2014/03/15 記
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平障連の会合のお手伝いをしてきた。「生命のことづて」の上映とコメント屋をした。報告は4月初めにJDAにお邪魔して話そう。カンパもいただいている。
今回の会は、さまざまな障害の方が話を受け取った様子が勉強になった。この作品は、被災した障がい者の方へのインタビューが多いのだが、余分な背景は描写されていない。韓国で行った国際会議に間に合わせるために、編集を急いだと聞いている。そのため、関係者に通じればよしとする編集の割りきりが返って印象的だ。ところどころのインタビューの当事者さんの応答に、観客は相づちを打っていた。
上映終了後、感想を語り合う場面があった。映像に触発されているのはわかるが、発言は関連付けた自分の活動紹介が多かった。それは作品の筋から導き出されたとは言え、筋そのものではないので、感想を語り合うことの難しさを感じた。
私はコメントを問われた。集団の一員として、指示にしたがって迅速に避難することを訓練目的とする防災では、障がいを抱える者は「助けられる厄介者」でしかない。この流れからは、抑圧が働き、各人の独自の意見や判断を求めること自身が難しい。
だから、「地域の絆」ということを論じるとき、家族・支援者にとっては必要なものだが、障がい者にとっては、集団の一員として依存せざるを得ないひとたちのことで、その運用に注文をつける気持ちにはならないだろう。障がい者畑では災害避難論議に救助する側と当事者の落差があるのは、こうした事情がある。
もうひとつは、実際上、災害発生時避難は無理、飛び込みの救援の運に依存するからということで、思考停止してしまう。この溝を埋めて行くには、はじめから「地域の絆」を論じ合うという設定が無理があると思う。だから、自分の現状を語ってよいのだ、発言は自主判断を持とうというところに影のウェイトを置いた。
「災害が起きたらどのような安全脱出が可能か、どのような支援が必要か、自宅と外出先までの生活圏をたどって、まず考えよう」
と語りかけた。ご近所の専属の方が自分を助けてくれるのを待つと考える限り、災害避難論議は不毛だ。その助けが届かない、外出時で周囲に知り合いがいないという場面からまず考えてみよう。その上で、「地域の絆」を求めていこうという内容だった。
話は時間切れ。最後に3点紹介して会が終わった。
1)医療情報QRカードとSOSカード
2)携帯メールを使えるようになろう。受信元のセンター作り
3)外出被災時、支援者であることを示すジェスチャー
(両手をあげ、頭の上で交差し続ける動作)
1)を除いて、2)・3)は、比較的容易にはじめられること。だから、上映感想と防災実践の議論をはじめましょうと提案。
お弁当がおいしかった。
++さん、出会いをいただき、感謝します。
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とにかく眠い。昼夜逆転人間の午前中企画は、身に堪える。足がつるので、足を温湯浴させた後、2時間眠ることにした。
自宅作業、再開。
夜間傾聴>中止
(校正3回目済み)