日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

花見のころ

2014年03月23日 | 回想


 暑さ寒さも彼岸まで、寒さも明日の彼岸明けで遠のき春になるというのは暦の上、予報では曇り多き日が続くという。各地の桜開花の情報が続く。このところの暖かさでつぼみは膨らんできた。次の日曜日、花見どころは賑わうだろ。錦帯橋周辺も混雑緩和のため大幅な交通規制が広報されている。例年、入学式ころまでは桜の下での賑わいは続く。

 子どものころは「お花見」といって錦帯橋畔へ出かけることはなかった。「山登り」と称して隣近所、老若男女が近くの小高い広場で車座になり、持参した重箱に詰めた弁当を広げ楽しんだ、記憶がある。なぜか我が家からは蓄音機を持参、皆さんの持ち寄った音盤(レコード)が賑わいを添えていた。終戦直後のこと古い歌謡曲や浪花節などではなかったろうか。それは旧の雛祭りころだから4月の3日か4日だろう。華やかさはないがそれが地域の親睦だった。

 サラリーマンの初めは製造プラント配属、3交替勤務では職場全員が花見、なんてことはできなかった。40歳のころ職場移動で常勤勤務に。そこには本社を含む他事業所からの異動者も多い。特に関東地区出身者は花見が好きだった。休日は昼間に、勤務日は夜桜に、ひとシーズンに複数回の花見を経験したこともある。学卒新人に場所どりを課す所属長もいたが、みんな愚痴も言わずその任を果たしていた。新人の腕の見せどころと頑張っていた。今頃、こんな課題は問題視されるとか。

 桜と学校、卒業した小中高のどれにも校舎の周囲には桜は植えられていた。その桜の下で旅立ちと出会いが繰り返されえている。1年に1度、そんな旅立ちと出会いを思い起こさせ、振り返るための動機づけに桜は植えられていたのではと思いつく。そう思うと、美しいと愛でるだけでなく、その存在の大きさに気付いた。自由に暮らせる身なればこそ、人に迷惑をかけない生き方を思い直す春かもしれない。 

 

 

 
 

 
コメント
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