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地方分権の基礎理論 集権か分権か

『国家と財政』より 地方分権のフレーム

中央集権か地方分権かという視点から、主要な資本主義国は二つの形態に分けることができる。第一の形態が、中央集権を基盤とする単一国家(unitary nation)であり、その代表的な国がイギリス、フランス、イタリア、オランダ、北欧などである。言うまでもなく日本は、このカテゴリーに所属する。他方、第二の形態が連邦国家(federal nation)であり、基本的に地方分権が成立していると見なされる。この制度を持つ代表的な例が、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ、スイスなどである。

集権か分権の形態のいずれをとるかは、各々の国の地理的、歴史的、社会的、文化的そして経済的などの要因を背景に形成されてきたので、一概にどちらが優れているとも断言できない。双方に大なり小なり、メリット・デメリットが存在しうる。しかし「地方分権」という語の方が、何となく魅力的に響く。対立する「中央集権犬が何か専制的あるいは強権的な印象を与えがちであるのに対し、地方分権にはわれわれが好む民主的といったイメージがついてまわる。特に日本においては、このような印象が強いように思われる。これは近代国家の成立以来、一貫して中央集権のメカニズムが統治する中央からの地方支配という形で、様々な問題を生じてきたことに原因があろう。

世界の国々を集権か分権かの視点から眺めると、中央集権の国でその集権の程度をより強化しようという動きはなく、どちらかと言えばその逆に地方分権化を促進しようとする国が多いようである。その代表的な国が日本である。戦後わが国では、地方分権重視のムードが高まり、地方分権へ向けての改革が進められてきた。その背景には、行き過ぎた中央集権の弊害が目立ち、そのメカニズムに限界があるという認識が強まってきたことが挙げられよう。しかしながら地方分権への歩みは遅く、今日なおその大勢に変化は見られない。

ではこの中央集権の弊害とは何であろうか。逆にこれまで何故、地方分権への志向が高まってきたのであろうか。身近な日本の実態を念頭に、地方分権を重視する理由として次の3点を挙げたい。まず第一に、住民選好の把握という点である。基本的に、公共サービス水準の決定に関し住民の選好が無視されるべきではない。この住民選好をどう決定すべきかは、議会制民主政治を前提とする限りより身近な政府で把握されるべきであろう。

第二に、受益と負担の両者の関係を明確にする必要がある。つまり住民の政府便益に対する選好は、必ず自己の負担水準と対応させて考えねばならない。この仕組みが制度的に保証されないと、他人のフトコロのみを当てにしてコスト意識がなくなり、その一方で財政需要の要求のみが高まることになる。この受益-負担の関係は、身近な政府をベースにする方がはるかに把握が容易である。

第三に、国・地方全体の行財政のシステムの簡素化、効率化が望ましい。集権メカニズムのもとで税収を国に集中させ、それを補助金や平衡交付金のルートで地方政府に配分する形態をとると、どうしても国・地方政府間でムダな組織が数多く作られ、一国全体の政府規模が肥大化する傾向になる。

以上述べた三つの理由が主要なものだが、また他にも地方分権の促進のために積極的な理由は存在する。たとえば、中央省庁のタテ割行政の弊害が今日まで、地方政府の行動を制約してきた。分権化の方向で地方により独自の権限とより自由な財源を与えれば、行政の総合性が確保され、より効率的な財政運営が可能となるだろう。国により多くの権限を集中させておくより、地方政府に少なくとも現在以上に権限を与えその創意工夫を活用する方が、活力ある経済社会の形成に望ましいと言えそうである。
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