日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

写生大会

2014年05月21日 | 回想

 
 この季節には何度か錦帯橋と吉香公園を会場にした新聞社主催の写生大会が開かれる。この日も、実に多くの園児・児童・生徒らが画用紙に向かっていた。低学年以下には親の付き添いも多い。その親たちは子ども以上に熱心で、子どもそっちのけで写生の世界に没頭している姿もある。その絵を子供がのぞき見している。珍しい光景ではないが、愉快な一コマ。やはり錦帯橋を描く子が多そうだ。

 息子について何度か写生大会に行った。5連の橋を描けば錦帯橋と分かってもらえるので、いつも橋の下流から眺めた構図にさせていた。ただ、子どもの描くことに口出しはしたが手出しはしなかった。中学校まで図工で絵には多少の自信はあった。だから手を出せば賞になったかもしれないが、それは子どものためにならずと眺めていただけ。そのためか息子の絵は受賞したことはなかった、と思う。

 私は写実派だった。小学生の時、放課後、吉香公園の錦雲閣を描くのに1週間くらい通った、図工教室で何日も続けて静物を描いたことなどを記憶している。画用紙は画板一杯くらいの大きさだから子ども的にはサイズは大作だった。打ち込めたのは図工教諭の指導が楽しかったのかもしれない。そんな絵はどこにいったのだろうか。

 クレヨンからクレパスそして水彩用絵具、学年が進むにつれ絵が面白くなったように思う。そんなことを思い出しながら写生中の絵を立ち止まって眺める。画用紙一杯の灯籠や錦帯橋の橋脚だけなどの大胆な構図は面白い。沁みるような新緑を切り貼りしたかと見間違うようなやさしい絵など見飽きない作品が出来つつある。そんな絵心をいつまでも持続し故郷を見つめて欲しい。 
 
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少ない卵塊

2014年05月20日 | 自然 季節


 モリアオガエルの続き。卵塊が鈴なり、そんな記憶しか残っていない六角亭池の周囲、今は水の少ないせいか探すのに苦労した、とは少しオーバーだが、合わせて10個あまりしか確認できなかった。吉香公園一帯で写生大会が開かれていた。池の周りにも何人かの中学生が画用紙にむかっている。薄い黄で和紙の袋に似た卵塊を何か知っているかと生徒らに訊ねてみたが、誰も知らなかった。

 カエルは産卵の時期になると城山からこの池の周りに集まる。冬眠から覚めたヘビもそのことを良く知って待ち構えている、生態撮りの人に教えられた。危険を冒しても子孫を残すために池の畔へやってくる。人口減少、少子化に悩んでいるこの国の中で、永遠と変わらぬ生き物の世界に関心する。

 モリアオガエルに興味を持ったのは数年前、広島市内の小学生がお父さんに連れられて紅葉谷のモリアオガエルを観察に行っている、という投書を読んでから。卵塊という言葉は後で知ったのだが、初めてそれを見た時、その奇怪というか異様というか、かわいさは露ほども感じなかった。慣れてくるとそれは命の詰まった袋のように思い始めた。

 子どものころ田んぼで見かけていたカエルの卵は透明でヌルヌルした寒天状の中の丸い黒いもので珍しくはなかった。やがて、夜になるとカエルの大合唱が始まる。夏の風物詩の一つだった。田園の中に道路が作られ市街化してくると大合唱は途絶え、変わって車の騒音と排気ガスがやってきた。うるさいと思った大合唱、今は懐かしい思い出だ。

 今年の卵塊が少ないのでこれまで撮っていたファイルを開いてみた。水面に近いツツジの枝、結構な高さの紅葉の枝などあちこちにぶら下がっている(写真)。今年も多くの卵塊が見られることを願っている。
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おたまじゃくしのピンチ

2014年05月19日 | 自然 季節


 吉香公園の紅葉谷にある六角亭そばの池ではモリアオガエルが誕生する。3年くらい前、この池のほとりで、このカエルの生態は勿論、卵塊からのおたまじゃくしの誕生などをを撮り続けているという人の話を聞いた。「産み付けられた卵塊から10日ほどでおたまじゃくしが誕生」、「おたまじゃくしの尾が消えたらまもなく城山へ上っていく」。水辺を住処にしないカエルもいることを知った。

 卵塊の見れる季節になったので紅葉谷の新緑の中を六角亭に足を運んだ。池に浅い水たまりが2、3カ所あるだけで水はゼロに近い。池の体を成していない。しかし、浅い水たまりには何千というおたまじゃくしがひしめいている。押し合い圧し合いしているように見えるが、押されてその先へ進もうにも水の干上がった底が乾いて白く輝いている。そんなおたまじゃくしは結構大きくなっている。

 赤い六角亭が池の水に映る風景は絵になる光景で、カメラを向ける人も多い。池への水はどこから供給されているのか知らないが、このままではカエルになれないおたまじゃくしがいるかもしれない、モリアオガエル、個体数は安定しているが国際自然保護連合のレッドリストの軽度懸念の指定を受けている。日本では15県でレッドリストの指定を受け、山口県は準絶滅危惧種にされている。

 生息数を減らせている理由の一つに生息地の森林などに人の手が入り環境が変化したことによるという。六角亭は城山のふもとにある。城山は標高300メートル、吉川広家が入国以来斧を入れぬため原始林化しており「自然休養林」の指定を受けている。常緑広葉樹に包まれた城山の麓はモリアオガエル保護の最適な地と思う。明日は雨の予報、期待している。
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漢詩展

2014年05月18日 | 生活・ニュース
       

 「やさしい漢詩展」の案内状を知人から手渡しされた。知人は「漢詩の同好会で学んでいる、厳しい指導だが創作はたのしい」そんな話は聞いていた。案内状をもらい、広辞苑で漢詩の意味を調べた。「中国古代の詩。漢字でつづった詩。和歌に対する呼称。平仄(ひょうそく)・押韻などの規則がある。古詩・楽府(かぶ)・絶句・栗詩・排葎などの種類がある」。理解の道は混乱するだけ。漢字でつづった文章は高校の国語で習った漢文だけ、それでも「後学のために見ておこう」と出かけた。

 受付で渡された作品一覧の表紙に岩国検定でも話題になった「釋月性」の画像が描かれていて、厚い壁と思っていた漢詩への思いが少し薄くなった。最初に目にした作品はその「釋月性」の生まれた妙円寺を訪ねられた時の作品が並ぶ。作品に使われている語句の真の意味は解せないし、返り点もない。しかし、そばに漢文で習ったような読みがつけられていて助かった。

 他にも訪れた由緒ある地、身近な景勝地などが作品となっている。作品は1行7文字で4行の28字、使われている漢字それぞれには意味があり、その集合体として詩になって奥深い味わいがあるようだ。訪ねた時の写真や絵が背景にあり作品への趣を増してはいるが、やはり難しそう、そう感じるのは漢詩初めての者。

 「現代社会(パソコン)においてとかく漢字文化に疎遠がちな今日、漢詩を通じて色々な言葉を知り、歴史や自然の情景を伝えたいという願いから開催した」と主催者。漢詩は目にしたままだと硬さを感じるが、風景や身近な出来事が作品の題材になっている。私も短いエッセイを書いて楽しんでいるが、そこに共通点のあることを知り70作品を鑑賞した。写真は妙円寺を訪ねた時の知人の作品。

 
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県境の橋

2014年05月17日 | 地域


 山口と広島の県境を流れる1級河川にかかる橋、「運転して県境を超えるのは何年振りだろう」と思いながら進む。橋の中央で「広島県に入ります」とカーナビからの声。長くご無沙汰だったが県境を忘れてはいなかった。広島県内に入る。見慣れた片側1車線のRー2が北方へ向かって伸びている。

 県境の橋、補修、補修を繰り返し維持されていたが架け替えることになった。工事の開始はニュースで聞いていたが、下流の迂回路橋を通るのは初めて。強大なクレーンが仕事をしている。大型のトラックが小さく見える。瀬戸内コンビナートに隣接するR-2は物流の動脈であり、通勤の重要な道でもある。

 隣の県といっても我が家から車で10数キロ走れば県境。定年までは県境の橋のたもとまで通っていた。工場は県境を挟んで操業しており橋はよく利用した、というか唯一の交通路で、1日に複数回行き来することもあった。思えば懐かしい橋の一つだろうか。

 その橋、名前は「栄橋」。1942(昭和17)年3月に竣工したいうから72歳と少々、劣化が進み大規模地震には耐えれなくなったため架け替えというから、我が歳と比べ納得するとこ多し。完成は2年先、名前の通り地域がさかえ繁昌する架け橋となって欲しい。
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曲がり角で

2014年05月16日 | 地域


 カーブミラーは道路の曲がり角などの見通しを助けるために設置されている。確認をすれば一応安心して角を曲がったりカーブを進む。これは運転中は勿論、歩いているときも同じ。ところが思わぬヒヤリに出くわした。

 軽自動車の離合もままならぬ裏通りのT字路。私はT字の縦の道の右側を歩いていて右に曲がるためカーブミラーを見た。何も確認できなかったのでひょいと曲がりかけた。すると T時の横の道から左側通行の自転車が、これもひょいと左折してきた。危ない、道の直角の位置で足を止めた。自転車は若い女性の運転で衝突はしなかった。

 よく通る道なので我流で検証してみた。カーブミラーの設置方法は車の運転者には好都合な位置や高さかもしれないが、歩行者はどの位置でミラーを見るかで、見えない道路部分の状況は完全にはつかめない、そんな結論を出した。大人と子どもの目の高さ、カーブミラーから見えない部分の確認すをる位置までの距離など、潜んだ課題があるように感じた。

 歩行者はカーブミラーで確認しても曲がり角では急がない、走って飛びださないことが身を守ることになる。車も同じことだ。年中、周囲を見回しているがそれに万能を求めてはいけない。安全確認の道具として利用する。
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ひとつでも「はい」があれば

2014年05月15日 | 社会 政治


 一人住まいの高齢者を狙った特殊詐欺被害が連日報道される。今年は、3月までで昨年の同期に比べ件数で15.4%、被害額40.6%それぞれが増加しているという報道がある。振り込め詐欺は「オレオレ、架空請求、融資保証金、還付金」の各詐欺のこと。振り込め詐欺以外の詐欺として「金融取引名目、ギャンブル必勝法情報提供名目、異性との交際斡旋名目、その他の特殊」詐欺がある。両方を合わせて「特殊詐欺」と呼ばれている。老後の資金から数百万円から数千万円、先日は億円に達する被害もでた。

 ある金融機関のATMそばに被害防止を呼びかける背丈ほどの高さの立看がある。「あなたのお金を守るチェックリストです。振り込む前にまずチェックを!」と誘う。「はい、いいえ」で答え、ひとつでも「はい」があれば、振り込む前にまず相談をとある。そのチェック内容。

 ・会社からの勧誘で、社債・社員券(金鉱山等を扱う会社)、リゾート券、仏像、水源地権など購入
 ・会社からは「儲かる」「高価で買い取る」と言われた
 ・メール等でサイト利用料や延滞金を支払うよう催促され、支払わないと法的措置をとる等と言われた
 ・この振り込み(引出)は息子や孫から電話で頼まれた
 ・息子や孫から「電話番号が変わった」と連絡があった
 ・息子や孫の変更前の電話番号に確認していない
 ・振り込み先は知らない人の講座である
 ・急いで振り込み(引出)をしないと息子や孫が困る

 息子や孫の声はまだ聞き分けでき、合わせて番号表示で確認している。 だから俺は大丈夫、そう思っていても被害にあうという。国内経済活性化の一つに高齢者の老後資金を活用する話は良く聞く。詐欺被害の報道を知るたびに「金持ち高齢者」を犯人はどういう方法で把握しているのか疑問に思う。何かあったら「ひと息」ついて考え、そして行動に移ろう。
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個人のバラ園

2014年05月14日 | 生活・ニュース


 バラを育て咲かせるのは難行。ましてやそれらを見てもらうとなると、さらにいくつもの工夫を重ねることになる。バラ大好きな人からの耳学問。その疑似体験を3年くらい続けている。庭にある2鉢2本のバラの水や肥料やり、支柱を立てたり枝切りをしたり消毒など格闘してる。それでも感謝の意を示すように咲いてくれる深紅の色に癒される。だから、しぶしぶでも続くのだろう。

 そんな手のかかるバラが庭に咲いている。そこには地植え鉢植えなど20種類100株近くがそれぞれの花色を誇っている。咲き終わったそのそばで新しいつぼみが幾本も開花準備をしている。ブログで知るご夫婦それぞれの役割分担が花となって咲いている。

 そんなバラ園を眺めながら親しい仲間がガーデンチェアに座ってコーヒータイム。話は花やだんご、エッセイへと広がる。第1回例会の資料が登場し「エッセイとは」の項を聞く。例会で繰り返し教わっているが、バラ園というオープンな雰囲気で耳にすると、エッセイを書くのは面白いことだと思い直す。老いる頭にストップをかけてくれる気がした。

 「綺麗な花には棘がある」という。解説によると「美しい女性には裏がある」という慣用句で花はバラという。バラには表皮の変形した棘がある。それは先端がとがって硬い突起になっていて、直接に触れる、それも不意にそうなると剛の者でも声を出す。慣用句はバラの美しさを妬む側の発信かもしれないが、我が身には無縁の話。午後から雨、これで今日の水やりはナシ、バラのそばでは絶対に口にはしない。
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むすび

2014年05月13日 | 生活・ニュース


 「コメの生産者や農業団体が、お母さんに感謝して『おにぎりを握ろうー』と呼びかけている。この企画はコメの消費拡大に加え子供たちに料理の楽しさを知ってもらおうが狙い」、母の日のブログで紹介されていた記事。カーネーションと一緒に贈ると書いてある。母の日に地産地消、米の力で地元の活力を生み出そう、そんなことが思い浮かぶ。小さな子でもその手に見合ったものが握れる。それも楽しんで作れるのではと思う。もらったお母さんは勿体なくて食べるのに躊躇されるかも。

 御握りは「握りめし、おむすび」、御結びは「握り飯のこと」、握り飯は「握り固めた飯、むすび、おにぎり」とその違いがある(広辞苑)。今は冷めても美味しいと評判なのはコンビニのむすび。加える調味料の工夫が効果を出しているという。ある人は、コンビニむすびは決してお粥に変身させるなという。表面に調味料で加えた油が浮き出るらしい。試していないので分からないが、品質表示から証明出来るそうだ。

 国道187号線を川沿いにおよそ1時間、上流の町へパソコンの講座で毎月2回、2年くらいくらい仲間と通ったことがある。その時、昼食用にコンビニのお握りも何度か利用した。1回に2個もあれば十分、毎回2種類なので、全種類というわけにはいかないか、品選びはそれなりに楽しんだ記憶がある。大方は期待通りの美味で合格点だった。パリパリの海苔が新鮮さを感じさせていた。

 子どものころは調味料など入っていない、普通に炊いた飯に黒ゴマ塩で握ったむすびだった。季節によりその中心に梅干しが入っていた。豆ごはんや炊き込みごはんで作ったむすびは、ゴマ味とは違って豪華なむすびだった。寿司は飽きるがむすびは飽きない、そんなことを思いながら広げられた手作りの弁当から海苔の巻かれた三角むすびをつまんだ。
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雨の日

2014年05月12日 | エッセイサロン


 少し遅れたが予報通りの雨になった。昨日、予報の「雨」を信じてカラカラに乾燥した畑にを鍬を入れ、仲間と植えた夏野菜の苗はこれでしっかり根付いてくれるだろう。待つときの雨は本当にありがたいものだ。「じう」を辞書で引くと二通りあり、時雨は「ほどよい時に降る雨」、慈雨は「ほどよく物をうるおし育てる雨、ひでり続きのあとの雨」とある。時雨、しぐれとは読んでいたが「じう」という読み方のあることを知った。

 ある日のエッセイサロンの例会。「刃傷、一入、蠢、犇、轟、蟲、姦、毳」などの文字がホワイトボードに書かれ、読みとその意味を問われた。これまで祖母の好きだった忠臣蔵に付いて書いたとき刃傷は使ったかもしれないが他の字を使った記憶はない。読みと意味、詳しい仲間に助けられメモした。解かれてみればいずれも納得、漢字が持つ込められた意味の深さを教えられた。書くときに辞書はそばに置く、その大切さを教えてくれる。

 サロン例会では「ありふれた表現でなく自分の感性でつかんだ言葉で表現」しようと合評でいわれる。限られた字数の投稿では辞書に載っている、あるいはよく使ういことわざを使うなどすると、字数はもとより書きたいことを素直に受け入れてもらえるだろうと思う。そこには我流の表現を考えなくていいというさぼりも入る。聞いて読んで書いて学ぶしかないだろう。

 プランターに植えた夏野菜の苗、植えられてすぐに夏日近くの気温にさらされ、夕方には少し疲れた様子をしている。今日の雨はそれを癒しているだろう。時雨でもあり慈雨でもある。畑の苗ら、植えられてすぐのお礼をしたような背筋はまっすぐに伸ばしただろうか。書くということ思い出せてくれた今日の雨、自分にとっても意味通りの二つの「じう」となった。 
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