「少ない、咲かない」と流れたカメラ愛好家の彼岸花情報、遅れたことをわびるかのように斜面を包むように咲きほこっている箇所もある。コスモスと競演もしている。カメラマンの探索不足では、口には出さないがそう感じながら車の後部座席から眺める。
刈取りの終わっていない稲田もまだたくさん見られる。黄金色ならぬ稲穂がたれていない緑かかったそれも見られ、気候なのか品種なのかはたま八十八の手数が足らないのかなど、いろいろ思いながら車窓越しに眺める。
毎年のことだが親戚から新米が届いた。今年の作柄をたずねるとちょっと首をひねる仕草だった。それでも自家用に積まれた脱穀米の入った袋は、薄暗い貯蔵庫へ入る前の秋の日を一杯に受けている。
収穫は農産物のとりいれのことだが、転じて何かによって得られたいい結果というときにも使われる。農作業しない身では本来の収穫の喜びは得られない。しかし転じての収穫には出会えるかも知れない。
ぼんやりと過ごすのではなく、周りのいろんな事に興味を示せば思わぬ収穫が得られるかもしれない。農作物にはその収穫の時期があるが、人生は毎日が収穫の時期になるかも知れない。肩の力を抜いて柔軟に過ごしてみよう。きっと思わぬ収穫に出会えると信じて。
(写真:気持ちよさそうな昔風に呼べば米俵)