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岡崎図書館の10冊

岡崎図書館の10冊

 491.3『ギャノン生理学』

 304『災後のメディア空間』論壇と時評2012-2013

 320.4『「最悪」の法律の歴史』

 212.1『青森縄文王国』

 933.7『あるときの物語 上』

 933.7『あるときの物語 下』

 492.9『看護師のためのマナー・言葉かけ・接し方ハンドブック』

 486.7『ミツバチの会議』なぜ常に最良の意思決定ができるのか

 490.2『医学探偵の歴史事件簿』

 673『小さなサプライズから始めよう』人を喜ばせる39のルール
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やはり、落としましょう

5時から病院へ来ています。

 血液検査の結果をみると、かなりヤバいです。今、こんな状態で、落とすためにキッカケがつかめない。やはり、ミカロスしかないのか。

 2年前の5月にサファイアなきサファイアの衝撃があり、8月の哲学があって、生活パターンを全面的に変えることで、体質を変えていった。

 空腹を感じる生活へのあこがれに戻れるかどうかです。それにしても体がだるいし、胸が痛い。
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豊田市図書館の29冊

723.35『トゥールーズ=ロートレック』世紀末のモンマルトルにて

342.1『国家と財政』ある経済学者の回想

319.53『ヘンリー・スティムソンと「アメリカの世紀」』

336.82『クラウドファンディング』スタートアップ、新規プロジェクト実現のための資金調達法

311.3『奥さまは愛国』

383.8『【図説】朝食の歴史』

334.46『黄金郷を求めて』日本人コロンビア移住史

141.5『ひらめきはカオスから生まれる』

361.78『都市論を学ぶための12冊』

188.52『空海読み解き事典』

400『フィンランド理科教科書 生物編』

686.2『世界の鉄道』ヴィジュアル歴史図鑑

361.45『コミュニケーション力のつくり方』テクニックを超える コーティングの第一人者が教える 自分と相手を動かす 話し方・聴き方・間のとり方

167『住んでみた、わかった! イスラーム世界』目からウロコのドバイ暮らし6年間

023『紙の本は、滅びない』

331『青木昌彦の経済学入門』制度論の地平を拡げる

304『「日本の分」について考える』鈴木邦夫シンポジウム1・2

336.2『仮説思考』

304『知の逆転』

146.8『「もう、限界!」と思ったとき読む本』仕事・人間関係

051.9『逃げない・めげないカイシャ道』

319.1『なぜ韓国人・中国人は「反日」を叫ぶのか』

007.35『僕がグーグルで成長できた理由』

019.9『読書脳』ぼくの深読み300冊の記録

913.6『八八艦隊海戦譜 死闘篇1』

134.07『生命の哲学』知の巨人フェヒナーの数奇なる生涯

762.34『ワーグナー 上』

159『「なりたい未来」を引き寄せる方法』

100『哲学入門』
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歴史哲学から発想する

シェアの概念

 シェアの概念を変えましょう。シェアハウスに男女4人ならば、家族と同じではないか。家族の組み合わせの方がはるかに効率が悪いかもしれません。依存しあうから。

 元々、ファミリーカーというモノがありました。一家に一台で済むという世界です。クルマもシェアすればいい。

 コンピューターもシェアから始めました。UNIVACのタイムシェアリング、IBM360のメインフレームの世界です。今は、一人ずつもっているけど、コンテンツはクラウドという名前のシェアするカタチになっています。

出待ち

 Iさんを「出待ち」しますと言われました。芸能人並ですね。今日は12時までだけど、待っててくれるそうです。

 カウンターを選ぶだけでなく、本当に出てくるまで待っていました。チームで支援してもらっています。

歴史哲学から発想します

 歴史哲学の用語の使い方。ヘーゲルとは異なった解釈をしないといけない。もっと一般的にして、神の存在は無視します。歴史の見方そのものを変えるという意味合いです。

 ヘーゲルの歴史哲学は、137億年ではなく、人類一万年よりも短くて、キリスト以降ですから、2,3千年ぐらいしか対象としていない。

 歴史編に環境哲学を入れ込んで、中身をかなり変えます。国とは何か、への答えを用意します。民主主義とは何か、資本主義とは何か、そういうところも考察していきます。その上で、次の社会を見ていきます。

 だから、クライシスに地域が対応と言うところは、もっと大きく構えます。グローバリズムと多様性です。それが時間のコードの圧縮によって、どう変わっていくのか。

 歴史にとって、クライシスは当たり前です。3.11以外にも一杯あります。アイスボールアースもその中に入ります。今後考えられるクライシスは単なる自然現象だけでなく、環境社会そのものもあるし、財政問題もあります。一番、大きなクライシスは人間が変わることです。

 意思の力から存在の力に変わることで、地域が活性化する。それをグローバルが支援することで、国全体が変わってくるというシナリオです。

 変わらないことで、どういう社会になるのかという想定も含めます。その中で、ローカルとグローバルの関係づけ。流れ方向を見ていきます。

国家に対する見解

 国家は個人と共同性との和解する場であった。国家のおかげで、個人が自分の存在に関わる現実と価値を見出す。

 国家というモノ、全体というものがどういう空間になっているのか。バンダリーを持つのか。個人の集合体なのか、というのは、今、考えていることと同じことです。

 シェアの基本は教育です。個人と共同性との関係、そこで、シェアと個人との関係、それと資本主義。ようするに、全体とは何かです。民族の集まりでもないし、宗教の集まりでもない。

 国家は多数者の意思を頼りにして、意思決定を行うことはできない。一般視と全体視の区別をする。今のところ、標準関数しかないけど、関数に適用するものを全体と見なす。
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本は「つなぐ」もの

『走れ!移動図書館』より 本のチカラを信じて

本はチカラがある。そう人は信じているから本はこの世の中に存在し続けているのではないでしょうか。

ではそのチカラとは何か? 本の価値について考えていきます。

私にとって本は「つなぐもの」です。そして「つなぐもの」の存在は時に重宝されますが、同時に恐れられ、破壊されることもあります。

人間の歴史を見ても、戦争や内紛が起きると本が燃やされたり、図書館の本が略奪されるなど、「本」に関する負のエピソードがたくさん残っています。前の章でカンボジアの焚書政策の話を書きましたが、一九三三年五月一〇日、ドイツでもナチスにより「非ドイツ的」とされる著者の哲学書や科学の本などが焼却されました。ハインリッヒ・ハイネは「本を焼き払う処では人間をも焼いてしまうのだ」という言葉を残しています。

本が大切だと信じていたからこそ、戦時中に本を守った歴史もあります。『疎開した四〇万冊の図書』(金高謙二著)を読み、太平洋戦争の際、日比谷図書館館長・中田邦造氏の指揮により日比谷からあきる野市や志木市まで本を疎開させた話を知りました。現在の日比谷高校の学生が、図書を大八車やリュックで背負い運びました。

なぜ人は、本を恐れるのでしょうか? そしてなぜ本を守ろうとするのでしょうか?

本がつなぐもの。それは情報だったり、知識だったり、文化だったり、人だったり、言葉だったり、思いだったりさまざまです。そして、人はそれを伝えたくて「本」というものを生み出していったと信じています。

そして本は時間を超えることができます。本を通して何百年前に生きた賢者と対話をすることが可能です。そしてその思想や文化が、伝達されます。人の一生の何倍も存在し続け、その内容を伝えていく本の存在は、反対の意見を持つ者にとっては恐ろしいものなのでしょう。

今回の震災で、全国から大量の本が東北に届きました。なぜ人は「本を送ろう」と思ったのでしょうか。なぜ「東北の人は本が読みたいに違いない」と思ったのでしょうか。

二〇一二年八月に、秋田市で岩手での移動図書館活動について講演をしたことがあります。講演が終わって、一人の大学生が声をかけてきてくれました。「僕の実家は仙台で、震災の時は春休みで仙台にいました。数日たって、書店が開いた時、飛び込みました。無性に本が読みたかったっす。だから岩手の人の本が読みたい気持ち、分かります」と目を輝かせながら話をしてくれました。

「本のチカラとは何か」、その答えはひとりひとりの心の中にあります。平時には意識したこともなかったかもしれません。本の感想は友達どうして話をしても、本のチカラについて言葉にする機会は、あまりなかったのではないでしょうか。

ここでは「本がつなぐもの」をキーワードに、私が感じたことをお伝えしていきます。

本と、音楽や映画との違いを聞かれました。私は本を読むのが好きです。でもクラシック、ジャズ、時にはロックのコンサートにも普通に行きます。映画も昔ほど行かなくなりましたが、気になる作品はチェックしています。

違いは「自分でコントロール」できるかできないかでしょうか。ホールで音楽を聞いたり、映画館で映画を見た時、途中でストップをかけるわけにはいきません。大人数がいる中で「ストップ」をかけた人がいたら大ブーイングが起きるか、時には警備員に連れていかれてしまうでしょう。私の友達に、トイレに行きたくなるのが怖いからコンサートや映画は行きたくないという人がいます。こっそり外に出ようとしても、演奏者や他の観客に迷惑になるかもしれません。

家で見たり聞いたりする時には、リモコンをぽちっと押して止めたり、飛ばしたりできるかもしれませんが、聞いている音楽を四倍速にするとか、映画を半分の速度で見ると、作品自体が違うものになってしまいます。映画『雨に唄えば』の一シーンのように、役者の動き自体がコメディーになってしまいます。

本はどうでしょうか?

本を読み進めるスピードは自分でコントロールできます。目次を見て気になる章から読んでもいい。一度読んで、気になる個所を読み返してもいい。目が疲れていたら、ゆっくり読めばいいし、のっている時は「飛ぶように」速く読んでもいい。

本という舞台では自分が指揮者でありコンサートマスターになれるのです。

移動図書館を始めた直後、利用者の方が口々に「自分で選べるって、こんなに幸せなことだったのか」と話してくれました。避難所では、物資の配布は受けられても、なかなか自分で選べないもの。選べたとしても遠慮して結局手に取らなかった人も。自分で選んだ本を、自分の選んだペースで読めることで日常性を取り戻していく。そんな気分になれるという話でした。

また東日本大震災というコントロール不可能な自然災害を経験し、その後続いた、電気もガスもない生活。変わりすぎてしまった日常。それまで思い描いていた日々の生活は、大きく歪んでしまいました。そのひずみを完全に軌道修正するのは不可能でも、少しでも自分のぺースにもっていきたい。また、そのひずみを、柔軟性を持って受け入れつつも、「この状況に慣れてはいけない」と口々にする人たちの姿があります。

本をコントロールすることは、世界に対する小さなリベンジかもしれません。そしてそのリベンジの積み重ねることで、自分のペースを取り戻し、安心感を得ることにつながるでしよう。
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共同消費 ジップカーの実例

『ビジネスモデル・イノベーション』より イノベーションの作戦

共同消費

 接続性を利用して従来の所有形態をくつがえし、自社の財やサービスに対する顧客のかかわり方を変える。

 「共同消費」という言葉は1970年代から使われていたが、本当に広く知られるようになったのは最近のことで、今では無駄を削減し、より大きな共通の利益について考えるグローバルな運動に発展している。資源の希少性、人口密度、それに接続性が高まっている時代には、ますます多くの企業がこの作戦を使うようになると思われる。

この作戦が使われている実例 ジップカー

 友人同士の2人の若者がカーシェリングというヨーロッパのアイデアをマサチューセッツ州ケンブリッジに(さらには他の都市に)持ち込むために設立したジップカーは、2000年の営業開始以来、正真正銘の急成長をとげてきた。実際、同社は従来のレンタカー産業の基準をほぼすべて打ち破った。同社の車両は従来の1日単位ではなく時間単位で借りられる。同社はまとまった駐車場を持たず、係員も配置していない。「ジップカー」として知られる同社のレンタカーは、都市のあちこちの駐車場に分散して置かれており、「ジップカード」をカードリーダーにかざすだけでロックを解除することができる。ジップカーは従来のビジネスユーザーではなく、まる一日車を必要とするわけではない(もしくは車を持つことによる煩わしさを望まない)人々をターゲットにし、レンタカーの提供の仕方を変えただけでなく、レンタカー産業のありうる姿を根底から変えたのだ。

戦術

 利益モデル 従量制

  利用した時間や量に対してのみ料金を徴収する。

  ジップカーが「ジップスター」と呼んでいる同社の会員は、少額の会費を課されるが、それ以外は、車を利用したときだけ料金を払えばよい。この柔軟な従量制モデルのおかげて、顧客は1時間だけ車を借りることもできる。

 プロセス プロセス・オートメーション

  決まりきった活動から社員を解放して他の仕事をさせるために、そうした活動を管理するツールやインフラを利用する。

  ジップカーの核をなすのはその「ファスト・フリート」システムだ。これは顧客が自分でロックを解除できるようにし、利用パターンの追跡やデータの収集を行い、車両に問題が発生したらそれを即座に社内のフリート・マネジャーに知らせるGPS(全地球測位網)無線データ・システムである。このシステムは車両の利用状況を管理、追跡するうえで欠かせないものであり、こうした管理、追跡によって実現される効率性が(自動車のような)比較的高価な資産のレンタル・ビジネスの収益性を高めているのである。

 製品性能 安全性

  顧客の信頼や安全の度合いを高める

  ジップカーは利用方法を単純にしている。ドライバーの保険料、ガソリン代、および他のすべての追加費用を時間当たり利用料に含めているのである。これによって利用者は、事故が起こっても全部面倒を見てもらえるという安心感と、自分が借りるとき車両は良好な状態になっているという信頼感を持つことができる。自分の前に借りたドライバーが車両をひどい状態のままにしていたら--ファストフードの包み紙が散乱していたり、ガソリンタンクが空だったりしたら--ユーザー・コミュニティーのためにそれを報告するホットラインも設けられている。

 プラント 価値観の整合性

  自社のブランドに大きな理想もしくは価値観を象徴させ、その理想や価値観を自社のあらゆる活動で一貫して表現する。

  ジップカーのロゴは意図的にグリーンにされている。同社のブランドは、共用車の利用にともなう責任と環境面の利点を軸にした価値観を象徴している。会長兼CEOのスコット・W・グリフィスは、同社の2011年の年次報告書で次のように述べている。「ジップカーは『欲しいときだけ持てる車』です。このブランドは、シンプル、便利、イノベーション、自由、楽しさ、持続可能性、コミュニティー、そして賢い消費を意味しているのです
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サファイアにおけるThinkとActの意味

サファイアにおけるThinkとActの意味

 ThinkとActは何なのか? GlobalとLocalは数学的に分かるけど。内側向きと外側向き。ポータルで、内側と外側との差なんでしょう。未唯空間で内なる世界と外なる世界が出てきました。

 グローバルがActする対象はローカルのThinkになるでしょう。循環の時のエネルギーを外向きのベクトルと内向きのベクトルとの対比で行うのがサファイアなんでしょう。こんな数学は見たことがないけど。どちらかというと、分子生物学に近い形になります。方向はお互いに拾うカタチになります。

 では、4つの機能にもそういう意味があるのか。そこには、エネルギーがあるけど、矢印がない。お互いが発散して、お互いが吸収して、それを同時に受けるというカタチです。本当に新しいということです。そう意味ではLANみたいなものです。発信するところと受けるのをルーターで勝手にやっていくという接続方法です。

 これはトポロジーのなかの関数として見ることができない。相手側を特定していないから、全体が同時に動く形になります。そして、一個一個の単位と全体の単位が一緒になります。

 そういう意味では、マーケティングとよく似ています。売る人は外向きで、買う人は内向きです。それが偶然に機会につながる。そうなると、人間の体の中の静脈系が想起されます。外から排出したものを心臓という吸収する機能がある故に持って行く。そういう機能があったから持って行くという機能です。

 そうでない限り、N対1というようなものは方程式が複雑になって、成り立たない。これなら、方程式は要りません。そういう風に考えると、近傍系の連結も近傍系同士が連結するのではなく、グローバルの場でもって、自然につなげていくと解釈できる。

 今のような連続関数という定義ではなくなっていきます。もっと、場の方程式の方が合っています。だから、ホメロジーなどが出てきたのでしょう。位相とか連続関数とかでは固い。もっと柔らかな接続が考えられます。

位相空間に全体はあるのか

 位相空間で全体というものは先には存在しない。部分の集まりを全体と見なしていた。そのために、基本形としての関数があった。ウットゲンシュタインではないけど、分かったもので作り上げたものが全てであり、それ以外はないという世界だった気がする。最初から全体があるというのは違和感です。

 今、EUとかロシアとかの超国家があるような感じになっているけど、本来は偶々集まっているだけです。そんなものあない。ただ、事務局が必要です。そういう空間が成り立つかどうか。それをどういう方程式で表せばいいのか。

 位相空間の方程式は、座標系があるだけで、それぞれの空間が座標系をマッピングして、逆位相を掛けて、空間をつなげていくというのが定義です。そこでの集まりと他の集まりとの関係は、集合を一つの点として、つなげていくという単純化、そして、変化を表わすものとして、周縁から固めて核を作っていくものが複雑性です。

 サファイアでは仮想的な全体を作っていきます。本社と店舗などを枠組みと見なします。EUも同様だけど、そこにはそれなりの機能があるということでしょう。それ単独を目指すのか、それともそれらを合わせたものを全体とするかは使い分けです。

 だから、販売店といった時でも本社だけなのか、店舗を含むのか、レンタ・リースを含むのかで、集合体は異なります。だけど、呼び方は同じです。関係づけだけが成り立ちます。歴然としてあるのは、それぞれの機能だけです。店舗は店舗の機能、本社は本社の機能です。その内側と外側向けの力。

情報共有という力

 個人の分化、組織の分化を同様だが、点が集合になることです。組織の場合は、集合の集合になるけど、それが点になっていく。情報共有というのは、外側に向ける力。内側に向ける力はまた別です。ペアとなるところで場ができます。

基本空間の扱い

 まだまだ、基本空間をどうするのか決まらないですね。トポロジーの場合はターゲット空間から基本空間に投射しあって、あとは逆位相でもって、それぞれの空間に反映させます。逆位相というのはプルなんです。

 組合せで位相化して、距離もそこでいれます。だけど、流れているものとなるとそうはいきません。

数学編のあらすじ

 存在と無から始まって、存在の力と全体、そして考えることと未唯空間。全てを知ることがそれらの中に一連で入ります。

 社会のところから始めて、数学的なカタチで、ローカルとグローバルが出てきて、分化と統合を経て、社会の位相化です。これらを数学編で理論化すると同時に、自分編で全体をまとめていきます。
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ショーペンハウアー 世界、意志、性--われわれは自殺すべきなのか?

『哲学は何を問うてきたか』コワコフスキより

ショーペンハウアーにとって「意志としての世界」は比喩的な表現でもなければ大げさな言葉のほとばしりでもない。彼は世界が実際に意志であると信じてもらおうとしていたのだ。しかし、それは神の意志でも人間の意志でもない。誰の意志でも何の意志でもないのだ。あるいは、意図、指向性、目的、計画をもつ何かでもない。すべてのものが依存するがそれ自体は何にも誰にも依存しない全能の力で、何も関知せず目的も人格もなく、単に存在するだけである。ショーペンハウアーにとって--自己意識の働きを通じて発見できる--この真理は完全に明白で、彼以前に誰も考えついていないとすればとても奇妙なことであった。

ショーペンハウアーは、カントによる現象界と不可知の物自体との区別を採用した上で改変も加えた。ショーペンハウアーの哲学には、神と不死の霊魂と自由意志に関する真理を発見できるようにする独自のア・プリオリな規則をもつ、実践理性に対応するものはない。神も霊魂も自由意志も存在せず、世界に存在するものはすべて、つまり生命も人間の行動も、緩和しがたい必然性によって支配されている。カントの教説に相応して、現象界の創造には人間主体も参画しており、時間と空間と因果性は人間精神が創り出したものだとされる。しかし、物自体、つまり真の現実、われわれの精神と独立に存在する世界は意志--不可知で目的も人格ももたない意志--である。ここに、形而上学における真の恐怖がある。われわれはこの意志を制御することができず、意志については何も知ることができないが、それが意志であり意志以外の何ものでもないと信じなければならない。道徳に関するカテゴリーも数学に関するカテゴリーも意志には適用できない。意志は悪でも善でもなく、数も他の人間精神の産物も意志には含まれていないのだ。また、意志は生物と無生物の両方からなる自然のうちに自ら顕れ出る。しかし、われわれは意志の働きを感知するので、われわれには意志を認識することのできる感覚がある。われわれは、意識の内なる経験を通じて直接意志を認識することができる。そのような経験においては、認識の対象と認識する主体は同一だからである。

われわれが経験する最も重要な意志は生存する意志、生命への意志である。何が何でも生存しようとする意志は世界のあらゆる要素に現れ、要素それぞれの意志は他のどの意志とも必ず衝突することになる。こうして、意志それぞれが世界にある他のものを犠牲にして生存するために闘うので、現象の世界全体が常に万人の万人に対する終わりなき闘争に陥る。この闘争は、宇宙全体と同様に、何の意味も明らかにせず、そもそも何の意味もない。起こることはすべて、人格も目的も持たない力である意志の働きによって引き起こされたもので、世界に意味などはなく、見いだしたと思われる意味は幻想だ。個人はミクロコスモスにおいて宇宙に対応する像であり、個人の生は世界の生が無意味なのとまさに同じように無意味なのである。

このことはすべて、ショーペンハウアーによれば、経験を通じて認識される。(ショーペンハウアーが特に嫌悪していたヘーゲルをまさに含む)非常に多くの哲学者によって提起されてきた、ア・プリオリな知識に対する形而上学的な主張はナンセンスなのだ。

それにもかかわらず、真理に近づく道があると主張できるのか。確実にショーペンハウアーは自分がそう主張していると考えている。物自体としての意志とその現象界との関係に関する、そしてわれわれの精神が構成する物事というカントの考え方に関する、ほぼ形而上学に近いショーペンハウアーの異常な声明は、驚くほど自信に満ちて打ち出されている。奇妙なことに彼以前には誰も気づかなかった、世界に関する論駁できない壮大な真理を発見したと信じているかのようなのだ。しかし同時に、われわれの知性は完全にわれわれの意志に従属しており意志を制御することはできないとも主張している。また、自分自身をきちんと見るために手を出す駆け引きや策略を独断で非難し、真の動機と感情について認識していることを自分自身にさえ隠すために誰もが屈服する悪名高い自己欺瞞を明らかにしたと称する(フロイトによれば、ショーペンハウアーはこの点で精神分析の先駆けになっている)。結局、われわれは真理を知ることができないのかもしれない--もちろんショーペンハウアー自身を除いて。われわれの意識は水面の泡にすぎず、われわれを実際に支配している暗黒の力についてわれわれは何も知らないのだ。

このすべてからできあがる世界像は本当に悲惨で悪意に満ちたものだ。人生は苦痛と不運以外の何ものでもない。それにもかかわらず、ショーペンハウアーは解決法として自殺を擁護したりはしない。しかし、彼が自殺を擁護しない理由は、想像しうるどんな理由でもなく、自殺は彼の見解によれば標的を間違えており問題を解決しないというものだ。自殺と言われるものは生命への意志を抹殺したいと望むものだが、自殺を実行しても殺されるのは生命だけで、生命への意志は破壊されない。このように、自殺は目的を達成できないのだ。そうではなくて、われわれは意志が妨げられることなく働くように望むべきなのである。以上の議論から誰が意味を見いだすのか。それは理解力を越えている。
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ヘーゲル 歴史と絶対者--善悪なき進歩?

『哲学は何を問うてきたか』コワコフスキより

歴史と絶対者--善悪なき進歩?

表現は違っても、これはヘーゲルが取り組んだ問題でもある。ヘーゲルの目論見は絶対精神の歴史がもつ意味を完全に発見することだ。絶対精神は自身の究極的な完成に向かう進歩の過程で欠かせない道具として人間文化の歴史を用いる。こうして、存在が進化していく発端である(このことはヘーゲルにとって議論する必要がないほど紛れもなく明らかな真理)と同時に存在の進化がいたる目的でもある絶対精神の歴史が、完全な統一性を達成する過程を構成する要素に人類の歴史がなる。このような統一性を達成するために、絶対精神は自身と自身による認識の対象との間にある壁を壊さなければならず、認識の対象を完全に同化することによって両者を隔てている距離を解消しなければならない。なぜなら、認識の対象が絶対精神にとってよそ者だとしたら、それは偶然的なものということになり、ゆえに絶対精神を制約することになるからだ。絶対精神はすべてのものを包括しなければならない。つまり、すべてでなければならないのだ。これもキリスト教神学から受け継いだ問題である。神は神自身のうちに神自身を通じてすべてを把握しており、神から切り離されたものが神の外部にあるとしたら無限であるべき神を制約することになるのだ。歴史の苦行を通じて、絶対精神が存在の偶然性を廃して(しかし存在の多様性を破壊することなく)存在を完全なまま吸収し存在と同一化する時のみ、必ず完成に向かうように予め定められた進歩の過程が究極目的を果たして終わる。この進歩は、カントの哲学における進歩とは異なり、無限に続くことはありえない。もし永遠に続くなら、覆われるべく残された地面はずっと同じ状態のまま--つまり無限に長い--ということになり、実際には進歩が全く起こっていないことになるからだ。ゆえに、絶対精神の進化は終わりがなければならないのだ。

この進化は、到達した一つ前の段階を常に否定し続けることを通じて起こる。否定が継続することでそれぞれ前の段階が廃され、遅かれ早かれ新たに到達した形態も破壊される。しかし、前の段階は破壊されても完全に消滅するわけではない。次の段階でも前の段階における豊かさは保持されるからだ。

われわれがこの過程を理解できるのは、理性を持っているからだ。理性は存在の進化を認識するだけでなく、それ自身が存在の進化を構成する要素でもある。そうだとすれば、理性自体が絶対精神の道具として変化しうる相対的なものだということに当然なる。言い換えれば、世界や世界内部の物事に対するわれわれの認識は、常に世界を構成する部分であり、世界と独立に存在するものではない。このことがもたらす帰結として考えられることは、存在が完全な究極形態を獲得するまでは、真理を普通の意味では全く主張できないということである。せいぜい、歴史に応じた正統性を主張できるだけなのだ。これは、認識に対する態度の変化を示している。念頭におかれていることは--少なくとも、存在が完全に偶然性から解放され、意識がその対象と統一され、絶対精神の無限性が完全に実現するまで--われわれの思考それ自身が外部の観察者や立法者ではなくわれわれの思考が対象とするものを構成する要素であるという事実に、われわれが気づくということだ。

このように、永遠に妥当すると想定される理性の抽象的な法則を通じて理性を定義することはできない。しかし、世界が、進化の過程でもっと高度な状態に進歩していくことに伴って、ますます合理的になっていくということは確信できる。世界の宿命は、理性に満ち溢れていくことで実現していくのだ。ヘーゲルの最も有名で最も頻繁に言及される金言は、現実的なものは合理的であり合理的なものは現実的であるというものだ。この物議をかもす見解は、通常の基準で判断してどんなに受け入れがたくても、最も恐ろしい形態でさえもまさにそれが存在しているゆえに是認すべきだという根拠に基づき、実際に存在している社会制度や政治制度すべてには合理性があると認めなければならないという憂鬱になる指示だと解釈されてもきた。これは、全面的な無気力を求めるものになりうるのだろう。しかし、このような解釈は正確とは言えないのだろう。なぜなら、まず確認しなければならないとヘーゲルがまさに述べていることが、進化の各段階で観察されると考えられるものはその没落が差し迫っているから存在していることであり、実在しているように見えているだけで実際には必ず進歩をもたらす避けがたい力によっていつでも追い払われてしまうことであるからだ。しかし、ヘーゲルは、このことをどのように確認すればよいのかを教えてくれたりはしない。存在するすべての段階が必ず消滅することはわかるが、見えているものがなお歴史的に十分な存在根拠をもつものなのか、すでに時代遅れになったもう食べてしまった御馳走の記憶なのか、確定する手段はない。特に、抽象的な道徳原理に基づいて、言い換えれば、現実化していないが望ましいとわれわれが考えること、つまり理想的な世界についての考えを持ち出すことによって、このことについて断言することはできない。ヘーゲルはこのような道徳主義的な世界の見方を無意味なユートピア建設だとして拒絶する。出来事の継起は不可避でわれわれには変える力がなく、試みる意味もないのだ。ゆえに、最終的には、単に存在しているという理由で存在しているものを是認する行為が、最善で唯一合理的な道筋なのだ。
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中分類の変更 5/5

9.環境社会
 9.1 地球規模の課題と環境社会
  ①人口増減が環境問題と格差を生む
  ②国の方針は束縛されて不明確
  ③静脈系の不備が循環型社会の課題
  ④エネルギー問題は地域で対応
 9.2 環境社会は地域と企業で対応
  ①地球規模の課題に地域で対応
  ②多様な市民の知恵を活かす
  ③企業は地域を支援し、統合する
  ④市民主体の民主主義に向かう
 9.3 2030年までの環境社会シナリオ
  ①技術開発から市民主体で解決
  ②循環型社会で配置を決める
  ③コミュニティで地域インフラを構築
  ④コミュニティで合意形成の論理形成
 9.4 地域の環境社会への移行
  ①コミュニティで市民の分化を促進
  ②危機感を高め、存在の力で意識変革
  ③コミュニティで地域のコンパクト化
  ④税収入を含め、地域を独立させる
 9.5 分化と統合の関係
  ①LAN/WAN発想で地域ネットを構築
  ②企業と行政を含めた分化と統合
  ③地域が企業を変え、政治を変える
  ④分化で多くの人が働ける仕組み
 9.6 シェアする社会
  ①公共意識で持続可能な循環
  ②高度サービス化でモノつくり脱却
  ③地方主権で社会保障と消費税
  ④コミュニティ主体で儲かる仕組み
 9.7 環境社会の政治・経済
  ①市民意識を表現できる規模に集約
  ②国は分配と雇用を保証できない
  ③多様な意見を政治に反映する事務局
  ④コミュニティと国で協働した改革
 9.8 超国家と地域社会の二元化
  ①グローバル化と多様化に対応
  ②GGの超国家で対応
  ③同一価値観での国家連合形態
  ④日本の三つのシナリオ

10.次の世界
 10.1 コミュニティで個人から組織の分化
  ①多くの市民が生きるために分化
  ②コミュニティは個人の分化を促す
  ③多様化に対応し、組織は分化する
  ④コミュニティが市民と組織を関係
 10.2 存在の力から公共意識を育成
  ①公共意識を環境哲学で支える
  ②意見を述べて、公共意識を育成
  ③意思の力から情報共有で組織の分化
  ④日本は企業から意識を変える
 10.3 超国家=個人の関係で未来を極める
  ①放り込まれた存在と多重宇宙の無
  ②点と集合、個人と全体がつながる
  ③L(コミュニティ)をG(行政)が支援
  ④LL(超国家)=GG(個人)の未来
 10.4 環境社会で市民主体民主主義
  ①サファイア事務局で循環を見る
  ②Global meets Localの環境社会を設定
  ③市民主体で新しい民主主義を志向
  ④サファイア革命のシナリオと維持
 10.5 歴史哲学が歴史を変える
  ①個人が意思の力で歴史を動かした
  ②歴史哲学が情報共有で歴史を変える
  ③存在の力で生き残るために分化
  ④市民主体のコンパクトな社会を実現
 10.6 情報共有で社会の位相化を実現
  ①周縁から情報共有で全体を変える
  ②ソーシャルで活性化して情報共有
  ③国は産業支援で推進力を確保
  ④地域コミュニティでいい社会
 10.7 全てを知ることで存在を確認
  ①存在の力の行き先を知りたい
  ②知り得たことを未唯空間にまとめる
  ③内なる世界で全てをつなげる
  ④全てを知り、次の頂きに向かう
 10.8 存在と無から存在の無へ帰する
  ①存在の無から真理への自己肯定
  ②意思の大いなる力の偶然に従った
  ③近傍系のアイデアで社会の位相化
  ④無為に生きて、自分に還るだけ
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