「雑草のように育つ」、このように雑草はたくましい生命力のたとえに使われる。一方で、自然に生えるいろいろな草、畑などで目的の栽培以外に生える草、など有用でない植物として扱われる。植物に造詣あるある知人は「雑草という草はない」と折あるごとに話していた。朝ドラの世界なら確かにそうだろう。
一般的には邪魔扱いされることが多い。伸びた雑草が道路の端を示す白線を覆い隠す、伸びに伸びた雑草が頭をたれて車線の半分を覆う、地方道では珍しくない。経費の問題で年2回の行われていた自治体の除草が1回になった、情報通の話だが実感としてそう思う。伸びた雑草との接触を避け、センターラインを越えることもある。「雑草と侮らず雑草との接触は避けるように、車がかすり傷を負うことがよくある」、これは親しい板金店の話。
広い農地を耕作する人、庭の菜園を楽しむ人、この時期ブログで共通しているのは雑草刈りや草抜きの苦労話、多少経験もあり苦笑したり微笑んだりしながら読ませてもらっている。知人は、刈った草は必ず畝の覆いとして活用されている。父もそうしていた。この暑さのなか草刈り機を振り回すのは大変だろう。
写真は国道バイパスで交通量の多い大きな県道交差点。そこに、道路について注意を促す警戒標識が設置されている。その標識は黄色地に黒の矢印で「左方に屈曲あり」と注意を促す大きなもの。その標識に雑草が立ちはだかっている。夜間では見にくいだろうと思う。道際の雑草、何か起こる前に手を打って欲しい。
(今日の575) よく切れる鎌で草刈る気持ちよさ