日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

週刊誌の取材力

2021年03月28日 | 社会 政治

 水曜日の夕方から木曜日に掛けて霞が関と永田町は「何か」に息をひそめるというか戦々恐々としているという。そんな話が面白く書いてあった。最近の政治と週刊誌の関係を思うとき、そうしたことを報道でしか知ることができない地方住まいの者はそうだろうなあ、と思う。何かとは木曜日発売の週刊誌の掲載記事のこと。発行されると国会答弁が嘘や間違いでしたと答えてしゃあしゃあとしている。恥ずかしくないのかとあきれる。

 それはさておき、このところの政治に絡むよくないことの発掘は週刊誌が群を抜いているように思う。こうしたスクープを取るのは新聞やTVの役目と思っていたが、最近は週刊誌の後追いになってる。いわゆる報道機関の取材力にブレーキがかかっていないとすれば取材能力が落ちているのだろうか。有権者としては公平公正であればいいのであるが、報道機関はもう少し政治への監視機能を強めてもらいたい。

 週刊誌、辞書では「一週間に一回発行される雑誌」と説明は類似している。日本初の週刊誌発行は1877(明治10)年というからその歴史は古い。発行は雑誌社・新聞社と多いが廃刊や休刊も多い。かつては記事内容から「週刊誌か」と少々低めな評価もあったが、今や政治の中枢を動かす力も発揮している。それは情報源が何であれ、取材力が備わっているからではなかろうか。

 週刊誌を買って読むことはなくなった。出かけた先の書架に並んでいるのを読むくらい。ただ、新聞広告は全週刊誌ではないが、何誌かは丁寧にみている。それは世の趨勢や流行に後れまいとしての振る舞いだが、間略語がおく苦労している。次号のスクープは何か、地方の年配者も待っている。 
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