日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

魚町・市場まつり

2014年03月29日 | 地域


 岩国は藩の発展に伴い、城下町が整備されていった。家臣は城のある横山、千石原、川西地域に屋敷割が行われ、錦川の対岸の錦見地域には町割りが決められた。中心は錦帯橋の正面に当たる「大明小路」は城下の大手の通りで、現在は商店街になっているが、昔は中級武士の屋敷ばかりで代表的な侍町であった。長さは429mある。その西側には「玖珂町」「柳井町」「米屋町」「塩町」「材木町」「魚町」「豆腐町」など、町人が居住する「岩国七町」と呼ばれる町を作った。「玖珂町」や「柳井町」には町名どおり、山陽道の宿場町「玖珂」や港町「柳井津」の商人が移住した。その後「曲尺町」「鍛冶屋町」「寺町」など職業の名称の町名も出来、庶民の生活の匂いが感じられる。(いわくに通になろう参照)

 栄え賑わったこれらの町も時代の変遷とともに、「美しい日本の歴史的風土」としては認められたものの賑わいは消えていった。特に」「魚町」「豆腐町」は地域の台所として栄えていた。この通りで揃えられない物はなかった。盆暮の買い物の人出とお店の繁忙は、上野のアメ横に似ていた。それは昭和40年代後半くらいまでで、最近は昼間でも人影の見えないことも多い。

 賑わいの一翼を担っていた一つに「岩国市小売り市場」がある。食料品その他の日用品を販売させることを目的とし条例によって設置されている。しかし、長年、空き店舗が並ぶ。それを見かね「400年西岩国の台所として愛されてきた、歴史ある『市場』を応援します」と街おこしグループが「城下町魚町・市場まつり」を企画された。営業2店舗の市場に応援店舗が並び20店が並んだ。珍しさもあってか訪れたときは混雑していて何年ぶりかに賑わう市場を見た。

 親しくしていた2店の鮮魚店の看板はそのまま架かっていた。買い物のときは特に気にしたこともなかった看板だが、主の抜けたそれを見ると胸に詰まるものを感じ、思い出に1枚撮っておいた。

 買い物弱者といわれる人たは民間の移動販売車を待っておられる。それは「見て、選んで、買える」ことが喜びになると話される。ならば、住宅地の真ん中に位置する市場の復活は買い物弱者だけでなく、自動車中心社会で移動の難しい人には喜ばれるだろう。こうした企画は継続し繰り返すことが必須という。次回の「市場まつり」は4月29日、錦帯橋まつりの日、しっかりPRされ、賑わいを期待する。
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