日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

内裏びな 3

2014年03月03日 | 昔のお話し


 おばあちゃんの考えは、まことにもっともなことなのですが、いつまでもおくわけにはいかないので、いちおうみんなで相談をし、それぞればらして、とき売りにすることにし、内裏びなの体は、川原のてごっかいにうり、衣装は余りにりっぱなものなので、ふくろものにでもしたてるがよかろうなどと、おはなしもまとまりました。

 ところが、どうしたことでしょう。2月15日の夜になると助左衛門さんの家のどこからともなく女の人のしのび泣きの声がもれてくるではありませんか。それに悲しみをおびた笙・ひちりきの音などもまじって、かすかに聞こえてくるのです。

 「へんだね。なにごとだろう」
 「女のひとのしのび泣きといい、さびしい笙やひちりきのね」
 「まるで、狐にはなをつままれたみたいね」
 「おかしいわ。なにか悪い知らせではないじゃろうか」こんな会話が、家のなかを流れていました。

 「さがしてみようか」「こわいね」そのしのび泣く声は、どこからともわからぬもので、とらえどころがありません。隣りのへやとおもえば、またこちらへ、こちらと思えば、またあちらと、変わっていきます。

 これは、きっと、内裏びなに違いないと、けんとうをつけて、大きい箱のひもをほどいてみると、これはどうでしょう。おんなびなのひたいには、ぐっしょりと汗がでているではありませんか。助左衛門さんをはじめ、家族のものは、デンキにでもうたれたように、ぴりッとして目をみあわせました。

 おばあさんの目からは涙が一すじながれていました。「いわんことじゃない。内裏びなにはのう、しょうねがあるわい。死んだおきくさんのしょうねがはいっちょる。ばらして、ときうりするのはやめんさいッ」と、また、「せっかくお金を出して買ったものだけど、わけをいうて、白銀屋へ、おかえしするがええ、そうおしい」といいますものですから助左衛門さんは、ばらしてとき売りすることをやめ、車にのせて、白銀屋までお返しすることにしました。

 ことの次第を、じっときいていた孫三郎さんは、ぴたりとひたいをたゝみにつけて、びっしょりと汗をかき、はらはらとおちる涙を、はらいもせず、「わたしがわるうございました。なくなったお菊になんといっておわびしたらよいやら、ほんにほんに穴があれば、入りたい思いでいっぱいでございますよ」と、いくえにも頭を下げて、おわびいたしました。

 それから内裏びなは、もとの白銀屋さんへかえりましたが、孫三郎さんは心もおちつかず、家族の人びとと相談をいたしまして、金正院というお寺に納めることにいたしました。 (おわり)
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