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ヒトラー演説は「絶対の宣伝」か?

『災後のメディア空間』より 「ナチスの手口に学んだらどうかね」--デマゴーグ演説の条件

そうしたヒトラー演説の神話化は私自身の読書体験でも思い当たる。ヒトラー演説は政治家かお手本とするほどすごい、中学生の私がそうした印象を抱いたのは、『週刊少年ジャンプ』連載(一九七一一九七五年)の本宮ひろ志「大ぼら一代」を読んだときである。主人公のライバルが政界進出を前にナチ映画でヒトラーの演説技法を学び、コンサルタントから指導を受けるシーンがリアルに描かれていた。

不思議なことだが、この一九七五年前後の日本ではナチズム、特に「ナチ宣伝」のテクニカルな応用に関する大衆書が多く出版されていた。長沼博明『ヒットラー統率力の秘密--シンボルは高く掲げよ』(評言社、一九七五年)、平岡正明『ヒトラー学入門--革命を志す諸君へ』(ゼロ・ブックス、一九七五年)、やや遅れて草森紳一『絶対の宣伝--ナチス・プロパガンダ』全四巻(番町書房、一九七八・七九年)である。「ヒトラーの演説」を含む草森の論考は一九七〇年代前半に広告業界誌『宣伝会議』に連載されていたものである。第三巻『煽動の方法』は当時翻訳されていたヒトラー伝やナチ党幹部の回想録、『世紀の獅子吼--ヒットラー総統演説集』(遠藤慎吾訳、羽田書店、一九四〇年)などを使って読み応えのある作品にまとめられている。「最後の文人」と呼ばれた草森は、プロパガンダヘの関心を持ち続け、『広告批評』に長期連載した中国編も『中国文化大革命の大宣伝』上・下(芸術新聞社、二〇〇九年)として没後に刊行されている。

草森がまず強調するのは、ヒトラー演説は「大衆」にこそ影響力があったか、〝認識の病い〟を抱える「知識人」には十分な威力を発揮しなかったという事実である。例えば、本書読者の場合かそうかもしれないが、知的な読書とは自分の先入観が揺さぶられる体験である。そこから生まれる懐疑の精神は、自己内対話、やがて他者との討議へと思考を開いてゆく。しかし、独裁者の演説に心酔する聴衆にとって、懐疑の精神など不要である。自分が考えていること、言葉にできない思いを気の利いた言葉で表現してくれる語り手だけを求めている。ヒトラーの演説論が知識人批判と表裏一体なのはそのためである。前出『ヒトラー選挙戦略』で使われた引用文に続いて、ヒトラーは知識人の演説をこう批判している。

「偉大な運動はすべて大衆運動であり、人間的情熱と精神的感受性の火山の爆発であり、困窮の残忍な女神によってかきたてられたか、大衆のもとに投げこまれたことぼの放火用矩火によって煽動されたかであり、美を論ずる文士やサロンの英雄のレモン水のような心情吐露によってではないのである。民族の運命はただ熱い情熱の流れだけが、転換させることができる。そして情熱はただ情熱をみずからの中にもっているものだけがめざめさせることかできるのである。……しかし情念がほとばしらず、口が閉じられているものを、天は自己の意志の告知者に選んだことはない」

知識人はヒトラーの演説を空疎な内容、安っぽい表現、飛躍する論理から批判したか、この反知性主義のコミュニケーション理論の前では無力だった。もちろん、反転した知性主義ゆえにヒトラー演説に心惹かれた知識人も存在した。文学博士号を持ち、若くして小説『ミヒャエル』(池田浩士編訳『ドイツ・ナチズム文学集成(1)ドイツの運命』柏書房、二〇〇一年所収)を執筆した、第三帝国の国民啓蒙宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスもその一人である。文章や論理に対する徹底したニヒリストにとって、ヒトラーの肉声こそ自己懐疑から解放してくれる「神の声」だった。もちろん、ゲッペルスは知識人であるがゆえに神の存在も、ヒトラーの言葉も信じてなどいない。自分にとってヒトラーが神の機能を果たす可能性に賭けたのである。ゲッペルスのヒトラー評をクルト・リース『ゲッペルス』(西城信訳、図書出版社、一九七一年)から引用しておこう。

「この男は危険だ。彼は自分の言うことを信じ切っている。……彼の力の秘密は運動に対して狂熱的な信念のあることだ。そしてそれゆえ、ドイツをも狂信していることにある」

ゲッペルスの演説も上手いが、皮肉の毒をたたえた語り口はいかにも「博士調」である。ここに知識人の演説の弱点がある。知的に語ろうとすれば、その内容に一〇○%の自信などありえるはずはない。だからこそ対話が可能であり、妥協の余地か存在する。ヒトラーの演説からはこうした対話の契機は生まれない。むしろ聴衆全体とヒトラーか二体化するのである。そのためヒトラーは忘我の境地に迫りえたが、知識人の多くは演説中も自分とその発話に注意をむけがちである。これではロック・コンサート会場のような熱狂を生みだすことはむずかしい。

ただし、大衆と一体化できたヒトラーが知識人ではなく大衆だったというわけではない。もう二〇年前、私はヒトラーが一九三八年ニュルンベルク党大会の文化会議でおこなった演説文を翻訳した経験かある(「『大衆の国民化』とヒトラーの美意識--一九三八年ヒトラー演説『芸術における真偽について』」『リべルス』一二号、一九九三年一二月)。知識人向けのナチ芸術論ということもあるが、論旨は明快で飛躍や破綻は感じない。もちろんスピーチ・ライターがいたはずだが、いかにもヒトラーの発言と思える内容だった。当然なから、こうした演説で「獅子吼」が演じられていたわけではない。

私たちはヒトラー演説というと、ドキュメンタリー映画で目にする(っまりナチ党が撮影した)、あるいはチャップリンの映画『独裁者』などで戯画化された「獅子吼」、つまり腕を振り上げて絶叫するシーンを思い描いてしまう。しかし、そうしたハイライト・シーンは演説の一部を切り取ったものであり、それだけで演説の効果を計るべきではない。それは運動期に特有の演説スタイルであり、第三帝国成立後は少なくなっていた。
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ナチのホロコースト計画における鉄道の役割

『世界の鉄道』より 第2次世界大戦中の鉄道の役割

絶滅収容所に送られたヨーロッパ中の何百万というユダヤ人の多くは列車の中で終末を迎えた。家畜運搬車の中に80~100人のグループで詰め込まれ、ほとんど水も食料も与えられなかった。5~10%の人々がその移動中に亡くなったのである。

ユダヤ人の輸送はアドルフ・アイヒマンが直接担当。その邪悪な行為は1937年にはすでに知られており、ライヒ・セキュリティ・メイン・オフィス(Reichssicherheitshauptamt、RSHA)でその任務にあたった。

彼の部署から、あるいは関連部門のゲシュタポ警察(ホロコーストの主実行者)から、〈帝国鉄道〉への要請が出されて輸送・科金部門に送られた。そこから、ひとたび緊急度合いと輸送費用が決まれば、文書が列車編成と運行スケジュールを実際に担当する運行部門に回された。それはつねに特別列車に類別された。〈ドイツ帝国鉄道〉はこの大量輸送に対する支払いを要求した。人々は家畜運搬車にすし詰めにされたにもかかわらず、<帝国鉄道〉は片道3等料金を適用した。1Kmあたり4pペニヒだった。

列車で強制移送された人々の総数が400人を越えた場合は「団体料金(lkmあたり2ペニヒ)が適用された。各々の列車が2000~2500人を運んでいたことを考えると、この条件をほとんどいつも満たしていた。

乗車券や請求書は移送された人々にも、また直接ドイツ国にも発行されず、「中央ヨーロッパ旅行代理店」と呼ばれる国営事務所に宛てて発行された。この代理店はその罪のない名前とは裏腹にゆユダヤ人の大量強制移送を仕切っていた。支払金はユダヤ人から徴発した金銭から集めた。この死の列車は第三帝国が崩壊すらまで走り続けた。そして、1945年の1月から5月の間にソ連と連合国の軍隊が絶滅収容所の解放を始めた。

〈ドイツ帝国鉄道〉が当時果たした役割の責任を認識していた〈ドイツ連邦鉄道(DB)〉は、1998年にベルリンのグリューネヴァレト駅の17番線に特別な記念物を設置することを決めた(歴史家は、〈ドイツ帝国鉄道〉なしではその大規模殺戮は実行不可能だっただろうと認めている)。この記念物の中核は年代順に並んた186本の金属製の板からできている。その板の各々には強制移送の日付、移送された人数、ベルリンからの出発地点と行き先が記されており、線路わきの歩道に並べてある。

長い年月の間に17番線のレールの間に植物が茂ってきたが、列車は--その番線のそのプラットフォームから--同じ行き先に決して出発することがないことを象徴的に示すものとしてそのままにされてきた。

ノルマンディー上陸作戦のあと、ドイツ軍は退却するときに、連合国側に利用されるのを防ぐためにすべての鉄道施設を細心の方法で破壊した。 TNT爆弾で橋やトンネルを爆破する他に、ドイツ軍は鉄道用の「鋤」のようなものを考え出した。これは機関車の後ろにつけて引っ張って、フックのようなもので枕木を切り裂いて線路を使えなくするというものだった。この道具はドイツ軍が最初にグスタフ線(ガエータとサングロ川河口の間)を放棄したときイタリアで使われた。それからパダーナ平原とブレンナー峠に向て退却するとき、ゴシック線でも使った。戦争中でも鉄道はもちこたえなければならないというプレッシャーについて一例を示すために、ミラノーヴェネツキア線の重要な芸術的建築物のひとつであるパラッツォーロ・スッローリオ橋に繰り返し行われた連合国軍の空爆を思い起こしてみよう。

1944年7月23日から1945年4月にかけて、その橋は32回爆撃された。1857年に建造されたその橋は長さ883ft(269m)、高さ約130ft (40m)で9つのアーチがあった。ドイツの輸送網を妨害し混乱させた、多数の一般鉄道労働者による英雄的な行為にも言及すべきだろう。とくにフランスの鉄道労働者の行動は、戦後に多くの著名な映画の題材になって有名になった。

戦後、全体状況は悲惨だった。1940年には、イタリアの鉄道網は10、000mile(16、000km)あり、そのうち3、lOOmile (5、150km)が電化されており、2、800mile (4、500km)が複線だった。これに私鉄の3、OOOmile (4、800km)、そのうち電化されたl、200mile(1、900km)を加えなければならない。保有車両は蒸気機関車が4、177両、電気機関車が1602両、貨車が13万両、客車と貨車の中間のものが約1万3、200両に上った。同じように営業許可を受けた私鉄の車両も多数あり、その内訳は蒸気機関車が600両以上、電気機関車が383両、貨車が8、000両、客車が2、000両以上だった。5年後の数字は被害の大きさを際立たせていた。4、350mile (7、000km)の線路、電化された鉄道網のほとんど全部、使われているものが3、215mileのうち3、106mile (5、144kmのうち4、970km)、電話線がほぼ50、OOOmile (80、500km)、伝達に必須のもの、駅とクロッシング・ボックスと停車場の間で4、700mile (7、520km)だった。輸送機材は十分でなかった。たった1803両の蒸気機関車とわずか546両の電気機関車がそれでも使えたが、架線が破壊されたために実際上使用不可能だった。そして約4万両の貨車と1、200両の客車。
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年休で病院へ

年休時のメールでの相談

 9時40分にメールが来ました。11時から相談とあります。相変わらず、思考パターンが読めないですね。

 12時前のメールで相談概要は理解できました。組織の問題がパートナーのところを中心に動き出します。

年休で病院へ

 太ももの付け根が痛くて、寝ても起きても座ってもいられない。いつもの病院に来ています。結果は神経痛ということでした。

 神経痛とは、老人ポイということを言ったら、奥さんとパートナーからは同じことを言われた。「歳なんだから」

 病名が決まり、薬を飲んだら、痛みが減った。いつものことです。それにしても、このモバイルスーツはガタガタですね。
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分蜂群の知恵

『ミツバチの会議』より

メンバーの知識と知能を効果的にまとめあげ、適切な集団的選択が行なわれるような意思決定グループをどのように組み立てるかという点で、私たち人類がミツバチから学ぶことができるものは何かを考えてみよう。これは重要な問題だ。人間社会は、重大な決定を下すことにかけては個人よりも集団のほうが頼りになると信じているからだ。だから陪審団が、評議員会が、有識者会議があり、合衆国最高裁判所には裁判官が九人いるのだ。しかし誰もが知っているように、集団はいつも賢い判断をするとは限らない。集団がうまく組織されておらず、したがってメンバー同士の面と向かった討論が、幅広い情報と熟慮にもとづく集団的推論に至らなければ、その集団は意思決定機関として機能不全に陥りやすい。そうなると、その集団が下した判断は、関係する社会に大失敗を引き起こしかねない。幸い、家探しをするミツバチが、優れた集団意思決定をするにはどうすればいいかという難問への見事な解答を、私たちに示してくれる。この解決策は何百万年にもおよぶ(漸新世の化石から、少なくとも三〇〇〇万年前にはミツバチは存在していたことがわかっている)自然選択によって磨かれており、集合知を実現するための方法として長い時間をかけて実証済みであることは確かだ。

もちろん、昆虫に経営指南を求めるといっても限度があり、そのやり方をやみくもに真似ればいいというものではない。それでもミツバチは、効果的な集団意思決定の原則をいくつか示しており、それらを実行すればヒト集団による意思決定の信頼性を引き上げられると、私は主張したい。この主張の後半は単なる仮説ではない。なぜなら私はすでに、ミツバチから学んだことをヒトに、特にコーネル大学の同僚たちに応用しているからだ。二〇〇五年、ハチの意思決定プロセスの形態がちょうどはっきりしはしめたころ、私は神経生物学・行動学科の学科長に就任した。なかば楽しみのために、なかば実験として、私は探索バチが巣を選ぶときのやり方を、同僚の教授たちと月に一度行なう教授会の議論の進め方に一部取り入れることにした。分蜂バチとは違い、私たちは生死に関わる決定を迫られているわけではないが、難しい決定をしなければならないのは確かだ。すなわち採用、昇進、その他、整然と組織された私たちの学界に長期的影響を及ぼす事項についての選択だ。同僚が自分たちの集団意思決定を本当のところどう考えているかは、知らぬが花かもしれないが、たとえ物事が各自の思い通りに必ずしも行かなかったにしても、これまでに下した難しい決定に彼らが満足していると、私は思っている。そして、見たところ彼らが満足しているのは、私たちの決定が開かれた公平な議論に基づいていることの表われだと思いたい。いずれにしても、私がミツバチから学んだ「効率的な集団の五つの習慣」を、どのように大学での業務に取り入れようとしたか、これから説明しよう。

ハチから学んだことが人間にも当てはめられるという私の立場をさらに裏付けるために、ミツバチ分蜂群とニューイングランドのタウンミーティングに、優れた決定を生み出すように組織されたという点で、興味深い類似が見られることを検討したい。なぜニューイングランドのタウンミーティングを比較対象にするのかと言えば、この独特の形式を持つ小さな町の地方自治は、三世紀以上にわたって存在し、人類の民主主義の世界一信頼できる形態と言えるからだ。これが分蜂バチとあまり違わない集団意思決定プロセスを用いているのだ。年に一度のタウンミーティングの日--昔から三月の第一月曜日の翌火曜日--に町民は、開かれた、互いの顔の見える集会に参加し、町の住民全員の行動を支配する拘束力を持った集団的決定(法律)を提出する。タウンミーティングはミツバチ分蜂群がそうであるように、和気蕩々とした雰囲気と個人の活力とが入り交じった、興味深いものだ。民主主義の形態として実証されたこれら二つの内部構造に、興味の尽きない類似があることがわかるだろう。分蜂群でうまくいくものがタウンミーティングでもうまくいくことは、単なる偶然とは私には思えない。
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分蜂群の知恵

『ミツバチの会議』より

メンバーの知識と知能を効果的にまとめあげ、適切な集団的選択が行なわれるような意思決定グループをどのように組み立てるかという点で、私たち人類がミツバチから学ぶことができるものは何かを考えてみよう。これは重要な問題だ。人間社会は、重大な決定を下すことにかけては個人よりも集団のほうが頼りになると信じているからだ。だから陪審団が、評議員会が、有識者会議があり、合衆国最高裁判所には裁判官が九人いるのだ。しかし誰もが知っているように、集団はいつも賢い判断をするとは限らない。集団がうまく組織されておらず、したがってメンバー同士の面と向かった討論が、幅広い情報と熟慮にもとづく集団的推論に至らなければ、その集団は意思決定機関として機能不全に陥りやすい。そうなると、その集団が下した判断は、関係する社会に大失敗を引き起こしかねない。幸い、家探しをするミツバチが、優れた集団意思決定をするにはどうすればいいかという難問への見事な解答を、私たちに示してくれる。この解決策は何百万年にもおよぶ(漸新世の化石から、少なくとも三〇〇〇万年前にはミツバチは存在していたことがわかっている)自然選択によって磨かれており、集合知を実現するための方法として長い時間をかけて実証済みであることは確かだ。

もちろん、昆虫に経営指南を求めるといっても限度があり、そのやり方をやみくもに真似ればいいというものではない。それでもミツバチは、効果的な集団意思決定の原則をいくつか示しており、それらを実行すればヒト集団による意思決定の信頼性を引き上げられると、私は主張したい。この主張の後半は単なる仮説ではない。なぜなら私はすでに、ミツバチから学んだことをヒトに、特にコーネル大学の同僚たちに応用しているからだ。二〇〇五年、ハチの意思決定プロセスの形態がちょうどはっきりしはしめたころ、私は神経生物学・行動学科の学科長に就任した。なかば楽しみのために、なかば実験として、私は探索バチが巣を選ぶときのやり方を、同僚の教授たちと月に一度行なう教授会の議論の進め方に一部取り入れることにした。分蜂バチとは違い、私たちは生死に関わる決定を迫られているわけではないが、難しい決定をしなければならないのは確かだ。すなわち採用、昇進、その他、整然と組織された私たちの学界に長期的影響を及ぼす事項についての選択だ。同僚が自分たちの集団意思決定を本当のところどう考えているかは、知らぬが花かもしれないが、たとえ物事が各自の思い通りに必ずしも行かなかったにしても、これまでに下した難しい決定に彼らが満足していると、私は思っている。そして、見たところ彼らが満足しているのは、私たちの決定が開かれた公平な議論に基づいていることの表われだと思いたい。いずれにしても、私がミツバチから学んだ「効率的な集団の五つの習慣」を、どのように大学での業務に取り入れようとしたか、これから説明しよう。

ハチから学んだことが人間にも当てはめられるという私の立場をさらに裏付けるために、ミツバチ分蜂群とニューイングランドのタウンミーティングに、優れた決定を生み出すように組織されたという点で、興味深い類似が見られることを検討したい。なぜニューイングランドのタウンミーティングを比較対象にするのかと言えば、この独特の形式を持つ小さな町の地方自治は、三世紀以上にわたって存在し、人類の民主主義の世界一信頼できる形態と言えるからだ。これが分蜂バチとあまり違わない集団意思決定プロセスを用いているのだ。年に一度のタウンミーティングの日--昔から三月の第一月曜日の翌火曜日--に町民は、開かれた、互いの顔の見える集会に参加し、町の住民全員の行動を支配する拘束力を持った集団的決定(法律)を提出する。タウンミーティングはミツバチ分蜂群がそうであるように、和気蕩々とした雰囲気と個人の活力とが入り交じった、興味深いものだ。民主主義の形態として実証されたこれら二つの内部構造に、興味の尽きない類似があることがわかるだろう。分蜂群でうまくいくものがタウンミーティングでもうまくいくことは、単なる偶然とは私には思えない。
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電子書籍は紙の本を殺すのか

『読書脳』より 「読書の未来」石田英敬(東京大学附属図書館副館長)×立花隆

立花 ところで、電子書籍は日本でも普及しつつありますが、欧米ではかなり先行していますよね。一般読者ではなくて、本のディープな読み手、いわゆる読書人といわれる人たちの間でも電子書籍は受け入れられているんでしょうか。

石田 何カ月か前に、フランス人の古くからの友人に会ったらキンドル派になっていたんでビックリしました。とても保守的で、電子書籍に手を出すような人間には思えなかったからです。欧米の読書人の間で、電子書籍が急速に読者を獲得しているのはたしかでしょう。新書のような軽い読み物まではすべて電子書籍化してくれれば私個人としては有難いと思っています。新書やエンターテイメント系の小説、ある程度読み飛ばせる本は電子書籍で、長くて本格的なものは紙の本で、という具合にいずれみんな読み分けるようになるんじやないでしょうか。

立花 サイエンス系の教科書は分厚くて重いから、電子書籍で済めば、ぼくとしては有難い(笑)。しかも電子書籍だと、改版されたとき、簡単に中身を差し替えることも可能です。これまでぼくはけっこう重量級の教科書を新たな版が出るたびに買っていたんですが、やっぱりカサばる。ただ大きな図版は、いま出回っているビューアーの画面サイズだと全体像を一度に表示できない難点があります。ビューアー自体、もう少し大きくする必要があるでしょうね。ただ、それも時間の問題で、もっと利用しやすい形態で、もっと高精細のビューアーがどんどん出てくるだろうと思います。

紙の本から電子書籍への移行も劇的変化ですが、過去をふり返れば、スクロール(巻物)からコデックス(冊子本、綴じ本)への移行も書物史の中では革命的な出来事でした。『読むことの歴史』(ロジェ・シャルティエ、グリエルモーカヴァッロ著 大修館書店刊)を読むと、その辺の事情がよくわかります。たとえばコデックスになってはじめて本にタイトルを付けるようになったとか。写本から活版印刷への移行も本の形式に大変化をもたらした。本に目次や索引を付けるのが二般的になったのも活版印刷が登場した後です。

石田 いまアップルのiPadなど、スレート(石版)型のデバイスが出てきていて、それはそれで便利ですが、コデックスの備えている機能はなかなか捨てがたい。むしろスレート型デバイスの登場で、コデックス型の利点があらためて認識できるようにもなりました。

立花 ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』という十五世紀パリを舞台にした小説に、「コレがアレを殺す」という有名な章がありますよね。そこにノートルダム大聖堂の司教補佐クロード・フロロが、印刷されたばかりのグーテンペルクの印刷本と寺院の大伽藍を比較して、「コレがアレを殺すだろう。書物が建物を」とつぶやく場面が出てきます。グーテンペルクの活版印刷が登場したからといって、それで建物が消えることはありませんでしたが、大聖堂に象徴されるキリスト教が絶大な権力を振るっていた中世は終った。写本に代る印刷本という新しいメディアの登場が文明の交代を促したわけです。いま、これまでの印刷本に代る電子書籍が登場して普及しつつあるわけですが、十五世紀と同じように、「コレがアレを殺す」ことはありえるんでしょうか。

石田 iPadのような電子的なスレートが、己アックスを殺すのか、ということですね。いま立花さんがおっしやったように、実際にグーテンベルクの印刷本がノートルダム大聖堂を殺すことはありませんでした。メディア史研究でも一般に、古いメディアを新しいメディアが完全に乗っ取ってしまうとは考えられていません。広く受け入れられているのは、成層論、つまり、新しく登場するメディアが古いメディアを完全に消し去るわけではなく、層が堆積していくように、各メディアの関係が変っていくという説です。これまで新しいメディアが登場するたびに「コレがアレを殺す」という議論がくり返されてきましたが、スレートとコデックスの関係だけでなく、テレビ、ラジオ、映画などマルチメディアとの関係についても考えなければならないと思うんですね。マーシヤル・マクルーハンは、活版印刷技術が生みだした文化圏としての「グーテンベルクの銀河系」による文明がまもなく終焉を迎え、テレビに見られる視覚優位の電子メディアによる文化圏の到来を予見しました。しかし、実際にいま見られるのは、マクルー(ンが描いた未来像より複雑な状況です。たしかに電子メディアは世界を席巻していますが、活字メディアの中心的役割を果たした文字が消えてなくなったわけではなく、むしろインターネットの登場で文字が復権してきたともいえます。ただし文字は復権したけれども、紙の上の文字においてではないという点が状況を複雑にしているわけですが。

立花 たしかにメール、メッセンジャー、ブログ、ソーシャルネットワーキングサービスなど、ウェブ上のいたるところに文字が躍っている。インターネットの登場で、人類がやりとりする文字量は爆発的に増えたことは間違いありません。

石田 特に、何かにコメントを付けるというのが、インターネットでの発信活動の柱の一つですよね。記事、動画、写真、音楽などに対して多数の閲覧者がコメントを付ける。それによってウェブは成り立っています。動画共有サービスのニコニコ動画なら再生中の動画そのものにコメントを表示させることもできる。しかし、現状では、コメントのつけ方に秩序が確立していません。私はそれがインターネット上で起る問題の背景にあると考えています。

立花 ウェブ上で、あるメッセージなり、コンテンツなりにコメントを付け加えるとはどういう行為なのか。それは紙の本で言えば、注釈とか脚注を付ける行為に非常に近いと思うんです。注釈の付け方には、意見の表明、引用、参考文献の例示などいろいろある。フランスのポンピドゥー・センターのグループと共同研究で、注釈のカテゴリーの洗い出しをしているところですが、いずれはそこで得られた成果をソフトウェアの開発に活かしたいと考えています。
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甥の結婚式で名古屋へ

未唯の似顔絵

 甥の結婚式で、一家揃って、名古屋へ。人前結婚式です。要領がつかめないですね。

 色々なサービスがありました。似顔絵描きは面白かった。おかげで、未唯のイメージがハッキリした。私と似ているということです。

体調が悪い

 3時前に帰り着いたが、太ももの付け根が痛くなり、座ったり、寝ながら、OCR結果の反映作業を繰り返していた。
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地方分権の基礎理論 集権か分権か

『国家と財政』より 地方分権のフレーム

中央集権か地方分権かという視点から、主要な資本主義国は二つの形態に分けることができる。第一の形態が、中央集権を基盤とする単一国家(unitary nation)であり、その代表的な国がイギリス、フランス、イタリア、オランダ、北欧などである。言うまでもなく日本は、このカテゴリーに所属する。他方、第二の形態が連邦国家(federal nation)であり、基本的に地方分権が成立していると見なされる。この制度を持つ代表的な例が、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ、スイスなどである。

集権か分権の形態のいずれをとるかは、各々の国の地理的、歴史的、社会的、文化的そして経済的などの要因を背景に形成されてきたので、一概にどちらが優れているとも断言できない。双方に大なり小なり、メリット・デメリットが存在しうる。しかし「地方分権」という語の方が、何となく魅力的に響く。対立する「中央集権犬が何か専制的あるいは強権的な印象を与えがちであるのに対し、地方分権にはわれわれが好む民主的といったイメージがついてまわる。特に日本においては、このような印象が強いように思われる。これは近代国家の成立以来、一貫して中央集権のメカニズムが統治する中央からの地方支配という形で、様々な問題を生じてきたことに原因があろう。

世界の国々を集権か分権かの視点から眺めると、中央集権の国でその集権の程度をより強化しようという動きはなく、どちらかと言えばその逆に地方分権化を促進しようとする国が多いようである。その代表的な国が日本である。戦後わが国では、地方分権重視のムードが高まり、地方分権へ向けての改革が進められてきた。その背景には、行き過ぎた中央集権の弊害が目立ち、そのメカニズムに限界があるという認識が強まってきたことが挙げられよう。しかしながら地方分権への歩みは遅く、今日なおその大勢に変化は見られない。

ではこの中央集権の弊害とは何であろうか。逆にこれまで何故、地方分権への志向が高まってきたのであろうか。身近な日本の実態を念頭に、地方分権を重視する理由として次の3点を挙げたい。まず第一に、住民選好の把握という点である。基本的に、公共サービス水準の決定に関し住民の選好が無視されるべきではない。この住民選好をどう決定すべきかは、議会制民主政治を前提とする限りより身近な政府で把握されるべきであろう。

第二に、受益と負担の両者の関係を明確にする必要がある。つまり住民の政府便益に対する選好は、必ず自己の負担水準と対応させて考えねばならない。この仕組みが制度的に保証されないと、他人のフトコロのみを当てにしてコスト意識がなくなり、その一方で財政需要の要求のみが高まることになる。この受益-負担の関係は、身近な政府をベースにする方がはるかに把握が容易である。

第三に、国・地方全体の行財政のシステムの簡素化、効率化が望ましい。集権メカニズムのもとで税収を国に集中させ、それを補助金や平衡交付金のルートで地方政府に配分する形態をとると、どうしても国・地方政府間でムダな組織が数多く作られ、一国全体の政府規模が肥大化する傾向になる。

以上述べた三つの理由が主要なものだが、また他にも地方分権の促進のために積極的な理由は存在する。たとえば、中央省庁のタテ割行政の弊害が今日まで、地方政府の行動を制約してきた。分権化の方向で地方により独自の権限とより自由な財源を与えれば、行政の総合性が確保され、より効率的な財政運営が可能となるだろう。国により多くの権限を集中させておくより、地方政府に少なくとも現在以上に権限を与えその創意工夫を活用する方が、活力ある経済社会の形成に望ましいと言えそうである。
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「自分中心」になれればプラスの実感が増えていく

『「なりたい未来」を引き寄せる方法』より もっと自分中心で生きでみよう

自分のなかにある無数の材料のなかから、どんな言葉をチョイスするかは、自分の意識によって決まります。

人を敵だと思っていれば、人を攻撃する材料しか見えません。人の心に無知であれば、どんなに善良であっても、自分を守る材料が見えないために、傷つく結果となる

それが目の前に存在していたとしても、「意識のベール」がそれらを覆い隠してしまうのです。

だから、先の母娘の例でいえば、肯定的なコミュニケーションの言葉を知識として知っていたとしても、まず、こんな言葉を使う場面すら、見えないのです。

いま見えないものは、未来においても過去においても見えません。だから過去においても現在においても未来においても、「固着している情報」を塗り替えないかぎり、似たような言動パターンで動き、似たような状況が起こり、似たような結果になるということなのです。

たとえば、あなたは職場で自分の能力を発揮したいと思っています。

けれども、実際の職場があなたの目には、

「上司が私の能力を低く見ている。上司が私の意見を聞いてくれない。同僚が私の足を引っ張る言動をとる。同僚が自分の仕事を私に丸投げしてくる。後輩が私の言うことに従ってくれない」

というふうに映ります。

こんなふうに相手の言動に目を向けて「他者中心」的に考えてしまうと、

「私のまわりには、私のじやまをする人ばっかりいて、自分の能力を発揮することができない」

というような気持ちになってきて、やる気が失せてしまうでしょう。

こんなとき、「自分中心」的な考え方ができる人であれば、まず「それぞれの問題」を分けて考え、それぞれの問題に対して一つひとつ向き合って、丁寧に解決していこうとするでしょう。

上司が「私の能力を低く見る」かどうか、それは上司の自由だ。

上司が「私の意見を聞いてくれない」。これに対して、具体的にどうやって解決していこうか。

同僚が「私の足を引っ張る」。これに対しては、具体的な問題が発生したときに取り組もう。

同僚が自分の仕事を「私に丸投げしてくる」。これに対しては、自分が引き受けていいところとそうでないところをはっきりと意思表示しよう。

後輩が「私の言うことに従ってくれない」。コミュニケーションが足りないのかもしれない。もっと具体的に話し合ってみよう。

こんな姿勢で臨めば、必ず結果もよくなってきます。

なぜなら、解決に至るまでのプロセスのなかにこそ、プラスの実感や力強い手応えの実感があるからです。

もしそうやってプラスの実感を積み重ねていれば、あなたは「まさか」と思うよりは、

「そういうことだったんですか。うまくいったのはたまたまだと思っていたのですが、プラスの実感がプラスの結果を招く、ということだったのですか。これで謎が解けました」

などと言うにちがいありません。

実際に自分の望みをかなえて満足している人や幸せな人、充実した生活を送っている人たちは、この「意識の法則」を経験的に知っているのです。知っているからこそ、順風満帆の生活を送りつづけているのです。

「しなければならない」や罪悪感から解放されて自由になればなるほど、プラスの実感や充実感を覚えるようになるでしょう。

いま感じているあなたの実感が、増えていけば増えていくほど、未来は保証されたも同然なのです。

まさに私が「自分中心心理学」で唱えているように、「自分中心」の概念は、誰もが必ず経験し実感していくだろう「人類の進化」なのです。身のまわりに起こる出来事はすべて「心の反映」

人は見ようとしないものは見えません。みんなが同時に同じ光景を見ていたとしても、それをどう見るか、どう解釈するかは、個々それぞれです。自分の関心があるところしか見えないのです。

だからこそ、自分に起こっていることは、すべて「私の心の反映」だということができるのです。

自分を中心に置くと、自分の身辺で起こることは、すべて自分の意識を反映しています。そういう意味では、自分の身辺に起こっていることはすべて、「自分を知るための情報」だといえるでしょう。

自分を中心にした視点に立つと、環境や出来事のなかに、自分がいるのです。

私たちは、自分の顔を見ることができません。

鏡に映る自分を見たり、写真に映っている自分やビデオを見ることはできますが、そこに映し出された自分が、「本当かどうか、じつはわからない」という立場に立っているのが私たちなのです。

自分を知るには、起こっていることでしか判断できません。そのときどきに起こる出来事やそれぞれの場面のなかに、自分の片鱗を見ます。それですら、表層的なものにすぎません。

顕在意識の世界と無意識の世界とでは、見えるものが大きく異なります。こんな無意識の世界にまで領域を広げるならば、あらゆる視点から自分を見ることができてもなお、自分の全貌は見えてこないかもしれません。

この世界は、誰もが、自分を知るためにある。「神は、あらゆる自分を知るために、あらゆる角度から自分を映し出すものとしてこの宇宙を創造した」といわれますが、そんな宇宙の存在理由と、私たちのホログラム世界の存在理由とが相似形のように重なって感じられて、私には、私たちという存在が、とても尊く思えてくるのです。
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この大宇宙の中で、ちっぽけな僕らの生に意味なんてあるのでしょうか……

『哲学入門』より 人生の意味 人生は、短めの目的手段連鎖の集まりである 

こうした路線に対しては、トマス・ネーゲルが冷ややかな論評をしている。自分の外にある、より大きな目標が人生に意味を与えてくれるのだとしよう。しかし、次のようなケースを考えてみたまえ。人間は人間を食糧とする異星人のために飼育されているということがわかふた。だからといって、それによってわれわれの人生に意味が与えられるわけではない。なぜなら、異星人がわれわれを食べることによって何を実現しようとしているのかを知らない。さらに、われわれが食べられることは、異星人にとっては有意義かもしれんが、それゆえに「われわれの人生がわれわれにとって有意義になる」わけではない。というわけで、われわれの人生の究極目的じたいが自分にとって有意義であることが必要だ。

実際、神の栄光、国家、世界平和、革命、科学の進歩などに身を捧げている人は、それらの一部であると同時に、それらを自分の一部にしている。つまり、それらの目的と同化している。しかし、このようにこれらの目的・価値を自分の中に置いてしまうと、それらは「ビール飲みたい」と同列になってしまう。つまり、これらの目的について、それは何のため? と問うことができてしまうのである。ということは究極目的にならない。個人的で些細な目的からなるわれわれの人生総体に意味を与える外部の価値ではなくなってし

目的を探索する推論は、役に立つ装置の本来の機能とは外れた使い方、ある種の機能不全だということを認識すべきだと思う。ほら、どんなストーブにも衣類を載せて乾燥機として使ってはいけません、って書いてあるでしょ。目的手段の連鎖はたしかにあるけど、これは人生の内部で比較的短い連鎖で終わりに達する。「ビール飲みたい」という目的を果たすためにはどうしよう。そのためには「コンピニに行って買ってこよう」。そのためには「自転車をガレージから出さなくては」。そのためには「自転車とガレージのカギを小物入れから取り出さなくては」。くらいのものだ。そして、ビールを飲んでゲップをしたらおしまい。

人生は、短めの目的手段連鎖の集積だ。人生全体が目的手段の連鎖で成り立っているのではない。その集積(=人生)が全体として価値あるものだったかどうかは、その連鎖がすべて究極目標につながふていたかとは関係ない。一つ一つの短めの目的手段推論を本気で行って、その都度の自分の目的にとって最善の手段をとろうとしている限りにおいて、われわれは自分を価値あるものとして、自分の人生を生きるに値するものとして、まじめに受け止めているのである。これがネーゲルの言わんとするところだ。

科学的世界観が人生の意味を蝕む第三の仕方は、それがわれわれに時間的にも空間的にも巨大なスケールでものごとを見る視点を提供することに関係している。宇宙一三七億年の歴史の中では、われわれの人生はほとんど一瞬にすぎない。われわれが何をしようとも、宇宙の歴史の中に置いてみればどうでもよいことに見えてしまう。この意味での人生の無意味さの感覚は、目的手段推論を本気で行って生きている限り、われわれはすでに自分を価値あるものとしているのだ、といくら言ってみても消えはしない。その本気で生きていることそのものが、宇宙全体の歴史を背景にして眺めてみると、どうしようもなくちっぼけなくだらないことに思えてしまう、ということだからだ。

ネーゲルは、こうしたわれわれの卑小さは人生の無意味さを立証する論拠にはならないが、どうしてわれわれが人生は無意味だと思ってしまうのか、そのように思うのが自然なのかの説明にはなる、と考えている。私が何をどんなに頑張ろうと、一〇〇万年後にはどうでもよいことになる。人生は無意味だ、という人がいるとする。しかし、この人には次のように反論することができる。なるほど、キミが今やっていることは、一〇〇万年後にはどうでもよいことになる。時の隔たりが、キミのやつていることを無価値にするのなら、逆に、一〇〇万年後に起こることは、今はどうでもいい、とも言えるはずだ。だとしたら、一〇〇万年後に起こる「キミが今やつていることがどうでもよいことになる」という出来事も今のキミにはどうでもよいことになるね。

ここでネーゲルが言っているのは、全宇宙に比べてちっぼけな点にすぎないという事実が、われわれの人生を無意味にするわけではないということだ。宇宙の片隅で七〇年続いた無意味な人生は、かりに、その人が仝宇宙に充満して永遠に生きるとしても、永遠に無意味なだけだ。しかし一方でネーゲルは、自分の卑小さの意識は、人生は無意味だという感情と自然な結びつきをもっていると指摘する。そして、それには、おそらく人間に特有のある重要な能力が関わっている。
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