今日は祖母の71回目の祥月命日。人の死に初めて出会った日で小学校6年だった。今日のように暑い日だったかどうかは記憶にないのだが、蒸し暑い日だったことは覚えている。祖父、私の両親と私らに見守られる中で帰らぬ旅立ちは自宅葬だった。
祖母は何かにつけて「長男だから」と私に言っていた。今に思えば跡取りということを子どもの時から意識付けようとしたのかも知れない。赤穂浪士全員の氏名とその人らを語っていたことを思えば、何となく理解できる気がする。私が20才代はじめに父が急逝、直後どうしようと考え込んでいる時に信じがたいが祖母の「落ち着いて」という声が聞こえ立ち上がれた。
祖母の亡くなった日、母は夕食に祖母の好きだった「もぶり」と呼んでいたが五目寿司を作る準備をしていたが、食べることは出来なかった。そんなことを母から聞いていることもあり、我が家の今日の夕食に五目寿司を妻は作った。すぐに仏前に供え命日とした。
夕方「採りたてです」と届いたのはトウモロコシ2本。それを見て思い出した。子供のころ住んでいた家の傍の菜園に、この季節には祖父母の育てたトウモロコシが育っていた。戦後の物のない時期、祖母はおやつ代わりに茹でたそれを切り分けて食べさせてくれた。新鮮なトウモロコシが届いたのが偶然ではなく、命日がそうさせたのだろうか。祖母の命日を守るのは私ら夫婦だけになった。
(今日の575) 思い出す自宅葬での人の和を