未唯への手紙
未唯への手紙
ベルギー ブルージュ マルクト広場
『オランダ ベルギー ルクセンブルク 世界遺産と歴史の旅』より ブルージュ
ブルージュの繁栄と衰退
ブルージュは中世の面影を残す町で、運河で囲まれた楕円形の町である。
運河沿いに城壁が張り巡らされていたが、オーストリアがネーデルラントを支配した18世紀の後半、皇帝ヨーゼフ2世の命により取り払われた。
城壁の城門は残っており、ホテルから一番近いところでは、中世の雰囲気を残す「鍛冶屋の門」がある。東の方には、「十字の門(クロイス門)」があり、その北側には風車も見られる。
ブルージュで宿泊するツアーで、もし時間があれば、この辺りまで散歩してもいいだろう。遊歩道があるので、朝はジョギングしている人もいる。
赤く塗られた道は自転車道なので、歩かないように注意が必要だ。この点は、ベルギーだけでなく、オランダでも同じだ。自転車が猛スピードで走るので非常に危ない。
ベルギー北部のフランドル地方は、古くから毛織物産業が発展していた。
13世紀のブルージュは、北欧のハンザ同盟やジェノバなどのイタリア諸都市から訪れた商人で賑わい、街には彼らの商館が建ち並んで、金融や貿易の一大拠点として栄えた。
主要な交易品はフランドルの毛織物で、商品をボートに積んで運河を下り、北海に面したズウィン湾の港で大型船へ積み替えていた。そして、外国船から降ろした輸入品をボートに積んで、街中の市場へと運んだ。織物以外にも、ロシアの毛皮や琥珀、スペインのワイン、北欧の木材や魚類、オリエントと交易のあるヴェネチアからは香辛料なども運ばれた。
長い間、北海交易で繁栄したブルージュの街も、運河と港であるズウィン湾が北海から運ばれた土砂で埋まっていき、船の航行が困難になっていった。15世紀になると、商人たちはアントワープに移動してしまい、ブルージュは衰退した。
19世紀にフランドル出身の作家ローデンバックが、「死都ブルージュ」という本を発行。当時のイギリス人やフランス人の間で旅行がブームとなったころだった。
ナポレオンが戦争で敗北したベルギーのワーテルローを訪れるついでにブルージュに立ち寄るようになり、観光の街としてスタートした。
街はすっかり寂れてしまっていたが、そのおかげで中世の街並みがそのまま残されていたのだ。
19世紀には、北海へつながる運河がつくり直され、美しい水の都として、再び、人々を惹きつける街になっていった。
マルクト広場
ブルージュの中心広場であるマルクト広場に到着した。
街の散策をしながらブルク広場を通って来たが、聖母教会からでも歩いて5分くらいである。
「ここがマルクト広場です。中央に立っている銅像は、ヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングの2人で、1302年にブルージュで発生した市民蜂起のリーダーでした。14世紀の初めは、フランドルはとても裕福でした。しかし、フランスから爵位をもらっている立場だったので、一部の大商人は、フランスにぺこぺこしていました。市民たちはフランス相手に戦いました。そのときのリーダーがこの2人であり、英雄とされています。肉屋さんと毛織物職人でした」
広場に面して建っている塔は、鐘楼で、13世紀に建てられた。14世紀になってから、四角の小さな塔が付け加えられ、一番上の八角形の塔は15世紀末に付け加えられた。
「今日は午後からフリータイムなので、健脚な人はぜひ塔に上ってください。景色がいいですよ。入り口は門をくぐった中庭にあります。人が並んでいるかもしれません。エレペーターはありません。螺旋階段が366段ありますので頑張ってください」
鐘楼の周辺には、ギルドハウスが並び、その中の「クラーネンブルク・ハウス」と呼ばれる、小さな塔のついた建物は、マクシミリアンが幽閉されていた建物である。州庁舎は19世紀に建てられたネオ・ゴシック様式で、右側は郵便局となっている。
マルクト広場の近くにあるレースの店では、ボビンレースの実演を見せてくれるところもある。ペルギーのボビンレースについては、後で詳しく説明する。
ブルージュの繁栄と衰退
ブルージュは中世の面影を残す町で、運河で囲まれた楕円形の町である。
運河沿いに城壁が張り巡らされていたが、オーストリアがネーデルラントを支配した18世紀の後半、皇帝ヨーゼフ2世の命により取り払われた。
城壁の城門は残っており、ホテルから一番近いところでは、中世の雰囲気を残す「鍛冶屋の門」がある。東の方には、「十字の門(クロイス門)」があり、その北側には風車も見られる。
ブルージュで宿泊するツアーで、もし時間があれば、この辺りまで散歩してもいいだろう。遊歩道があるので、朝はジョギングしている人もいる。
赤く塗られた道は自転車道なので、歩かないように注意が必要だ。この点は、ベルギーだけでなく、オランダでも同じだ。自転車が猛スピードで走るので非常に危ない。
ベルギー北部のフランドル地方は、古くから毛織物産業が発展していた。
13世紀のブルージュは、北欧のハンザ同盟やジェノバなどのイタリア諸都市から訪れた商人で賑わい、街には彼らの商館が建ち並んで、金融や貿易の一大拠点として栄えた。
主要な交易品はフランドルの毛織物で、商品をボートに積んで運河を下り、北海に面したズウィン湾の港で大型船へ積み替えていた。そして、外国船から降ろした輸入品をボートに積んで、街中の市場へと運んだ。織物以外にも、ロシアの毛皮や琥珀、スペインのワイン、北欧の木材や魚類、オリエントと交易のあるヴェネチアからは香辛料なども運ばれた。
長い間、北海交易で繁栄したブルージュの街も、運河と港であるズウィン湾が北海から運ばれた土砂で埋まっていき、船の航行が困難になっていった。15世紀になると、商人たちはアントワープに移動してしまい、ブルージュは衰退した。
19世紀にフランドル出身の作家ローデンバックが、「死都ブルージュ」という本を発行。当時のイギリス人やフランス人の間で旅行がブームとなったころだった。
ナポレオンが戦争で敗北したベルギーのワーテルローを訪れるついでにブルージュに立ち寄るようになり、観光の街としてスタートした。
街はすっかり寂れてしまっていたが、そのおかげで中世の街並みがそのまま残されていたのだ。
19世紀には、北海へつながる運河がつくり直され、美しい水の都として、再び、人々を惹きつける街になっていった。
マルクト広場
ブルージュの中心広場であるマルクト広場に到着した。
街の散策をしながらブルク広場を通って来たが、聖母教会からでも歩いて5分くらいである。
「ここがマルクト広場です。中央に立っている銅像は、ヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングの2人で、1302年にブルージュで発生した市民蜂起のリーダーでした。14世紀の初めは、フランドルはとても裕福でした。しかし、フランスから爵位をもらっている立場だったので、一部の大商人は、フランスにぺこぺこしていました。市民たちはフランス相手に戦いました。そのときのリーダーがこの2人であり、英雄とされています。肉屋さんと毛織物職人でした」
広場に面して建っている塔は、鐘楼で、13世紀に建てられた。14世紀になってから、四角の小さな塔が付け加えられ、一番上の八角形の塔は15世紀末に付け加えられた。
「今日は午後からフリータイムなので、健脚な人はぜひ塔に上ってください。景色がいいですよ。入り口は門をくぐった中庭にあります。人が並んでいるかもしれません。エレペーターはありません。螺旋階段が366段ありますので頑張ってください」
鐘楼の周辺には、ギルドハウスが並び、その中の「クラーネンブルク・ハウス」と呼ばれる、小さな塔のついた建物は、マクシミリアンが幽閉されていた建物である。州庁舎は19世紀に建てられたネオ・ゴシック様式で、右側は郵便局となっている。
マルクト広場の近くにあるレースの店では、ボビンレースの実演を見せてくれるところもある。ペルギーのボビンレースについては、後で詳しく説明する。
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ジョブスの「目標」
『ジョブズ魂の言葉』より 「目標」⇒ 本当にしたかったことは、社会改革なんでしょう
先人の肩に乗せてもらっている
人類の成果に才能で加える
僕が使っている言葉も数学も、僕は発明していない。
自分の食べ物はごくわずかしか作っていないし、自分の服なんて作ったことさえない。
僕がいろいろできるのは、同じ人類のメンバーがいろいろしてくれているからであり、すべて、先人の肩に乗せてもらっているからなんだ。
僕らは自分が持つ才能を使って心の奥底にある感情を表現しようとするんだ。
僕らの先人が遺してくれたあらゆる成果に対する感謝を表現しようとするんだ。
そして、その流れになにかを追加しようとするんだ。
そう思って、僕は歩いてきた。
残りの人生をどう過ごすか
世界を変えるチャンスに賭ける
あなたは、砂糖水を売りながら残りの人生を過ごすつもりですか?
それとも、世界を変えるチャンスに賭けたいですか?
パックが滑っていくところへ
未来が行くところに進む
元プロ・アイスホッケー選手のウェイン・グレツキーの言葉で、好きなものがある。
「私はパックがあったところではなく、パックがこれからいくところに滑っていく」というものだ。
アップルは常にそうしようとしてきた。
最初の最初からね。
これからもずっとそうするつもりだ。
成功する人たちの理由
お金のためでは成功しない
お金持ちになりたいという理由で会社を始めた人で、成功した人を僕はあまり見たことがない。
成功する人は、時には、会社を始めることも考えていないような人たちだ。
彼らはアイデアを持っている。
それを世界に広めたい、表現したいと願っている。
そして、そのアイデアを聞いてもらうために、会社を立ちあげなければならないんだ。
目標を問え
すごい製品を創ること
我々の目標はお金を儲けることだけでなく、すごい製品を創ることだ。
強みに集中する
できることは限られている
我々が今後すべきことを10あげてくれ。
我々にできるのは3つまでだ。
この会社ですべてをやるのは非常に難しい
人生というのは複雑だ。
先人の肩に乗せてもらっている
人類の成果に才能で加える
僕が使っている言葉も数学も、僕は発明していない。
自分の食べ物はごくわずかしか作っていないし、自分の服なんて作ったことさえない。
僕がいろいろできるのは、同じ人類のメンバーがいろいろしてくれているからであり、すべて、先人の肩に乗せてもらっているからなんだ。
僕らは自分が持つ才能を使って心の奥底にある感情を表現しようとするんだ。
僕らの先人が遺してくれたあらゆる成果に対する感謝を表現しようとするんだ。
そして、その流れになにかを追加しようとするんだ。
そう思って、僕は歩いてきた。
残りの人生をどう過ごすか
世界を変えるチャンスに賭ける
あなたは、砂糖水を売りながら残りの人生を過ごすつもりですか?
それとも、世界を変えるチャンスに賭けたいですか?
パックが滑っていくところへ
未来が行くところに進む
元プロ・アイスホッケー選手のウェイン・グレツキーの言葉で、好きなものがある。
「私はパックがあったところではなく、パックがこれからいくところに滑っていく」というものだ。
アップルは常にそうしようとしてきた。
最初の最初からね。
これからもずっとそうするつもりだ。
成功する人たちの理由
お金のためでは成功しない
お金持ちになりたいという理由で会社を始めた人で、成功した人を僕はあまり見たことがない。
成功する人は、時には、会社を始めることも考えていないような人たちだ。
彼らはアイデアを持っている。
それを世界に広めたい、表現したいと願っている。
そして、そのアイデアを聞いてもらうために、会社を立ちあげなければならないんだ。
目標を問え
すごい製品を創ること
我々の目標はお金を儲けることだけでなく、すごい製品を創ることだ。
強みに集中する
できることは限られている
我々が今後すべきことを10あげてくれ。
我々にできるのは3つまでだ。
この会社ですべてをやるのは非常に難しい
人生というのは複雑だ。
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SPIKESを使った患者さんとの対話 進行がんの告知後
『看護師のためのマナー・言葉かけ・接し方ハンドブック』より バッドニュースと患者支援
「SPIKES」を用いたバッドニュースの伝え方を、現場での会話例から見ていきましょう。
ケースの内容
患者Pt:大田さん(35歳)、女性。主婦で、同年齢の夫と7 歳の娘がいる。乳がん手術後、外来で定期的にフォローアップを受けていたが、検査で骨への転移が見つかり、先ほど 主治医から告知を受けた。
看護師Ns:告知場面に同席し、その後の患者さんをフォロー する役割を負っている。
S:場の設定と聴くスキル
病名告知後、医師は退室。その後、同室で患者と看護師の2名で面接。
Ns:(2人になったので、少し近づいて90度の角度で座り直す)大田さん、ご気分はいかがですか? お話続けられそうですか。
Pt:だいじょうぶです。
Ns:佐藤先生からのお話は、ショックでしたね。
Pt:そうですね……。
P:認識度を尋ねる
Ns:(患者さんの表情を見守りながら、しばらく間を置く)先ほど先生から、検査結果について話がありましたが、よろしければ、先生の話について振り返ってみましょうか。
Pt:はい、お願いします。
Ns:まず、先生からの話はどのような内容だったか、覚えていますか。
Pt:はい。骨にがんが転移したと言われました。
Ns:(見守りながら少し時間を置いて)そうでしたね。今日のこの結果を聞くにあたって、どのように心の準備をされていましたか。
Pt:はい。前回先生から、今日の外来受診日を決めるときに家族の同伴を勧められましたので、何か悪い知らせだろうとは思っていました。最近腰に痛みを感じるときがあるので、もしかしたら骨転移かもしれないとも思っていました。
Ns:何か悪い知らせかもしれないと予想されていたのですね。
Pt:ええ。
I:準備を確認する
Ns:大田さん、今回の検査結果を聞かれて、先生の話でわかりにくかったことや、もう一度確認しておきたいことはありますか?
Pt:はい。骨にがんが転移したということはわかったのですが、最後のほうで、完全に治すことはできないとおっしゃられていたような気がするのですが…。どういうことなのですか?
K:情報を提供する
Ns:先生は、大田さんのがんはある程度進行しているとおっしゃっていました。つまり、残念ですが、「大田さんのがんは完全に治すということは、できない」と言われていました。
Pt:(沈黙)もう治らないんですね。
Ns:ただし、先生も言われていたように「進行したがん」だからといって、治療ができないということではありません。
大田さんに対して、先生と治療法を相談しながら、私たちはできる限りのサポートを行っていきたいと考えています。
Ns:だいじょうぶですか?(表情を見ながらしばらく間を置く)
Pt:はい。治療はまだあるということですね…。
Ns:よろしかったら、今一番気になっていることについて教えていただけますか?
Pt:子どもがまだ小さいので、多少つらくても、一日でも長生きできる治療を受けたいです。先生にもそうお伝えください。
Ns:わかりました。治療法については、次回に先生とじっくりと相談して決めていきましょう。
E:共感、気持ちを理解しようとする
Ns:今日のことで、気が動転されていませんか?
Pt:確かに気が動転してどうしたらいいか…(思いつめた表情で下を向く)。
Ns:そうですよね。おつらいですよね。
(しばらく間を置いて)これからも、大田さんのお力になりたいと思っています。
どうしていくことが大田さんにとって一番良いか、今後も一緒に考えていきましょう。
Pt:はい。ありがとうございます。
S:情報の要約と今後の方針を話し合う
Ns:他に何かお聞きになりたいことはありますか?
Pt:特にだいじょうぶです。
Ns:では、来週の火曜日の9時にいらしてください。できれば次回はご主人にも一緒に来てもらえるといいですね。
Pt:はい、わかりました。
Ns:そのときは、また私も一緒に先生の話を聞かせてもらいますね。
Pt:はい。お願いします。
Ns:私たちは今後も大田さんをしっかりとサポートしていきます。何かありましたら、いつでもご連絡ください。
Pt:はい、ありがとうございました。
「SPIKES」を用いたバッドニュースの伝え方を、現場での会話例から見ていきましょう。
ケースの内容
患者Pt:大田さん(35歳)、女性。主婦で、同年齢の夫と7 歳の娘がいる。乳がん手術後、外来で定期的にフォローアップを受けていたが、検査で骨への転移が見つかり、先ほど 主治医から告知を受けた。
看護師Ns:告知場面に同席し、その後の患者さんをフォロー する役割を負っている。
S:場の設定と聴くスキル
病名告知後、医師は退室。その後、同室で患者と看護師の2名で面接。
Ns:(2人になったので、少し近づいて90度の角度で座り直す)大田さん、ご気分はいかがですか? お話続けられそうですか。
Pt:だいじょうぶです。
Ns:佐藤先生からのお話は、ショックでしたね。
Pt:そうですね……。
P:認識度を尋ねる
Ns:(患者さんの表情を見守りながら、しばらく間を置く)先ほど先生から、検査結果について話がありましたが、よろしければ、先生の話について振り返ってみましょうか。
Pt:はい、お願いします。
Ns:まず、先生からの話はどのような内容だったか、覚えていますか。
Pt:はい。骨にがんが転移したと言われました。
Ns:(見守りながら少し時間を置いて)そうでしたね。今日のこの結果を聞くにあたって、どのように心の準備をされていましたか。
Pt:はい。前回先生から、今日の外来受診日を決めるときに家族の同伴を勧められましたので、何か悪い知らせだろうとは思っていました。最近腰に痛みを感じるときがあるので、もしかしたら骨転移かもしれないとも思っていました。
Ns:何か悪い知らせかもしれないと予想されていたのですね。
Pt:ええ。
I:準備を確認する
Ns:大田さん、今回の検査結果を聞かれて、先生の話でわかりにくかったことや、もう一度確認しておきたいことはありますか?
Pt:はい。骨にがんが転移したということはわかったのですが、最後のほうで、完全に治すことはできないとおっしゃられていたような気がするのですが…。どういうことなのですか?
K:情報を提供する
Ns:先生は、大田さんのがんはある程度進行しているとおっしゃっていました。つまり、残念ですが、「大田さんのがんは完全に治すということは、できない」と言われていました。
Pt:(沈黙)もう治らないんですね。
Ns:ただし、先生も言われていたように「進行したがん」だからといって、治療ができないということではありません。
大田さんに対して、先生と治療法を相談しながら、私たちはできる限りのサポートを行っていきたいと考えています。
Ns:だいじょうぶですか?(表情を見ながらしばらく間を置く)
Pt:はい。治療はまだあるということですね…。
Ns:よろしかったら、今一番気になっていることについて教えていただけますか?
Pt:子どもがまだ小さいので、多少つらくても、一日でも長生きできる治療を受けたいです。先生にもそうお伝えください。
Ns:わかりました。治療法については、次回に先生とじっくりと相談して決めていきましょう。
E:共感、気持ちを理解しようとする
Ns:今日のことで、気が動転されていませんか?
Pt:確かに気が動転してどうしたらいいか…(思いつめた表情で下を向く)。
Ns:そうですよね。おつらいですよね。
(しばらく間を置いて)これからも、大田さんのお力になりたいと思っています。
どうしていくことが大田さんにとって一番良いか、今後も一緒に考えていきましょう。
Pt:はい。ありがとうございます。
S:情報の要約と今後の方針を話し合う
Ns:他に何かお聞きになりたいことはありますか?
Pt:特にだいじょうぶです。
Ns:では、来週の火曜日の9時にいらしてください。できれば次回はご主人にも一緒に来てもらえるといいですね。
Pt:はい、わかりました。
Ns:そのときは、また私も一緒に先生の話を聞かせてもらいますね。
Pt:はい。お願いします。
Ns:私たちは今後も大田さんをしっかりとサポートしていきます。何かありましたら、いつでもご連絡ください。
Pt:はい、ありがとうございました。
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スタバのサービスにみる存在の力
スタバのサービスにみる存在の力
値上げについては、一番重要なのは、そこのスタッフが原価と自分たちのサービス部分を知っていることです。
リッツ・カートンにしても、スタバにしても、原則は一緒です。原価は元々安い。それを自分たちのサービスでもって、ブランドを維持している。だから、サービスは原価以上に工夫する必要がある。
商品は一つしかないけど、サービスで色々な見せ方ができる。だから、自分たちには付加価値がある。その価値を最大にするには、勉強が必要です。マニュアルなきマニュアルの根本です。
相手の気持ちになってやるというよりも、一つの商品に対して、価値を与えることを人間がやることで、人間の存在理由が出てくる。新しい数学とか、新しいマーケティングはそれによって、作られていく。
海外の図書館めぐりがしたい
シアトルでコーヒーとクラムチャウダーと図書館。この三点で十分です。それに、文房具屋周りがあれば、最高です。
バンクーバー中央図書館。旅に行けないのでガイドブックを見ていると、図書館の写真が出てきます。ローマのコロッセオを彷彿させた、円筒形のモダンな建物です。スカイトレインの駅の近くにある。
各フロアーにはデスクとチェアの他、ソファーもあり、ゆったりとくつろげながら、素敵な時間が過ごせる。コンコースのカフェも。
バンクーバー美術館はニューヨーク公共図書館の入口とよく似ています。
ロサンゼルス公共図書館は映画で見て、気に入って、出掛けました。エンジェルが上の階から覗き込んでいる風景を見たくて。シティ・オブ・エンジェルの世界
スタバの「10分前ルール」
スタバの「10分前ルール」=7時オープンなら、6時50分にお客さんが居れば、オープンする。これは重要なことですよね。お客様を見ているという原点が感じられます。
岡崎図書館もベルが鳴るのを待って、開ける。そんなことは必要ないです。それも図書館スタッフではなく、警備員が開ける。彼らに言わせると、そうしないと不公平になるから。そんなことは関係ないです。
愛知万博のボランティアでは、行政から雇われた人と一緒に仕事をしていた。行政は一律のサービスだったが、ボランティアは一人のお客様にいかに気を使うかを意識して行動していた。
スタバはアルバイトでも70時間、教育する。途中でやめないので、十分、元が取れる。スタバでは、スタッフの存在理由という言葉が通じます。これは画期的です。スタバのミッションでは、一人のお客様、一杯のコーヒー、そして、一つのコミュニティから、となっている。
図書館コミュニティにおける高度サービスの展開
スタバを図書館に当てはめたらどうか? 図書館のスタッフ(パート)はあまりにも、商品(本)について、知らな過ぎる。コーヒーを理解しようとする力、お客を理解する力が、マニュアルなきマニュアルとして現れる。自分がそこに存在する意味が見えてくる。
図書館のカウンターの女性も同じ意識を持てば、様々なことが可能になる。カウンセラーが別にいるよりも、はるかにいい雰囲気を図書館にもたらす。だから、常に本を読んでいるという状況を風景にします。
図書館の最大の利用者が図書館職員というのは、いい姿です。それをカバーするためのカウンセリングとしての司書を設定すれば、市民に先立って、自分たちの中で問題意識を解決できます。
それが図書館コミュニティの原点になります。お金も人もそれで作り出せます。そうすれば、図書館職員となる人のレベルも上がってきます。そこを経験した人は他でも使えるという、知識と意識を働かせるための姿です。生涯学習の拠点になりえます。
図書館コミュニティには、そういう内側の面を持たせます。外側の面だけ要求してもダメです。市民はそう動くものではないです。動くときは膨大です。そのための準備です。同じように、販売店のスタッフでやったことを連動させればいいです。
スタバの高度サービスが今後の社会の一番のベースになります。そこのコンサルティングを出来るようにしたい。そこまで持って行く。こういう発想に至ったのは、Iさんのおかげです。
値上げについては、一番重要なのは、そこのスタッフが原価と自分たちのサービス部分を知っていることです。
リッツ・カートンにしても、スタバにしても、原則は一緒です。原価は元々安い。それを自分たちのサービスでもって、ブランドを維持している。だから、サービスは原価以上に工夫する必要がある。
商品は一つしかないけど、サービスで色々な見せ方ができる。だから、自分たちには付加価値がある。その価値を最大にするには、勉強が必要です。マニュアルなきマニュアルの根本です。
相手の気持ちになってやるというよりも、一つの商品に対して、価値を与えることを人間がやることで、人間の存在理由が出てくる。新しい数学とか、新しいマーケティングはそれによって、作られていく。
海外の図書館めぐりがしたい
シアトルでコーヒーとクラムチャウダーと図書館。この三点で十分です。それに、文房具屋周りがあれば、最高です。
バンクーバー中央図書館。旅に行けないのでガイドブックを見ていると、図書館の写真が出てきます。ローマのコロッセオを彷彿させた、円筒形のモダンな建物です。スカイトレインの駅の近くにある。
各フロアーにはデスクとチェアの他、ソファーもあり、ゆったりとくつろげながら、素敵な時間が過ごせる。コンコースのカフェも。
バンクーバー美術館はニューヨーク公共図書館の入口とよく似ています。
ロサンゼルス公共図書館は映画で見て、気に入って、出掛けました。エンジェルが上の階から覗き込んでいる風景を見たくて。シティ・オブ・エンジェルの世界
スタバの「10分前ルール」
スタバの「10分前ルール」=7時オープンなら、6時50分にお客さんが居れば、オープンする。これは重要なことですよね。お客様を見ているという原点が感じられます。
岡崎図書館もベルが鳴るのを待って、開ける。そんなことは必要ないです。それも図書館スタッフではなく、警備員が開ける。彼らに言わせると、そうしないと不公平になるから。そんなことは関係ないです。
愛知万博のボランティアでは、行政から雇われた人と一緒に仕事をしていた。行政は一律のサービスだったが、ボランティアは一人のお客様にいかに気を使うかを意識して行動していた。
スタバはアルバイトでも70時間、教育する。途中でやめないので、十分、元が取れる。スタバでは、スタッフの存在理由という言葉が通じます。これは画期的です。スタバのミッションでは、一人のお客様、一杯のコーヒー、そして、一つのコミュニティから、となっている。
図書館コミュニティにおける高度サービスの展開
スタバを図書館に当てはめたらどうか? 図書館のスタッフ(パート)はあまりにも、商品(本)について、知らな過ぎる。コーヒーを理解しようとする力、お客を理解する力が、マニュアルなきマニュアルとして現れる。自分がそこに存在する意味が見えてくる。
図書館のカウンターの女性も同じ意識を持てば、様々なことが可能になる。カウンセラーが別にいるよりも、はるかにいい雰囲気を図書館にもたらす。だから、常に本を読んでいるという状況を風景にします。
図書館の最大の利用者が図書館職員というのは、いい姿です。それをカバーするためのカウンセリングとしての司書を設定すれば、市民に先立って、自分たちの中で問題意識を解決できます。
それが図書館コミュニティの原点になります。お金も人もそれで作り出せます。そうすれば、図書館職員となる人のレベルも上がってきます。そこを経験した人は他でも使えるという、知識と意識を働かせるための姿です。生涯学習の拠点になりえます。
図書館コミュニティには、そういう内側の面を持たせます。外側の面だけ要求してもダメです。市民はそう動くものではないです。動くときは膨大です。そのための準備です。同じように、販売店のスタッフでやったことを連動させればいいです。
スタバの高度サービスが今後の社会の一番のベースになります。そこのコンサルティングを出来るようにしたい。そこまで持って行く。こういう発想に至ったのは、Iさんのおかげです。
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