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豊田市図書館の28冊

論理的な返答!

 帰り際に「今日は黄色なんだ」と言われた。答える言葉が見つからずに、自分の服を見ていた。

 「そうなんだ」では答えになっていない。

 「かわいいでしょ」では論理が飛躍している。

 やはり、Yes/Butで論理的に返そう。

 「黄色です。しかし、赤色です」これで完璧ですね。

豊田市図書館の28冊

 385.9『マナー大全』社会人の基本

 238.07『スターリズムの経験』市民の手紙・日記・回想録から

 100『世界の哲学50の名著』エッセンスを究める

 762.34『ワーグナー下』

 147.1『力の話』

 893.61『フィンランド語のしくみ』

 335.13『ジョブズ魂の言葉』逆境を乗り越える

 498.59『これなら作れるシニアの1人分ごはん』少ない素材で簡単!ムダなし!

 291.08『こころの風景2014』よみうり風景写真コンテストより

 498.38『長生きのスイッチはオンに変えなさい』

 291.03『和英 日本の文化・観光・歴史辞典』

 410『これ1冊で高校数学のホントの使い方がわかる本』学校で教えてくれない!

 675『値上げの技術』小さな会社・お店のための

 013『図書館の現場力を育てる』-2つの実践的アプローチ-

 295.17『バンクーバー・カナディアンロッキー』

 498.54『じつは怖い外食』サラリーマンランチ・ファミリー外食に潜む25の危険

 673.98『スターバックスのライバルは、りっつ・カートンである』本当のホスピタリティの話をしよう

 498.02『復興するハイチ』震災から、そして貧困から医師たちの闘いの記録2010-11

 389『文化の型研究のすすめ』

 913.6『消えてなくなっても』

 540.93『電力情報イノベーション』

 293.58『オランダ ベルギー ルクセンブルグ 世界遺産と歴史の旅』プロの添乗員と行く

 336.4『なぜ女性部下から突然辞表を出されるのか』

 304『三酔人経綸問答』

 361.23『権力と支配』

 953.6『アドルフ』

 689.8『リッツ・カールトン「型」から入る仕事術』

 649『動物医療現場のコミュニケーション』
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パートナーの相談

パートナーの相談の一週間

 パートナーには、必ず、何かが起こるはずです。それを待ちましょう。ただし、間違えてはいけない。自分で判断することです。

 一週間の短いこと。月曜日に休んだ時に、10時前のポーリングから始まった。火曜日は何かを言うかと思ったら、何もなかった。水曜日の昼休みと夕方、木曜日の10時半、17時のそれぞれ、2回の相談がありました。それを聞いているうちに一週間が終わろうとしています。

 本当に悩んでいる。力になれずに、愚痴だけを聴いている。ザ・パートナーの存在の力を信じているが、それがプレッシャーにならないように。

黄色の服

 今日はIさんに見せたくて、黄色の服です。そして、黄色のモカを頼みました。「菜の花」に似合うと言われました。来週は月・火で、その後は休みみたいですね。

 名鉄百貨店の正面玄関のエルメスのあとに、スタバが出来ました。クローバーもあるそうです。800円以上もするみたいです。

新しい数学

 数学の使い方。「これ一冊で高等数学のポイントが分かる」という本があります。

 積分については、平均であり、微分は変化度である。これを教養部で習った。それ以前に習った、大きなことがあります。人はインデックスを求めてきた。その集合がなんであるのか、空間をどう言い表すのか。インデックスとは、数学で言うところのインバリアントです。インバリアントとしての平均値とか変化度は、スカラーとかベクトルで表現した。高校の数学に意味を持つことができた。

 それでもって、集合に意味を持たせることができた。その考えで、部品表の空間解析を行った。実験者の思考パターンも解明できた。それでシステムを作るとコンパクトで柔軟なものになる。つまり、空間論そのものです。本当は空間論の使い方を前面に出す数学の解釈が必要です。

ジョブスの目標

 ジョブスの目標は何だったのか。製品を作ることでも、渡すことでもないでしょう。もっと、先の世界を見ていたはずです。
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本とクルマをシェアする

パートナーの向かう先

 パートナーは大きいことをやればいいのです。そうすれば、彼らはパージするか、上げるかのいずれかを選択するでしょう。

 対象はマーケティングです。販売店を変えてしまうことです。そのための仕組みです。そのための修業は積んできた。メーカーでの思考ではなく、販売店からの思考ができる強み、全体が分かる仕組み。

 お客様と寄り添うスタッフ。その概念です。Tにしても。メーカーからではなく、販売店からの発想です。お客様からの発想です。それを今の段階で出来るのは、パートナーしかいない。それを女性チームで組めばいい。当然、TMを核になります。

 やはり、店舗コミュニティを目指しましょう。パートナーのテーマです。タブレット化もコンテンツの外部化もコミュニティでの知識と意識の方に集約しようとしています。あとは、存在の力だけです。存在の力でファシリテーションしていくことが必要です。パートナーにはそれができるのです。

考えるということ

 考えるということは、好きな人を求める気持ち、問題の答えを求める気持ち、そうした気持ちが新たな関係のもとで、新たな見方でモノを見させてくれる。世界全体が考えている。

本とクルマをシェアする

 新刊書は年間7万冊。私の1500冊というのは、2%に過ぎない。1000部印刷するから、全国15000の書店には並ばない。

 豊田市図書館のように、1億3千万の予算なら、大体、1部は来る。その意味では、書店よりも、図書館の方が新刊書にめぐり合う率は高い。ましては、それを買うのは難しい。

 本は中身です、コンテンツです。シェアすべきです。買うんだったら、個人だけど、シェアするとなると地域です。これは鉄則です。

 クルマも買うのではなく、シャアするとなると、地域とどういう関係を持つのか。それでこそ、はじめての有効活用ができます。本がコンテンツであると同様に、クルマの本質は「Fun to Drive」ではありません。移動する理由であり、移動する内容である。それが他に代替できるモノならば、代替した方がいい。

 甲子園球場のグランドに18人しかいない状態がクルマの関係です。一人が移動するのに、あれだけのコストとあれだけのエリアを使っては、これは成り立ちません。より多くの人が幸せにするかというと、シェアです。

 メーカーの体質は変えられないから、マーケティングとして変えていくしかない。行政と一緒になって、地域から変えていくことになる。行政にとって、クルマというのはインパクトがあると同時に、邪魔な存在です。

 インフラが必要だし、それを勝手に上げているし、それでもっと、人は分散することで、インフラの拡大が求められる。そのインフラを、インターネットの業者と同様に、タダ乗りしまう。グーグルのように、インターネットを使って、ローカルを支援する方に向かっています。悪をなさないという、彼らのモットーです。クルマもその時点に戻らないといけない。

 クルマをお客様が買うところに求めて、その利益を独占します。本という場合に著作権というけど、著者に報いるのは本当にやぐいです。

 価格が2000円で1000部刷って、印税は5%とすると、たった10万円です。ネットでコマーシャルを含めてやれば、10万円はたやすいです。その10万円を得るために、1000部を印刷し、エリアを確保するのは、悪です。甲子園球場です。

 印税の10万円を求めて、半年を掛けて、作り出す。これをやる理由は、本自体の意味に求めるしかない。それは物理的なモノではありません。コンテンツとして、論理的なモノになります。

 クルマは個人所有、そして買うということ、個人とメーカーとの関係を変えていかないといけない。それがいかにムダなモノであり。悪であるかということを認識しないといけない。

図書館コミュニティの役割

 本の返品率は35%です。印刷して、35%が戻ってきます。エネルギーを考えると、これだけでも電子書籍にならざるを得ない。全国、3500の公共図書館に、印刷部数1000冊を入れるだけでも、充分、ペイできるようにできます。それによって、買わない人も含めて、本のコンテンツは展開できます。

 図書館にコミュニティを作れば、その本をベースにして、著者の思いは拡大されます。

社会保障に関する国家の罠

 日本国民は国家によって、人質に取られている。財政赤字が拡大するたびに、私たちは国家破産するか、社会保障制度を崩壊するか、増税するかの三者択一になります。

 一般会計費92兆円のうち、社会保障費29兆円(31%)、国債費22兆円(24%)で、5割を超えている。国債費は国債をもっている人に全て還元される。つまり、消費税を払うことで、国債を持っているがもうかる。

 社会保障を維持しようとすると、消費税25%以上と言うけど、デンマークの国民の感覚は、国家にお金を預けているという感覚です。取られているという感覚ではない。ちゃんと、保証されているという、国家への信頼感の問題です。

 今回の消費税率が上がったことで、何が変わるのか。その使い道に対して、何もなくて、国家からの脅しだけがあります。日本は思考停止しているから、それでいいかもしれないけど、結局、自分たちに戻ってくる問題です。より多くの人がどうして暮していくのか。そのポリシーがない。

 社会保障にしても、元々、大正時代の家族制度から変わってないことを前提にしている。平均寿命が上がってくれば、介護する人の連例も上がっていく。これでは、制度は成り立たない。

 その意味では未来の姿が見えない。21世紀の歴史にしてもそうだけど、バックキャスティングしないと答えが出てこない。では、どういうカタチにするのか。依存の形にはなりえないといところから始めるしかない。
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今日のキューバ 医療・保健支援 

『フィデル・カストロ』より

--あなたはとりわけ、キューバに対して恒常的になされてきた人権謀鋼という非難にいらだっているのですか。

C いいか、私は、こと人権に関してはキューバほどきれいな歴史をもつ国はないと思っている。革命政府がキューバ人民のためにやってきた実績を示す数字は、いかなる国の政府も示すことはできないだろう。革命勝利からの四六年間に、少なくとも四五万人の子供の命が救われた。革命政府がもたらした進歩がなかったら、死んでいたはずだ、。キューバ人の平均寿命は、一九五九年の革命勝利時よりも一八年も延びている。

我々は、すべての子供に読み書きを教え学校に通わせる機会を与え、すべての市民に学ぶ機会を与えた。教育と保健の分野で成し遂げた人民への福祉は、第三世界のいかなる国も、発展した資本主義世界も果たしていない。物乞いと失業は一掃された。麻薬や賭け事など悪習も一掃された。キューバには物乞いする子供はいないし、街頭で眠る子供もいない。裸足の子供、栄養失調の子供、学校に通えない子供もいない。

第三世界の数十カ国への援助にまで触れて革命の成果を強調するということはしたくないが、キューバ人医師が無料で働いている国は四〇カ国を超え、多くの人々の命を救ってきた。我々はチェルノブイリ原発事故に遭った何千人もの子供に無料で医療手当を施してきたが、そのようなことをした国はほかにない。人間に対する寛容さがキューバほど平等に行き渡っている国は世界にない。そんなキューバを人権蹂躪で非難しようというのか。そのような破廉恥極まりない非難を、虚言と中傷をもってなそうとしているのだ。

―保健政策についてキューバを批判しているとは思いません。逆に、その点は評価されていると思います。さまざまな成果を示す数字や、あなたが触れた第三世界諸国への援助などについては国際社会であまり知られていないと思いますが、数量的な資料を示していただけますか。

C 保健政策についてだが、キューバの一歳未満の乳児死亡率は一〇〇〇人中六・五人で、カナダにほんのわずか劣るだけだ。遠くない将来、一〇〇〇人中五人か四人以下になる方向にあり、いずれ米州一の座を占めるようになるはずだ。キューバは、スウェーデンと日本が平均寿命を七〇歳から八○歳に引き上げるのにかけた年月の半分の期間にそれを実現すると思う。現在、七七・五歳まで達している。革命が勝利した一九五九年の平均寿命は六〇歳ぐらいだったが、キューバの医療サービスは、それを一八年近く伸ばしたのだ。

キューバ人民には今日、五九年当時、国内に残った医師の一五倍もの医師がいて、偏らないように配置されている。このほか、何万人もの医師が外国で連帯サービスに当たっている。キューバ人医師は計七万人を上回っている。正確な数字を挙げれば、医学生は二万五〇〇〇人いる。これには、他の医療部門の学科で学んでいる数万人の学生は含まれていない。看護学や保健関係の専門科で学んでいる学生を加えた医学関係の学生総数は九万人にもなる。

キューバのさまざまな都市には、学生数が四〇〇人ないし四五〇人の医学校があり、学生は、職業的、文化的な準備の整った真面目な家庭に下宿している。その家庭の人々の心理状態は事前に調査する。同様に学生、学生の家族のそれについても調査する。これは新しい独自の経験だ。こうした医学校には素晴らしい資材が整っており、視聴覚機材、対話式電脳プログラムなどの学習設備もある。このプログラムは、医学生が六年間かけて知識を整理したり利用したりするためのものだ。従来の方式では、それらの知識を獲得するのに二〇年もかかっていた。

我々は、世界一の医療資本を築こうと闘っている。我々自身のためばかりでなく、ラテンアメリカや他の地域の人民のためにだ。ELAM(ラテンアメリカ医学校)の学籍保有者は一万人に達している。ボリビア人の大学予科生かキューバに二〇〇〇人もいる。多くの国々が我々に、医師を養成してほしいと求めている。我々にはそれが可能であり、誰よりも可能だ。

我々は、夢想だにしなかった教育手段を開発した。間もなくそれを公開できるだろう。キューバの医学校で何千人ものラテンアメリカの学生が学ぶようになる。キューバはALBAの取り決めに基づいて、ラテンアメリカ・カリブ地域の医師一〇万人を向こうI〇年間に養成するようになるはずだ。キューバとベネズエラはALBAの下で同数の医師を育成し、ラテンアメリカ人民の統合に向けて決然と進んでいる。

ウーゴ・チャペス大統領とともに、両国人民の名において、重要な社会・経済計画を実現すべく公約した。その計画の内容は人間的であり、かつ、統合を促進するもので、識字教育、教育、ペトロカリーベ、エレクトロカリーベ、エイズウイルスHIVとの闘い、保健などが含まれている。
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チエ・ゲバラの死 「別れの手紙」

『フィデル・カストロ』より

--国際社会では、あなたとチエが不仲になり、重大な政治的不一致が生じたなどと報じられました。チエは投獄されたとも伝えられ、処刑されたとさえ報じられました。

C 我々は、一連の噂や中傷を黙止した。だがチエは一九六五年三月末、出発に際して私に「別れの手紙」を書いた。

--あなたは、その手紙をすぐには公開しなかったのですか。

C いや、公開せずに私が保管していた。あの手紙を公開したのは、一九六五年一〇月三日に開かれた新しいキューバ共産党の中央委員会の発足式でのことだ。中央委員会にチエがいない理由を説明する必要があったからだ。その間、中傷が続いた。敵は不和の種や疑念をまき散らし、チエーゲバラは我々と対立して「粛清された」という噂を流した。

--噂を流す大がかりな宣伝工作があったということですね。

C チエは、あの手紙を思うままに書いた。「あなたを十分に信頼しなかったことを後悔している」などと、ずいぶん率直に書いている。一〇月危機などにも触れていた。思うに、彼は極めて批判的であり、多くの人を信用していなかったのだろう。

私のために詩を書いてくれたこともある。私は、そのことを当時まったく知らなかった。私に対してはいつも友愛に満ち、敬意を払い、私の決定を尊重していた。私は彼と議論はしたが、強制したことはなく、命令することも通常はなかった。なすべきことがあれば、それをするよう説得するのが常だった。ごくたまにだが、「それはしてはいけない」と、禁止することがあった。

彼は一九六六年三月、アフリカからチェコスロヴァキアの首都プラハに行った。状況は複雑で、事実上、秘密の滞在だった。「別れの手紙」を書いており、面子を強く気にするがゆえに、一度別れたキューバに戻ることなど脳裏になかったのだろう。だが、ボリビア遠征部隊はすでに選別され、準備を整えていた。そこで私は手紙を書き、彼の義務感と理性に訴え、説得した。

--チェは何のためにキューバに戻ったのですか。

C チェの家族は、私の書いた手紙をすでに公開したと思う。私は手紙を書き、真剣に語りかけたのだ。戻るよう説得し、「そこからでは、あれはできない。戻らねばならない」と書いて、次にしたいことをするには戻るのが得策だと訴えた。命令として「戻らねばならない」と書いたのではなく、説得したのだ。すべての事情を超えて戻り、ボリビア遠征計画の準備を終えるのが君の義務だと説いたのだ。

彼は密かに戻った。誰にも知られなかった。戻ってくる旅行中も悟られることはなかった。一九六六年七月に戻った。

--変装していたのですか。

C あまりに変装が凝っていたため、指導部の同志たちを昼食に招いた際、とても面白い友人を紹介しようと彼らに言ったほどだ。誰も同席していたチエを見抜けなかった。それほどまで上手に変装していた。

--ラウールは、チエを前にして見抜けなかったのですか。

C ラウールは何日か前にゲリラ訓練場でチエと別れの挨拶を交わしており、昼食会の日にはソ連を訪問していた。昼食会の席にいた誰も、紹介した〈友人〉がチエだとは見抜けなかった。我々には、彼をこれほどまでに変装させ異なる人物に変えてしまう技術を備えた人材があった。チェは、ピナルーデルーリオ州の山岳地帯のある場所にあるサナンデレス農場の家に滞在していた。彼はそこで部隊を組織し、同行する一五人の部下と数カ月間訓練した。彼が選んだのは、志願者ばかりだった。チェはある場所で妻子に別れを告げ、その場所に私も行った。

--部下をボリビアにゲリラとして連れていくために訓練したのですね。

C 何人かは、マエストラ山脈で戦ったゲリラだった。他の者はコンゴでチェとともに戦った。チェは、部下の一人ずつと語り合った。私は、何人かの同志についてチェに異論を唱え、「それはしない方がいい」と忠告した。チェは、仲のいい兄弟二人を別々の班に分けようとしていた。そこで、「この兄弟は別々にしない方がいい。一緒にしておきたまえ」と言ったのだ。二人ともいい戦士だった。私が性格を熟知していた別の同志は立派な戦士だったが、やや理屈っぽかった。そこで何度か注意した。

ボリビアに行った者は全員、優れた戦士だった。「サンルイス大尉」ことエリセオ・レジェスが死んだとき、チェは日記に「汝、勇気ある大尉の小さな姿よ」と記している。この表現は、彼が愛読していたパブロ・ネルーダの美しい詩からとったのだ。チェはレジェスを深く思いやっていた。チェは、そんな人間だった。

彼がまずすべての部下を選び、それから私と話し合った。私はいくつかの提言をしたが、私も知っていたある戦士は、規律面である種の問題があった。これは重要なことだった。だがチェは、彼を立派な戦士だと擁護した。私はチェと、一九六六年一〇月に出発するまで、ずいぶん話し合った。彼は大いなる情熱をもって出発した!
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カストロのチエ・ゲバラの出会い

『フィデル・カストロ』より

--あなたは、ピノス島の刑務所で二年過ごしてからメキシコに亡命し、そこで初めてエルネスト・チエ・ゲバラに出会いました。どのような状況の下で出会ったのですか。

C チエの話をするのは本当にうれしいことだ。チエがアルゼンチンで学生だったころ旅行したのは、誰もが知っている。モーターバイクに乗って国内を回り、次いでチリ、ペルー、ボリビアなど南米諸国を旅した。ボリビアでは、一九五一年の軍事クーデターを経て、五二年に労働者と農民が蜂起して戦い、ラテンアメリカに強い影響を及ぼした出来事があったのを忘れてはならない。

チエは医師として大学を卒業する直前に友人アルベルトーグラナードとともに旅に出て、各国の病院などを訪問し、アマゾン川の畔で(ンセン病の治療をするため留まったが、これもよく知られている。

彼はラテンアメリカの多くの土地を訪れたが、チリはアタカマ砂漠を通ってチュキカマタ銅山に行った。鉱山の労働はきついものだ。マチュピチュ遺跡を訪ね、ティティカカ湖を航行した。いつも先住民族に興味を抱き、彼らと知り合いになった。コロンビアとベネズエラにも行った。ラテンアメリカ諸国が抱えるさまざまな問題に強い興味を持っていた。

彼は学生時代からマルクス・レーニン主義に関心があった。そんなわけで、アルベンス時代のグアテマラに行ったのだ。

--チェは、あなたたちの考えに同調したのですか。

C 彼はすでにマルクス主義者だった。当時はどの政党にも属していなかったが、信念でマルクス主義者になっていた。チェはメキシコで、「七月二六日運動」の幹部だったニコ・ロベスと連絡をとった。ニコ・ロペスはオルトドクソ党の善き慎ましき同志で、急進的で勇気があった。私はロペスにマルクス主義をじっくり説いた。その結果、彼はマルクス主義者になり、バヤモ兵営襲撃に参加した。私がチェに親しみを感じた理由の一つは、思想が一致していたことだ。

--あなたはチェに最初に会ったとき、チェはみなと異なる存在だと気づいたのですか。

C 彼は、みなから親しまれていた。自然な言動、率直さ、仲間意識、人徳から、すぐに周囲の者に親しみを抱かせてしまうのだ。医師であり、メキシコ市にある社会保障庁で調査の仕事をしていた。心臓病かアレルギーか、何を調査していたのかは知らないが、彼はアレルギー症だった。

--喘息持ちでしたね。

C 我々メキシコに亡命した小集団はチエと馬が合った。ラウールはすでに彼と友情を結んでいた。私はメキシコに着いてすぐに彼と知り合ったが、彼は二七歳だった。彼自身が語っているが、我々は一九五五年七月のある夜、メキシコ市のエムパラン通りにあったキューバ人女性マリアトアントニア・ゴンサレスの家で会った。彼が南米を旅行し、グアテマラで帝国主義者の軍事介入の証人になったからには、彼が示す親しみの情には不自然なところがまったくなかった。彼は、キューバでの我々の戦いや、我々が何を考えているのかを知っていた。私は彼と語り合い、彼は我々と意気投合し仲間になった。

彼は、我々の運動にプチブルが混ざっているのを知っていた。また、我々が民族解放革命、反帝国主義革命を志しながら、社会主義革命を想定するには至っていないことも察知していた。だが、このようなことは障害にはならず、彼はすぐに同志になった。

--彼は、遠征に参加することになったのですね。

C 彼は、「キューバ革命が勝利したら、私が革命闘争を始めるためアルゼンチンに行くのを国務を理由に禁止しないでほしい。これが私のたった一つの願いだ」と言っただけだった。

--彼の祖国で戦うということですか。

C そう、彼の国でだ。そう言ったのだ。我々は、初歩的ながら堅固な国際主義者の政策をすでに実行していた。ボゴタでの行動、反トゥルヒーヨ闘争、プエルト・リコ独立支援、パナマ運河返還運動、アルゼンチンのマルビーナス諸島領有権支持、カリブ海欧州植民地の独立支援などに我々は関与していた。我々は単なる実習生ではなかったのだ。チエは、我々を完全に信頼した。私は「了解した」と答え、この件についてそれ以上話し合う必要はなかった。

--彼は、あなたたちと一緒に軍事訓練をしたのですか。

C スペインのアルペルト・バヨ将軍による戦術学習に参加した。将軍は、独立前の一八九二年にキューバのカマグエイで生まれ、一九二〇年代にはスペイン軍航空部隊の一員としてモロッコで戦い、スペイン内戦では共和派軍将校として戦って、メキシコに亡命していた。チェは、戦術教室にはすべて出席した。バヨは、「いちばん優れた生徒だ」とチェを評価していた。彼ら二人はチェスの愛好家で、メキシコ当局に逮捕されるまで滞在していたキャンプで毎夜、チェスに興じていた。

バヨの指導は、ゲリラは敵の包囲網をいかに破るかという教育の域を出なかった。それは、モロッコのゲリラ、アブドゥ・エル・クリムがリフの戦いでスベイン軍の包囲網をいかにかいくぐったかというモロッコ戦役での経験に基づいていた。だが戦略家ではなく、ゲリラが陸軍に発展し他の陸軍を撃破するという、我々が抱いていた中心的な発想に至ることはなかった。
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OCRした10冊

302.2シ『10年目の真実 9・11からアラブの春へ』

 10年目の真実
  「皆がオサマだ」民衆革命のシンボルとなったカイロの夕ハリール広場。二〇一一年八月。
  9・11から間もなく一〇年になろうとしていた頃、この広場を占拠していたのは、数万人という圧倒的な数のイスラム勢力だった。地響きのような掛け声が一斉に上がっていた。「イスラム国家! イスラム国家!」

 論争
  9・11から一〇年。何かのめぐり合わせを感じながら、私はカイロにいた。
  
100トダ『哲学入門』

 人生の意味--むすびにかえて

 ↑すべては決定されているんだから、人生に意味なんてないよ

 ↑「意志的努力」の価値

 ↑俺たちただの進化の産物だし、その生に究極目的なんてあるわけないもんね

 ↑人生は、短めの目的手段連鎖の集まりである

 ↑この大宇宙の中で、ちっぽけな僕らの生に意味なんてあるのでしょうか……

 ↑なぜ人生が無意味に思えるのか

 ↑アイロニカルな笑みをたたえ、ジタバタ生きる--デフレ的な人生の意味

159イシ『「なりたい未来」を引き寄せる方法』

 もっと自分中心で生きでみよう

 無意識には「よい悪い」の判断など存在しない

 「強制すること」が目的にすり替わっていないか

 未消化の感情を解消しなければ前に進めない

 無意識が引き起こす「復讐合戦」の顛末

 「自分中心」になれればプラスの実感が増えていく

486.7ミ『ミツバチの会議』 2014/03/24 4:01 午後

 分蜂群の知恵

 教訓一 意思決定集団は、利害が二致し、互いに敬意を抱く個人で構成する

 教訓二 リーダーが集団の考えに及ぼす影響をできるだけ小さくする

 教訓三 多様な解答を探る

 教訓四 集団の知識を議論を通じてまとめる

 教訓五 定足数反応を使って一貫性、正確性、スピードを確保する

188.52コミ『空海を読み解き事典』 2014/03/24 4:05 午後

 空海と現代

304サ『災後のメディア空間』 2014/03/24 4:13 午後

 「ナチスの手口に学んだらどうかね」--デマゴーグ演説の条件

 絶対悪の手口を学ぶ?

 ヒトラー演説は「絶対の宜伝」か?

019.9タチ『読書脳』 2014/03/24 3:50 午後

 「読書の未来」石田英敬(東京大学附属図書館副館長)×立花隆

 デジタル・メディアは注意力を分散させる

 モノとしての本

 若いときには知的な背伸びを

 電子書籍は紙の本を殺すのか

 東大の「新図書館計画」

 全教員の著作をデジタル化

 ヴァーチャルなアレクサンドリア図書館

 「東大レコメンド」というシステム

 ソーシャル・リーディング

 デジタル・キュレーター

 反キリスト、黄禍論、大英帝国

 マラルメ、モスクワ攻防戦とソルゲ、右翼ざ公安警察

 Nintendo、プリウス、そして絶頂

342.1イシ『国家と財政』 2014/03/24 3:00 午後

 地方分権のフレーム

 地方分権の基礎理論

  集権か分権か
  地方公共財の特性
  ティヴーの「足による投票」
  行政サービスと「足による投票」

 地方分権システムの成立過程

  単一の行政区モデル
  複数の行政区モデル
  中央政府の形成ヘ
  分権化定理とその制約

 わが国における地方分権の議論

  戦後の改革の動向
  政府の規模と市町村合併
  三位一体改革とその結末
  地方分権推進へ向けての基礎条件

 アメリカとカナダの地方分権-寸描

  カリファルニアの納税者反乱
  アメリカ地方自治の原点
  カナダの経験に学ぶ

686.2タネ『世界の鉄道』 2014/03/24 4:32 午後

 第2次世界大戦中の鉄道の役割

 ドイツの高速鉄道〈ICE〉

 〈シベリア横断鉄道〉

289.3カス『フィデル・カストロ』 2014/03/24 12:07 午後

 はじめに--フィデルとの一〇〇時間

 チエ・ゲバラ
  出会い
  非正規戦争
  メキシコでの逮捕
  スターリンの過ち

 チエ・ゲバラの死
  第三世界外交
  米州版マーシャル計画
  革命支援
  性急だったチェ
  アンゴラ遠征
  「別れの手紙」
  ボリビア遠征
  レジス・ドブレ
  有害な確執

 今日のキューバ
  人権問題
  経済封鎖非難決議
  医療・保健支援
  報道の自由
  テロリズム
  国連改革
  イラク戦争
  グアンタナモ基地
  ブッシュの〈脅威〉
  全人民戦争戦略
  核兵器
  地雷
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EU2020

EU2020

 EU2020は何しろ、成長です。成長させることで雇用を拡大させる。元々、体制の異なる国を入れ込んだために、混乱をもたらした。もっと、ローカライズしないといけないけど、EUはあくまでもグローバルです。

 戦略として、成長させるために、中をかき混ぜるというカタチになっています。市場をよりよく働かせる政策。

 EUは超国家らしく、欧州横断ネットワークでもって、運輸・通信・ネットワークの三つのインフラを強化する。ローカルでの影響がどうなるか? Think GloballyとしてのEUはいいけど、Act Locallyに指令で通じるかどうかです。

 オンラインショッピングという制度をやった時に格差がどうなるか。地域のメリットをどうするのか。単一での市場でのアンバランスは拡大される。

 欧州市民権の強化が社会の位相化を促すものです。欧州市民が直接、EUの政策決定過程に参画する。参加民主主義というものを代表民主主義に対して、それを提唱します。

 欧州消費者アテンダント、消費者の市場構造において、国を超える。ネットショッピングを誘致させることで、活性化を図る。更なる低価格、そして、商品が行き来すること、消費者としての権利を保護すること。ショッピングのサイトになります。

 ここから入っていくのでしょうね。だけど、もっとシェアの概念wの明確にしないといけない。共同消費でもいいけど。ドイツを旅行した時は、国を超えて、カードで決済していた。アーヘンのホテルの時だけ、現金が必要だったけど、車内決済を含めて、全てカードで対応できた。中国製品に対しても、EUとして対応していくつもりです。玩具の85%が中国製です。

 EUはシャアに対して、対策を打たないのか。1/4が貧困層にあり、1/10が完全にドロップしています。

 生涯学習も大人の15%を目標にしています。生涯学習してどうするのかは、まだ合意されていません。

今は何をしたらいいのかを考えている

 自分のためだけに動き回る人間はどっち道、滅びます。

社会的性格

 リースマンにおける近代社会の分析。中世は伝統志向型、これはいいけど、近代社会は内部指向型。新しい知識や技術を基にして、理想や野望に従って動く。現代社会に至って、変容してきた。

 社会の変化は極めて激しく、また多様である。そんな社会では遠大な理想や新年に基づいた行動は方向を間違ったり、見失ったりする。したがって、周囲の人たちの考えや行動、世の中の動向を把握するための情報に注意を向けて、その要請に従って動く。これを他人指向型と呼んだ。

 他者とのコミュニケーションの重要性を自覚して、実践していることになるけど、孤独な群衆になる。

パートナーからの相談

 お昼と夕方の二度、あった。

 狭い範囲のなかで、答を求められている。本質な部分を明確にしようとすると、障壁が発生する。いずれのこと絵も表面なことを言わされるカタチになっている。ここにいては、潰されるだけだという思いが湧いてくる。

 何度目かのエポックポイントがやってくる予感。
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『10年目の真実 9・11からアラブの春へ』より
「皆がオサマだ」

民衆革命のシンボルとなったカイロの夕ハリール広場。

二〇一一年八月。

9・11から間もなく一〇年になろうとしていた頃、この広場を占拠していたのは、数万人という圧倒的な数のイスラム勢力だった。地響きのような掛け声が一斉に上がっていた。

「イスラム国家! イスラム国家!」

イスラム勢力を徹底的に弾圧してきたムバラクという重いふたがはずれ、イスラムの国づくりを求めて大集会を繰り返していた。

演台に上がった男性が、マイクを使って絶叫した。

「もしアルカイダがいなかったら、この世は異教徒に支配されてしまっただろう!」

これまで抑えつけられてきたイスラム勢力の中の過激な思想を持つ人々も、公然と自分たちの主張を訴えるようになっていた。再び、大きな掛け声が上がった。

「我々はビンラディンと共にある!」

「アメリカよ、写真を撮ってくれ! ここにいる皆がオサマだよ!」

三か月ほど前に殺害されたオサマービンラディンの肖像画を高々と掲げる人たち。独裁者が追放され、民主化に歩みだしたエジプトで、ビンラディンヘの支持を訴える人たちが、これほど大勢いることに驚かされた。

私が駆け出しの記者だった頃、よく大先輩の記者に言われたことがある。

「ニュースの後に、ニュースあり」

記者は日々の新しい動きを追いかけ、ニュース取材に追われる。少し立ち止まって、以前取材したニュースの現場をもう一度取材してみると、そこに新たなニュースが見つかる。その立ち止まるタイミングは様々であろう。一週間後、一か月後、一年後かもしれない。NHKは、こうした節目の取材をとても大事にしている。

東京で中東取材の指揮を執るデスク、鴨志田郷からカイロ支局に電話がかかってきた。大きな節目となる、9・11から一〇年目の取材についてだった。鴨志田自身、エルサレム支局に駐在中、中東で起きる問題の根源でもあるイスラエルとパレスチナを取材し、ロンドンにいた時には7・7を経験している。9・11から一〇年目の節目には、強い思い入れがあった。

「9・11から一〇年目に、アラブの春が中東に吹き荒れるのは本当に興味深い。ビンラディンは死んだけれども、もう一度、9・11を検証してみようよ。イスラマバード支局で取材したことから何かつながらないか」

全く同感だった。鴨志田に背中を押され、私は、カメラマンのムスタファと共に、イスラム勢力が集まる夕ハリール広場に向かった。
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空海と現代

『空海を読み解き事典』より

空海が誕生したころの日本では、国家の支援をもとに建立された奈良の寺々を拠点に、中国からもたらされた経典の研究が行われていた。とにかく仏教の知識を吸収することを優先する時代であり、難解な教学をしっかり理解し受けとめることが、僧侶に課せられた仕事であった。そのため、人々の救済を行う宗教活動はどうしても不十分となり、仏教はまだ、救いを求める人々の生きる支えとはなっていなかった。

奈良仏教と呼ばれるこのような学問仏教に対し、社会の要請に応えようとして実践する僧たちもいた。山岳修行者と呼ばれる僧たちである。彼らは山岳に分け入り、深い宗教体験を得ようと修行実践に励んでいた。山岳修行で得た呪力を駆使し、無病息災などの現世利益を願う人々に、福徳を与えようとしたのである。しかし彼らには大きな課題があった。それは、彼らに確立した教学がなかったことである。

こうしたなか、新たな仏教の必要性を感じ取った空海は、唐に渡って密教を学び、日本に密教を伝えた。密教はまたたく間に日本に広がり、平安時代の仏教は真言教学として体系化され、密教一色に染められていった。

密教普及の原動力となった教学が、空海の提示した曼荼羅理論であった。曼荼羅とは、言葉にできない悟りの世界を図像に表したものである。曼荼羅は、大日如来を中心として、その周囲に如来・菩薩・明王・ヒンズー教の神など、あらゆる存在が描かれる。これらは異質な存在がそれぞれ個性を主張しつつ、互いに関わり合いながら、全体として調和している。

曼荼羅理論は、総合的な視点から個と全体との関係性を示したもので、「個性を尊重し調和をはかる」ことを意図している。つまり曼荼羅理論自体が、当時の日本にあった信仰や思想のすべてを包み込んで位置づける、柔軟な論理構造を有していた。つまり、曼荼羅理論であればこそ、奈良仏教の様々な教学をはじめ、山岳修行者の実践や、日本の神々の信仰、あるいは儒教や道教までも包含し、これらを体系的、有機的に結びつけることができたのである。この曼荼羅理論は、明治維新まで続いた仏と神との連携をはかる神仏習合の歴史をも支えてきたのである。

空海の著作『十住心論』は、様々な人間のありようを総合的な視点から考察している。ここでは、当時の代表的な思想を十段階に分け、密教以外の諸宗教を顕教ととらえ、密教とは区別する。しかし、それは他宗教を批判し自らを高く評価することではない。すべては大日如来の働きであり、顕教もまたその働きの一つとして曼荼羅の一員とし、密教のうちに取り込むのである。

曼荼羅理論は、すべてをやみくもに統合するわけではなく、そこには共通した理念が必要である。自分の考えを押しつけることではなく、個々の存在意義を尊重しつつ、全体を見据え、思考するところに特徴がある。だからこそ曼荼羅思想は、神と仏という異教の者同士であっても、争うことなく和合連携するのである。

空海は、曼荼羅理論をもって諸思想を包含し、体系化し、人々に和合連携の大切さを説き、これを日本人の精神の支柱とすることをはかった。日本人の精神性は、こうした和合連携の思想のもとに高められてきたのである。

このような精神の根源をたどれば、遠く「縁起の法」に行き着く。「縁起の法」は自己を主張するのではなく、他者を尊重する教えである。つまり差異をあげつらうよりは、共通点を探ることを大切にする考えである。そしてこの理念を、総合的な視点から組み立てたものが、空海が主張する曼荼羅理論である。

人間はだれも一人で生きていくことはできない。私たちを取り巻く環境がある限り、他者との関係性を否定することはできないのである。私たちは常に、ある関係性のなかに生きており、その意味では曼荼羅に似た世界のなかにいると考えられる。家庭には家庭の、国には国の、世界には世界の、曼荼羅的宇宙が広がっている。しかしそれを曼荼羅と称するには、そこに共通の理念がなければならない。曼荼羅の理念は、他を優先する心、すなわち「慈悲」にほかならない。

今や世界はいよいよ狭くなってきている。世界には多くの民族があり、宗教がある。それぞれの違いは個性であり、それぞれに存在意義がある。そこに共通の理念を持つことができれば、曼荼羅が成立するのである。

空海が望んだのは、多くの人々がともに幸福に生きる曼荼羅世界の実現であったのではないかと、私は考えている。
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