医師や看護師が孤立無援の活動をしているわけではない。家族がおり、それを支える人々がいる。それを傍観者・追従者として著述していいのか、治療と保健の戦いの中に関係者の自立活動を組み込んでいくのは絵空事なのか。
このことは、仮設住宅入居以降、救急の事態をくぐったのちのこと、仮設生活という過渡的な生活を、様々な歪みを抱えつつ、更には救急時に沈黙を強いられていた諸問題の軋轢が浮上してくる中での地域保健・医療の網目をかける時期をどう支え。推進していくのか。その活動は専門職の仕事として切り出していいのかという疑問だった。この著述の隙間を私はつかみとりたいと考えていた。
仮設生活というのは実に厄介だ。一見日常生活の萌芽のように見えていながら、やがて建設される被災者住宅への仮住まいであること、新築したら家族の年寄りの体調が悪くなって、亡くなったという話をよく聞く。生活という個人の人生の基盤がゆらぐ時期、不安定に変動する場である。農家の広い家の生活から、顔をつき合わせて暮らす仮設生活のストレス、家族構成や財産が危機に瀕し、閉ざされる未来との孤独な戦いはボディブローのように後になって効いてくる。それゆえ、単身高齢者宅の孤独死が生まれたりするわけだが、この課題を専門職に任せると本気にそう思うか。プライバシーを守るという言葉の中に研究の放置はないか。
この辺は市販書籍には無理かなと思い始めている。今までの探索で見つかった研究書では、
●「地震による津波で被災した一人暮らし高齢者・高齢者世帯の生活再構築のための支援過程の構造化」岡本玲子代表編・岡山大2012.3刊NCID:BB10096415
●「東日本大震災における高齢者・障害者等に対する福祉支援のあり方に関する調査研究事業報告書」全国介護者支援協議会著・2012.3刊
がある。大学図書館にも在庫が少なく、県立保健福祉大図書館ルートでコピー取り寄せをかけている。類似の視点が共有できるひとたちであるといいのだが。
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期待するから落胆がある。それはそうなのだが、助成金の件を探るために、期待を抱かず県サポに向かった。結局は情報の出所が同じで、サポチガ情報網と同じだが、神奈川県と市民活動中間支援者の裏道の探りをいれた。結果は社協の年度末資金の残りに期待をかけるかという話で終った。今回の講演の公共性は共催者があってしかるべき内容だが、それができたら苦労は無いのだ。県社協への申請書をそれでも書いていこうと思っている。地方紙筋も探り済みだ。
県サポの前で電話、明後日**子の就労の件で蒲田をまわる。その前に東京の順路に大門の赤十字と八丁堀の日遊協を入れた。確認電話。黒田さんの講演は意味が大きい。最悪のときに備え、蔵書とレコード(TONYさん感謝)を売って担保資金を確保済み。残り10万円強である。
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補)以下の書を借りた。
●「発達障害白書2013年度版」
●「災害救護 : 災害サイクルから考える看護実践」
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母に弁当を買って帰る。軽くパンを食べておくとの話、母は何も食べずに待っていた。これでは、夜の授業に出ることが出来ない。えぼ鯛の開きをさっとサラダ油で揚げると美味しい。この一品で納得したようだ。私は鯖の味噌煮、糖尿病食にしては贅沢な方だ。洗濯物がたたんであった…見返りがこわい、こわい。
夜間傾聴;中学生君(仮名:お礼の電話あり、嬉しい。)
北里大サークルメールあり。事務長名入りの丁重なお断り文。
p.s.
陸前高田の高田病院の経歴をNHKドキュメントから知る。被災支援の熱気が去れば、東北の太平洋沿岸部の「過疎化」「極端な高齢化」「無医地区拡大」に対抗する社会運動はつくりにくくなる。これを予測した支援活動を生活支援活動の中に作る必要がある。
(校正2回目済み)