湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/12 震災3年目だから必要な手を打つという発想は個の決意に収まるのか

2014-03-13 06:06:24 | 地震津波災害ボランティア

2014/03/12 記
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教材屋の仕事。淡路町に行く予定だったが、橋本の個人指導ボラの青年が荒れて、待機状態に。春は人生の転換期だから、引きこもり青年たちの取り残され感が強まるのだろう。非常に不安定になる。年末年始・春・秋口に何かが起きる。若い頃は、個人的に、そっとハイキングに連れ出したりしていた。

小山さんの懇談があった帰り道、茅ヶ崎駅の南口側に向かって歩いていた。資料集とレジュメの入った紙袋と、コインロッカーに入れておいた買い物した食材のビニ袋、ショルダーバッグを提げて南口のエレベーターに乗ろうと歩いていると、突然右側から、目の前を、酒を帯びた会社員が大股で横切った。袋が会社員と接触し、引かれるように袋ごと私は通路に投げ出された。パンが袋から飛び出した。右から突然のことがあると、私は右目が見えないので、車道を横断するとき、路側帯を走り抜ける自転車と何回も衝突寸前になる経験をしている。「直前を曲がらないで下さい」と、振り向いた30代の会社員に怒鳴ると、会社員が怒り出し、彼の指示にしたがって、交番に行くことになった。悪いことの重なる流れは、無理をすればろくなことにならない。

通路をゆっくり歩いている私に進路を妨害されたくなかったらしい。この10数年、特に顕著になっているのは、混雑の人の間合いの異常な変化だった。また携帯・スマホをしながら歩く人に苛立ち、早く追い抜こうとする人の増加だった。決して謝らない、非を認めない、口をつぐむ人の増加だった。

巡査はとにかく穏便にふたりを別れさせることしか頭に無い。私は状況描写をできるだけ細かく語り、同意点を膨らませ論点を削りつつ、「直前」は主観かということに、話を絞り込んだ。私は両膝の出血した傷口を見せ、袋を引かれたことを主張。嫌な手口だがそれによって、配慮の無くなった健常者の増加と、世間のせち辛さに流される愚かさを語る間を得た。沈黙が流れ、私は交番を出たのだが、終バスは逃してしまった。緊張が解けたのか、2000年の交通事故で骨折した右ひざが痛み出した。どうも右側がついていないようだ。タクシーで家に戻ったが、私の次になすべきことに気をとられていたのではないかと、思うのだった。

翌日、駅ビルの八百屋のレジで、偶然##さんと合った。肩の荷がおりたような気持ちになった。懇話会の活動が飛田主導の活動から離れて公共空間になれば、取り上げているテーマの重要性はおのずとわかること。目的行動をとる「わーく」編集部の活動とは違うのだ。その時代のキーポジションに立つ現場のゲストとの出会いが、東北の被災者の私的な生活交流や、弱者の防災そして、災害ユートピアの持つ人間関係の一新というような出会いなど、多彩な契機を生み出してくれる。だから怖じる必要は無い。次の一歩はどうすべきかと、その日は眠れなかった。

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橋本の**君は、休学中の大学に復帰することにした。ところがその決断してから彼は不安定になった。彼は以前、家業を継ぐ道も考えていた。彼は二極性欝を抱えていたが、最近は姿を潜めていた。何か契機があったのだろうか。結局、橋本への出陣と相成ることはなかったが、教材屋の方が厄介なことになっていた。始末をつけてから寝る。今日はここまで。なんともさえない。

夜間傾聴:ひとり

p.s.地域サポート、石巻と陸前高田の構えの差。


(校正2回目済み)


コメント
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