湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

自転車リサイクルから社会的企業を考える

2008-10-04 06:58:15 | 引きこもり
今、臨時の仕事で「体験授業は役にするのか」という短いコラムを、某教材屋の学校教員向けパンフの一角に書いた。「内容は意味がないことはない。契機になるもならぬもその子次第」という身も蓋もない話を書いたのですが、編集者の気に沿わずボツになりました。給料払えとやりましたが、「ああ、ここはもう仕事くれないな」と、苦笑い。「机上の授業を超える現場体験の素晴らしさ」とでもやりたいのだろうが、それは実践の内容による。約束の違う提灯記事は書けないの。

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放置自転車のリサイクルは、修理部品や塗料・工具・接着剤などをどこから捻出するかが問われる。フリマの販売に出したとして、売れ残った自転車はどこに置くのか。遠方のフリマには運搬費もかかるだろう。それがクリアできるかなど、様々な問題が起きてくる。構想は具体的なシュミレーションが必要になってきた。さらに生計に結び付けるには安定した販売ルートも考えなくてはならない。海外へは無償提供や,金属スクラップとして輸出されている現状で、有償の付加価値がつけられるかなどが問われている。

また、マイクロファイナンスを作っていかないと、開業もままならないだろう。先進国でマイクロファイナンスかと疑問の向きもあるだろう。極端なことを書けば、5千円を上限とする低利子短期の融資制度だ。この規模の初動資金が足かせとなっている場合があるのだ。それをやるにはサラ金ではない組織がいる。今これをやりうるのは、労金・生協・社協だと思っている。そしてリスク管理も必要。

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読売新聞社会保障部の大津和夫氏の著書「介護地獄アメリカ」、これは藤沢市民図書館に入っている。この書の第三章「福祉改革の光と陰」に面白い議論が出てくる。ニューヨーク市のNPO「The Doe Fund」を例に取り、ホームレスに仕事を課す代わりにシェルターに住むことが出来る例を紹介している。仕事を身につけ町に戻っても低賃金労働、学歴や言葉の壁が依然としてあって、ホームレスに戻るか、麻薬などの地下経済に入っていく者さえいるという。だから学歴をつけさせよという。

これはアメリカ社会のバイアスがかかっていることを念頭に置くべきだろう。日本で学歴が雇用機会を開くだろうか。そう簡単ではないだろう。職業訓練機関として施設をおくのではなく社会的企業として彼らを抱え込んでいく、その運用の収支が定着可能な社会のニーズを、具体的に掘り起こし仕事化していくことだ。このとき従来の企業手法とどこが違うのかといえば、モノカルチャーではなく、「小銭稼ぎの寄せ集め」と悪口がでそうな、就労スーパーマーケット風の様相をまとめる必要がある。日々の要請によって無原則に変容するよろず請負というのではなく、昼に魚屋、夕方はクリーニング屋というような異質な働きのセットを、プロジェクト的に有期限に担う一企業という意味だ。社会的要請の深さと拡がりを見計らった企業形態ということだ。

アメリカでは、病弱者も「労働任務」が課せられると、この書は紹介している。社会的企業は自由選択が必要。働かない・今は働かないも選択肢だ。この辺の議論を詰めていく必要を感じる。

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労大研修、大詰め。「社会保障制度(6)医療・年金制度 2」流通経済大の大場敏彦氏。直撃する利害の目に見える部分の話なので、参加者の集中度は高い。しかしいつもと違う花金講義、出席率悪く、参加者3分の2。高齢化社会を迎える年金・医療保険の問題点と見通しの暗さの話。折も折、昨日、新聞記事トップで標準報酬月額改ざんの記事。儲けに結びつかないところは手を抜く、企業経営の労働者使い捨て体質の露呈。話が正社員中心になるのは、やむをえないが、非正規雇用者・国保の関連の突込みが弱かったのが難。あと2回で講義終了。11月に法政大の山本圭子氏の非正規雇用関連の講演あり。これは覘く。要所を掴んで、茅ヶ崎に呼ぶべき人材を探していく。



夜間傾聴:******君(親・当人)
     大森海岸君(仮名)
     旗の台君(仮名)

(校正2回目済み)
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レム睡眠行動障害の再発/ひとはどこまで無神経になりうるのだろう

2008-10-04 03:45:37 | 引きこもり
昨夜、父がベッド上で転倒し、柵にあごを打ちつけ口の中を切って血だらけになった。一時現れなくなっていたレム睡眠行動障害の激しい行動表現の結果だった。今回は怒りである。尿で汚れたお手拭きで口を拭き始めて、それを取り上げたら襲い掛かってきた。無事切り抜けて目を覚まさせ、消毒薬で仮の手当てして、朝を待って母と二人がかりで階段を下ろし、タクシーで病院の外来に行ってきた。あごを打っていたからだ。

とにかく寝ぼけ状態のときは粗暴なので、女性では扱いきれないだろう。しかも目覚めたとき、父の場合はトラウマがらみなので、抑圧されて記憶がない。口内は入れ歯で切ったのだが、この口からの出血では、いろいろなことが思い出されてくる。

底辺校の校風につぶされた不登校の高校生のことを思い出したり、40代前半に入ろうとしていたアルコール依存症の叔父のことも思い出されてしまう。事業拡張に失敗し、それが信頼していた同胞の裏切りが原因と知って、その辛さを家族に当たり、すべてを失った。前者の子は同居の祖父に折檻されたところに私が飛び込んだのだった。

後者は肝硬変末期、一人暮らしの家で痙攣していた叔父を背負って、近くの医者に連れて行った。その私の背で吐血。私と母の目の前で、歯を噛み砕いて引き付けてその命を終えた。前者の仁王立ちしていた爺さんの無慈悲な怒りの表情と、後者の酒臭い腐敗した血の香りのなかの最後の表情が、口中の血をみるたびに連想されてしまう。どうしようもない激烈な状況のなかで、前者は発狂寸前の母親とようやく睨み返している高校生を、後者では震える母を抱いて支えてきた。ひとの弱さに付き合えない、状況の孤立につぶされる人の心の不器用さを思うと、ひとの血に寒気を震えるのだ。

しかし、父のそれはどう受け止めたらいいのだろう。外来の待合室の父はいつも静かだ。あくびをしては口を押さえていたが、自分の身に何が起きたのかは全く分かっていなかった。レントゲン写真の結果は「大丈夫」。担当の医師の説明に、「当たり前、平気だ」と、父のさげすんだ無言の眼差しが医師をなで切りにしていた。医師はカルテに閉じこもり、いっさいをかわしていた。

父は眠った状態のまま、ベッド上で折檻しようと立ち上がり、足がもつれて転倒。ベッド柵にあごを打ちつけたのだった。精神科医や心療内科医以外の医師は、「レム睡眠行動障害」を知らずに「寝ぼけ」と解釈する。「年寄りを興奮させるものではない」と注意されるに及んで、付き添いの私の我慢の緒が切れた。不勉強極まりないではないか。他科と言っても医師は素人ではないのだ。父は二週間連日、夜中、大声を出しながら毛布と格闘し続けたこともある。これを介護者の不注意というのかと。

父は「かばんはどうした」と、突然私に聞いた。そのかばんは父が在職の頃、出社時に持ち歩いていた、昔の医師が往診に使うようなごついかばんのことだった。自分の権威の象徴。タクシーに乗ることが連想を呼び起こした。父はタクシーで通勤していた。病院の車椅子から車内に移る、両脇を支えられている最中の発言。父は半分夢の中にいるのだった。

家に戻ると、居室清掃と清拭のためのヘルパーさんが来たところだった。2階に押し上げると、突然私の手を振り払って、ベッドに腰掛けるようにして、パジャマを下げ、紙おむつをむしるようにして下に下げ、ポータブルトイレのふたを開けて、立ちションをしようとして、こけた。周囲は尿でびしょびしょになった。あれほど説明したおしめの利用要請は、眼前で見事に拒否されたのだった。しかし心通じない人との関係は侘しい。こうした積み重なる齟齬を生きていくのが人生だとしたら、青少年に夢を持てと語る大人の欺瞞は明らかだろう。この指示もまた現実糊塗の抑圧でしかない。

孫の高校生を怒鳴りつけていた彼の祖父と私は、その後も衝突することになった。「○○は、こうすることになっている」という彼の祖父の行動基準は、今起きている現実に学ばない。それが繰り返し社会の規範として孫の折檻を正当化する。彼は社会に恐れと憎しみを抱いていった。私は大学進学を境に別居する方がいいと勧めた。母親がそれを渋った。それが母子の共依存によるものだけとは思えなかった。祖父の折檻は母親に集中。その半年後、村落共同体的な古風な倫理観を抱えたまま、この方は頑固を貫いて心筋梗塞で亡くなった。

私の叔父は誰も信じられずにアルコールに沈んだ。私らに迷惑が及ぶのを恐れて、遠方の自宅で体調が危機になるまで音信を絶っていた。若い頃、酒に溺れる傾向があったので不思議ではなかったが、最後は悲しいことに、彼の望みは酒代と医療費の無心だった。自尊心のかけらをも残さず、私らの入院介護を望んだ。しかし遅かったのだった。

私がすべてのひとに再起の契機は与えられるべきと思うのは、押しつぶされた叔父と抑圧された方が重なって見えるということや、一度の挫折のその後を、贖罪の人生に塗り替える残酷さへの反発も原因になっている。

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家に戻った父は一眠りして、食事を要求。心配して訪ねてきた宗教団体の女性信者Oさんが、ヘルパーさんが遣り残した床の掃除を手伝っていると、「うるさいからやめろ」といわれたとびっくりして茶の間におりてきた。人の好意や家事への評価が昔から全くないのだと、Oさんに説明した。

夜間傾聴:******君(親)
     多摩センター君(仮名)
     自由が丘君夫妻(仮名)

p.s. 湘南いのちの電話のMさんからサポセンに相談あり。内容から「ぽれぽれ」が適当と判断。DVなら、まだシェルターがある。しかし、私が引き受けたマル暴がらみ多重債務の女性では逃げ場がない。不登校・引きこもりの未成年も急の避難場がない。支援活動の未成熟さを感じている。

(校正2回目済み)

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