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所有からシェアへの意味

ウクライナ・クライシスの方向付け

 今回の未唯空間のロジック整理の中で、ウクライナ・クライシスも方向づけましょう。そのために、どのようなシナリオにしていくかです。国民国家形成のところも、明確にしていきます。

 ポスト国民国家は未唯空間の歴史編で考えます。どこに入れるかを確認します。GGの超国家とどういう関係にしていくかです。ロシアが超国家になるためには、ロシア事態を分化させることです。

所有からシェアへの意味

 持続可能なためには、所有からシェアに持って行かないといけない。因果関係としては、所有することはモノづくりと同等です。だから、モノづくりから脱却することです。所有の時に、全員が持つことを理想として、コスト計算することはなくなります。ようするにそれでは、持続可能できないからです。

 どういう観点からいくかというと、使うという観点です。そこさえ、一緒ならば、別に持たなくてもいいです。皆が洗濯機を持って、回すのか、それともコインランドリーにするのかということを超えた次元の問題も作っていくことです。

 クルマというモノと公共交通機関と軽車両とさまざまなモノがあるけど、持つことを前提に考えると答えが出てこない。インフラに掛ける負荷が大きすぎる。持たないことをベースにすれば、使うことに対して、サービスをどうしていくのか、そこでどのように人と循環させるのか。

 高度サービスでも同じですけど、コーヒーで気持ち良くなりたいために、自分でもって研鑽するのにお金を使う。それはほんの一部でいいです。その結果でどうやって、皆に幸せをもたらすのか。

シェアを持続させるには

 ある意味では、快適さの価値観をどう変えるかということもあるけど、それが持続しないと意味がない。共産主義的なカタチでは意味がない。作るという面で、資本家という敵を作って、それでやった。それで何が幸せになったのか。平等になったのか。税金にしても、集めたものを皆に現金で一律配った方が幸せになれるかもしれない。

 ただ、維持するためには能力が必要になってきます。皆を前向きにするためにはどうしていくのか。そこで一番、必要なのは、マーケティングでお互い様という感覚でしょう。お互い様にするためには、範囲を狭くしないといけない。見えないとダメです。どこかの誰かが作っているものを使っていてはダメです。

スタバのチームプレー

 昼は順番を守って、Iさんに当りました。入店する前に、店長を見かけた。店長からIさんには来るからと伝えたらしい。

 うまいタイミングで、チームが動いています。Iさんとはすれ違いになるところで、カウンターに一人入って、前の人を誘導しました。あとから考えると、何となく、仕掛けられた感じです。

オスマン帝国の軍事奴隷制度

 オスマン帝国は軍事奴隷制度を完成させ、世界の大国へ台頭した。それまでは、イスラムの帝国への軍事奴隷の供給源だった。その意味で、オスマン帝国は、イスラムの結果です。軍事奴隷制度で、民族を超えて、帝国になりえた。その辺がモンゴル帝国との違いですね。

 軍事奴隷制度は部族社会にしたままで、隷属的な組織をつくるモノである。軍事組織というものを地場と離れて作るというのは、国民国家とはまた、違うスタイルです。

 最終的には、第一次世界大戦で国民国家にオスマントルコは敗れた。軍事組織が故に、地位の相続原理を否定してきたことがほころんだ。それがオスマントルコ衰退の原因。総動員の国民国家に、軍事組織も勝てなかったということと、ヨーロッパの武器には勝てなかった。

 その意味では、家族という制度に対して、軍事力でやったと同様なことを、キリスト教はカトリック境界において、それを行った。何となく、文化大革命をみているような感じです。歴史のアナロジーは面白いですね。同一な現象から差異に入り込めます。

 ギリシャの時代に、アテネとスパルタで二つの典型がギリシャの時代に作られていた。オスマントルコはスパルタです。子供は家族から離して、国家に従属させる。本当の継承者はナチのヒートラー・ユーゲントですけど。

家族主義と個人主義

 中国・インド・中東は家族主義です。ヨーロッパは個人主義です。ヨーロッパでは個人の上に国民国家が契約のカタチで国民国家が作られた。それに対して、中国は家族主義が中心で国民国家も異なるカタチで作られた。

 毛沢東の時になって、初めて、個人と国家がつながったのかもしれません。家族というのは面倒くさい組織です。それが中間に挟まることで、歪みます。どっちが歪んでいるか分からないけど。
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天安門事件での小平の強さ

何となく、浮ついている

 根本を考えないといけないという気になっています。

 この組織、その気にさせられている世界は何なのか。

 名古屋の人間は仕事という名の暇つぶしを行っている。

コンパクト空間のあり方

 コンパクト空間はどうしたら維持できるのか。開であり、閉である境界をどう定義する。

 人類という、自分の役割をもっていない人間がかなり存在するところでどう維持するのか。その前提ならば、維持することなしに、カオスの状態に置いておけばいいです。

 今、カオスからいかに立ち上がるか、陥るかの分かれ目でしょう。そこでの正義はあるのかどうか。

天安門事件での小平

 小平は6.4であんなにも、曲げずに行動できたのか? 20万人を犠牲にしても守ると判断したのか。その理由は赤軍を指揮して、戦ったことと関係します。あの時の20万人はどこから出てきたのか。多分、対日戦争の経験から出てきたのでしょうか。

 習近平にそれができるかどうか。彼が持っているのは、紅衛兵時代の冷遇経験です。忍耐力がどう反映するのか。

 革命での戦略は参加させるけど、考えさせない。中央集権の官僚制を引き継いだ共産党の一つの答えです。

 同じ1989年に起こった、ベルリンの壁崩壊との比較。市民が自分の国家の実態を知ってしまった以上は、それは壁では封鎖できない。中国の場合は、自分たちがどこの位置にいるのか知ることもできない。だから、それを一番気にしている。

ひょんなことから結婚

 Iさんはひょんなことから結婚したと言っていた。そのひょんなことを聞いてみましょう。今日は、名鉄のμ'sカードから未唯の話が出来ました。μつながりでそんな話になった。

 セブン・イレブンのキャラメルドーナッツは3月になって、メニューが変わったみたいです。二度、探しに行ったと言っていました。

店舗コミュニティから汎用化

 未唯空間の8.5を変えます。といっても、店舗コミュニティの固定せずに、地域コミュニティとか図書館コミュニティなどとポータルとの関係にも広げます。そのためにどういう機能が必要なのか。

 このロジックで言うと、最終的に個別対応がポータルとつながります。コミュニティがありながら。売るだけなら、ある一定の範囲のお客様を回していけばいいだけど、使うとなれば、常時、つながっていないといけない。個別をしながら、全体を効率にしていくのかが、コミュニティとポータルの役割です。

 サービスの高度化は、結局は、グループに居ながら、個別の対応ができること。相手を知り、自分を伝え、そこでサービスできること。そこでの効率のメジャーは異なります。

存在の力と分化の関係

 環境社会は数学的な循環型社会です。それで配置が決まります。あとはどのように循環させるのかということと、ローカルから始まる循環は新しい民主主義です。

 存在の力と市民の分化との関係は存在の力の方が先です。何をするために生まれてきたかで、自分の関心事を幅広く行っていくと同時に、焦点を絞っていく。そこから役割を求めていく。それが市民の分化です。

 コミュニティにおいては、危機感が先です。今のままではダメだし、底辺から変えていくという危機感から地域改革を市民に求める、というループです。抱け合わせで、地域をコンパクト化するというところから、地域の独立に向かっていく。まだまだ、これは推敲が必要です。
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