湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

明日13日、茅ヶ崎サポセンでワイワイ祭りがあるので/9日「あうん」にお邪魔し

2010-03-12 16:32:20 | 引きこもり
いつも3月上旬~中旬は、生業の方や、青色やら、入試の始末や入試問題集作り屋などが重なり、最悪の状態になります。今年はそれに「父の元気」が加わり救急車騒ぎが起きて、何が起きても不思議ではない状況になっています。

不思議にこの時期、新年度前の大事な接点となる企画が多く、茅ヶ崎サポセンも「ワイワイ祭り」が行われます。下旬にしてくれると助かると思いつつ、圧倒的な給与所得者・定年退職者の主導で日程が決まってしまうのは多勢に無勢。

今朝も、父は身辺介護のヘルパーさんがくる2時間前から部屋を歩き回り、家具を倒して自分も転倒したり、30年前のみやげ物を昨日買ったかのように、「引き出しからだせ」と母に要求。「祖母(ばあさん)がしまいこんだから聞いて来い」というような、故人を活きているように勘違いしている、認知症がもろに出ている要求をして、母と口喧嘩となったりと、どうしようもない状態が続いています。

集中して書く時間がなかなか得られないので、9日の「あうん」訪問の様子。肉付けされていませんが、とりあえず以下に書いておきます。同日の東京中小企業家同友会の障害者委員会の講演会の様子は、講演内容とは別個の話なので、割愛させてもらいます。「わーく」編集部の東京同友会賛助会員参加の準備話なのです。

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9日(火)東京東日暮里の企業組合「あうん」を訪ねた。この日、みぞれの天候で、三ノ輪の駅の2番出口から正庭通りを探し、通り沿いに中華千住軒を探した。この中華店を左折してまもなくが「あうん」の場所。はじめ訪ねた自由広場・フードセンター(出荷場)はお留守。電話で事務所を教えていただいた。事務所は通り沿いの奥にある。徒歩8分ということだが、結構通りの名前が分からないので迷う。ワイズマートというスーパーの横の通りが「正庭(まさにわ)通り」だ。

事務所には数名の事務所担当者の方や、発起人の中村光男氏がいらして、アポなし単刀直入話に耳を傾けてくださった。(感謝しています。)内容はふたつ。ひとつは、湘南あすなろ会の見学会を請けて下さるようにお願い。2点目は、シブカサのSさんを交えて、放置傘再販の活動を湘南だけでなく東京にも種を蒔くという話し合いの場を設定したいという勧誘の件です。

前者は「見学会の主眼」を話し、販売活動の立ち上げ安定化の経験を参考にさせて欲しいこと、店舗(事業)展開する上でひととお金の飛躍をどう支えたか、新しい事業展開を生み出していけるような自由さを事業の中に埋め込んでいけるか。協働出資の形を野宿・生活困難者の領域で実現するときのメリットと可能性について。というような具体的な話に、乗ってくださった。4月初め、特に6日、お邪魔することが決定した。

もうひとつは、放置傘再販ネットワークの準備話に参加してくださることになった。

中小企業の事務所の親和的な雰囲気が部屋を包んでおり、仕事帰りの方(従業員兼社長)が、ぞろぞろと帰ってくる中、中村さんと私がなにやら熱中して話しこんでいる、「またかいな」という視線あり。ちょっと面白かったので、この方に話そうとしたのだが、時間切れ。

こちらは近所に、衣類・家電製品などの店舗・倉庫があり、今回は倉庫ではない衣類の店舗兼事務所にお邪魔したのだった。詳細は下記をご覧あれ。

企業組合「あうん」

以上
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恐れていたことが…父の階段転倒/将棋倒しに「舫」訪問も空転し

2010-03-12 12:54:37 | 引きこもり
救急車騒動があった翌朝、父が階段を降りて転倒してしまった。朝6時過ぎの出来事。1階の床から1段あがったところから、手がかりが無いので落下したらしい。父は体調がよいときが危険。しかし私も母も疲れていた。母は風邪を薬で押さえ込んだところだったし、私はオーバーフローで、眠りこけていた。

父の下半身はぐっしょりと尿に濡れ、背中も尿を背負い込んでいた。腰を抜かし、泣き顔の私を見上げていた。さすがに我慢の限界にきていた。階段を指差し、「落ちたら死ぬことぐらい、わからんのか!」と呆けた表情の父の胸倉をつかんだ。「ひとりで降りるな、落ちたら死ぬぞ!」と揺さぶった。

険しい顔になる父。無我夢中でつかみかかってくる父。何も意味が通じていない。母が騒動に、起きてきた。父が母を見つけ、抵抗をやめた。

「何をしたかったのか」、私は父に聞いた。返事が無いままだ。ただ、立ち上がろうともがくばかり。母が2階にあがって、引きちぎられたカーテンの金具を持って下りてきた。トイレットペーパーが床に転がり、道が出来ていると母の報告。

「自分が出来ることはやらないと」と、父の声。
「ヘルパーさんを頼んで、いつも階段は必死で上がり降りしていたのを覚えていないのかい!」と私。
子ども用の椅子を2階から降ろして父の前におき、立ち上がらせると、父は階段ではなく、1階のトイレに強引に向かおうとして、また椅子ごと倒れた。

「便が出たいのか」と私。
全く反応が無く、もがいて立ち上がり、トイレに行こうとした。

「うんこでたいの?」と母。
「出たくない」と父。

「便」では通じない、「うんこ」なのである。しかし、「出たくない」のになぜトイレなのだろう。

「なぜトイレに行くの」と母。
突然、もがくのをやめて呆然とする父。排便という目的が消えて、「トイレにいかなくては」という意志だけが残っていたようだった。階段の危険性など蹴散らされていたのだった。これでは目が離せない。

2回にあがった母が大声を出した。ポータブルトイレに、隠しておいたキッチンタオルのひと巻きと、入れ歯が落ちていたのだった。枕もとのCDプレヤーは床下に落ち、着替えがかき回されていた。カーテン下から、ぐっしょり濡れた尿取りパッドが出てきた。

父を介助して階段を上る。体重をもたせ掛けてくるので、数回、ふたり丸ごと落ちそうになる。こんな状態で、両側の壁に手を突いて降りてきたのだ。以前、父を背負って階段を上ったときの記憶が蘇ってきた。終えたとき視野が真っ暗となり、呼吸が出来なくなった。あのときの感覚である。

先に部屋の奥にいいる母に、父を座らせる椅子を用意させた。私が呼吸を整える間を作るためだった。そしてベッドへ無事着地。父を駆り立てたと思われる排便欲求は、前日の救急外来の浣腸の処置で一時的なものになっているはずだった。父は、新しいホームに行くことに緊張していたのではないかと思った。

と、突然、「飯にしてくれ!」と父。
我に返ったものの、何もかもが通じていない現実に立ち返らされてしまった。

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新しいホームの迎えが来ない。階段介助のヘルパーさんも来ない。不可解な状態に、ホームに問い合わせた。今日の判定会を過ぎなければ、テスト入所はありませんとの通知。

1週間前、ホームの聴き取り調査があった。そのとき、テスト入所は1週間後ぐらいになるので、予定をしておいてくれと言われたことで、時間の空きを確保するために、私の予定表に記入した。それがテスト入所予定に化けていたのだった。失敗だった。私はこの聴き取り調査と、次の展開をケアマネさんに連絡していかなった。そのために、階段介助ヘルパーさんが来ないものと勘違いして、前夜、ケアマネさんのホームに電話連絡していた。ところがケアマネさんが休みの日だったのだ。

勝手に予定をいじる結果になってしまい、あとでケアマネさんに謝ったものの、私のところで起きた介護関連の予定の通知義務は、用心しないとと改めて思う。

しかし、こういうときは私自身もおかしいのだ。食事を下げるために、父の部屋に入ったとき、押入れが開いており、また父がひと仕事したのがわかったので、蓋の開いた茶箱を閉めていた矢先、右手の薬指に鈍い痛みが走った。古い木片が深々と指に突き刺さり血が噴き出ていた。

木片はもろく、深く突き刺さっていたので、午後の巡回前に、開業医は休みの日なので病院で抜いてもらうことにし、父を救急搬送した病院の外来に行った。局部麻酔して切開。1分もかからず、木片は取り除かれた。化膿止めはともかく、痛み止めはいらないというのに、ワンセットついて4千7百円ちょいの出費。頭痛がする…といえば、痛み止めを追加しようといわれかねない状況だった。

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春めいた陽気に少し助けられつつも、橋本までの1時間、前後不覚で眠り込んだ。目が覚めていると指の包帯サックがはずれ、隣の方が迷惑そうに私との間に鞄を置いた。

面談開始10分前、洗面を済ませた。寝惚け顔では失礼というもの。学習指導は年度末、いまいち焦点が定まらないが、彼は来年受験である。教室に通学できるといいのだがと、そんな話を交えて無事対面指導を終えた。

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橋本から京王線を使って新宿に出て、JR総武線で飯田橋に出た。20分遅刻だった。仲介者は携帯を持たない主義。空振りのまま「舫(もやい)こもれび荘」に向かった。こもれび荘は閉まっていた。東京ボラセンは飯田橋にある。ボラセン経由で連絡先をつかみ、連絡。支援者全体が忙しい状態がわかる。結局、私の遅刻が原因で次々と空転が拡がったことが、昨夜の仲介者*さんからの電話で分かった。

市ヶ谷経由でビッグイシュー東京事務所に立ち寄る。会計担当者不在。販売担当のMoさんとMiさんに会う。カメラマン話も宙吊りのまま。

私の留守中は、母の友人親子が入ってくれていた。階段騒動の後なので母が依頼していた。

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舫のこもれび荘には、ビッグイシューの「路上脱出ガイド東京23区版」と、「路上からできる 生活保護申請ガイドブック」が自由に持っていけるように出してあった。後者のガイドブックは昨年12月に刊行されたもので、悪いかなと思いつつ4部いただいてきた。「ホームレス総合相談ネットワーク」の出版。1,000-となっている。本の申し込みは、03-5312-7654 まで。

夜間傾聴:******君(仮名)
     □□君(仮名)

(校正2回目済み)
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