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歴史哲学から発想する

シェアの概念

 シェアの概念を変えましょう。シェアハウスに男女4人ならば、家族と同じではないか。家族の組み合わせの方がはるかに効率が悪いかもしれません。依存しあうから。

 元々、ファミリーカーというモノがありました。一家に一台で済むという世界です。クルマもシェアすればいい。

 コンピューターもシェアから始めました。UNIVACのタイムシェアリング、IBM360のメインフレームの世界です。今は、一人ずつもっているけど、コンテンツはクラウドという名前のシェアするカタチになっています。

出待ち

 Iさんを「出待ち」しますと言われました。芸能人並ですね。今日は12時までだけど、待っててくれるそうです。

 カウンターを選ぶだけでなく、本当に出てくるまで待っていました。チームで支援してもらっています。

歴史哲学から発想します

 歴史哲学の用語の使い方。ヘーゲルとは異なった解釈をしないといけない。もっと一般的にして、神の存在は無視します。歴史の見方そのものを変えるという意味合いです。

 ヘーゲルの歴史哲学は、137億年ではなく、人類一万年よりも短くて、キリスト以降ですから、2,3千年ぐらいしか対象としていない。

 歴史編に環境哲学を入れ込んで、中身をかなり変えます。国とは何か、への答えを用意します。民主主義とは何か、資本主義とは何か、そういうところも考察していきます。その上で、次の社会を見ていきます。

 だから、クライシスに地域が対応と言うところは、もっと大きく構えます。グローバリズムと多様性です。それが時間のコードの圧縮によって、どう変わっていくのか。

 歴史にとって、クライシスは当たり前です。3.11以外にも一杯あります。アイスボールアースもその中に入ります。今後考えられるクライシスは単なる自然現象だけでなく、環境社会そのものもあるし、財政問題もあります。一番、大きなクライシスは人間が変わることです。

 意思の力から存在の力に変わることで、地域が活性化する。それをグローバルが支援することで、国全体が変わってくるというシナリオです。

 変わらないことで、どういう社会になるのかという想定も含めます。その中で、ローカルとグローバルの関係づけ。流れ方向を見ていきます。

国家に対する見解

 国家は個人と共同性との和解する場であった。国家のおかげで、個人が自分の存在に関わる現実と価値を見出す。

 国家というモノ、全体というものがどういう空間になっているのか。バンダリーを持つのか。個人の集合体なのか、というのは、今、考えていることと同じことです。

 シェアの基本は教育です。個人と共同性との関係、そこで、シェアと個人との関係、それと資本主義。ようするに、全体とは何かです。民族の集まりでもないし、宗教の集まりでもない。

 国家は多数者の意思を頼りにして、意思決定を行うことはできない。一般視と全体視の区別をする。今のところ、標準関数しかないけど、関数に適用するものを全体と見なす。
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本は「つなぐ」もの

『走れ!移動図書館』より 本のチカラを信じて

本はチカラがある。そう人は信じているから本はこの世の中に存在し続けているのではないでしょうか。

ではそのチカラとは何か? 本の価値について考えていきます。

私にとって本は「つなぐもの」です。そして「つなぐもの」の存在は時に重宝されますが、同時に恐れられ、破壊されることもあります。

人間の歴史を見ても、戦争や内紛が起きると本が燃やされたり、図書館の本が略奪されるなど、「本」に関する負のエピソードがたくさん残っています。前の章でカンボジアの焚書政策の話を書きましたが、一九三三年五月一〇日、ドイツでもナチスにより「非ドイツ的」とされる著者の哲学書や科学の本などが焼却されました。ハインリッヒ・ハイネは「本を焼き払う処では人間をも焼いてしまうのだ」という言葉を残しています。

本が大切だと信じていたからこそ、戦時中に本を守った歴史もあります。『疎開した四〇万冊の図書』(金高謙二著)を読み、太平洋戦争の際、日比谷図書館館長・中田邦造氏の指揮により日比谷からあきる野市や志木市まで本を疎開させた話を知りました。現在の日比谷高校の学生が、図書を大八車やリュックで背負い運びました。

なぜ人は、本を恐れるのでしょうか? そしてなぜ本を守ろうとするのでしょうか?

本がつなぐもの。それは情報だったり、知識だったり、文化だったり、人だったり、言葉だったり、思いだったりさまざまです。そして、人はそれを伝えたくて「本」というものを生み出していったと信じています。

そして本は時間を超えることができます。本を通して何百年前に生きた賢者と対話をすることが可能です。そしてその思想や文化が、伝達されます。人の一生の何倍も存在し続け、その内容を伝えていく本の存在は、反対の意見を持つ者にとっては恐ろしいものなのでしょう。

今回の震災で、全国から大量の本が東北に届きました。なぜ人は「本を送ろう」と思ったのでしょうか。なぜ「東北の人は本が読みたいに違いない」と思ったのでしょうか。

二〇一二年八月に、秋田市で岩手での移動図書館活動について講演をしたことがあります。講演が終わって、一人の大学生が声をかけてきてくれました。「僕の実家は仙台で、震災の時は春休みで仙台にいました。数日たって、書店が開いた時、飛び込みました。無性に本が読みたかったっす。だから岩手の人の本が読みたい気持ち、分かります」と目を輝かせながら話をしてくれました。

「本のチカラとは何か」、その答えはひとりひとりの心の中にあります。平時には意識したこともなかったかもしれません。本の感想は友達どうして話をしても、本のチカラについて言葉にする機会は、あまりなかったのではないでしょうか。

ここでは「本がつなぐもの」をキーワードに、私が感じたことをお伝えしていきます。

本と、音楽や映画との違いを聞かれました。私は本を読むのが好きです。でもクラシック、ジャズ、時にはロックのコンサートにも普通に行きます。映画も昔ほど行かなくなりましたが、気になる作品はチェックしています。

違いは「自分でコントロール」できるかできないかでしょうか。ホールで音楽を聞いたり、映画館で映画を見た時、途中でストップをかけるわけにはいきません。大人数がいる中で「ストップ」をかけた人がいたら大ブーイングが起きるか、時には警備員に連れていかれてしまうでしょう。私の友達に、トイレに行きたくなるのが怖いからコンサートや映画は行きたくないという人がいます。こっそり外に出ようとしても、演奏者や他の観客に迷惑になるかもしれません。

家で見たり聞いたりする時には、リモコンをぽちっと押して止めたり、飛ばしたりできるかもしれませんが、聞いている音楽を四倍速にするとか、映画を半分の速度で見ると、作品自体が違うものになってしまいます。映画『雨に唄えば』の一シーンのように、役者の動き自体がコメディーになってしまいます。

本はどうでしょうか?

本を読み進めるスピードは自分でコントロールできます。目次を見て気になる章から読んでもいい。一度読んで、気になる個所を読み返してもいい。目が疲れていたら、ゆっくり読めばいいし、のっている時は「飛ぶように」速く読んでもいい。

本という舞台では自分が指揮者でありコンサートマスターになれるのです。

移動図書館を始めた直後、利用者の方が口々に「自分で選べるって、こんなに幸せなことだったのか」と話してくれました。避難所では、物資の配布は受けられても、なかなか自分で選べないもの。選べたとしても遠慮して結局手に取らなかった人も。自分で選んだ本を、自分の選んだペースで読めることで日常性を取り戻していく。そんな気分になれるという話でした。

また東日本大震災というコントロール不可能な自然災害を経験し、その後続いた、電気もガスもない生活。変わりすぎてしまった日常。それまで思い描いていた日々の生活は、大きく歪んでしまいました。そのひずみを完全に軌道修正するのは不可能でも、少しでも自分のぺースにもっていきたい。また、そのひずみを、柔軟性を持って受け入れつつも、「この状況に慣れてはいけない」と口々にする人たちの姿があります。

本をコントロールすることは、世界に対する小さなリベンジかもしれません。そしてそのリベンジの積み重ねることで、自分のペースを取り戻し、安心感を得ることにつながるでしよう。
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共同消費 ジップカーの実例

『ビジネスモデル・イノベーション』より イノベーションの作戦

共同消費

 接続性を利用して従来の所有形態をくつがえし、自社の財やサービスに対する顧客のかかわり方を変える。

 「共同消費」という言葉は1970年代から使われていたが、本当に広く知られるようになったのは最近のことで、今では無駄を削減し、より大きな共通の利益について考えるグローバルな運動に発展している。資源の希少性、人口密度、それに接続性が高まっている時代には、ますます多くの企業がこの作戦を使うようになると思われる。

この作戦が使われている実例 ジップカー

 友人同士の2人の若者がカーシェリングというヨーロッパのアイデアをマサチューセッツ州ケンブリッジに(さらには他の都市に)持ち込むために設立したジップカーは、2000年の営業開始以来、正真正銘の急成長をとげてきた。実際、同社は従来のレンタカー産業の基準をほぼすべて打ち破った。同社の車両は従来の1日単位ではなく時間単位で借りられる。同社はまとまった駐車場を持たず、係員も配置していない。「ジップカー」として知られる同社のレンタカーは、都市のあちこちの駐車場に分散して置かれており、「ジップカード」をカードリーダーにかざすだけでロックを解除することができる。ジップカーは従来のビジネスユーザーではなく、まる一日車を必要とするわけではない(もしくは車を持つことによる煩わしさを望まない)人々をターゲットにし、レンタカーの提供の仕方を変えただけでなく、レンタカー産業のありうる姿を根底から変えたのだ。

戦術

 利益モデル 従量制

  利用した時間や量に対してのみ料金を徴収する。

  ジップカーが「ジップスター」と呼んでいる同社の会員は、少額の会費を課されるが、それ以外は、車を利用したときだけ料金を払えばよい。この柔軟な従量制モデルのおかげて、顧客は1時間だけ車を借りることもできる。

 プロセス プロセス・オートメーション

  決まりきった活動から社員を解放して他の仕事をさせるために、そうした活動を管理するツールやインフラを利用する。

  ジップカーの核をなすのはその「ファスト・フリート」システムだ。これは顧客が自分でロックを解除できるようにし、利用パターンの追跡やデータの収集を行い、車両に問題が発生したらそれを即座に社内のフリート・マネジャーに知らせるGPS(全地球測位網)無線データ・システムである。このシステムは車両の利用状況を管理、追跡するうえで欠かせないものであり、こうした管理、追跡によって実現される効率性が(自動車のような)比較的高価な資産のレンタル・ビジネスの収益性を高めているのである。

 製品性能 安全性

  顧客の信頼や安全の度合いを高める

  ジップカーは利用方法を単純にしている。ドライバーの保険料、ガソリン代、および他のすべての追加費用を時間当たり利用料に含めているのである。これによって利用者は、事故が起こっても全部面倒を見てもらえるという安心感と、自分が借りるとき車両は良好な状態になっているという信頼感を持つことができる。自分の前に借りたドライバーが車両をひどい状態のままにしていたら--ファストフードの包み紙が散乱していたり、ガソリンタンクが空だったりしたら--ユーザー・コミュニティーのためにそれを報告するホットラインも設けられている。

 プラント 価値観の整合性

  自社のブランドに大きな理想もしくは価値観を象徴させ、その理想や価値観を自社のあらゆる活動で一貫して表現する。

  ジップカーのロゴは意図的にグリーンにされている。同社のブランドは、共用車の利用にともなう責任と環境面の利点を軸にした価値観を象徴している。会長兼CEOのスコット・W・グリフィスは、同社の2011年の年次報告書で次のように述べている。「ジップカーは『欲しいときだけ持てる車』です。このブランドは、シンプル、便利、イノベーション、自由、楽しさ、持続可能性、コミュニティー、そして賢い消費を意味しているのです
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