2021年7月6日 中国新聞「広場」掲載
19日付―面の「市女の悲劇 招いた軌跡」の記事に目が留まった。舟入高(広島市中区)が、前身の広島市立第一高等女学校(市女)から引き継いだ学徒動員に関する戦時中の公文書や日誌などを大量に保管していた。よくぞこれだけ多くの資料が残されていた。そう思いながら読んだ。
戦況が厳しくなるにつれ、学徒動員が次第に拡大し、応えざるを得ない学校の対応の様子が記事から伝わってきた。
建物疎開で多くの学生が原爆の犠牲になったことは知っていたが、兵器工場などの過酷な作業にも動員されていたことを平和面の特集で知った。
和とじの表紙は毛筆書きで、文書の字も鮮明だ。私には「後世に必ず引き継いで」という訴えにも思えた。大半が未公開の内容という。史料としてしかるべき所で保管してほしい。
原爆が投下された日、体調不良で動員を欠席し、難を免れた90歳の女性の「生き残った」がゆえのつらい体験を読んだ。二度とこういう思いをする人を出してはならないと強く感じた。
19日付―面の「市女の悲劇 招いた軌跡」の記事に目が留まった。舟入高(広島市中区)が、前身の広島市立第一高等女学校(市女)から引き継いだ学徒動員に関する戦時中の公文書や日誌などを大量に保管していた。よくぞこれだけ多くの資料が残されていた。そう思いながら読んだ。
戦況が厳しくなるにつれ、学徒動員が次第に拡大し、応えざるを得ない学校の対応の様子が記事から伝わってきた。
建物疎開で多くの学生が原爆の犠牲になったことは知っていたが、兵器工場などの過酷な作業にも動員されていたことを平和面の特集で知った。
和とじの表紙は毛筆書きで、文書の字も鮮明だ。私には「後世に必ず引き継いで」という訴えにも思えた。大半が未公開の内容という。史料としてしかるべき所で保管してほしい。
原爆が投下された日、体調不良で動員を欠席し、難を免れた90歳の女性の「生き残った」がゆえのつらい体験を読んだ。二度とこういう思いをする人を出してはならないと強く感じた。